Masuk間違いない。
この高校に入ってから……初めて、見かけた。
気付けば扉を開け、教室の中へ入っていた。足音を殺し、息を殺しながら彼に近付く。
やばいやばい。引き返せ、俺。
寝てるところを起こしたらキレられそうだし。何より、会うべきじゃない。
そう思うのに足が止まらない。脳内だけで鳴り響く警鐘は、動悸でかき消されてしまった。
机を縦に四つ並べた上に横たわる、栗色の髪の少年。
この学校で知らない人はいない。眠り姫の、辰野朋空(たつのともそら)先輩。
「……っ」
前から綺麗な人だと思ってたけど、寝顔の破壊力は凄まじかった。
長い睫毛。高い鼻。薄い唇。
陶器のような、汚れを知らない白い肌。
同じ男なのに……何故か緊張してしまうほど、彼の全てに目を奪われた。
こんなに綺麗な男の人がいていいのか、真面目に考えてしまう。盗撮は絶対駄目だけど、こっそり覗こうとしたさっきの少年の気持ちもちょっと分かる気がした。
どうせ手に入らないなら、写真だけでも。……みたいな。
俺は、写真はあまりこだわらない。撮っても全然見返せないタチだ。その分、今目の前にあるものに脳を焼かれる。
もっと近くで見たい。
引きずるように足を一歩踏み出したが。
「うーん……」
「っ!!」
彼が身じろぎをした為、全速力で教室から飛び出した。
( あっぶねえええぇ……!! )
何とかバレなかったと思う。ドアにへばりつき、廊下の床に崩れ落ちる。
好奇心て怖い。最後の方とか記憶ないもん。
そもそも人の寝顔を見るとか最低だろ! 俺が逆の立場だったらめっちゃ嫌だわ!
罪悪感と自己嫌悪に苛まれながら、とぼとぼと家路についた。
もう辰野先輩のことで頭がいっぱいで、疲れる。俺が勝手に考えてるだけなんだけど……何よりも楽しみだった放課後が、憂鬱で仕方ない。
以前は帰りのホームルームが終わったと同時に大手を広げて、研究室に駆けていたのに。
「雅月、おかえりなさい。最近帰り遅いけど、仲良い友達でもできた?」
夜。帰宅してリビングに向かうと、テーブルを拭いていた母が不思議そうに尋ねてきた。
「ただいまー。……うん、ちょっと遊んでた。あ、勉強はしてるよ!」
「あら、偉いじゃない。でも仲良い子がいる方が嬉しいわ。たくさん遊んでおいで」
「おけ。お金は使わないようにする」
「大丈夫よ〜。仕事増やしたし、前よりはお小遣い増やすからね」
夕食の支度を始めた母にならい、手を洗ってキッチンに立つ。唐揚げを作ると言ってるので、俺は適当にサラダを作ることにした。
母ひとり子ひとりで暮らしてきたから、これが俺達の当たり前だ。俺は家事をしながら、母はフルタイムで働き、時には遅くまで残業する。
今も充分幸せだけど……本当はバイトしてお金を貯めて、自立したい。自分のしたいことを我慢してきた母に、早く楽をさせてあげたかった。
睡眠研究会も一年満喫した。よく考えたら、先輩に教室を譲る良いタイミングかもしれない。
「最近の子は何して遊ぶの?」
「ンッッ」
でも俺は今、優しい母に嘘をついている。
友達はいるけど、最近学校外で遊んだことがない。眠活という、青春とは程遠いことに取り組んでいる。徒競走でよーいドンをした瞬間、俺だけがゴールと逆方向に全力疾走してる状況だ。
結果、適当に答えてしまった。
「……ゲーセン?」
しかも疑問形。
「へえ! やっぱり皆ゲーセン好きなのね」
何とか誤魔化せたけど、喜ぶ母の顔を見て胸がチクッと痛んだ。
