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俺が通う学校には姫がいる。
普通、姫と言えば綺麗な女の子を想像するだろう。でもウチの姫は全然違う。
綺麗は綺麗。だが誰も寄せつけない茨の姫だ。
笑ってるところを見た者は指で数えるほどしかいない。
二単語以上話してるところを聞いた者がいない。
寝ることが大好きで、昼も放課後も寝ている。最終的についた呼び名が「眠り姫」。
色々噂に尾ひれがついている気がするが、一番のツッコミどころを上げる。
性別:男。
痩せ型で長身、モデルかと思うほどのイケメンだ。その美貌故、こんな揶揄を含んだ渾名が定着した。
捺原高校の眠り姫は他校にまで知れ渡り、彼を一目見ようと校門前で待ち伏せる者まで現れた。アイドル同然の扱いに大混乱が起きそうなものだが、眠り姫は学校に大勢のファンがいて、彼らが牽制することで校外のトラブルは防げているようだ。
問題は校内だ。こちらは無法地帯で、秩序なんてない。眠り姫と関係を持とうとする者達が、時と場所を選ばず争いを繰り広げている。今朝も昇降口で言い争ってる生徒達がいた。
眠り姫の体操着を物色していた、とか何とか。
爽やかな朝から物騒なやり取りだ。あまりに酷かったら先生を呼ぼうかと思ったけど、幸い彼らは口論だけでおさまった。
しかし、冷静に考えてカオスである。口論していた二人は男。姫も男。
二人の男が一人の男を取り合ってるのだ。これはもっと深刻に捉えた方が良い気がする。
ウチの学校は同性愛者が多い。それだけなら別に何とも思わないけど、こういうことがあると大変だなとしみじみ感じる。
しかも大抵眠り姫関連だ。
全校生徒を惑わす眠り姫は、ドロドロした諍いなど知らずに今日もどこかで寝てるのだろう。
俺は無難にやり過ごして、テストも赤点さえとらなきゃいいと思ってた。青春も恋愛も興味ない。強いて言えば、寝たい。柔らかくて温かいお布団の中にいるときが一番幸せ。
そういう意味では眠り姫と共通してる。
「ねえ、私今朝辰野先輩見ちゃった!」
「うそー、良いなぁー!」
「もう超かっこよかったよ〜。放課後まで頑張れちゃう」
廊下を歩いてる最中、女子達のきゃぴきゃぴした会話も耳に入った。
もはらレアキャラ化してる眠り姫だけど、彼は三年生。俺は二年なので、接点はない。
このまま、ずっと関わらずに過ごすんだろうな……あの人と。
ところが、平和な日常にある日突然亀裂が生じた。
「入川雅月君だよね。話があるんだ。ちょっと来てくれる?」
「え。な、何ですか?」
クラス替えして一ヶ月。帰りのホームルームを終えて廊下に出ると、三人の三年生に取り囲まれた。
「どこが良いかな。あ、体育館裏とか」
ひえっ。
場所のチョイスがやばい。どう考えてもボコられるパターンだ。
三年生の知り合いなんて全然いないし、目をつけられる心当たりはない。前世でなにかしでかしたんだろうか。
マジでやばいかもしれない……。
窮鼠猫を噛むの精神で、こっそりスマホを取り出し、緊急通報の画面を開く。これでなにかあればいつでもSOSを発信できる。
「あの、すみません。今日バイトあるので、あまり長い話はちょっと……!」
バイトなんてしてないけど、怖すぎるので控えめに声を掛ける。体育館前まで来たところで、グループの中心らしき男の先輩が振り返った。
「そっか。ごめんね、じゃあ単刀直入に言う」
ずっと視線を腰あたりにしてたから気付かなかったけど、この人もかなりイケメンだ。
思わず見惚れていると、彼は両手を合わせ、突然頭を下げた。
