تسجيل الدخول両親は新居へ引っ越したのに、家の中を一度も私に見せてくれなかった。 秋の連休になり、母はようやく、もったいぶって新居の住所を送ってきた。 【早く帰ってきて。家族5人そろって引っ越し祝いをするのよ】 私、水野知佳(みずの ちか)は栗の焼き菓子を手に、新居へ向かった。 玄関には、名前入りの特注のスリッパが4足、きれいに並んでいた。 父のグレー、母のアイボリー。兄と妹の水野梨奈(みずの りな)にも、1足ずつ用意されている。 けれど、私の分だけ見当たらない。 私がしばらく捜していると、母は靴箱の一番下から、ホテルから持ち帰った使い捨てのスリッパを取り出した。 「知佳の分を頼むの、忘れてた。どうせ滅多に帰ってこないんだから、何だっていいんでしょう」 私は何も言わなかった。 梨奈はうれしそうに、家の中を案内してくれた。 梨奈にはウォークインクローゼット、兄にはゲーム専用の部屋がある。 ベランダのそばには、父がお茶を楽しむための小さな部屋まで設けられていた。 最後の扉を開けると、中には折り畳みベッドが1台だけ置かれていた。 母は笑った。 「ここはゲストルーム。知佳が泊まるときは、この部屋を使えばいいから」 私は、しばらくその場から動けなかった。 両親は、引っ越しのときに私の希望を聞き忘れたわけではない。 最初から、この家に私の部屋が必要だとは思っていなかったのだ。 夕食の席で、父がグラスを掲げた。 「これでやっと、家族みんなが帰れる家ができたな」 私も笑ってグラスを合わせた。 だが席を立った後、こっそりこの町の会社への入社を辞退した。 そして、遠く離れた街にある南ヶ丘本社での仕事を受け入れた。 両親は、新しい家を手に入れた。 私も、自分の居場所を捜しに行くことにした。
عرض المزيد翌年の秋の連休、私は実家へ帰らなかった。ちょうど大事なプロジェクトが終わり、ようやく取れた3日間の休暇を、自分の家で過ごすことにした。半月ほど前、両親から尋ねられていた。【今年は、知佳の家へ行ってもいい?都合が悪かったら、断ってくれていいから】私はメッセージを見て、ひと言だけ返した。【来てもいいよ】家族が着いたのは午後4時を過ぎていた。兄と梨奈も休みを取り、両親と一緒に来た。私は4足の来客用スリッパを用意して待っていた。母は履き替えながら、足元をしばらく見つめた。「今度は、どうして4足なの?」後ろにいた兄が、あきれた声を出した。「母さん、わざわざ自分が落ち込むようなこと聞くなよ。ここは知佳の家なんだから、自分のスリッパはあるだろ」皆が笑った。母も笑ったが、目は少し赤くなっていた。リビングへ入った母は、仕事用のスペースを見て足を止めた。「ここは、知佳が使っているの?」「うん。家で残業するときに使ってる」そこには壁一面の本棚と、広い机があった。窓辺には、半年ほど前から育てている観葉植物があった。母は机の角を、指先でなぞった。「知佳、子どもの頃から、自分の机が欲しかったんじゃない?」私は料理を皿に盛る手を止めた。「欲しかったよ」子どもの頃、兄には自分の部屋があった。梨奈が生まれると、両親はもうひとつの部屋を子ども部屋にした。私が眠っていたのは、物置を片づけて作った、ベランダ脇の小さな部屋だった。宿題を広げられる大きな机が欲しいと、一度だけ母に言ったことがある。母は、兄や梨奈と張り合わないの、と私をたしなめた。母も、そのときのことを思い出したのだろう。しばらく黙ったあと、静かに言った。「私、自分で思っていたよりずっと、知佳に我慢させてたのね」私は「もう昔のことだから」とは言わなかった。あったことまで、なかったことにはできない。代わりに、洗ったブドウを母へ差し出した。「食べる?甘いよ」夕食の支度は、皆で分担した。父が料理を作り、兄が野菜を洗い、梨奈が果物を切った。母も手伝おうとしたが、私は椅子に座らせた。母は不満そうに言った。「6時間以上もかけて来たのに、お母さんはお客さんなの?」私はわざとうなずいた。「そうだ
お正月の1週間前、家族のグループチャットが急に静かになった。12月27日になって、父がようやくメッセージを送った。【年末年始をどう過ごすか、各自で教えてくれ。誰かが勝手に決めるのはなしにしよう】兄は仕事。梨奈は友人とスキーへ行くことになっていた。父と母は、ふたりで家に残るという。私の番になり、短く返した。【南ヶ丘で過ごす】母からの返事は、ひと言だけだった。【分かった。何か食べたい物はある?送るから】初めは、何もいらないと返そうとした。途中まで書いて、消した。【手作りのたくあんがいいな。それと、お母さんが作る辛みそ】10分後、母から感嘆符が3つ並んだ返事が届いた。【分かった!!!辛みそは多めに入れておくね】思わず笑った。家族の好意を受け取っても、また私ばかりが我慢する関係に戻るわけではない。その優しさで私を縛ろうとしないのなら、受け取ってもいいのだ。大みそかには、帰省しないプロジェクトの仲間が何人か、私の家へ食事に来た。同僚たちが、鍋の素や飲み物を持ち寄って集まってきた。袋いっぱいのミカンを提げてきた研修中の後輩は、部屋に入ると私に尋ねた。「水野さん、どこに座ればいいですか?」私はダイニングテーブルを指した。「好きなところに座って、みんなの席はちゃんとあるよ」それほど大きくないテーブルに、6人分の食器がきちんと並んだ。