実を言うと格ゲーもクレーンゲームもド下手だから、ゲーセンは苦痛だ。この話は一刻も早くフェードアウトせねば。
ちょうどあることを思い出したので、冷蔵庫からドレッシングを取り出し、母の背に声を掛けた。
「話変わるけどさ。下の階の辰野さんと、最近話した?」
「辰野さん? 時間が合わないみたいで、しばらくお会いしてないわねぇ。お元気かしら……」
母はマンションの住人である辰野さんと仲良しだ。ちょうど同世代で、同じ年頃の息子がいる。
そして、互いにシングルマザー。共通点が多い為よくお茶をしていたけど、母が仕事で多忙になってからは全然会えてないようだ。
母は鶏肉を揚げながら、懐かしそうに目を細めた。
「久しぶりにお話したいわ。それで、辰野さんがどうかしたの?」
「あ〜……この前久しぶりに会って。息子の、ほら……息子さんが、俺と同じ捺校だって教えてくれたんだ」
「本当!? 良かったじゃない!」
唐揚げをバットに乗せ、母は満面の笑みを浮かべた。
「全然知らなかった! ここに引っ越した頃、雅月はよく遊んでもらってたもんね。学校でも話せると良いわね!」
「う……うん」
とりあえず頷いた。
何も知らない母は上機嫌だ。でも、その話には続きがある。
「学校で会ったら挨拶するよ。でもあの人、すごいイケメンで絶対取り巻きみたいなのいるから、おいそれと近付けないけど」
「そうなの。そういえばかっこいい子だったもんね……学年も違うし、あまり話せないかしら」
困ったように笑う母に、つられて笑う。
挨拶……なんて、やっぱりできそうにない。
だって俺、彼に避けられてる可能性大だし。
でも出来上がった唐揚げはめちゃくちゃ美味くて、それだけで元気が出た。
辰野さんに聞くまでもなく、有名だから彼と同じ学校ということは少し前から知ってたんだけど……母には睡眠研究会のことも、眠り姫の噂も黙っておこう。知ったらどっちも卒倒しそうだ。
にしても、姫かぁ……。
大層な渾名をつけられて、彼も散々だ。
誰もが手に入れたいけど、近づき難い存在。
その眠り姫と同じマンションに住んでるってことも、絶対隠し通さないと。
喉元まで出かかったため息を白米と一緒に飲み込み、雅月は久しぶりに穏やかな夜を過ごした。
◇
「ねぇねぇ、辰野先輩のファンクラブってどうやって入るの?」
しかし、穏やかな期間は本当に数日だけだった。
眠り姫の非公式ファンクラブについて、何故か急に周りに聞かれるようになったからだ。
今も隣のクラスの女子二人に捕まり、頭上に大量の疑問符が浮いている。
「いや、俺は知らないよ。他の子に訊いたら?」
大体、何で俺に訊くんだ。警戒心マックスで返すと、彼女達は露骨にがっかりした。
「なーんだ。入川くんが入ってる……安眠部? だっけ。あれって辰野先輩のファンクラブじゃないの?」
「違うよ!!」
何故そうなる。驚愕しつつ、逆にそう思った理由について問い詰める。
彼女ら曰く、眠り姫のフォロワー拠点は俺の睡眠研究会の部屋になってるらしい。一体全体どうなってんだ。
放課後、超高速打ちで赤城先輩にメッセージを送った。
すると『眠り姫に研究室に行くよう毎日声掛けてたら周りが勘違いしたっぽい、ごめんね』という返事がきた。
オイィィ……!!
そんな軽いノリで勘違いされたら困る。当の先輩は一度も来たことないのに。毎回部屋に押しかけられて、あれ? 姫いないじゃん(舌打ち)って思われること間違いなしだ。
そして何より、俺の安眠も妨害される。先輩が来ないなら部屋を渡すこともできないし
決めた。封鎖だ!!!!
