LOGIN戦時中、「紅の剣鬼」と呼ばれ恐れられた傭兵ハミル。 戦場で数多の命を奪った彼は、長きに渡り過去の悪夢に苛まれていた。 そんな中、ハミルは思い出す。 自分に人の心を教えてくれた黒髪の令嬢エイミィを。 7年ぶりに彼女のもとを訪ねるハミル。それは彼にとっての、人生の答え合わせだった──。
View More一閃。
目にも止まらぬ太刀筋が、1人の首を落とす。 また一閃。 息をつく間もなく、別な1人が膝から崩れ落ちた。 むせかえるほどの血の匂いが立ち込める戦場。血の海という表現そのままの場所に、彼は立っていた。 周囲には、おびただしい数の夕方の柔らかな木漏れ日が差す森の中。虫たちの静かな声が響く緑の中に、軽い足音が駆け抜けていく。 美しい銀色の髪を揺らす幼い少女。その手には、剣のようにも見える木の枝。少女はそれを、楽しげに振り回していた。「あまり走ると危ないですよ」 少女の背後から優しい声が掛かる。振り返った先には、穏やかな眼差しを向ける男──ハミルがいた。「父さま!」 少女が目を輝かせ、満面の笑みでハミルのもとに駆けて来る。その笑顔は、自分を救ってくれたあの人によく似ていると、ハミルは思った。「そろそろ夕飯の時間ですからね」「はーい!」 手を繋ぎ歩く親子。ハミルは左手で握った手の温もりを心地よく感じていた。「ねぇ、父さま?」「なんですか?」「わたしね、おおきくなったら、父さまみたいな剣士になる!」 屈託のない笑顔で言う娘の言葉に、ハミルは一瞬だけ困惑の表情を浮かべた。 剣を握るということは、いずれは誰かの命を奪う。自分のような血に塗れた道を、娘が歩もうとしているのかと。 しかし、少女の続く言葉で、その認識は変わった。「だって母さまが言ってたよ、父さまの剣はやさしい剣で、ひとをまもるための剣だって」 ハミルはハッとした。そうだ、何も命を奪うだけが剣ではない。何かを、誰かを守るために振るう剣もあるのだと、あの人が教えてくれたではないか。「だから、わたしも父さまみたいに、だれかをまもる剣士になりたい!」 一切の曇りもない眼差しで、少女は力強く言葉を放つ。そこには、父への強い尊敬が込められている。 ハミルが小さく笑う。少女の姿に、自らの迷いが全くの杞憂だったことを思い知らされ、自嘲した。「分かりました、じゃあ、明日から稽古をつけてあげますね」「うん!」 自然と、娘の手を強く握っていた。今はまだ柔らかく、小さいこの手が、やがて誰かを守るために剣を握ることになるのだと思い、胸が熱くなった。かつては血に塗れていた自分の手を、娘は何の迷いもなく握ってくれる。「では今日は早く帰りましょう。家で母さまが美味しい夕飯を作って待ってますからね」「やったー!」 ゆっくりと日が落ちようとする中、親子は手を繋いだまま、母親──エイミィの待つ家へと歩いていった。
その廃墟は、街外れの丘にあった。 戦時中に捨てられた民家で、壁は一部崩れ、周囲には雑草が生い茂っている。 肩で息をしながら、ハミルは廃墟を見据えた。半ば朽ちた石造りの塀に、その男は腰掛けていた。「よう...来たか」 捻れた短剣を手で弄びながら、ハザードは口を大きく歪める。まるで恋人でも待ちわびていたような雰囲気だ。「彼女は...どこです?」 ハミルは拳を固く握りしめ、鋭い視線をかつての傭兵仲間に向けた。エイミィの姿はどこにも見えない。「...安心しろ、女には傷一つ付けちゃいない」 急に、ハザードの表情から悦びの色が消える。代わりに浮かんだのは、失望の色。ハミルの第一声が、女性の安否を気遣うものだったことに、ハザードは苛立ちすら覚えた。 だから、もっと彼を揺さぶりたいと思った。「お前の態度次第で、あの女は親父のところに行くことになるだろうがな」「なぜ...なぜこんなことをする...!」 ハミルの言葉に、一段と怒気が混ざる。こんなことをしでかして、いったい何の意味があるのか、理解できなかった。「言っただろ? お前と殺《や》り合いたいってな」 ハザードはただ純粋に、ハミルとの死合いを望んでいた。戦時中の、一切の容赦がない剣の技。ただ敵を殺すために特化した動作のひとつひとつに、彼は情欲にも近い憧れを抱いた。 最強と謳われた「紅《あか》の剣鬼」を殺す。なんなら殺されても良い。そんな異常な執着心が、彼を突き動かしていた。「だから、早く昔に戻れよぉっ!」 座っていた姿勢から一転、ハザードは跳躍。一瞬でハミルの目前に迫る。「...っ!」 右手で腰の長剣を抜き、ギリギリのところで捻れた凶刃を防いだ。「なんだ、完全に腑抜けたわけじゃないんだな」 その動作だけで、ハミルの腕前を見抜いたハザード。流れるような動きで、二撃目、三撃目を放つ。ハミルはそれに、なんとか着いていくのがやっとだった。 見えない攻撃ではない。しかし、見えるだけでは意味がない。実戦から長く離れた身体は、思うように動いてくれなかった。「どうしたぁ! そんなんじゃなかったろ、お前はぁっ!」 ハザードの怒号が響く。ハミルはふとそこに、どこか物悲しさを感じた。「そんな剣じゃなかったはずだろぉっ!」 ハミルは気づいた。ハザードは未だに、あの戦場から戻れていない。かつての自分と
