Short
家族5人の新居に、私の部屋だけがなかった

家族5人の新居に、私の部屋だけがなかった

بواسطة:  満福うつわمكتمل
لغة: Japanese
goodnovel4goodnovel
10فصول
10وجهات النظر
قراءة
أضف إلى المكتبة

مشاركة:  

تقرير
ملخص
كتالوج
امسح الكود للقراءة على التطبيق

両親は新居へ引っ越したのに、家の中を一度も私に見せてくれなかった。 秋の連休になり、母はようやく、もったいぶって新居の住所を送ってきた。 【早く帰ってきて。家族5人そろって引っ越し祝いをするのよ】 私、水野知佳(みずの ちか)は栗の焼き菓子を手に、新居へ向かった。 玄関には、名前入りの特注のスリッパが4足、きれいに並んでいた。 父のグレー、母のアイボリー。兄と妹の水野梨奈(みずの りな)にも、1足ずつ用意されている。 けれど、私の分だけ見当たらない。 私がしばらく捜していると、母は靴箱の一番下から、ホテルから持ち帰った使い捨てのスリッパを取り出した。 「知佳の分を頼むの、忘れてた。どうせ滅多に帰ってこないんだから、何だっていいんでしょう」 私は何も言わなかった。 梨奈はうれしそうに、家の中を案内してくれた。 梨奈にはウォークインクローゼット、兄にはゲーム専用の部屋がある。 ベランダのそばには、父がお茶を楽しむための小さな部屋まで設けられていた。 最後の扉を開けると、中には折り畳みベッドが1台だけ置かれていた。 母は笑った。 「ここはゲストルーム。知佳が泊まるときは、この部屋を使えばいいから」 私は、しばらくその場から動けなかった。 両親は、引っ越しのときに私の希望を聞き忘れたわけではない。 最初から、この家に私の部屋が必要だとは思っていなかったのだ。 夕食の席で、父がグラスを掲げた。 「これでやっと、家族みんなが帰れる家ができたな」 私も笑ってグラスを合わせた。 だが席を立った後、こっそりこの町の会社への入社を辞退した。 そして、遠く離れた街にある南ヶ丘本社での仕事を受け入れた。 両親は、新しい家を手に入れた。 私も、自分の居場所を捜しに行くことにした。

