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8.華やかな名前

Author: 中岡 始
last update publish date: 2026-08-09 18:52:46

莉奈の説明は、ブランドの概要から具体的な販売イメージへ移っていた。

画面には、三枚の写真が並んでいる。

一枚目は、従来の久世物産の商品売り場。

木箱。

包装紙。

熨斗。

商品札には産地と製造元が大きく書かれている。

二枚目は、KUZÉ ma vieの試験展示。

白い棚。

小さなカード。

商品の横には、作り手や素材について短い文章が添えられている。

三枚目は、購入後の使用場面を想定した写真だった。

朝食のテーブル。

淡い色の器。

ジャムと焼き菓子。

湯気の立つカップ。

「同じ商品でも、置かれる場所と見せ方で受け取られ方は変わります」

莉奈は言った。

先ほどまでより、さらに言葉が滑らかになっていた。

「久世物産では、これまで製造元や産地を前面に出してきました。それは間違いではありませんし、贈答品では今も大事で

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  • 御曹司の妻を辞めた日、私は社長になった〜久世家を出た元嫁は、格上エリートと人生を再建する   25.怖いです

    鷹宮が返信したのは、メールを読んでから十分ほど後だった。今夜であれば、二十一時以降なら時間を取れます。電話でも、オンラインでも構いません。それだけを書いた。何がありましたか、とは尋ねなかった。急ぎですか、とも。美緒が「少し、お話しできますか」としか書かなかったのなら、今の段階で鷹宮が先に内容を決める必要はない。返信は、数分で届いた。オンラインでお願いできますか。二十一時で大丈夫です。鷹宮は了承だけ返した。午後の残りの仕事を終え、二十時半を過ぎた頃には執務室に人の気配も少なくなっていた。三崎は先に帰っている。窓の外には、夜の街の明かりが並んでいた。二十一時ちょうどに接続通知が届く。鷹宮が許可すると、画面に美緒が映った。「こんばんは」「こんばんは」以前のオンライン相談と同じように、背景には淡い色の壁が見える。小さな棚。机の端らしいもの。それ以上は分からない。鷹宮は、どこにいるのか尋ねなかった。美緒は仕事用と思われるブラウスを着ていたが、髪は昼間より少し崩れていた。化粧も薄い。疲れているようには見える。ただ、体調が悪いと断定できるほどではなかった。「お時間をいただいて、すみません」「構いません」美緒は一度、視線を下げた。画面の下に資料があるのかと思ったが、共有の通知は出ない。「今日は、資料を見ていただきたいわけではなくて」「はい」「少し、話を聞いていただきたくて」鷹宮は頷いた。その言葉だけで、普段の相談とは違うことが分かった。価格でも、契約範囲でも、顧客との条件でもない。美緒はすぐには続けなかった。何度か言葉を選ぶように唇を動かし、やがて小さく息を吐いた。

  • 御曹司の妻を辞めた日、私は社長になった〜久世家を出た元嫁は、格上エリートと人生を再建する   24.相談される側

    小野寺製菓の名前をきっかけに、リブランシュについて尋ねられることが増えた。最初は地方銀行の担当者だった。その次は、以前から付き合いのある食品卸の役員。さらに数日後には、別の地域企業の事業承継について相談を受けていた席で、「リブランシュの篠原さんという方、ご存じですか」と聞かれた。鷹宮は、そのたびに必要なことだけ答えた。「はい」「小野寺製菓の件を聞きまして」「そうですか」「商品を減らしたのに、利益は改善したそうですね」「私は実務には関わっていません」それ以上を説明しない。何を減らしたのか。どの数字を見直したのか。小野寺製菓とどのようなやり取りをしたのか。鷹宮自身が知らないことも多い。知っていることまで、美緒の代わりに説明する必要もなかった。話を聞きたいと言われれば、「篠原代表へ直接確認してください」と返した。紹介が必要な場合だけ、美緒の了承を取って連絡先をつなぐ。それ以上はしない。以前は、鷹宮が美緒の能力を説明していた。数字を整理できる。商品と販路をつなげられる。現場の情報を経営判断へ変えられる。事業者自身が説明できる資料を作れる。小野寺製菓を紹介したときには、それらを鷹宮が言葉にする必要があった。今は違う。相手の方から、「小野寺製菓の件を聞いた」と言ってくる。実績が、美緒の説明より先に届いていた。その変化を、鷹宮は正しいと思った。ある午後、三崎が数件のメールをまとめて持ってきた。「リブランシュ関係です」鷹宮は顔を上げた。「何件ですか」「こちらに来ているものだけで三件です」三崎がタブレットを机へ置く。一件目は地方の調味