これしかない。苦渋の決断だけど、睡眠研究会は今日で廃止する。
「矢代先生!」
「お。どうした、入川?」
放課後職員室に乗り込み、扉付近にいた担任に手招きした。
「俺決めました。研究会は今日で終わりにします。短い間でしたが、一年間ありがとうございました」
「おいおい、突然過ぎるぞ。どうしたんだ」
まだ若い男の先生は、コピーしてた手を止めて心配そうにやってきた。親身になってくれるのは非常に有り難いけど、詳しくは話せない。最終的に「やる意義を見失ってしまって……」という一番駄目野郎みたいな返答をしてしまった。
「こんなことして何になるんだろ、って急に思ったんです。だって俺、寝つき良いし」
「そうか……でも、無駄ではないだろ。他の先生も驚くぐらい、睡眠に関する論文をまとめてたじゃないか。眠れないって悩んでる子がいたらアドバイスもできる」
「うーん……まぁ、そうなんですけど……」
「とにかく一年頑張ったんだ。いきなり廃止は性急だよ。快眠クラブに入りたいって生徒もちらほらいるんだし、もうちょっと様子見しよう。な?」
快眠クラブって……一体どこのネカフェだ。
ツッコミたかったけど、真面目に心配してくれる先生を前に何も言えない。なんやかんやで言いくるめられ、職員室を出た。
廊下をとぼとぼ歩く。
先生はああ言ってたけど、研究会に入りたいって言ってきた子なんて今までひとりもいない。多分そこまで睡眠に関心がないのだ。寝るのが好きだとしても、それならさっさと家帰って寝よう、という思考になる。
だから一年ずっとひとりで快適に眠れてたんだ。俺は家に帰ってもつまらない、でも帰宅部は嫌、という想いだけでこの同好会を作った。空き教室で動画観ながら寝落ちすることを至高としてる俺と同じ志の子を見つけるのは、中々大変なのだ。
「ん?」
そのとき、また異様な光景を目撃してしまった。
以前と同じ、廊下から教室を覗く男子生徒Aの図。周りをきょろきょろしてるから、こっちも一旦隠れてしまった。
って、何で俺が隠れるんだよ。悪いことしてるわけじゃないんだから堂々とせい。
そう思うわりにチキンなので、何度かその場で深呼吸する。そして襟元を直し(何故?)、少年の方へ向かった。
「ね、ねえ。何してるの?」
「っ!」
上履きの色からして一年生だったから、何とか声を掛けられた。相手が三年だったら無理かもしれない。
内心どきどきしながら、努めて笑顔を保った。
「教室の中に誰かいるの?」
「あ、いや……何でもないです!」
「ち、ちょっと!」
彼はまるで、万引きGメンに声を掛けられたひとみたいな形相で走り去っていった。
この前みたく盗撮してたわけじゃないし、悪いことしちゃったな……。
でもやっぱり、用があるなら普通にノックして、声を掛けた方が良いと思うんだ。
彼が立っていた教室の扉を、指三本ほど入れて静かに開ける。
思ったとおり。中には、我らが眠り姫がいた。
また綺麗に机を並べ、簡易ベッドにして眠っている。
どこに行ってもこうしてファンやギャラリーが来ちゃうんだから、家に帰れば安心なのに。……帰りたくない理由でもあるんだろうか。
余計な詮索をしそうになり、慌てて首を横に振る。俺には彼の事情は分からない。なんせ、余裕でもう三年以上口を利いてないのだ。
そう……この学校では誰にも話してないけど、“昔”は確かに一緒にいた。慣れない土地に引っ越したばかりの頃、彼は独りだった俺を気にかけ、話しかけてくれたから。
まさに近所の優しいお兄ちゃんで、大好きだった。でもある日突然、顔を合わさなくなった。
本当に同じマンションに住んでるのか? と思うほど。生活リズムが違うなら分かるが、お互い学生だし。夕方ぐらい会える。そう楽観的に考えながら、なんと数年が経った。
