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第3話

作者: 満福うつわ
入社の手続きは、思っていたより早く進んだ。

3日後には南ヶ丘本社へ出社することになり、社員寮も用意された。

私は新幹線の切符を取り、家族には何も伝えなかった。

昔から、家族は私がどんな進路を選ぶのか、ほとんど気にしていなかった。進学先も就職先も、ぎりぎりになってから知るのが当たり前だった。

大学の志望校を決めるとき、父は私がどこへ行きたいのか、聞いてもくれなかった。私が就職活動をしていたときも、母は私のことを気にかけるどころか、梨奈の応募書類を直してほしいと頼んでくるだけだった。

あとになって両親は、私なら何でも自分で決められるから、心配しなくても大丈夫だと言った。

何度もそう言われるうちに、私も、自分には親の心配など必要ないのだと思うようになっていた。

秋の連休の最終日、両親は親戚を招き、新居のお披露目をした。

家へ入ると、リビングの壁に見慣れない飾りが掛かっていた。

木をかたどった立体的な家族のオブジェだった。

幹の根元に父と母の名前があり、上へ伸びる枝は2本に分かれている。

左には兄、右には梨奈の名前。その下には、将来それぞれの家族の名前を足せるよう、空白まで残されていた。

私は、その前でしばらく動けなかった。

台所から出てきた叔母が、私の肩を軽くたたいた。

「素敵でしょう?お母さんがわざわざ頼んで作ってもらったのよ」

「名前がひとつ足りなくない?」

叔母は返事に詰まった。

ちょうど料理を運んできた母が、私の視線を追い、すぐ笑った。

「決まった大きさしかなくて、子ども3人の名前を入れると窮屈になるって言われたの。それに知佳は女の子なんだから、結婚すれば苗字も変わるでしょう。ここに名前があってもなくても同じよ」

リビングにいた人たちが、一瞬黙った。

兄が眉をひそめた。

「母さん、何言ってるんだよ」

母も、まずいことを言ったと思ったのだろう。慌てて言葉を継いだ。

「そういう意味じゃないの。ただの飾りなんだから、知佳は気にしないと思っただけよ」

その場にいた全員の視線が、いっせいに私へ向いた。

私が「母の言うとおりだ」と認めるのを待っているようだった。

私は笑った。

「うん。気にしてないよ」

母は、目に見えてほっとした。

食事の途中、祖母が私に、なぜ両親と一緒に新居で暮らさないのかと尋ねた。

私が答える前に、梨奈が笑った。

「お姉ちゃんが戻っても、部屋がないもの」

母がテーブルの下で梨奈の足を蹴ったらしく、梨奈はぺろっと舌を出し、慌てて言い直した。

「ゲストルームなら泊まれるよ。冗談だから」

祖母は納得しなかった。

「こんなに広い家なのに、どうして知佳の部屋がないの?」

父は祖母の皿に魚を取り分けた。

「知佳の会社はここから遠いんだ。一緒に住んでも通勤が大変だよ。子どもたちも大人になったんだから、いつまでも家に縛りつけておくわけにはいかないだろう」

父は、ごく当たり前のことのように言った。

前に南ヶ丘での就職の話が出たときは、毎日のように電話をかけてきて、断るように言っていたのに。あれほど私を引き止めたのは、父自身ではなかったか。

食事の途中で、兄が地下駐車場にもう1台分の空きがあると言った。

梨奈がすぐ手を挙げた。

「私にちょうだい。来年、車を買うつもりだから」

母は笑ってうなずいた。

「初めから梨奈に使わせるつもりだったのよ」

箸を持つ手が止まった。

この家を買うとき、私は母に頼まれて300万円を立て替えた。

今はお金が用意できないと母に言われ、ひとまず立て替えたのだ。

返してほしいと催促したことはない。

母が「家族のお金なんだから」と言ったからだ。

私は箸を置いた。

「この家を買うとき、私が300万立て替えたよね、なら駐車場は私が使うべきじゃないの?」

食卓が静まり返った。

母は一瞬戸惑い、気まずそうな顔になった。

「知佳はもうここに住まないんでしょう。梨奈はこれから毎日、車で通勤するんだから、置く場所が必要なのよ」

私は母を見た。

「じゃあ、300万円は?」

父の顔が険しくなった。

「知佳、親戚も来ているのに、こんな日にそこまできっちり金の勘定をしなくてもいいだろう?」

兄も声を落とした。

「最近、どうしたんだよ。前はそんな細かいことを言わなかっただろう」

前は。

また、その言葉だった。

以前の私は、自分の物を梨奈へ渡しても、平気だと言った。家族にお金を貸しても、返してほしいとは言わなかった。

それが当たり前になった今、たった一度返してほしいと言うだけで、私は細かい人間になるらしい。

それ以上、言い争うのはやめた。

私はスマホを取り出し、当時の振込記録を母へ送った。

「今日返してとは言わない。今月中に振り込んで」

母は、信じられないという顔で私を見た。

「本当に、家族から取り立てるつもり?」

私はうなずいた。

「うん。ちょうどお金が必要だから」

梨奈が慌てて母の腕をつかんだ。

「お母さん、お姉ちゃんに返そうよ。駐車場のことは、私が何とかするから」

母は不機嫌なまま、親戚が帰るまで私と口をきかなかった。

私が玄関へ向かうと、後ろから父の低い声が聞こえた。

「知佳は最近、ずいぶん面倒なことを言うようになったな」

兄がため息をついた。

「仕事がうまくいってないんじゃない?何日かすれば元に戻るよ」

私は振り返らなかった。

ふたりは知らない。

仕事は順調だった。

ただ今度こそ、この町に残るのをやめただけだ。

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