「頼む。俺らの代わりに姫を守ってくれ!」
「え」
どういうことか訊こうとすると、残りの二人も頭を下げた。歳下にこんな頼み方をするなんてただ事じゃない。
「すみません、話が読めないんですけど……姫って、眠り姫さんのことですよね? ええと、……辰野先輩」
「そう! あいつがさ、もう限界みたいなんだ。俺達もかなり頑張って守ってきたんだけど」
赤城というイケメンの先輩は、ため息をつくと両手で顔を覆った。
「辰野は三度の飯より寝るのが好きなんだ」
非常に深刻なトーンで、彼は続けた。
「でもここ最近、妨害がすご過ぎるんだよ。昼休みも放課後も、あいつと仲良くなりたい奴らが押しかけて。寝たいのに叩き起こされて、もうノイローゼになっちゃってんの」
なるほど……。
良かった、リンチされるわけじゃないみたいだ。
ひとまず安堵し、真面目にアドバイスを考える。
「うーん。起こされるのが嫌なんですよね? じゃ、耳栓してもらったらどうですか。高いけど、遮音性良いやつ紹介しますよ」
「いやいや、耳塞げばいいってわけじゃない。あいつ、美人だろ。力ずくで起こそうとする奴もいれば、仲良くなれないならせめて写真におさめたいって、盗撮する奴らもいるんだ」
赤城さんが言うには、以前姫を無理やり押し倒そうとした男までいたらしい。
そんなの恐怖だ。トラウマなんてもんじゃない。
そういえば俺も今朝体操着をコネコネしてたかもしれない男子を見たし。……思った以上に大変そう。
でも、何でそこで俺に助けを求めるんだ?
不思議に思ってると、彼はまた両手を合わせ、鬼気迫る表情で叫んだ。
「だから、あいつが安眠できる場所が欲しいんだよ。頼む入川君、あいつを君の部室に匿ってくれ!!」
それか〜!!
彼らが接触してきた理由に合点がいく。しかし顔は引き攣ってしまった。
「ぶ、部室とはちょっと違うかもです。部活じゃないので」
「同好会だっけ? 申請通ったんだし、同じだよ! 昼寝部だっけ?」
「睡眠研究会です」
スマホの画面を閉じ、ポケットに入れる。入川雅月は、ここで初めてため息を零した。
二年生の彼は、部活にも委員会にも所属していない。しかし唯一、同好会にだけ所属している。
メンバーは雅月ひとり。創設したのも雅月本人。睡眠について理解を深める(のが名目の)、睡眠研究会だ。
ちなみに借りてる教室には誰も入ってこないので、今や雅月だけの超プライベート空間と化している。
学校で堂々と寝たい一心でつくった同好会。申請するときも一蹴されるか説教されるかの二択だと思ったから、その時だけは海外の大学や専門家が発表した論文をレポートにまとめて教師にプレゼンした。
睡眠がいかに大事か。いかに健康や学習に大事か切々と説いた。その甲斐あって手に入れた大切な場所である。
この三年達は、どこかから研究会の噂を手に入れて接触してきたようだ。
「君がつかってる教室、暗幕かけててすごく寝やすそうだから。二時間レンタルとかで良いんだ、どうにか姫を助けてやってくんないかな」
「事情は分かりましたけど……先生に見つかったら、ちょっと言い訳が難しいです。なのでお試しから始めて、後々ちゃんと入会していただけるなら大丈夫かも……」
「ありがとう! それじゃあ姫にも言っとくよ! 仮眠部だっけ?」
「睡眠研究会です」
あれよあれよという間に話が進み、眠り姫を迎えることになってしまった。
赤城先輩と連絡先を交換し、残りの二人からはかたい握手を求められる(無言の圧)。
あ─────困った。
俺の超絶のほほんライフに終了の危機だ!
