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平日の夕食

Author: 影畑凛星
last update publish date: 2026-09-26 08:25:29

 待ち合わせ場所に着くと、遥臣はすでに店の前に立っていた。

「早いわね」

「お前が遅い」

「約束の五分前よ?」

「俺は十分前に着いた」

「それは遥臣が早すぎるの」

 言い返しながら、綾香は笑った。

 連れてこられたのは、駅から少し離れた小さな洋食店だった。

「ここ、遥臣が選んだの?」

「ああ」

「よく来るの?」

「病院の奴と何度か」

「そうなのね」

 遥臣が普段使っている店。

 そう思うと、観光地や美術館へ連れていってもらうのとは少し違う嬉しさがあった。

 向かい合って座り、メニューを開く。

「何がおいしいの?」

「ハンバーグ」

「じゃあ、それにするわ」

「即決か」

「遥臣がおいしいって言うなら、食べてみたいもの」

 遥臣がわずかに視線を逸らす。

「……そうか」

「何?」

「別に」

 最近、この反応も分かるようになってきた。

 照れている。

 そう指摘すれば否定するだろうから、綾香は黙っておくことにした。

◇◆◇

 料理が運ばれてくると、綾香は一口食べた。

「おいしい」

「だろ」

「遥臣が作ったわけじゃないでしょう?」

「勧めたのは俺だ」

「じゃあ、遥臣のお手柄ということにしてあげる
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  • 婚約者に売られ、親友に顔を奪われた私は、二度目の人生で全てを取り戻す   平日の夕食

     待ち合わせ場所に着くと、遥臣はすでに店の前に立っていた。「早いわね」「お前が遅い」「約束の五分前よ?」「俺は十分前に着いた」「それは遥臣が早すぎるの」 言い返しながら、綾香は笑った。 連れてこられたのは、駅から少し離れた小さな洋食店だった。「ここ、遥臣が選んだの?」「ああ」「よく来るの?」「病院の奴と何度か」「そうなのね」 遥臣が普段使っている店。 そう思うと、観光地や美術館へ連れていってもらうのとは少し違う嬉しさがあった。 向かい合って座り、メニューを開く。「何がおいしいの?」「ハンバーグ」「じゃあ、それにするわ」「即決か」「遥臣がおいしいって言うなら、食べてみたいもの」 遥臣がわずかに視線を逸らす。「……そうか」「何?」「別に」 最近、この反応も分かるようになってきた。 照れている。 そう指摘すれば否定するだろうから、綾香は黙っておくことにした。◇◆◇ 料理が運ばれてくると、綾香は一口食べた。「おいしい」「だろ」「遥臣が作ったわけじゃないでしょう?」「勧めたのは俺だ」「じゃあ、遥臣のお手柄ということにしてあげる」「何で上からなんだ」 また笑う。 こんなふうに平日の夜に会うのは初めてだった。 週末のデートとは違う。 仕事帰りの遥臣と待ち合わせて、夕食を食べて、それぞれ家へ帰る。 特別なことは何もない。 けれど綾香には、それが新鮮だった。「今日、何してた」 遥臣が聞いた。「家にいたわ。少しだけ騒ぎはあったけど」「騒ぎ?」「知らない方が突然いらしたの」 遥臣の表情がわずかに変わる。「大丈夫だったのか」「大丈夫。お父様の仕事のお知り合いだったわ」「そうか」「私ったら、怪しい人かもしれないって警戒してしまって。お父様に笑われたの」「最近いろいろあったからだろ」「ええ。でも、何でも疑うのはよくないわね」 綾香は水を一口飲んだ。「黒い車もそう。今日、同じ車種を二台見たけど、どちらもナンバーが違ったの」「なら、前に見たのも全部同じとは限らないな」「そうなのよ」 遥臣はそれ以上、何かを推測しなかった。 そのことに綾香は少し安心する。「でも、前に怖かったのまで勘違いだったとは思わなくていい」「え?」「あの時は怖かったんだろ」「……ええ」「なら呼んで正解

