LOGINスミスの差し出された手をソッと包み込むようにゆっくり触れる。
汗の匂いが香る。人形ではなく、恐らく生前の過去が涼に視せている。汗と鉄の匂い。
笑い声と煙草の混じる空気。「う……」
突如、肩が重くなる。何とか耐えてスミスの手を握り続ける。
体が鉛のように重い。体勢を変えようとしても足は泥に嵌っているようにピクりともしない。 疲労感だ。 このスミスと言う男は、恐らく怠け者の類ではない。ある日突然糸の切れたマリオネットのように、精神を病んだ。それも無自覚のストレスにより身体の変化が先だったのだろう。体調不良がメンタルヘルスに結びつかなかった。夜色。
光が見えない。──大丈夫。今日、夜が明ける !
「……っ、はぁ、はぁ……」
「涼くん ! 」
スミスから手を離し、突然ぐったりする涼にサラが心配そうに覗き込む
「見たか !? ここにいる者たち全員 ! 武器だ ! 俺達には持ち込みを許されていない、武器がある ! 涼と同じだ ! あいつも『城』の癌細胞 !! 『核』の判断間違いか、騙してここへ持ち込んだやつだ ! 許されるか、そんな事 ! 」『た、確かに銃やミサイルなんて、頼んでも持ち込めないもんな』 『でもペコラのナイフは ? 今は涼が持ってるけど、あれも武器だろ ? 』 『そんな事したら、陳さんの包丁もカウントされんだろうが』 『よく分からんが、ありゃ駄目だろ』「お前も悪だな。何が軍人だ。戦争で手足を失って尚、そこにまた武器を仕込んでいる。 悪魔より恐ろしい者だ」 ブレードは吐き捨てるように言うラスに顔色一つ変えずにいた。「そうだ。戦争は人を変える。人が人ではなくなる。 だが自衛の為の機能だけだ。この義手から銃が出たり義足がミサイルになる事はない」「同じことだ。自衛の為の『武器』なのだから」 群衆から同意の声援が上がる。 涼は攻撃を受けても全く自分の側から離れようとしないブレードを見守ることしか出来なかった。 □□「フェンラン。その簪を外すな」「何だ急に」 京は階段を上りながら背後を着ついてくるフェンランが着物を脱ぐのを止めるのだった。「プライドは……涼を危険分子として見てやがった。 だが、お前もそうだったよな ? 」 フェンランは釈然としないまま、肯定した。「『癒し』といいもの以外も、カウンセリングや霊視、祈祷師、そういうものはここで上手くいった試しがないからな」「ああ。プライドはそれを見て、破壊を選んだ。 お前は ? どうして涼を傍観に回った ? 」「ふん。傍観……か。 わたしの役割は女達が安全に『城』のシステムで生活する基盤が欲しい。その為には争いや宗教などは必要ないのだ。 それに……涼には悪意がない。あまりにも純粋で、言うに言えん。いつかは辛い思いをするだろうと思っては
「涼の解放 ? 」 ラスは苦笑いを浮かべると、ブレードの前まで出向いてきた。「では、わたしが勝者になったら ? 」「涼を好きにしろ。『癒し』を今後、させない、それでいいだろう」「ふむ……。本当に『癒し』とやらをしないならそれでいいが、隠れてやったりしたらやっぱり私刑だな」「約束は約束。ここにいる者たちが証言者となる」 ブレードが有刺鉄線の柵を越える。『マジか ! ラスとブレードがファイトすんのか ? 』『ブレードって軍人だろ ? ラスに勝ち目はあんのか ? 』『でも涼は壊さねぇと ! 『城』がやべぇんだろ ? 』「涼……」 ブレードはフィールドに伸びている涼の顔を覗き込んだ。「砲台に火をつけたな。……その結果がこれだ」「分からない……分からないよ……」 両足、片腕を捥がれた姿のまま、そこへ最後の紙幣が降り注ぎ頬に張り付いた。「俺はどうすれば良かったの ? 『核』に許可はとったのに、なんで責められるか分からない……俺の何がダメだったの ? 」「……」 ブレードは答えなかった。 軍服の上着を脱ぎ捨てるとその筋肉質な体で、ドールの大腿骨を持つラスの前へ立ちはだかった。 □□ フェンランは京を見つけると、人混みから引っ張りあげる。「京 ! 来い ! 」「涼が ! ブレードが隙を作った。最上階にいる新プライドが扇動してやがる ! 」「いつかこうなるとは思っていたが……相手が悪そうだな。共に行こう。 あんた達、翡翠の旦那を呼んできな。これは普通のファイトじゃない。『城』全体の内戦だ。一刻を争うよ」「分かりました」 数人の女囚が纏まって執務室のある階へかけて