「入川君が優しい子で良かった〜!! ってかめっちゃイケメンだし、この学校じゃ色々大変だったでしょ。これからは俺達が守るから、何でも言ってよ!」
「あ、ありがとうございます」
確かに、小さなトラブルなら今まで何回かあったけど。自他ともに認める適当マインド故、大抵の困難はひとりで乗り越えてきた。
要領がいいわけではないけど、メンタルは強い方だ。好意だけ受け取って、先輩達とは別れた。
しっかし、悩む。
眠り姫……否、辰野先輩は確かに可哀想だ。できれば力になりたい。
でも睡眠同好会に来たら、彼と二人きり。あの暗く狭い空間で過ごさないといけない。
学校一のイケメンと? いやいや、無理。例え彼が熟睡したとしても、俺が低酸素状態になって死ぬ。
それに何よりも……あの人が、俺と顔を合わせたくないかもしれない。
頭を抱えながら自分の教室へ戻ると、一番仲が良い館原がやってきた。
「入川〜。大丈夫? さっきお前が三年生に引きずられていったって聞いてさ」
「あぁ、大丈夫。詰められるかと思ったけど、全然違った」
心配そうにしてる彼を安心させる為に、笑いながら椅子に座る。
「俺、睡眠研究会ってやってるじゃん? 放課後に姫……辰野先輩を部屋で寝かせてやってくれないか、って言われてたんだ」
「何だそりゃ。そんなに寝たかったら、家に帰って寝れば?」
その通りだ。だがその言葉は俺にも当てはまるからやめてくれ。
「家に帰るのも体力いるんだよ。授業終えて、小休止してから家路につきたいっていうの? 何があるか分かんないし、帰宅部だって命懸けだろ」
「ちょっと分かんないけど。それで、お前は部屋貸すこと了承したん?」
「したよ。断れる雰囲気じゃなかったもん」
表向きはにこにこして優しそうな人達だったけど、裏では分からない。スイッチ入ったら暴れることもあるし、長いものには巻かれることにした。
「ふーん……でも眠り姫が本当に来るかどうかは分かんないんだろ?」
「う、うん」
館原の言う通りで、そこは分からない。喋ったことないし。……学校では。
「じゃ、ナシになる可能性のが高い! あんま落ち込むなよ。最悪俺も協力するからさ」
頭をぐしゃりと撫でられる。
いつも明るく、前向き。太陽みたいにきらきら光って見える彼は、俺の密かな自慢だ。
さっきまであんなに不安だったのに、もう心が軽い。
「ありがと、館原」
友人の励ましに感謝しつつ、学校を出た。
いやー、今日は疲れた。
夕焼け色に染まる道を歩きながら、ふと考える。
あの人は、今も学校のどっかで寝てんのかな。
「ひとりで……」
俺と同じ。でも置かれてる状況が違いすぎる。俺は知名度と期待値ゼロの生徒だけど、眠り姫は確か成績優秀。才色兼備の学校の顔だ。
だから、何事も起きませんように。
心の奥底で密かに願い、しみる夕日に瞼を伏せた。
◇
翌日も翌々日も、眠り姫は現れなかった。
俺に会いに行くよう伝えた、と赤城先輩からメッセージが来たけど、特段何もなく。
授業中、姿すら見ない人のことを考えて、窓の外に広がる空を見上げる。
平和なのか何なのか全然分からんぜ……。
高校生って結構大人だと思ってたけど、案外そうでもなかった。
小さなことを誇張して、あることないこと言いふらす。
眠り姫のことだってそうだ。
性格きついとか、プライド高いとか。そんなことはない。そんなはずはない、と思ってしまう。
「はぁ……」
でも俺ひとりが声を上げたところで、どうにもならない。噂はひとり歩きし、目には見えない力を振りかざす。
難儀だ。俺も彼も寝たいだけなのに。そう思ったら、やっぱ可哀想で仕方なかった。
放課後、どこにいるのか捜しに行こうかなぁ……。
自分から関わることはやめようと思ってたのに、いつしか心は完全に彼の方に傾いていた。
顔を合わせたり、話しかけたりはしない。ただ本当に少しだけ……元気かどうか確認して、帰ろう。
その日の放課後、雅月は鞄を教室に置いて廊下へ出た。
一応三年の教室を全部覗き、眠り姫がいないことを確認する。
やはり一年がうろうろしてると目立つようで、最後に覗いた教室のドア付近にいた先輩が声を掛けてきた。
「おっ? 誰に用?」
「あ。え〜っと……辰野先輩を捜してて」
もしここが辰野先輩のクラスじゃなかったら、何組かも知らないのに来たのか、と呆れられそうだ。しかし運がいいことに、先輩のクラスはここだった。
「辰野はだいぶ前に帰ったよ。あ、帰ったわけじゃないのか……多分別棟とか行ってるんじゃない? 静かだし」
「あ、ありがとうございます!」
親切なひとで良かった。お辞儀して、渡り廊下の先の別棟へ移動する。
特別授業のときしか使わない棟で、ほとんどが空き教室だ。そして、人がいない。
放課後は少し不気味だけど、確かに仮眠するにはおあつらえ向きである。
内心感心しながら散策していると、廊下の奥には誰かいるのが見えた。
知らない男子生徒。彼は扉に近付き、目の前の教室の中を覗いているようだ。
何してんだ……?