街の雰囲気は、7年前から大きく変わっていた。 ハミルが滞在していた約1年、街はずっと終戦を祝う明るい雰囲気に包まれていた。 しかし今はどうか。 人々は皆、どこか暗く、淀んだ表情を浮かべている。通りを走り回る子供たちの数も少ない。 領主であるグレン卿が、流行病によって亡くなり1年近く経ったと聞くが、その影響が色濃く出ているのか。 それだけ、グレン卿が人々から慕われていたという証でもある。しかし同時に、人々はその娘であるエイミィには、それほど信頼を寄せていないのかもしれない。「黒の令嬢...ですか」 常に黒いドレスを纏い、物憂げな表情を浮かべる現当主を、人々はそう呼んでいた。 7年前も、彼女は黒いドレスを好んで着ていた。しかし、そこに陰気な印象はなかった。いつも穏やかに、そして優しい笑顔を見せていたエイミィは、変わってしまったのか。 不安を胸に、ハミルはゆっくりと、かつて時を過ごした屋敷に足を運んだ。 アローテ邸もまた、7年前とは様相が一変していた。もとより質素な造りで、貴族の豪華な屋敷という印象は薄かった。しかし今は、もはや廃墟に近い、荒れ果てた雰囲気になっていた。 壁には至る所に苔が生え、庭の草木にも手入れがされていない。控えめとはいえ、美しいと感じたあの頃の屋敷の面影は、もうどこにもなかった。 ハミルは屋敷から少し離れた丘の上にいた。ここならば、屋敷の様子を一望できる。「エイミィさん...」 街で聞いた話によれば、現在屋敷には彼女1人が暮らしているらしい。グレン卿が亡くなった後、屋敷の使用人たちは皆、暇を出されたとか。 さすがに距離があるため、エイミィがどこにいるかまでは分からない。もしかしたら、今は留守にしている可能性もある。 ハミルはここに来て、やはり彼女を訪ねるべきではなかったかもしれないと、怖気付いていた。 仮に会ったとして、何を話せば良いだろう。仮に姿だけ見たとして、何になるというのだろう。 7年という年月は、彼の心を萎縮させていた。「...帰りましょう」 来るべきではなかったと、ハミルは踵を返そうとした。 その時、屋敷の玄関が開くのが見えた。「...っ!」 思わず、ハミルは木陰に身を隠してしまう。 そこには、1人の女性として成長した、彼女の姿が見えた。 7年前よりも、一層沈んで見える黒のドレス。滑ら
「何者になるか、か...」 カップに注がれた水を眺めながら、ハミルはぽつりと呟いた。 街道沿いの小さな宿場。軽い食事と、一晩の宿を提供してくれるその場所に、彼の姿はあった。 弟子たちの旅立ちを見送った後、1日迷いに迷った末、旅支度をまとめた。 7年。言葉にしてわずか2文字だが、その長さと重みを、改めて感じていた。「...私は何をしようとしてるのでしょうね」 今更エイミィに会って、いったい何を語れば良いのか、ハミルには皆目見当もつかなかった。いや、会わずとも良い。ただ、彼女が元気に暮らしている姿さえ見れれば、それだけでも良いと思った。 今頃は誰かの妻になっていてもおかしくはない。そうであれば、なおさら顔を合わせるべきではないはず。それでも、ハミルは彼女のもとに行こうと思った。 ふと、近づいてくる気配を感じた。「お前、ハミルか?」 ゆっくりと、声の主に目を向ける。そしてハミルは、わずかに眉をひそめた。 立っていたのは、黒い短髪を逆立てた男だ。痩せぎすで、目の下に濃い隈ができている。纏っている雰囲気からして、不気味だった。 しかし、その顔をハミルは知っていた。「ハザード...」 戦時中、同じ傭兵部隊に所属していた男。ほとんど話したことはなかったが、卓越した短剣の技に関してはよく覚えていた。 それに、彼が終戦間際、民間人を殺害した罪で投獄されたということも思い出した。「ハハッ、お前に会えるとは、これはツイてるぜ...」「なぜ、あなたがここに?」 ニィッ、という表現がよく似合う様子で、ハザードは両の口角を大きく上げた。「ちょっと前に豚箱から出てきてよ...ずっとお前を探してたんだよ」 狭い宿場の中にいる客は、ハミルとハザードだけだ。店の主人はハザードの異様な雰囲気に怯え、カウンターの下に隠れてしまった。「お前が街で世話になってたって噂を聞いて、近くまで来てみたんだが...」 ハミルは血の気が引くのを感じた。7年前の噂が今更になって、こんな形で現れるとは、想像もできなかった。「まさかいきなり会えるとはなぁ」「いったい...どういうつもりです」 ハミルは警戒の色を強めた。傭兵時代、ハザードはハミルを異常なまでにライバル視していた。今日は何人殺したと、何度も声高に自慢してきた。無論、ハミルは彼には全く興味がなく、聞き流していたが。