会おうと思えば数分もかからないのだが、わざわざインターホンを押して会いに行く間柄でもない。むしろウザかられないか、という不安の方が強くて、とんでもない空白が生まれてしまった。
眠り姫なんて渾名、心外だ。俺も彼も。
扉を閉めて、しばらく天井を見上げた。
あぁでも……俺は彼のことをどう呼んでたっけ。
呼び捨ては絶対ない。くん付けか、さん付け。でもどれもしっくりこない。
ひとりで悩んでいたけど、扉に背を預けてずるずると下へ落ちていった。結果として床に座る形になる。
ここにずっといたら、誰か来てもすぐ分かる。辰野先輩を盗撮しようとしてる生徒のことは止められるかもしれない。
完全に偶然だけど……こうして同じ高校に入ったのもなにかの縁だし、見張り番でもするか。
噂だと、先輩はいつも十八時まで寝てるらしい。今は十五時半だから、まだ当分起きないだろう。
ちょうど、俺も眠くなってきた。
昨日は母さんが熱を出して看病していたから、寝不足なのだ。授業中もずっと首がガクガクして、先生にも注意された。
「ふあぁ……」
ちょっとだけ、寝てもいいかな……。
スマホのアラームを小音でセットし、ズボンのポケットに入れる。瞼を伏せれば、暗闇に落ちるのは早かった。
朋空先輩は、昔家に帰りたくなかった俺を救ってくれた。────だから俺も、家に帰ろうとしない朋空先輩を放っておけなかったんだ。時間が流れるのは本当に速い。自分が進まないと置いていかれてるような怖さがある。残酷。……だけど時間が解決してくれることもあるし、悪いことばかりじゃないんだ。俺は眠り姫並に知名度が上がってしまったけど、ファンクラブの人達の協力もあり、楽しく学校生活を送れた。( 三月か )カレンダーをめくり、春の暦を数える。季節は流れ、あっという間に卒業式を迎えた。俺も来月からは三年生。受験を控え、忙しい毎日が始まる。気を引き締めないと……!誰にも名前を覚えてもらえない睡眠研究会は、後輩の子に譲ることにした。俺ももう寝てるわけにはいかないし、あの研究室は朋空先輩と過ごす為の場所になってしまっていたから……もう留まる理由はなかった。あ、ベッドはさすがに問題なので家に持って帰った。睡眠に関する資料は残してるから、後は後輩が好きなように使ってくれたら嬉しい。桜は咲いてないけど、卒業式当日は晴れやかな青空だった。いつもと変わらない。けど落ち着かない、特別な日。体育館から卒業生が退場し、保護者も順々に帰っていく。あっという間に寂しくなった空間を後にし、俺も移動した。絶対に見つけるなら校門だな。大勢ひとが立ち話をしている門で捜していると、不意に肩を叩かれた。「入ちゃん! やっほー」「赤城先輩。卒業おめでとうございます」「ありがと。やー、思い返すとマジであっという間だったな。入ちゃんもやりたいことあったら後回しにしないで、やった方がいいよ。この感じだと次は気付いたとき四十路だから」「それは気が早すぎですって」苦笑しながら、いつもと変わらない調子の赤城先輩にお辞儀した。本当に色々あったけど、彼にも感謝しかない。なんとボタンまでくれたので、有り難くポケットに仕舞った。「でも先輩、好きな女の子にあげなくていいんですか?」 「あ、違う違う。これはアレ、あいつが来たら見せな」「あいつ?」誰のことかと不思議に思ってると、また誰かに名前を呼ばれた。「入川君!」「あ、進堂先輩も卒業おめでとうございます」俺のファンクラブの自称会長。彼はやつれた顔で俺の手をとった。「はぁ……これから毎日入川君の顔を見られなくなると思うと、胃に穴が空き