不思議に思っていると、彼はスマホを取り出し、扉の隙間に入れた。
────まさか。
猛烈に嫌な予感がして、歩みを進める。廊下のど真ん中へ行き、わざと足音を立てて近寄った。
彼は俺に気づくと、青い顔で走り去って行った。
「ちょっとちょっと……」
どう見ても、盗撮しようとしてたよな。
あんな高い位置にスマホを翳すこと、そうそうない。彼がいた扉の前へ寄って、ぐっと踵を浮かした。
扉についた窓ガラスから中を窺う。そこには、机の上で横たわる少年がいた。
朋空先輩は、昔家に帰りたくなかった俺を救ってくれた。────だから俺も、家に帰ろうとしない朋空先輩を放っておけなかったんだ。時間が流れるのは本当に速い。自分が進まないと置いていかれてるような怖さがある。残酷。……だけど時間が解決してくれることもあるし、悪いことばかりじゃないんだ。俺は眠り姫並に知名度が上がってしまったけど、ファンクラブの人達の協力もあり、楽しく学校生活を送れた。( 三月か )カレンダーをめくり、春の暦を数える。季節は流れ、あっという間に卒業式を迎えた。俺も来月からは三年生。受験を控え、忙しい毎日が始まる。気を引き締めないと……!誰にも名前を覚えてもらえない睡眠研究会は、後輩の子に譲ることにした。俺ももう寝てるわけにはいかないし、あの研究室は朋空先輩と過ごす為の場所になってしまっていたから……もう留まる理由はなかった。あ、ベッドはさすがに問題なので家に持って帰った。睡眠に関する資料は残してるから、後は後輩が好きなように使ってくれたら嬉しい。桜は咲いてないけど、卒業式当日は晴れやかな青空だった。いつもと変わらない。けど落ち着かない、特別な日。体育館から卒業生が退場し、保護者も順々に帰っていく。あっという間に寂しくなった空間を後にし、俺も移動した。絶対に見つけるなら校門だな。大勢ひとが立ち話をしている門で捜していると、不意に肩を叩かれた。「入ちゃん! やっほー」「赤城先輩。卒業おめでとうございます」「ありがと。やー、思い返すとマジであっという間だったな。入ちゃんもやりたいことあったら後回しにしないで、やった方がいいよ。この感じだと次は気付いたとき四十路だから」「それは気が早すぎですって」苦笑しながら、いつもと変わらない調子の赤城先輩にお辞儀した。本当に色々あったけど、彼にも感謝しかない。なんとボタンまでくれたので、有り難くポケットに仕舞った。「でも先輩、好きな女の子にあげなくていいんですか?」 「あ、違う違う。これはアレ、あいつが来たら見せな」「あいつ?」誰のことかと不思議に思ってると、また誰かに名前を呼ばれた。「入川君!」「あ、進堂先輩も卒業おめでとうございます」俺のファンクラブの自称会長。彼はやつれた顔で俺の手をとった。「はぁ……これから毎日入川君の顔を見られなくなると思うと、胃に穴が空き
────朋空君って、本当に綺麗よね。そんな言葉を何回言われただろう。普通なら喜ぶことだろうけど、自分はうんざりしていた。見た目だけであれこれ想像を巡らせる大人、じろじろ見てくる他人、嫌みを言う同級生。全員が敵に見えた。容姿を褒める言葉は呪詛のように聞こえる。多分、あの頃は軽くノイローゼにでもなってた気がする。小学生のときにそんな状態だから、学校の先生にも相当心配された。俺が一方的に周りを跳ね除け、心を閉ざしてるように見えたらしい。君の態度にも原因があると言われて、何て返せばいいか分からなかった。どっちが先に原因をつくったのか、という話をしてるみたいだ。けどそんなことすら考えてると疲れる。もう何でもいいし、どう思われても構わない。