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     夕方、父が帰宅すると、綾香は昼間に受け取った名刺を渡した。「今日、この方がいらしたわ」「ああ、彼か」 父は名刺を見るなり、あっさり頷いた。「知っているの?」「もちろん。直接の取引先ではないが、仕事で何度か顔を合わせているよ」「そうなの?」 思わず聞き返すと、父が不思議そうに綾香を見る。「どうしたんだ?」「だって、会社じゃなくて家に来たのよ。お父様にご挨拶したいって」「近くまで来たついでだろう。あの人なら、それくらいはするよ」「アポイントもなしに?」「昔からの付き合いでは、そう珍しくもないさ。私がいなければ名刺だけ置いて帰るつもりだったんだろう」 実際、男は父が不在だと分かると、屋敷へ上がろうともせず、名刺だけを残してすぐに帰った。 綾香は少し恥ずかしくなった。「……怪しい人なのかと思ったわ」「怪しい?」 父が目を丸くする。 そして、声を上げて笑った。「それだけで怪しい人にされたら、彼も気の毒だな」「もう、お父様」「ははは。悪かったよ」 父はまだ楽しそうだ。「でも、最近の綾香は少し心配しすぎじゃないか?」「そんなこと……」 ない、と言い切れなかった。 黒い車。 タイヤに刺さっていた釘。 知らない会社から届いた贈り物。 そして今日の訪問者。 一つ一つを取り出してみれば、何もおかしくないことも多い。 今日だってそうだ。 綾香には知らない人だった。 ただ、それだけだったのだ。「前はそんなに私の仕事相手を気にしていなかっただろう?」「……そうね」「まあ、心配してくれるのは嬉しいけどね」 父はそう言って、綾香の頭を軽く撫でた。「私は元気だよ」「分かってるわ」「それに、何か変わったことがあれば綾香にも話す」「本当に?」「ああ。だから、何でも一人で心配しなくていい」 綾香は少しだけ笑った。「じゃあ、約束よ」「約束する」◇◆◇ 自室へ戻り、綾香はスマートフォンのメモを開いた。 昼間、あの男について書き残していた。 名前。 会社名。 訪問時間。 そして、黒い車。 綾香はそれを眺めてから、最後に一行を書き加えた。『父の仕事上の知人。近くへ来たため挨拶に寄っただけ。問題なし』「……本当に、考えすぎだったわね」 声に出すと、少しおかしくなった。 黒い車についても、今日だけで違

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     週末が明けると、父はいつものように仕事へ戻った。 タイヤに刺さっていた釘についても、その後は特に変わったことはなかった。 ほかのタイヤに異常はなく、車にも細工らしいものは見つからなかったという。 父はすっかり気にしていない。 綾香も、それでいいと思うことにした。 偶然だった可能性の方が、ずっと高いのだから。「行ってくるよ」「ええ。いってらっしゃい、お父様」 玄関で父を見送る。 迎えの車が門を出ていくまで眺めてから、綾香は屋敷へ戻ろうとした。 その時だった。 道路の少し先に、黒い車が停まっている。 綾香の足が止まった。 以前なら、それだけで胸がざわついていた。 けれど今は違う。 バッグからスマートフォンを取り出し、保存していたメモを開く。 ナンバー。 目を凝らして、道路の先の車を見る。「……違う」 数字が違った。 車種は同じ。 色も同じ。 けれど、先日撮影した車ではない。 ほどなく黒い車は走り出し、何事もなく角を曲がって消えていった。 綾香はその場で小さく息を吐いた。「やっぱり、そういうこともあるのね」 街を走る車なのだから、同じ車種くらいいくらでもある。 これまで見た黒い車も、すべて同じだったとは限らない。 記録しておいてよかった。 不安を裏付けるためではない。 不安が間違っていると確認するためにも、記録は役に立つ。◇◆◇ 昼過ぎ。 父から短いメッセージが届いた。『今日は夕食までに帰るよ』 綾香は安心してスマートフォンを置いた。 その直後、また通知が鳴る。 今度は理央だった。『この前は急にお邪魔してごめんね』『お父さんにもよろしく伝えておいて』 それだけだった。 綾香はしばらく画面を見たあと、『分かったわ』 とだけ返した。 理央からのメッセージは、それ以上続かなかった。 以前なら、そのことにも意味を探したかもしれない。 なぜ今日は予定を聞かないのか。 なぜ父のことを口にしたのか。 けれど、考え始めれば何にでも理由をつけられる。 綾香はスマートフォンを伏せた。 理央を警戒する理由は、前の人生だけでも十分にある。 だからこそ、今の出来事まで無理に理央へ結びつける必要はない。 証拠のあることと、ないことを混ぜれば、本当に見るべきものを見失う。 そう思った時、屋敷の

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     次の土曜日。 綾香は待ち合わせ場所へ向かいながら、少しだけ迷っていた。 今日も行き先は決めていない。 前なら、せっかく遥臣と会えるのだからと、どこへ行こうか何日も前から考えていただろう。 けれど最近は、それすら必要なくなってきた。 会ってから決めればいい。 どこへ行くかより、誰といるかの方が大切になっている。「綾香」 名前を呼ばれて顔を上げる。 遥臣が立っていた。「待った?」「今来た」「本当に?」「五分くらい」「それは今来たとは言わないわ」「誤差だろ」 いつものやり取りに、綾香は笑った。「それで、今日はどうする?」「お前が決めろ」「また私?」「行きたいところないのか」「そうね……」 綾香は考える。 映画も見た。 植物園にも、美術館にも行った。 温泉にも行った。 次は何がいいだろう。 ふと、先日父から聞いた母の話を思い出した。「たい焼き」「何?」「たい焼きを食べたいわ」 遥臣が怪訝そうな顔をした。「それが今日の目的か?」「ええ」「たい焼きだけ?」「悪い?」「いや」 遥臣はスマートフォンを取り出した。「店を探す」「待って。普通のでいいの」「普通?」「商店街にあるようなところ」「分かった」 検索しながら、遥臣が尋ねる。「急にどうした」「お母様が好きだったんですって」 遥臣の手が止まる。「たい焼きが?」「ええ。尻尾まで餡が入っていないと文句を言っていたらしいわ」「&he

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