────朋空君って、本当に綺麗よね。そんな言葉を何回言われただろう。普通なら喜ぶことだろうけど、自分はうんざりしていた。見た目だけであれこれ想像を巡らせる大人、じろじろ見てくる他人、嫌みを言う同級生。全員が敵に見えた。容姿を褒める言葉は呪詛のように聞こえる。多分、あの頃は軽くノイローゼにでもなってた気がする。小学生のときにそんな状態だから、学校の先生にも相当心配された。俺が一方的に周りを跳ね除け、心を閉ざしてるように見えたらしい。君の態度にも原因があると言われて、何て返せばいいか分からなかった。どっちが先に原因をつくったのか、という話をしてるみたいだ。けどそんなことすら考えてると疲れる。もう何でもいいし、どう思われても構わない。先生が言うように、俺の性格が壊滅的なんだ。日に日に卑屈になっていたときに、同じマンションに引っ越してきた少年と出会った。彼は見るからに気弱そうで、クラスにひとりはいるタイプ、という印象だった。母は、彼のお母さんとよく話していた。でも親が仲良いからって子どもも仲良くなきゃいけない理由はない。適当に挨拶して別れようと思ったけど。……そういえば、いつも誰かを待ってるみたいだった。ひとりが好きなタイプ、友達作りが苦手なタイプ……色々見てきたけど、その子はただ、時間が過ぎるのをじっと待っていた。何をするでもなく、腫れた目でぼうっと空を見ている。初めて見かけたときは本気で心配したけど、段々色んなことを思うようになっていった。どうせならゲームとかしてやり過ごせばいいのに、とか。俺ならいくらでも時間の潰し方を教えてあげられるのに、とか。勝手なことをたくさん考えた。あとになって、ウチと同じく母親しかいない子なんだと知り、尚さら上手く生きろ、という気持ちが降って湧いた。美人か必ずしも得するとは限らないが、弱いと生きづらいのは確かだ。教えてあげたい。……けど。自分から話しかける勇気は出ず、日々が流れた。そんなとき、偶然話すきっかけができた。母と買い物に行った帰りに、公園にいる彼を見つけたのだ。正直、やった、と思った。そんな風に喜んだ自分にも内心びっくりした。今まで、誰かと話すが億劫で仕方なかったのに……俺はどうやら、彼とはずっと話してみたかったみたいだ。不思議。話し出してからのめり込むのも早かった。人見知りなのに自分に
俺がこのマンションに引っ越してきたばかりの頃。意外と同じ学区に通う小学生がいなくて、最初はかなり寂しかった。鍵っ子だったし、人見知りが災いしてクラスメイトと打ち解けるのも時間がかかって。( 何でここだったんだろう…… )母も忙しいから、仕方ない。誰にも弱音は零せないけど、いつも考えていた。引っ越しでばかりだから部屋は綺麗で片付いているけど、それが返って虚しい。自分しかいない部屋は、まるで世界から遮断された空間のようだった。マンションの隣に併設された公園に向かうも、誰かに声をかける勇気はない。ブランコに座って、ただ時間を潰していた。『あら。雅月君、こんにちは』そんなときに声を掛けてくれたのは、同じマンションの住人。母とよくお喋りしてる女性、辰野さん。『こ……こんにちは』人見知りが炸裂して声が全然出なかったけど、彼女は笑顔を浮かべた。『そうだ。朋空は会うの初めてよね? このあいだ四階に越してきた入川さんの息子さん、雅月君よ』あれ。息子さんいたんだ。しかも俺と同じぐらいの。恐る恐る見ると、彼はわずかに首を傾げた。『今何してんの?』『え』突然訊かれて、露骨に狼狽えた。別に誰と待ち合わせてるわけじゃないし、やることもない。ただボーっとしていた……って言ったら、初対面から変な奴だと思われちゃうかな。責められてるわけでもないに、怖くて俯いてしまう。そんな俺に、その子は鞄から取り出したお菓子を見せた。『これ美味いんだ。一緒に食べようよ』『え。で、でも』絶対根暗だと思われたのに、意外だった。彼は俺の隣のブランコに座ると、チョコがたっぷりついたお菓子を渡してくれた。そうこうしてる間に、辰野さんは近くの自販機で飲み物を買ってきてくれた。