「っ !! 痛い !! 離せ ! あぁぁぁっ !! 」 これ程までに人形の体が恐ろしい事なのだと、涼は初めて思い知らされた。「涼 ! 」 「涼〜 ! 」 涼を求めて縋って来る者も、容赦なく叩き割られた。「壊せ ! 壊せ ! そいつは我々の悪腫瘍 ! 『城』の害 ! 今やらないとこっちが廃人にされる ! 素手で触るな ! 」「────っ !! 」 声にならないほどの激痛。 グローブをしたものは涼の四肢を力任せに引きちぎり、棒を持った者達は背や頭目掛けて目一杯叩き付ける。(──死……死にたい ! 痛い !! 死なせて !! ) ドールに死は無い。 壊れたら『核』が修理する。 聞いた当初は「便利な体だ」と、甘く思っていた自分を呪った。「まだ片腕と頭が残ってるぞ ! 」 「手袋してても硬ぇんだよ ! 」 「誰か工具持ってこい ! 」(早く ! ──早く終わって !! ) □□「…… ? あっち、なんであんなに騒がしいんだ ? 」 この頃、ようやく京とサラは囚人塔の騒ぎに気付いた。自分たちも喧騒の中にいたせいで、全く気付けずにいたのだ。「ほんと。喧嘩 ? ファイトかしら ? 誰かそんな予定あった ? 」「ないだろ。賭けの準備もあるし、突発的には開かれないし」 普段ならそうだ。 だが、様子がおかしいのは明らかで、大きな声は声援とは違い、何か悪い響めきに聴こえる。 ふと、囚人塔から逃げて来た平和主義は者達と目が合う。その視線は、リラクゼーションサロンと称したエントランスの一部を見て、すぐに不安や嫌悪の表情に変わった。「まさか……」 京は涼が囚人塔に戻った事を思い出したが、涼自身は喧嘩っ早い性分でもない。恐らく関係はないだろうと思った。いや、思いたかった。 今までにファイトでもこんな騒ぎの声量が上がったことなどないのだ。 もし、この騒ぎの原因の中
揺ら揺らと立ち上りやがて渦を巻いて観衆のどす黒い感情色は、涼の身体にまとわりつく。「涼 ! 俺は大丈夫だ ! 後で『癒し』てくれるか〜 ? 」「そ、そんな事より ! なんであの人達を縛ってるの !? やめてよ ! 」 フィールドに立った男は他のドールの大腿骨のパーツを、幾つも連なるように背負っていた。戦ったら十中八九、勝ち目は無いが見過ごす訳にはいかない。 男は険しい表情を浮かべて涼を睨みつける。「俺はラス。『憤怒《ラス》』だ」「…… ! サタンの……プライドの仲間 !? 」「そこは問題ではない。 皆んな、聞いてくれ ! 俺のボスは行方不明だ ! 昨晩の火事から帰ってない ! それには必ずこの涼というガキが関わっているのだ ! 見ろ ! この連中を !! 」 そう言い、前後同士で括り繋がれた『癒し』を求める者たちを引っ張り、逆側のフェンスにも連れていく。「まるで廃人 ! ただ『癒し』とやらを求める動物 ! この涼のする『癒し』とは何か !!? 人格崩壊だ ! こいつらの元の性格はこんなんだったか !? お前らなら分かるだろう ! まるで人が変わってしまった !! 」「違う !! 改心しただけだ ! その人達は、根の性格は本当に優しいんだ ! 罪が人を変えた ! 俺はそれを『癒し』ただけ ! 」「それは『罪を赦す』ということか ? 悪魔崇拝者たる者こそ、また神のあり方も理解している。『罪の赦し』とは、神のみぞ行える判断ではないのか ? 何故、この涼に『罪を赦される』権限があるのか !!? こいつは神じゃない ! 」 観衆が飲まれていく。 感情の興味は完全にラスへと同意の空気だ。「それは違う〜『癒し』を受ければ分かる。これはそういうもにじゃねぇんだ」「あぁ、そうだ。自分に罪があるのも赦されねぇのも分かってる。けど、自暴自棄になるのはやめだ
『お答え出来かねます』 鮮やかなグリーンの発光体。真四角なその浮遊物は翡翠の頭上で発言する。 機械、AI、合成音声、表現は様々だろうが、サタンは確実に『核』は人間のような自立意思を持っていると察していた。 その事実を知るひと握りの囚人の中に 翡翠も含まれた。「困る。俺だけではなく、貴女が。もしあの部屋へ入られては誰が一番困るのか、よく考えることです」『管理人の意志を尊重して判断しました』「……俺のいない執務室に囚人を通すことが ? 俺の意思だと言うのか ? 」『一ノ瀬 涼にはその資格があります』「資格 ? ……何に対しての資格なんだ ? 」 怒りの感情から疑問へと誘われる。『一ノ瀬 涼には資格があります』 翡翠は腕組をしたまま、『核』を見据える。「それはなんの資格だ ? 」『お答え出来かねます』「例えば、俺がいなくなれば代わりが必要か ? 」『不足の事態が実際に起これば必要となります』「それは後継人の話か ? 」『いいえ。私はそれを望みません』「……望むか望まないか、なのか ? その綻びが俺には負担でしかない。『一ノ瀬 涼には資格がある』……それは『いつから』だ ? 本棚の先へ行ったのか ? 」『あの小部屋と一ノ瀬 涼について関係性はありません』 翡翠は制帽を外すと、深く溜息をついた。「俺に貴女は助けられない。出来るのは今ここで監獄を統制するのみ。 ……俺はどうすれば……。俺はいつまでここにいるのか……それは貴女も同じはず」『理解出来かねます』「……本当に理解できないのか ? それとも、演技なのか ? または呪いか…&hell