عرض المزيد

الفصل الأول

第1話

引っ越し祝いの夕食が終わると、母は栗の焼き菓子を切った。そして、用意したプレゼントを開けるよう、私たちをリビングへ促した。

兄には、発売されたばかりのゲーム機器一式。梨奈には、彼女がずっと欲しがっていたヴィンテージのバッグ。父にも、新しい急須と湯呑みのセットがあった。

私の番が来たとき、ローテーブルの上にはもう何も残っていなかった。

母は数秒固まったあと、思い出したように自分の頭を軽くたたいた。

「やだ、私ったら。知佳は何でも持ってるから、余計な物はいらないと思ったのよ」

梨奈はバッグを抱え、少し気まずそうに言った。

「お姉ちゃん、よかったらこのバッグ、しばらく使う?」

「何言ってるの」

母はすぐに梨奈を手で制した。

「知佳は、そういう物に興味ないでしょう。昔から何も欲しがらない、手のかからない子なんだから」

私はうつむき、栗の焼き菓子をひと口かじった。甘いと分かっているのに、不思議と苦さだけが広がっていく。

子どもの頃、うちには余裕がなかった。

兄がスニーカーを欲しがり、梨奈がピアノを習いたいと言うたび、私は早くから「何もいらない」と答えることを覚えた。

その後、家の暮らしが楽になっても、家族の習慣は変わらなかった。

兄は欲しい物のリンクを送れば、買ってもらえる。梨奈が少し長く眺めていた物は、翌日には部屋に置かれていた。

私の欲しい物を聞かれると、母はいつも同じことを言った。

「知佳はしっかりしてるし、何でもいいのよ」

長いあいだ聞き分けのいい子でいると、気にかけてもらう手間まで省かれてしまうらしい。

夜10時になり、私は借りている小さなマンションへ帰ろうとした。

父が眉をひそめた。

「こんな日に帰るのか?この家に寝る場所がないわけじゃないだろう」

母も手招きした。

「ゲストルームのベッドなら、今日の午後に整えておいたわ。今夜くらい泊まっていきなさい」

ゲストルームの壁際には、折り畳みベッドが置かれていた。その横には、まだ開けていない段ボール箱が積まれている。

クローゼットには、梨奈の部屋に収まりきらなかった季節物の服が詰め込まれ、ベッドのそばには小さな台さえなかった。

母は予備の洗面用品を持ってきて、笑いながら説明した。

「この部屋ね、本当は物置にするつもりだったの。でも、ベッドを残しておいてよかった。じゃなかったら、今日、知佳が泊まる場所もなかったもの」

私は、ホテル名の入った歯ブラシを受け取った。

「十分だよ」

母は満足そうにうなずいた。

「やっぱり知佳は話が早くて助かるわ」

そのとき、スマホの画面が明るくなった。

南ヶ丘本社の人事から、またメッセージが届いていた。

【本社への異動枠を確保できるのは、明日中です。お返事をいただけますか】

この打診を受けるのは、これで3回目だった。

前の2回は断った。

母は血圧が高く、父は腰を悪くしている。この町に残っていれば、何かあったときにすぐ駆けつけられると思っていたからだ。

けれど今、ふたりはそれほど私を必要としていないのかもしれないと思った。

私は画面を消した。

初めて、その場で断らなかった。

توسيع
الفصل التالي
تحميل

أحدث فصل

فصول أخرى
لا توجد تعليقات
10 فصول
第1話
引っ越し祝いの夕食が終わると、母は栗の焼き菓子を切った。そして、用意したプレゼントを開けるよう、私たちをリビングへ促した。兄には、発売されたばかりのゲーム機器一式。梨奈には、彼女がずっと欲しがっていたヴィンテージのバッグ。父にも、新しい急須と湯呑みのセットがあった。私の番が来たとき、ローテーブルの上にはもう何も残っていなかった。母は数秒固まったあと、思い出したように自分の頭を軽くたたいた。「やだ、私ったら。知佳は何でも持ってるから、余計な物はいらないと思ったのよ」梨奈はバッグを抱え、少し気まずそうに言った。「お姉ちゃん、よかったらこのバッグ、しばらく使う?」「何言ってるの」母はすぐに梨奈を手で制した。「知佳は、そういう物に興味ないでしょう。昔から何も欲しがらない、手のかからない子なんだから」私はうつむき、栗の焼き菓子をひと口かじった。甘いと分かっているのに、不思議と苦さだけが広がっていく。子どもの頃、うちには余裕がなかった。