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母の鍵

Author: 影畑凛星
last update publish date: 2026-08-18 11:02:47

「……その鍵」

 九条先生の表情が変わった。

「どうして、あなたがそれを持っているんですか?」

 綾香は驚いて、手元を見る。

 バッグの中から取り出しかけていた古い鍵。

「この鍵を知ってるんですか?」

 九条先生はすぐには答えなかった。

 綾香の手の中にある鍵を、じっと見つめている。

「見せてもらえますか」

「はい」

 綾香は鍵を差し出した。

 九条先生は受け取ると、表と裏を確かめる。

「……間違いない」

「何の鍵なんですか?」

「どこで見つけました?」

 質問に質問を返され、綾香は一瞬迷った。

 遥臣を見る。

 壁際に立っている遥臣は何も言わない。

 ただ、話を聞いている。

「家です」

「どこに?」

「お母様の部屋に隠してありました」

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  • 婚約者に売られ、親友に顔を奪われた私は、二度目の人生で全てを取り戻す   母からの手紙

     九条先生が手にしていたのは、少し黄ばんだ白い封筒だった。 表には何も書かれていない。「これを、お母様が……?」「ええ」 九条先生は席へ戻ると、封筒を綾香の前に置いた。「亡くなる少し前に預かりました」 綾香はすぐには手を伸ばせなかった。 三年前。 母は何を思って、これを九条先生に預けたのだろう。「開けても?」「もちろんです。あなたのものですから」 綾香はようやく封筒を手に取った。 封はされている。 誰にも開けられていないのだ。 慎重に封を切り、中から折り畳まれた便箋を取り出す。 懐かしい母の字が目に飛び込んできた。『綾香へ』 その一行を見ただけで、胸が詰まった。 綾香は息を整えて、続きを読む。『あなたがこの手紙を読んでいるということは、自分で何かに気づいて、九条先生を訪ねたのでしょう』「……お母様」 思わず声が漏れた。 手紙は続いている。『今のあなたには、まだ話しても信じてもらえないと思っています。だから、何も知らないまま幸せに暮らせるのなら、それが一番だと思いました』 綾香の眉が寄る。 何も知らないまま。 母は何を知っていたのだろう。『でも、もし御影家で何かがおかしいと思う日が来たら、自分の感じたことを信じてください』 綾香の指先が震えた。 まるで今の自分へ向けられた言葉のようだった。『そして、私の木箱を探してください』「……!」 綾香は思わず顔を上げた。「九条先生」「はい」「木箱のことも知っていたんですよね?」「存在だけは」「中身は?」「知りません」 九条先生は

  • 婚約者に売られ、親友に顔を奪われた私は、二度目の人生で全てを取り戻す   母の鍵

    「……その鍵」 九条先生の表情が変わった。「どうして、あなたがそれを持っているんですか?」 綾香は驚いて、手元を見る。 バッグの中から取り出しかけていた古い鍵。「この鍵を知ってるんですか?」 九条先生はすぐには答えなかった。 綾香の手の中にある鍵を、じっと見つめている。「見せてもらえますか」「はい」 綾香は鍵を差し出した。 九条先生は受け取ると、表と裏を確かめる。「……間違いない」「何の鍵なんですか?」「どこで見つけました?」 質問に質問を返され、綾香は一瞬迷った。 遥臣を見る。 壁際に立っている遥臣は何も言わない。 ただ、話を聞いている。「家です」「どこに?」「お母様の部屋に隠してありました」 九条先生の眉がわずかに動いた。「そうですか……」「あの、この鍵は?」 九条先生は鍵を綾香へ返した。「小さな木箱の鍵です」 やっぱり。 綾香は思わず身を乗り出した。「その箱を知ってるんですか?」「ええ」「どこにあるかも?」「それは分かりません」 期待しかけた気持ちがしぼむ。「昔、あなたのお母様から見せてもらったことがあります」「お母様から?」「はい」 九条先生は少し考えてから、遥臣を見る。「遥臣」「何だ」「少し席を外してくれるか」 綾香は思わず顔を上げた。 遥臣も父親を見る。「俺が聞いたらまずい話か」「そういうわけではない。ただ、御影さんから預かった話だ」 九条先生の声は静かだった

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     明後日。 綾香は朝から、いつもと変わらないように過ごしていた。 父は会社へ行っている。 理央も朝から仕事のはずだ。 橘は屋敷にいるけれど、出かけること自体を隠す必要はない。 問題は、行き先だった。 午後になり、綾香は支度を整えて部屋を出た。 階段を下りたところで、橘と顔を合わせる。「お出かけですか?」「ええ。少し出てくるわ」「かしこまりました。お車をご用意いたしましょうか」「大丈夫。今日は電車で行くから」「承知いたしました」 それだけだった。 橘は行き先を聞かなかった。 綾香は少しだけ肩の力を抜き、そのまま玄関へ向かう。(これなら大丈夫) 靴を履き、外へ出る。 門を出たところで、思わず後ろを振り返った。 誰もいない。 綾香は小さく息を吐いた。「……何してるのかしら、私」 ただ出かけるだけなのに。 それでも、今日はどうしても誰にも知られたくなかった。◇◆◇ 病院へ着くと、遥臣からメッセージが届いた。『着いたか』『今着いたところ』『一階にいる』 顔を上げる。 ロビーの奥に遥臣がいた。 白衣姿で、こちらへ歩いてくる。「来たか」「うん」「親父はまだ診察中だ」「そうなの?」「少し押してる。待てるか」「もちろん」「じゃあ、こっち」 遥臣について、ロビーの端にある待合スペースへ向かう。 二人で腰を下ろすと、綾香はバッグを膝の上に置いた。 その中には、母が残した紙が入っている。「緊張してるな」 突然言われ、綾香は遥臣を見る。「してないわよ」