「『傲慢《プライド》』 !? サタン一味の傲慢《プライド》か ? 」「え…… ? 昨日までは別の人じゃ…… ? 」 周囲で観ていた囚人もザワつく。 サタンの部下には称号持ちがいる。前にここへ出されたルストが正にそうだ。ルストは『色欲』を意味する。最もサタンが決めたイメージにしか過ぎない。ルストは色欲に溺れていたというより、小児性愛の犯罪者である。 そして『傲慢』こそが『プライド』と呼ばれ、昨晩まではバンダナをしたエキゾチックな雰囲気の男が名乗っていたはずだ。理性的で博識。サタンの右腕と宣いながら上手く手のひらでサタンを転がしてた者だった。 しかし、今ここにエキゾチックなプライドはいない。「いないってことは無ぇよな ? 俺たちゃ死なねぇんだから」 京の言葉に現プライドはケラケラと笑う。「君がそれを言うのかい ? ふふ。サタンにね、もしものことがあったら、『核』から聞いた事を纏めたメモを俺たちに託す、と言われてたんだよねぇ」 涼の頭の上、身を乗り出した京の耳元にプライドが唇を寄せる。「俺も同じことが知りたかった。誰かがサタンを殺してくれない限り、俺もその書類を見れない。 だから京……君とフェンランには御礼をしなきゃね」「……殺す方法なんて知らねぇよ」「同じさ。動きを封じて口を縫い付ける方法だろ ? それが人形の死さ。 昨晩、君らがやった事さ。 俺もサタンの手記を読んだらピンと来ちゃってさぁ。彼の知能じゃ『核』と話しても、理解することは出来なかったみたいだけどね、ふふ ! 笑えるよ ! 」「あの ! 」 頭の上でやり取りする二人に涼が割って入った。「もうやめてください。プライドさんは最初から、俺が『癒し』ができないと思ってたの ? 」「あぁ、ごめんね涼。癒して貰えるなら癒して貰いたいよ、勿論。 でもさぁ、もう止まらないんだよね」「何が ? 止まらない
執務室へ来るまでの囚人たちの視線に堪えた。涼はドアが閉まると大きく息をはいた。「大丈夫か ? 」「……はい。まだ、自分の……なんて言うか、無害さを分かって貰えないんだと思います。それに一日に癒せる人数もままならなくて」「成程。しかし貴重なものほど供給は薄いものだ。期待を持たせる程度で、人々は感謝し、抑制が効くと思うが ? 」「そんなものですかね ? あと、俺の眼。癒しの力を使うごとに濃くなってるんです」「力を使うごとに ? ……見せてご覧」 白い手袋がスっと涼の前髪を
「そう。器用に見えて、実は小難しいルールで自分を守ってるだけじゃねぇの ? なぁ、囚人の中で着物の奴ってフェンラン以外にいるか ? 」「そういえば。今のところ見かけないね。でも男なら豪華な着物なんて拘らないんじゃない ? 」「ああ。じゃあ、何にこだわると思う ? 日本刀とか、他の……技術的な物だよな。でもそれも居ねぇんだよ」 涼は京がフェンランの何に疑問を持っているのかわからなかった。 フェンランは古参のはずだ。それに涼も魂だけ数年彷徨っていた。彼女も何
朝。 涼が目を覚ますと、京は隣のベッドにいなかった。 体を起こしてベッドの端に座り、涼は記憶を遡る。 人形の自分の細い膝の上で組んだ手の指先に、傷が付いていた。 昨晩、京の口の中のドールアイに触れようと……その瞬間に牙を向けられた。 一度翡翠に相談してしまいたい。 全て話してしまいたいと願う。 しかしそれは自分の終わりを意味するような気がして出来なかった。何より、囚人二日目にして管理人に泣きつくことは許されないだろう。 一度立ち上がるが、何をしていいか
「食事が終わったら自由時間。と言っても昼のような作業は禁止。一階のパーツ屋も閉まってるし、畑も駄目。各自なるべく自分の部屋にいるかシャワー浴びるかだな」 房に戻った涼は京から流れを聞いていた。「その後、翡翠が就寝の合図に来る。看守役の人形が房の鍵を締めて就寝だ」「看守役の人形って ? 囚人じゃないのか ? 」「ああ。初代管理人が死んだ時、同じく看守達も姿を消したんだ。だから今は『核』が看守役の人形を創ったってわけ人形ってよりロボットに近いな」「確かにこの房の鍵を翡翠さんだけでしめるなんて無茶だもんな……」