先生が言うように、俺の性格が壊滅的なんだ。日に日に卑屈になっていたときに、同じマンションに引っ越してきた少年と出会った。彼は見るからに気弱そうで、クラスにひとりはいるタイプ、という印象だった。母は、彼のお母さんとよく話していた。でも親が仲良いからって子どもも仲良くなきゃいけない理由はない。適当に挨拶して別れようと思ったけど。……そういえば、いつも誰かを待ってるみたいだった。ひとりが好きなタイプ、友達作りが苦手なタイプ……色々見てきたけど、その子はただ、時間が過ぎるのをじっと待っていた。何をするでもなく、腫れた目でぼうっと空を見ている。初めて見かけたときは本気で心配したけど、段々色んなことを思うようになっていった。どうせならゲームとかしてやり過ごせばいいのに、とか。俺ならいくらでも時間の潰し方を教えてあげられるのに、とか。勝手なことをたくさん考えた。あとになって、ウチと同じく母親しかいない子なんだと知り、尚さら上手く生きろ、という気持ちが降って湧いた。美人か必ずしも得するとは限らないが、弱いと生きづらいのは確かだ。教えてあげたい。……けど。自分から話しかける勇気は出ず、日々が流れた。そんなとき、偶然話すきっかけができた。母と買い物に行った帰りに、公園にいる彼を見つけたのだ。正直、やった、と思った。そんな風に喜んだ自分にも内心びっくりした。今まで、誰かと話すが億劫で仕方なかったのに……俺はどうやら、彼とはずっと話してみたかったみたいだ。不思議。話し出してからのめり込むのも早かった。人見知りなのに自分に
俺がこのマンションに引っ越してきたばかりの頃。意外と同じ学区に通う小学生がいなくて、最初はかなり寂しかった。鍵っ子だったし、人見知りが災いしてクラスメイトと打ち解けるのも時間がかかって。( 何でここだったんだろう…… )母も忙しいから、仕方ない。誰にも弱音は零せないけど、いつも考えていた。引っ越しでばかりだから部屋は綺麗で片付いているけど、それが返って虚しい。自分しかいない部屋は、まるで世界から遮断された空間のようだった。マンションの隣に併設された公園に向かうも、誰かに声をかける勇気はない。ブランコに座って、ただ時間を潰していた。『あら。雅月君、こんにちは』そんなときに声を掛けてくれたのは、同じマンションの住人。母とよくお喋りしてる女性、辰野さん。『こ……こんにちは』人見知りが炸裂して声が全然出なかったけど、彼女は笑顔を浮かべた。『そうだ。朋空は会うの初めてよね? このあいだ四階に越してきた入川さんの息子さん、雅月君よ』あれ。息子さんいたんだ。しかも俺と同じぐらいの。恐る恐る見ると、彼はわずかに首を傾げた。『今何してんの?』『え』突然訊かれて、露骨に狼狽えた。別に誰と待ち合わせてるわけじゃないし、やることもない。ただボーっとしていた……って言ったら、初対面から変な奴だと思われちゃうかな。責められてるわけでもないに、怖くて俯いてしまう。そんな俺に、その子は鞄から取り出したお菓子を見せた。『これ美味いんだ。一緒に食べようよ』『え。で、でも』絶対根暗だと思われたのに、意外だった。彼は俺の隣のブランコに座ると、チョコがたっぷりついたお菓子を渡してくれた。そうこうしてる間に、辰野さんは近くの自販機で飲み物を買ってきてくれた。『朋空、お母さん先に帰ってるから。雅月君のことよろしくね』『うん』よく分からないけどよろしくされてしまった。頂いたジュースを飲み、そわそわしながら隣の彼を窺う。すごくかっこいい……。今まで見たことないぐらい、綺麗な男の子だった。もう少し髪を伸ばして喋らなければ女の子に間違われそう。俺ももっと小さいときは女の子だと思われたことがあるけど、彼の場合は美人という言葉がぴったり当てはまった。でも、朋空って名前良いな……。『前はどこに住んでたの?』『え。ええと……』それから、彼とたくさん話した。今