  • 婚約者に売られ、親友に顔を奪われた私は、二度目の人生で全てを取り戻す   変わったのは

     翌朝。 綾香が食堂へ入ると、すでに父が席についていた。「おはよう、綾香」「おはよう、お父様」 いつものように向かいへ座る。 けれど、もう一つの席は空いていた。 普段なら、この時間には理央もいることが多い。「理央なら、もう会社へ行ったよ」 視線に気づいたのか、父が言った。「そうなの?」「ああ。急ぎの仕事があるそうだ」「……そう」 綾香はそれ以上聞かず、朝食へ手を伸ばした。 昨夜のことを思い出す。『俺に何か隠してない?』 理央は明らかに自分を疑い始めている。 会社のこと。 遥臣のこと。 そして、自分が以前とは違うこと。(少し距離を置いた方がいいかもしれない) そう思った時だった。「そういえば」 父が新聞から顔を上げる。「理央と何かあったのか?」「え?」「今朝、少し様子がおかしかったからね」 綾香は迷った。 父にどこまで話すべきだろう。 理央を疑っている理由は説明できない。 けれど、昨日のことなら。「……最近、理央にいろいろ聞かれるのが嫌なの」「いろいろ?」「どこへ行くのかとか、誰と会うのかとか」 父がわずかに眉を寄せた。「昨日も出かけようとしたら、送るって言われて。断ったんだけど、結局送ってもらうことになって」「そうだったのか」「前は気にならなかったんだけど……今は少し嫌で」 父はすぐには答えなかった。 やがて静かに口を開く。「なら、無理に答える必要はないよ」 綾香は目を瞬いた。「いいの?」「もちろんだ」

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     帰宅してからも、遥臣の言葉が頭に残っていた。『嫌なら嫌でいいだろ』『理由がいるのか』 綾香は自室の椅子に腰を下ろし、小さく息を吐いた。(理由……) これまで、そんなふうに考えたことがなかった。 理央が心配してくれる。 理央が自分のためにしてくれる。 だから、それを嫌がってはいけないと思っていた。 前世でも。 きっと、ずっと。 綾香は机の引き出しを開ける。 中には、母の机から見つけた古い鍵。 そして『もしもの時は、九条先生に』と書かれた紙。 今日は結局、九条先生に会わなかった。 けれど、それでよかったと思う。 理央に病院まで送られた直後に会うのは、どうしても気になった。(次は、一人で行こう) 綾香は紙を封筒へ戻し、引き出しにしまった。◇◆◇ 夕食を終え、部屋へ戻ろうとした時だった。「綾香」 後ろから呼ばれ、足を止める。 理央だった。「何?」「今日、九条先生と何してたの?」 綾香は眉を寄せた。「どうして?」「いや、ちょっと気になって」「食事しただけよ」「食事?」「ええ」 嘘ではない。「二人で?」「そうだけど」 理央の表情がわずかに曇った。「ずいぶん仲いいんだね」「昔から知ってるもの」「それは知ってるけど」 理央は少し黙った。「最近、よく会ってない?」 まただ。 どこへ行ったのか。 何をしたのか。 誰と会ったのか。 綾香は昼間の遥臣の言葉を思い出す。「理央」「何?」「私が誰と会って、

  • 婚約者に売られ、親友に顔を奪われた私は、二度目の人生で全てを取り戻す   約束だから

     遥臣のあとを追いながら、綾香は首を傾げた。「付き合うって、どこに?」「腹減ってないか」「え?」「昼、まだだろ」 言われて時計を見る。 理央のことばかり気にしていて、昼食のことなどすっかり忘れていた。「……食べてない」「じゃあ行くぞ」「九条先生、仕事は?」「休憩中だ」 遥臣はそれだけ言って歩いていく。 病院を出ると、向かったのはすぐ近くにある小さなカフェだった。 店内は昼の混雑が落ち着いた頃で、空席も多い。 二人は窓際の席へ案内された。「何にする」「ちょっと待って。まだ見てない」「遅い」「入ったばっかりでしょう?」 綾香が睨むと、遥臣は何も言わずメニューへ視線を戻した。(ほんと、昔からこうだった気がする) 少しだけ懐かしくなる。 料理を注文すると、綾香は水のグラスへ手を伸ばした。「でも、本当にごめんね」「何が」「今日のことよ。急に話を合わせてなんて頼んで」「ああ」「迷惑だったでしょう?」「別に」 遥臣は水を一口飲む。「困ってたんだろ」 綾香は指を止めた。「……どうして分かったの?」「普通は、約束してない相手に約束してたことにしてくれなんて言わない」「それはそうだけど」 思わず苦笑する。 遥臣はそれ以上、理由を尋ねなかった。 やがて料理が運ばれてくる。 綾香がフォークを手に取ったところで、遥臣がふと口を開いた。「送ってきたの、橘理央だろ」「ええ」「最近よく会うな」「同じ家にいるんだから、仕方ないでしょう」「まだいるのか」

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