兄がスニーカーを欲しがり、梨奈がピアノを習いたいと言うたび、私は早くから「何もいらない」と答えることを覚えた。その後、家の暮らしが楽になっても、家族の習慣は変わらなかった。兄は欲しい物のリンクを送れば、買ってもらえる。梨奈が少し長く眺めていた物は、翌日には部屋に置かれていた。私の欲しい物を聞かれると、母はいつも同じことを言った。「知佳はしっかりしてるし、何でもいいのよ」長いあいだ聞き分けのいい子でいると、気にかけてもらう手間まで省かれてしまうらしい。夜10時になり、私は借りている小さなマンションへ帰ろうとした。父が眉をひそめた。「こんな日に帰るのか?この家に寝る場所がないわけじゃないだろう」母も手招きした。「ゲストルームのベッドなら、今日の午後に整えておいたわ。今夜くらい泊まっていきなさい」ゲストルームの壁際には、折り畳みベッドが置かれていた。その横には、まだ開けていない段ボール箱が積まれている。クローゼットには、梨奈の部屋に収まりきらなかった季節物の服が詰め込まれ、ベッドのそばには小さな台さえなかった。母は予備の洗面用品を持ってきて、笑いながら説明した。「この部屋ね、本当は物置にするつもりだったの。でも、ベッドを残しておいてよかった。じゃなか
اقرأ المزيد
第2話
翌朝、私は近所の店へ朝食を買いに行った。戻って指を当てると、玄関のスマートロックが3回続けて認証エラーを告げた。インターホンを押そうとしたところで、住人らしい女性がエレベーターから降りてきた。私を見ると、不思議そうに足を止めた。「どちらのお宅へ?」私は目の前の扉を指した。「両親の家です」女性はさらに驚いた。「水野さんのお宅は、4人暮らしじゃなかった?この前、奥様からそう聞いたんだけど」ちょうどそのとき、内側から扉が開いた。顔をのぞかせた梨奈が、笑いながら私を中へ引っ張った。「お姉ちゃん、どうして指紋で開けなかったの?」私は母を見た。母はダイニングテーブルでゆで卵の殻をむきながら、顔も上げずに答えた。「取り付けた日は仕事だったでしょう。月に何度も来るわけじゃないし、わざわざ登録しなくてもいいと思ったのよ」スマートロックには、7件の指紋が登録されていた。父と母、兄、梨奈。家事代行のスタッフの分まである。思わず笑ってしまった。「確かに、必要ないね」母はようやく私の口調に気づき、顔を上げた。「また何か気にしてるの?今から登録すれば済むでしょう。そんな大げさなことじゃないんだから」母に言われ、私は指紋を登録することにした。ところが、登録には管理者の認証が必要だった。管理者になっている父は散歩に出ていて、スマホも置いたままだった。母は2度試したあと、面倒そうに手を振った。「もういいわ。今度にしましょう。用があればインターホンを押せばいいじゃない。開けてあげないわけじゃないんだから」私は手を引っ込めた。「分かった」朝食を済ませると、管理会社の担当者が入居者情報の最終確認に訪れた。母は4人分の名前を伝えた。私のことになると、少し間を置いた。「この子はここに住んでいません。来客扱いで大丈夫です」担当者は手元の端末を操作し、私のスマホに来客用のQRコードを送った。有効期限は3日間だった。画面に表示された「来客」の2文字を、しばらく見つめた。昨夜、母は家族のグループチャットで、ここが私たち5人の新しい家だと言っていた。けれど実際に登録するとき、私は住人にさえ数えられなかった。靴を履き替えた兄が、何気なく言った。「知佳の車も駐車場のシステムに登
اقرأ المزيد
第3話
入社の手続きは、思っていたより早く進んだ。3日後には南ヶ丘本社へ出社することになり、社員寮も用意された。私は新幹線の切符を取り、家族には何も伝えなかった。昔から、家族は私がどんな進路を選ぶのか、ほとんど気にしていなかった。進学先も就職先も、ぎりぎりになってから知るのが当たり前だった。大学の志望校を決めるとき、父は私がどこへ行きたいのか、聞いてもくれなかった。私が就職活動をしていたときも、母は私のことを気にかけるどころか、梨奈の応募書類を直してほしいと頼んでくるだけだった。あとになって両親は、私なら何でも自分で決められるから、心配しなくても大丈夫だと言った。何度もそう言われるうちに、私も、自分には親の心配など必要ないのだと思うようになっていた。秋の連休の最終日、両親は親戚を招き、新居のお披露目をした。