一瞬固まったけど、慌ててかぶりを振る。先輩には申し訳ないけど、初めて聞いたようなふりをした。先輩は少し怪しげにこちらを見ていたけど、それ以上は触れずに話を続けた。「高校入る前から、かな。もう知り合ってから三年ぐらいになる」「そうだったんですか……い、良い人ですか?」語彙力ない俺はそれ以外に訊き方が分からなかった。朋空先輩は案の定吹き出し、腕を組んだ。「そうだなぁ。多分、良い人だよ。優しいし、俺の進路についても相談乗ってくれるし」「多分」と付けてしまうのは、結婚してから豹変する人がいるから、と笑った。「俺の前の父親が、モロそういうタイプだった。母さんには幸せになってほしいけど、もうそういう目には遭ってほしくない。……と思ってる」「……」確かに、未来のことは誰にも分からない。特に夫婦は当事者同士のことだし、俺みたいな他人が下手に口を出していいことでもない。「でも、先輩のお父さんになる人だから。……なにかあったら、先輩もちゃんと気持ちを伝えていいと思います。お母さんの為にも」最後の方は消え入りそうな声になってしまったけど、何とか言えた。先輩は頷き、俺の額にキスした。「そうだな。今は見守って……ちゃんと祝福しようと思う」「……うん」引っ越しのことは訊けなかった。でも、再婚の話を聞けただけで充分だと思った。あれもこれもって訊くと、俺の頭もパンクしそうだし。今は見えてるものだけ、ひとつずつ拾っていこう。横になって、先輩の腕枕で眠りに落ちる。この瞬間を大切にしたい。周りから見ればただ寝てるだけ。でも俺にとって、これはデートとそんな変わらなかった。俺達しかいない場所で、人目を気にせず触れ合える。これはこの部屋でしかできないことだ。まどろみの中で手を繋げば、眠りに陥るのは一瞬。アラームが鳴るのも一瞬だ。さっき瞼を閉じたと思うのに、もう十八時を知らせる音楽がスマホから鳴っている。「う〜ん……」ちょっと残念な気はするけど、デートはまだ終わってない。「起きましょうか……」同じ方向。同じマンションに帰れる今は、幸せ継続。隣ですやすやと眠る恋人の頬をつつき、声をかけた。「朋空先輩。帰りましょ」◇「あっという間だな」帰り道、朋空先輩は呟いた。「お前と過ごしてるとあっという間。授業中はあんなに長いのに」「ははっ! 俺もそうです」
そうだ、……これだ。俺が先輩にしたいこと。喜んでほしいことは。自分の部屋を出て、真っ直ぐキッチンに向かった。買ったは良いけど全然使ってなかったお弁当箱を取り出し、目の前に佇む。問題は、やっぱり中身のラインナップ。眉間に皺を寄せながら考えていると、リビングでテレビを観ていた母がやってきた。「あれ。雅月、お弁当持ってくの?」母は、今まで時間がある時は俺に弁当を作って持たせてくれていた。仕事が忙しくなってからは俺も自分で作っていた。とは言え二年に上がってからは、めんどくさくて売店に頼ってしまっている。でも今回は、自分の為に作るんじゃない。「うん。とりあえず、明日だけ?」「そうなの。お母さん作ろうか?」「あ! ありがとう、俺が作るから大丈夫!」俺が食べるわけじゃないし、俺が作らないと意味がない。母の提案は申し訳ないけど断り、久しぶりに弁当作りを開始した。いつもご飯を作ってるのに、弁当に詰めるメニューとなると緊張する。しかも、好きな人に渡すなら尚さら……。