『朋空、お母さん先に帰ってるから。雅月君のことよろしくね』『うん』よく分からないけどよろしくされてしまった。頂いたジュースを飲み、そわそわしながら隣の彼を窺う。すごくかっこいい……。今まで見たことないぐらい、綺麗な男の子だった。もう少し髪を伸ばして喋らなければ女の子に間違われそう。俺ももっと小さいときは女の子だと思われたことがあるけど、彼の場合は美人という言葉がぴったり当てはまった。でも、朋空って名前良いな……。『前はどこに住んでたの?』『え。ええと……』それから、彼とたくさん話した。今
一瞬固まったけど、慌ててかぶりを振る。先輩には申し訳ないけど、初めて聞いたようなふりをした。先輩は少し怪しげにこちらを見ていたけど、それ以上は触れずに話を続けた。「高校入る前から、かな。もう知り合ってから三年ぐらいになる」「そうだったんですか……い、良い人ですか?」語彙力ない俺はそれ以外に訊き方が分からなかった。朋空先輩は案の定吹き出し、腕を組んだ。「そうだなぁ。多分、良い人だよ。優しいし、俺の進路についても相談乗ってくれるし」「多分」と付けてしまうのは、結婚してから豹変する人がいるから、と笑った。「俺の前の父親が、モロそういうタイプだった。母さんには幸せになってほしいけど、もうそういう目には遭ってほしくない。……と思ってる」「……」確かに、未来のことは誰にも分からない。特に夫婦は当事者同士のことだし、俺みたいな他人が下手に口を出していいことでもない。「でも、先輩のお父さんになる人だから。……なにかあったら、先輩もちゃんと気持ちを伝えていいと思います。お母さんの為にも」最後の方は消え入りそうな声になってしまったけど、何とか言えた。先輩は頷き、俺の額にキスした。「そうだな。今は見守って……ちゃんと祝福しようと思う」「……うん」引っ越しのことは訊けなかった。でも、再婚の話を聞けただけで充分だと思った。あれもこれもって訊くと、俺の頭もパンクしそうだし。今は見えてるものだけ、ひとつずつ拾っていこう。横になって、先輩の腕枕で眠りに落ちる。この瞬間を大切にしたい。周りから見ればただ寝てるだけ。でも俺にとって、これはデートとそんな変わらなかった。俺達しかいない場所で、人目を気にせず触れ合える。これはこの部屋でしかできないことだ。まどろみの中で手を繋げば、眠りに陥るのは一瞬。アラームが鳴るのも一瞬だ。さっき瞼を閉じたと思うのに、もう十八時を知らせる音楽がスマホから鳴っている。「う〜ん……」ちょっと残念な気はするけど、デートはまだ終わってない。「起きましょうか……」同じ方向。同じマンションに帰れる今は、幸せ継続。隣ですやすやと眠る恋人の頬をつつき、声をかけた。「朋空先輩。帰りましょ」◇「あっという間だな」帰り道、朋空先輩は呟いた。「お前と過ごしてるとあっという間。授業中はあんなに長いのに」「ははっ! 俺もそうです」
そうだ、……これだ。俺が先輩にしたいこと。喜んでほしいことは。自分の部屋を出て、真っ直ぐキッチンに向かった。買ったは良いけど全然使ってなかったお弁当箱を取り出し、目の前に佇む。問題は、やっぱり中身のラインナップ。眉間に皺を寄せながら考えていると、リビングでテレビを観ていた母がやってきた。「あれ。雅月、お弁当持ってくの?」母は、今まで時間がある時は俺に弁当を作って持たせてくれていた。仕事が忙しくなってからは俺も自分で作っていた。とは言え二年に上がってからは、めんどくさくて売店に頼ってしまっている。でも今回は、自分の為に作るんじゃない。「うん。とりあえず、明日だけ?」「そうなの。お母さん作ろうか?」「あ! ありがとう、俺が作るから大丈夫!」俺が食べるわけじゃないし、俺が作らないと意味がない。