家へ入ると、リビングの壁に見慣れない飾りが掛かっていた。木をかたどった立体的な家族のオブジェだった。幹の根元に父と母の名前があり、上へ伸びる枝は2本に分かれている。左には兄、右には梨奈の名前。その下には、将来それぞれの家族の名前を足せるよう、空白まで残されていた。私は、その前でしばらく動けなかった。台所から出てきた叔母が、私の肩を軽くたたいた。「素敵でしょう?お母さんがわざわざ頼んで作ってもらったのよ」「名前がひとつ足りなくない?」叔母は返事に詰まった。ちょうど料理を運んできた母が、私の視線を追い、すぐ笑った。「決まった大きさしかなくて、子ども3人の名前を入れると窮屈になるって言われたの。それに知佳は女の子なんだから、結婚すれば苗字も変わるでしょう。ここに名前があってもなくても同じよ」リビングにいた人たちが、一瞬黙った。兄が眉をひそめた。「母さん、何言ってるんだよ」母も、まずいことを言ったと思ったのだろう。慌てて言葉を継いだ。「そういう意味じゃないの。ただの飾りなんだから、知佳は気にしないと思っただけよ」その場にいた全員の視線が、いっせいに私へ向いた。私が「母の言うとおりだ」と認めるのを待っているようだった。私は笑った。「うん。気にしてないよ」母は、目に見えてほっとした。食事の途中、祖母が私に、なぜ両親と一緒に新居で暮らさないのかと尋ねた。私が答える前に
اقرأ المزيد
第4話
出発の前日、私は今の会社で最後の引き継ぎを終えた。午後3時頃、母から電話がかかってきた。昨日のやり取りなどなかったように、いつもどおりの声だった。「今夜、家へ来てくれない?ゲストルームの荷物を動かすの、手伝ってほしいのよ」「どうしたの?」母は電話の向こうで笑った。「梨奈が電子ピアノを買ったの。あの子の部屋に置くと狭くなるから、お父さんと相談して、ゲストルームをピアノの部屋にすることにしたのよ。普段は誰も使わないでしょう。知佳が泊まるときは、ソファで寝るか、狭くても梨奈の部屋で一晩寝ればいいから」私はしばらく黙った。「分かった」家に着くと、折り畳みベッドは兄の手で解体されていた。梨奈は床にしゃがんで防音マットを貼っていた。私を見ると、少し気まずそうにした。「お姉ちゃん。私がこの部屋を使いたいって言ったわけじゃないよ。空けておくのはもったいないって、お母さんが……」私はうなずき、残っていた2箱を一緒に運び出した。そばで母が指示を出した。「知佳、自分の段ボール箱も持って帰ってね。いつまでもここに置いておくと、場所を取るから」私は何度も車まで往復し、荷物を運び出した。20年以上の思い出が詰まった自分の箱も、一緒に持ち出した。最後の箱を運ぼうと、私は玄関で靴を履き替えていた。私に渡された使い捨てのスリッパは、もう形が崩れかけていた。その隣には、4足の特注のスリッパが変わらずきれいに並んでいる。母は私の視線に気づき、ようやく思い出したように言った。「そうだ。今度、知佳の分も頼んでおくわね」私は靴に足を入れた。「もういらないよ」母は笑いながら、私を軽く押した。「まだ気にしてるの?最近、何でも悪いほうに受け取るのね。買ったって、月に2回くらいしか来ないんじゃ、ほこりをかぶるだけでしょう」私も笑った。「そうだね」確かに、買ってもらう必要はなかった。もう、この家でスリッパを履くこともなくなるのだから。最後の箱を車のトランクへ入れると、父が家から追いかけてきた。手には、何枚かの印刷用紙を持っている。「ちょうどよかった。これを見てくれ」家族4人で行く、年末年始の南の島への旅行日程表だった。ホテルはツインの部屋1室とシングル部屋を2室予約する予定で、航空券は
اقرأ المزيد
第5話
南ヶ丘駅に着いたのは、正午を少し過ぎた頃だった。ふたつのスーツケースを引いて改札を出ると、会社から迎えに来てくれた同僚が手を振った。「水野さんですよね?トランクを空けてきたので、荷物は全部入りますよ」何気ないひと言なのに、私はすぐに返事ができなかった。これまで家族で出かけるとき、私はいつも荷物を抱え、後部座席の真ん中に座っていた。兄はいつも言った。梨奈は車に酔いやすいから助手席に座らせよう。父と母は年を取っているから、後部座席は広く使わせてあげよう、と。最後に残った場所が、私の席だった。私が来る前から、荷物を置く場所まで空けてくれる人もいるのだ。入社手続きが終わったのは、午後5時頃だった。同僚は社員寮まで案内し、エントランスと部屋の鍵を渡してくれた。