誰ひとり、あとから用意された小さな椅子に座ることはなかった。食事の途中、母からビデオ通話がかかってきた。画面の中では、父と母だけが食卓についていた。私は少し驚いた。「お兄ちゃんと梨奈は?」母は笑った。「言ったでしょう。ひとりは仕事、もうひとりはスキーよ。若い人には、それぞれ予定があるんだから。私たちだって、ふたりでゆっくり年を越せるわ」父も画面へ顔を寄せた。「お母さんも、ようやく分かったんだよ。無理に全員そろえるのは、家族団らんじゃなくて出欠確認だろ」母が父をにらんだ。「何よ。分かったようなことを言って」私は声を上げて笑った。母は玄関へスマホを向けた。あの淡い青色のスリッパは、今もそこに置かれていた。けれど母は、帰ってきたときに履いてとは言わなかった。ただ、穏やかに尋ねた。「今の部屋、慣れた?」「
1か月後、父と母、梨奈が南ヶ丘へ来た。母から連絡があったのは、3日前だった。【知佳に会いに行こうと思うんだけど、時間ある?忙しかったら、私たちだけで観光して帰るから。会社に急に行ったりしないから、安心してね】「会社に急に行ったりしない」という文字を、私は長いあいだ見つめた。迷った末、短く返した。【日曜の午後なら大丈夫】3人は、本当に約束した時間に現れた。マンションに着いても、母はそのまま上がってこようとはせず、私に電話をかけてきた。「知佳、今、マンションの前に着いたの。迎えに来てもらっても大丈夫?」外へ出ると、梨奈が紙袋を抱え、ふたりの後ろに立っていた。梨奈は私を見ると、きゅっと唇を結んだ。「お姉ちゃん」以前の梨奈なら、私を前にしてこんなに緊張することはなかった。私は3人を部屋へ案内した。母は中へ入ると室内を見回したが、以前のように「こんな物を買って、もったいない」「これ、何に使うの?」と、私の買った物に口を出すことはなかった。ただ、窓のほうを見て、ひと言だけ言った。「日当たりがいいね」父もソファに座り、珍しく実家へ戻れとは言わなかった。梨奈が紙袋を差し出した。中をのぞくと、入っていたのはプレゼントではなかった。南の島行きの航空券4人分のキャンセル確認書と、作り直した家族の木の写真だった。梨奈は小さな声で言った。「お姉ちゃん、これだけしたんだから許してって言いに来たんじゃないよ。ただ、ちゃんと謝りたくて」私が顔を上げると、梨奈は目を赤くしていた。それでも泣くまいと、こらえているようだった。「お母さんが何でも私を優先してくれるの、当たり前だと思ってた。お姉ちゃんもいつも『いいよ』って言ってくれるから、本当に気にしてないんだって思ってたんだ」梨奈は紙袋の端を指でいじった。「ピアノの部屋のこともそう。あそこが、お姉ちゃんが実家に泊まれる唯一の部屋だって分かってた。それなのに、お母さんから空けておくのはもったいないって言われたら、私もそうだと思った。今考えると、本当にひどかった」母が口を挟もうとした。梨奈はすぐ、母を止めた。「お母さん、かばわないで。私ばっかりいい思いをしてたんだから」部屋が静かになった。梨奈が両親にかばってもらわず、自分の非を認め
南ヶ丘へ来て初めての週末に、兄がひとりで訪ねてきた。兄は会社へ押しかけたりせず、前もって私の都合を聞いてきた。私たちは、社員寮の近くのカフェで会う約束をした。顔を合わせると、兄はまず辺りを見回して尋ねた。「こっちの暮らしには慣れた?」「うん。寮は会社から少し遠いけど、必要な物は何でも買えるよ」兄はうなずき、それきり黙った。これまで、こうして座って話すことはめったになかった。実家では、兄と梨奈がいつも楽しそうに話し、私はたいてい聞き役だったからだ。しばらくして、兄はバッグから古いアルバムを取り出した。「母さんが押し入れを片づけてたら、出てきたんだ」私は最初のページを開いた。そこには、子どもの頃の写真ばかりが並んでいた。兄が初めて自転車に乗った日は、私が後ろから支えている。梨奈が初めて発表会の舞台に立った日は、私が舞台の前にしゃがみ、動画を撮っていた。父が入院していたときの写真もあった。私は父のベッドの端に顔を伏せたまま、眠っていた。母が転んでけがをした年には、私が車椅子を押して再診に付き添った。最後のページまでめくったところで、兄が言った。「これ、知佳が写ってるの、こんなに少なかったんだな」私は顔を上げなかった。「ほとんど、私が撮ったから」兄は黙った。しばらくして、兄が小さくつぶやいた。「くそ……最悪だな」私は笑った。「今頃、気づいたの?」兄は顔を手でこすった。「こんなことになるまで、本当に考えたことがなかった。知佳は俺たちよりずっとしっかりしてると思ってた。父さんも母さんも、何かあれば最初に知佳を頼るし、いつもちゃんとやってくれてたから。だから、こういうことは気にしないんだって、勝手に決めつけてた」私はアルバムを閉じた。「気にしてなかったわけじゃないよ。いつも私から『私にも』って頼まなきゃいけないのが嫌だったの」兄は何も言わなかった。それが、かえってありがたかった。別れ際、兄が母からの伝言を口にした。「母さん、年末年始の旅行はやめるってさ。みんなで家にいて、知佳が帰ってくるのを待つって言ってた」私は首を横に振った。「待たないで。今年は帰らないから」兄は少し眉を寄せたが、説得はしなかった。「分かった。そう伝える」2歩ほ