母の提案は申し訳ないけど断り、久しぶりに弁当作りを開始した。いつもご飯を作ってるのに、弁当に詰めるメニューとなると緊張する。しかも、好きな人に渡すなら尚さら……。とりあえず厚焼き玉子は上手くいった。甘めにしちゃったけど、彼の好みだったら良いな。茹でブロッコリーとミニトマト、それから定番のウィンナー。メインはゆかりのおにぎり。彩りは我ながらばっちりだ。……よし。完成!何だかんだやってたら日付が変わりそうだった。これで寝坊したら笑えない。すぐに台所を片付けて、明日の為にベッドに入った。先輩、喜んでくれるかな……。どきどきとわくわくが同じ量放出されて、アドレナリンが出まくってる。結局また興奮して、あまり眠れなかった。( でもちゃんと起きれたからオッケーってことにしとこう……。 )ふらつきながら家を出る。いつもの時間に通学路へ出ると、朋空先輩を見つけた。「先輩、おはやいございます」「おはよう。何かろれつ回ってないけど、大丈夫か?」先輩は振り向きざま、俺のことを心配そうに見つめた。「何か目の下のクマもすごいし。……昨日寝てないのか?」「いえ、ちょっとは寝ました。放課後寝るから大丈夫ですよ」学校に到着し、校門を抜ける。人が多くなる前に渡そうと思い、手に持っていた紙袋を掲げた。「朋空先輩。その……弁当作ってきたんです。め、迷惑じゃなければ……食べてください」「弁当!?」「わわっ。弁当です」先輩は珍しく大声を上げた。俺もちょっとびっく
ううん……悩む。結局何も思いつかずに放課後を迎えた。研究室へ行こうとすると、ちょうど朋空先輩を見つけた。「朋……」すぐに駆け寄ろうとしたけと、同じタイミングで先輩に話しかけた男子がいた。おっと……。思わず口を押さえ、足を止める。「あの、辰野先輩。良かったらちょっとお話できませんか……?」どうやら一年生のようだ。恥ずかしそうに声を掛けてるから、多分朋空先輩に好意を持ってるんだろう。何もなければ応援してしまいたくなる。でも朋空先輩と付き合ってる俺としては、胸が痛くなった。先輩は何て返すんだろう……。不安に押されながら様子を見守っていると、朋空先輩は優しい声で、その男の子に振り返った。「ごめんね。今日はこれから用事があるんだ」「そ、そうですか。すみません、引き止めて」「ううん。君も気をつけて帰ってね」おぉ。さすがに慣れてる。二人のやりとりを見て、ホッとした。男の子に見つからないよう遠回りして研究室に向かう。部屋の前へ行くと、朋空先輩がこちらを見て笑った。「お疲れ」「お、お疲れ様です。すぐに鍵あけますね!」職員室で借りてきた鍵を取り出し、ドアを開ける。部屋に入ると、突然ドアに押しつけられた。「ち、ちょっと先輩っ?」「もう少しこのままでいさせて。体力回復してんだ」そのままぎゅっと抱き締められる。先輩からすれば抱き枕に思いきり抱き着いてるような感覚なんだろうけど、俺はめちゃくちゃ心臓に悪い。「ところで、さっき廊下にいただろ。何で声掛けなかったんだ?」「うぇっ。み、見えちゃいました?」「チラッとな」朋空先輩は体を離し、俺の顔を覗き込む。「……あの子が、先輩に告白するのかと思って……声掛けたらまずい気がして、隠れちゃいました」「隠れる必要はないだろ。OKするわけないんだから」「でも、躊躇はしちゃいますよ。可愛い子でしたし」先輩から視線を外し、俯く。ただでさえ可愛い子が照れくさそうにしてたら、勝てる気がしない。そう言って項垂れると、先輩は俺の腰を引き寄せた。「確かに可愛い子だったな」「や、やっぱり」「でも、俺は可愛いだけで付き合ったりしないから」ドアの鍵がかかる音が聞こえた。俯く俺の顔に手を添え、ゆっくりと上向かせる。「俺が欲しいのは、ずっと前からお前だけだよ。……雅月」「先輩……んっ」唇を塞がれる。以前