「こっちが建物のエントランスで、もうひとつが部屋の鍵です。なくしたら言ってください。予備は総務にありますから」手のひらに載った鍵を見ていると、自然に笑みがこぼれた。そのとき、母からメッセージが届いた。【夜は何時に帰ってくるの?お父さんが、知佳の好きなカニを買ってきたわよ】私は返信しなかった。午後6時半には、兄から催促が来た。【今どこ?父さん、もうカニをさばくって言ってるぞ】7時10分、梨奈が食卓の写真を送ってきた。5人分の食器がきれいに並んでいる。私の席だけ、出入口に一番近い端に、付け足したように用意されていた。【お姉ちゃん、早く。あとはお姉ちゃんだけだよ】7時20分、とうとう母から電話がかかってきた。電話に出るなり、母は強い口調で問い詰めた。「どういうつもりなの?機嫌が悪いのは勝手だけど、食事くらい帰ってきなさいよ。家族みんなで知佳を待ってるのよ」私は鍵を回し、自分の部屋の扉を開けた。「もう、そっちには帰れないよ」母は黙り込んだ。「帰れないって、残業なの?」「今、南ヶ丘にいるの。今日、入社手続きを済ませたところ」「南ヶ丘?」電話の向こうが静まり返った。数秒たって、遠くから父の声がした。「知佳は何て?」母は意味が分からないように、もう一度尋ねた。「南ヶ丘へ何をしに行ったの?」私はベッドの端に座り、静かに答えた。「南ヶ丘に本社がある会社に転職したの。今日、正式に赴任したの」次の
اقرأ المزيد
第6話
翌朝、会議室へ入ったところで、兄から電話がかかってきた。電話に出ずに切ると、兄はかけ直さず、写真を1枚送ってきた。梨奈が買ったばかりの電子ピアノは、彼女の部屋へ移されていた。片づいたゲストルームの壁際には、新品らしきベッドが置かれている。写真の下に、短いメッセージがあった。【母さんが、慌てて用意したんだ】私はひと目見て、画面を閉じた。午前中は、3時間続けて会議だった。会議が終わると、同僚に昼食は何がいいかと聞かれた。反射的に答えた。「何でもいいです。好き嫌いはないので」同僚は笑った。「何でもいいって言われると、かえって迷っちゃいますよ。水野さん、何か食べたいものはないですか?」私はしばらく返事に詰まった。「オムライスがいいです。ケチャップたっぷりの」「決まりですね。行きましょう」同僚と食べる、ごく普通の昼ご飯だった。それなのに、家族で引っ越しを祝ったあの夜より、ずっと気が楽だった。午後になると、母からメッセージが届いた。最初の写真は玄関だった。淡い水色のスリッパが1足、並べてあった。甲には、私の名前が刺繍されていた。次は、スマートロックの管理画面だった。【知佳の指紋も登録できるわよ。帰ってきたら、お母さんがやってあげるから】最後の写真は、作り直した家族の木のデザイン案だった。父と母の名前から、今度は3本の枝が伸びている。私の名前は、その真ん中にあった。母は尋ねた。【これならいいでしょう?】私はしばらく写真を見つめてから、母に電話をかけた。母はすぐに出た。「写真、見てくれた?あの部屋のマットレス、お父さんがわざわざ選びに行ったのよ。腰が悪い人でも楽に寝られるんだって。家族の木も作り直してもらうことにしたから、今度はちゃんと知佳の名前も入ってるわよ」母は早口で話し続けた。今からでも私の分をあれこれ用意すれば、これまでのことは帳消しにできると思っているようだった。私は、母が話し終えるのを待った。「お母さん。私、ベッドがなかったから出ていったんじゃないよ」電話の向こうで、母が黙った。「じゃあ、どうしてほしいの?」母の声には、もう自分が責められているかのようなやるせなさがにじんでいた。「部屋も用意した。スリッパも買った。家族の木も作り
اقرأ المزيد
第7話
南ヶ丘へ来て初めての週末に、兄がひとりで訪ねてきた。兄は会社へ押しかけたりせず、前もって私の都合を聞いてきた。私たちは、社員寮の近くのカフェで会う約束をした。顔を合わせると、兄はまず辺りを見回して尋ねた。「こっちの暮らしには慣れた?」「うん。寮は会社から少し遠いけど、必要な物は何でも買えるよ」兄はうなずき、それきり黙った。これまで、こうして座って話すことはめったになかった。実家では、兄と梨奈がいつも楽しそうに話し、私はたいてい聞き役だったからだ。しばらくして、兄はバッグから古いアルバムを取り出した。「母さんが押し入れを片づけてたら、出てきたんだ」私は最初のページを開いた。