とりあえず厚焼き玉子は上手くいった。甘めにしちゃったけど、彼の好みだったら良いな。茹でブロッコリーとミニトマト、それから定番のウィンナー。メインはゆかりのおにぎり。彩りは我ながらばっちりだ。……よし。完成!何だかんだやってたら日付が変わりそうだった。これで寝坊したら笑えない。すぐに台所を片付けて、明日の為にベッドに入った。先輩、喜んでくれるかな……。どきどきとわくわくが同じ量放出されて、アドレナリンが出まくってる。結局また興奮して、あまり眠れなかった。( でもちゃんと起きれたからオッケーってことにしとこう……。 )ふらつきながら家を出る。いつもの時間に通学路へ出ると、朋空先輩を見つけた。「先輩、おはやいございます」「おはよう。何かろれつ回ってないけど、大丈夫か?」先輩は振り向きざま、俺のことを心配そうに見つめた。「何か目の下のクマもすごいし。……昨日寝てないのか?」「いえ、ちょっとは寝ました。放課後寝るから大丈夫ですよ」学校に到着し、校門を抜ける。人が多くなる前に渡そうと思い、手に持っていた紙袋を掲げた。「朋空先輩。その……弁当作ってきたんです。め、迷惑じゃなければ……食べてください」「弁当!?」「わわっ。弁当です」先輩は珍しく大声を上げた。俺もちょっとびっく
ううん……悩む。結局何も思いつかずに放課後を迎えた。研究室へ行こうとすると、ちょうど朋空先輩を見つけた。「朋……」すぐに駆け寄ろうとしたけと、同じタイミングで先輩に話しかけた男子がいた。おっと……。思わず口を押さえ、足を止める。「あの、辰野先輩。良かったらちょっとお話できませんか……?」どうやら一年生のようだ。恥ずかしそうに声を掛けてるから、多分朋空先輩に好意を持ってるんだろう。何もなければ応援してしまいたくなる。でも朋空先輩と付き合ってる俺としては、胸が痛くなった。先輩は何て返すんだろう……。不安に押されながら様子を見守っていると、朋空先輩は優しい声で、その男の子に振り返った。「ごめんね。今日はこれから用事があるんだ」「そ、そうですか。すみません、引き止めて」「ううん。君も気をつけて帰ってね」おぉ。さすがに慣れてる。二人のやりとりを見て、ホッとした。男の子に見つからないよう遠回りして研究室に向かう。部屋の前へ行くと、朋空先輩がこちらを見て笑った。「お疲れ」「お、お疲れ様です。すぐに鍵あけますね!」職員室で借りてきた鍵を取り出し、ドアを開ける。部屋に入ると、突然ドアに押しつけられた。「ち、ちょっと先輩っ?」「もう少しこのままでいさせて。体力回復してんだ」そのままぎゅっと抱き締められる。先輩からすれば抱き枕に思いきり抱き着いてるような感覚なんだろうけど、俺はめちゃくちゃ心臓に悪い。「ところで、さっき廊下にいただろ。何で声掛けなかったんだ?」「うぇっ。み、見えちゃいました?」「チラッとな」朋空先輩は体を離し、俺の顔を覗き込む。「……あの子が、先輩に告白するのかと思って……声掛けたらまずい気がして、隠れちゃいました」「隠れる必要はないだろ。OKするわけないんだから」「でも、躊躇はしちゃいますよ。可愛い子でしたし」先輩から視線を外し、俯く。ただでさえ可愛い子が照れくさそうにしてたら、勝てる気がしない。そう言って項垂れると、先輩は俺の腰を引き寄せた。「確かに可愛い子だったな」「や、やっぱり」「でも、俺は可愛いだけで付き合ったりしないから」ドアの鍵がかかる音が聞こえた。俯く俺の顔に手を添え、ゆっくりと上向かせる。「俺が欲しいのは、ずっと前からお前だけだよ。……雅月」「先輩……んっ」唇を塞がれる。以前