そこには、子どもの頃の写真ばかりが並んでいた。兄が初めて自転車に乗った日は、私が後ろから支えている。梨奈が初めて発表会の舞台に立った日は、私が舞台の前にしゃがみ、動画を撮っていた。父が入院していたときの写真もあった。私は父のベッドの端に顔を伏せたまま、眠っていた。母が転んでけがをした年には、私が車椅子を押して再診に付き添った。最後のページまでめくったところで、兄が言った。「これ、知佳が写ってるの、こんなに少なかったんだな」私は顔を上げなかった。「ほとんど、私が撮ったから」兄は黙った。しばらくして、兄が小さくつぶやいた。「くそ……最悪だな」私は笑った。「今頃、気づいたの?」兄は顔を手でこすった。「こんなことになるまで、本当に考えたことがなかった。知佳は俺たちよりずっとしっかりしてると思ってた。父さんも母さんも、何かあれば最初に知佳を頼るし、いつもちゃんとやってくれてたから。だから、こういうことは気にしないんだって、勝手に決めつけてた」私はアルバムを閉じた。「気にしてなかったわけじゃないよ。いつも私から『私にも』って頼まなきゃいけないのが嫌だったの」兄は何も言わなかった。それが、かえってありがたかった。別れ際、兄が母からの伝言を口にした。「母さん、年末年始の旅行はやめるってさ。みんなで家にいて、知佳が帰ってくるのを待つって言ってた」私は首を横に振った。「待たないで。今年は帰らないから」兄は少し眉を寄せたが、説得はしなかった。「分かった。そう伝える」2歩ほ
اقرأ المزيد
第8話
1か月後、父と母、梨奈が南ヶ丘へ来た。母から連絡があったのは、3日前だった。【知佳に会いに行こうと思うんだけど、時間ある?忙しかったら、私たちだけで観光して帰るから。会社に急に行ったりしないから、安心してね】「会社に急に行ったりしない」という文字を、私は長いあいだ見つめた。迷った末、短く返した。【日曜の午後なら大丈夫】3人は、本当に約束した時間に現れた。マンションに着いても、母はそのまま上がってこようとはせず、私に電話をかけてきた。「知佳、今、マンションの前に着いたの。迎えに来てもらっても大丈夫?」外へ出ると、梨奈が紙袋を抱え、ふたりの後ろに立っていた。梨奈は私を見ると、きゅっと唇を結んだ。「お姉ちゃん」以前の梨奈なら、私を前にしてこんなに緊張することはなかった。私は3人を部屋へ案内した。母は中へ入ると室内を見回したが、以前のように「こんな物を買って、もったいない」「これ、何に使うの?」と、私の買った物に口を出すことはなかった。ただ、窓のほうを見て、ひと言だけ言った。「日当たりがいいね」父もソファに座り、珍しく実家へ戻れとは言わなかった。梨奈が紙袋を差し出した。中をのぞくと、入っていたのはプレゼントではなかった。南の島行きの航空券4人分のキャンセル確認書と、作り直した家族の木の写真だった。梨奈は小さな声で言った。「お姉ちゃん、これだけしたんだから許してって言いに来たんじゃないよ。ただ、ちゃんと謝りたくて」私が顔を上げると、梨奈は目を赤くしていた。それでも泣くまいと、こらえているようだった。「お母さんが何でも私を優先してくれるの、当たり前だと思ってた。お姉ちゃんもいつも『いいよ』って言ってくれるから、本当に気にしてないんだって思ってたんだ」梨奈は紙袋の端を指でいじった。「ピアノの部屋のこともそう。あそこが、お姉ちゃんが実家に泊まれる唯一の部屋だって分かってた。それなのに、お母さんから空けておくのはもったいないって言われたら、私もそうだと思った。今考えると、本当にひどかった」母が口を挟もうとした。梨奈はすぐ、母を止めた。「お母さん、かばわないで。私ばっかりいい思いをしてたんだから」部屋が静かになった。梨奈が両親にかばってもらわず、自分の非を認め
اقرأ المزيد
第9話
お正月の1週間前、家族のグループチャットが急に静かになった。12月27日になって、父がようやくメッセージを送った。【年末年始をどう過ごすか、各自で教えてくれ。誰かが勝手に決めるのはなしにしよう】兄は仕事。梨奈は友人とスキーへ行くことになっていた。父と母は、ふたりで家に残るという。私の番になり、短く返した。【南ヶ丘で過ごす】母からの返事は、ひと言だけだった。【分かった。何か食べたい物はある?送るから】初めは、何もいらないと返そうとした。途中まで書いて、消した。【手作りのたくあんがいいな。それと、お母さんが作る辛みそ】10分後、母から感嘆符が3つ並んだ返事が届いた。【分かった!!!辛みそは多めに入れておくね】思わず笑った。家族の好意を受け取っても、また私ばかりが我慢する関係に戻るわけではない。その優しさで私を縛ろうとしないのなら、受け取ってもいいのだ。大みそかには、帰省しないプロジェクトの仲間が何人か、私の家へ食事に来た。同僚たちが、鍋の素や飲み物を持ち寄って集まってきた。袋いっぱいのミカンを提げてきた研修中の後輩は、部屋に入ると私に尋ねた。「水野さん、どこに座ればいいですか?」私はダイニングテーブルを指した。「好きなところに座って、みんなの席はちゃんとあるよ」それほど大きくないテーブルに、6人分の食器がきちんと並んだ。誰ひとり、あとから用意された小さな椅子に座ることはなかった。食事の途中、母からビデオ通話がかかってきた。画面の中では、父と母だけが食卓についていた。私は少し驚いた。「お兄ちゃんと梨奈は?」母は笑った。「言ったでしょう。ひとりは仕事、もうひとりはスキーよ。若い人には、それぞれ予定があるんだから。私たちだって、ふたりでゆっくり年を越せるわ」父も画面へ顔を寄せた。「お母さんも、ようやく分かったんだよ。無理に全員そろえるのは、家族団らんじゃなくて出欠確認だろ」母が父をにらんだ。「何よ。分かったようなことを言って」私は声を上げて笑った。母は玄関へスマホを向けた。あの淡い青色のスリッパは、今もそこに置かれていた。けれど母は、帰ってきたときに履いてとは言わなかった。ただ、穏やかに尋ねた。「今の部屋、慣れた?」「
اقرأ المزيد
第10話
翌年の秋の連休、私は実家へ帰らなかった。ちょうど大事なプロジェクトが終わり、ようやく取れた3日間の休暇を、自分の家で過ごすことにした。半月ほど前、両親から尋ねられていた。【今年は、知佳の家へ行ってもいい?都合が悪かったら、断ってくれていいから】私はメッセージを見て、ひと言だけ返した。【来てもいいよ】家族が着いたのは午後4時を過ぎていた。兄と梨奈も休みを取り、両親と一緒に来た。私は4足の来客用スリッパを用意して待っていた。母は履き替えながら、足元をしばらく見つめた。「今度は、どうして4足なの?」後ろにいた兄が、あきれた声を出した。「母さん、わざわざ自分が落ち込むようなこと聞くなよ。ここは知佳の家なんだから、自分のスリッパはあるだろ」皆が笑った。母も笑ったが、目は少し赤くなっていた。リビングへ入った母は、仕事用のスペースを見て足を止めた。「ここは、知佳が使っているの?」「うん。家で残業するときに使ってる」そこには壁一面の本棚と、広い机があった。窓辺には、半年ほど前から育てている観葉植物があった。母は机の角を、指先でなぞった。「知佳、子どもの頃から、自分の机が欲しかったんじゃない?」私は料理を皿に盛る手を止めた。「欲しかったよ」子どもの頃、兄には自分の部屋があった。梨奈が生まれると、両親はもうひとつの部屋を子ども部屋にした。私が眠っていたのは、物置を片づけて作った、ベランダ脇の小さな部屋だった。宿題を広げられる大きな机が欲しいと、一度だけ母に言ったことがある。母は、兄や梨奈と張り合わないの、と私をたしなめた。母も、そのときのことを思い出したのだろう。しばらく黙ったあと、静かに言った。「私、自分で思っていたよりずっと、知佳に我慢させてたのね」私は「もう昔のことだから」とは言わなかった。あったことまで、なかったことにはできない。代わりに、洗ったブドウを母へ差し出した。「食べる?甘いよ」夕食の支度は、皆で分担した。父が料理を作り、兄が野菜を洗い、梨奈が果物を切った。母も手伝おうとしたが、私は椅子に座らせた。母は不満そうに言った。「6時間以上もかけて来たのに、お母さんはお客さんなの?」私はわざとうなずいた。「そうだ
اقرأ المزيد
استكشاف وقراءة روايات جيدة مجانية
الوصول المجاني إلى عدد كبير من الروايات الجيدة على تطبيق GoodNovel. تنزيل الكتب التي تحبها وقراءتها كلما وأينما أردت
اقرأ الكتب مجانا في التطبيق
امسح الكود للقراءة على التطبيق
DMCA.com Protection Status