  • 御曹司の妻を辞めた日、私は社長になった〜久世家を出た元嫁は、格上エリートと人生を再建する   23.名前が先に届く

    小野寺製菓との契約成立を知らせるメール以降、美緒から連絡はなかった。一週間。二週間。鷹宮は、こちらから進捗を尋ねなかった。三か月の試験支援が始まっていることは知っている。商品別の採算を確認し、EC導線を見直し、ギフトセットと販売テストを検討する。オンライン相談の時点で、美緒が予定していたのはそこまでだった。実際に何から着手したのかは知らない。小野寺製菓へ何度足を運んだのか。岳と意見が合っているのか。数字を見て、想定と違う問題が出てきたのか。何も聞いていなかった。気にならないわけではない。初めて受けた仕事だ。契約前には、価格をどこまで下げるべきか迷っていた。業務範囲も、最初は曖昧だった。仕事を受けたあとになって、頼まれたことを断れず、一人で抱え込んでいる可能性もある。連絡を一本入れることは簡単だった。その後、いかがですか。何か困っていることはありませんか。文章にすれば、それだけで済む。けれど、鷹宮は送らなかった。小野寺製菓と契約したのは、リブランシュだ。鷹宮ではない。美緒は部下でも、投資先の経営者でもない。契約の進捗を報告する義務もなかった。鷹宮が定期的に様子を尋ねれば、美緒は答えようとするだろう。そのうち、報告することが当然になるかもしれない。それは望んでいた関係ではなかった。必要なときに相談する。必要がなければ、自分で進める。そのために、最終判断を美緒へ返してきた。ならば、連絡がないことも受け入れるべきだった。午後、鷹宮は地方銀行の法人営業担当者とオンラインで話していた。議題は別の案件だった。地方食品会社の設備投資について、借入条件と今後の事業計画を確認する。三十分ほどで本題を終え、担当者が資

  • 御曹司の妻を辞めた日、私は社長になった〜久世家を出た元嫁は、格上エリートと人生を再建する   22.ここからが仕事です

    美緒から連絡が来たのは、オンライン相談から五日後だった。午前九時を少し過ぎた頃、鷹宮は執務室で別案件の月次報告を確認していた。売上、粗利、在庫、資金繰り。前月との差異を追いながら、気になる箇所へコメントを入れていく。いつもの朝だった。画面右下に、新着メールの通知が出た。差出人は、篠原美緒。鷹宮の視線が止まる。オンライン相談を終えてから、こちらから連絡はしていない。見積書を作り直したのか、小野寺製菓へ提出したのか、業務範囲を先方が受け入れたのか。鷹宮は何一つ確認していなかった。相談の最後に伝えたのは、最終的な見積書は、篠原代表が決めてください。ということだけだった。その言葉どおり、決めるところから先は美緒の仕事だった。鷹宮は月次報告のファイルを保存してから、メールを開いた。件名は、小野寺製菓様との契約について。本文は短かった。鷹宮様小野寺製菓様との契約が成立し、本日、初回分の入金を確認しました。ご助言いただき、ありがとうございました。篠原美緒鷹宮は一度最後まで読み、もう一度最初へ戻った。契約が成立した。初回分の入金を確認した。最終的な契約金額は書かれていない。オンライン相談で見た見積書案から、いくらへ変更したのかも分からない。業務範囲をどこまで残したのか、小野寺製菓とどのような話をしたのか、契約書へどんな条件を書いたのかも書かれていなかった。だが、鷹宮にとって必要な情報は十分だった。小野寺製菓がリブランシュへ仕事を依頼し、その対価を支払った。その事実だけでいい。鷹宮は椅子へ背を預けた。以前、久世物産の会議室で、美緒は自分の仕事を、少し手伝っただけ。数字を整えただけ。そう呼んでいた。

  • 御曹司の妻を辞めた日、私は社長になった〜久世家を出た元嫁は、格上エリートと人生を再建する   21.画面越しの篠原代表

    オンライン相談の開始時刻は、午後五時だった。鷹宮は十分前に会議用の画面を開き、共有されていた資料をもう一度確認していた。ファイル名は、小野寺製菓様 三か月試験支援 御見積書案。その下に、もう一つ。業務範囲案。送信者は、篠原美緒。小野寺製菓を紹介してから、美緒から直接連絡が来るまで、鷹宮は何も尋ねなかった。面談がどうだったのか。岳に何を言われたのか。工場へ行けたのか。契約の話まで進んだのか。聞こうと思えば、三崎を通じて確認することはできた。小野寺製菓へ連絡することも。紹介者として、様子を尋ねることも不自然ではない。それでも、しなかった。紹介した時点で、鷹宮の役割はいったん終わっている。そこから先は、小野寺製菓とリブランシュの間の話だった。そして今日。美緒自身から、契約範囲と見積金額について相談したい。という連絡が来た。つまり。少なくとも、話はそこまで進んだ。鷹宮が知っているのは、それだけだった。開始時刻になり、画面に接続通知が出る。鷹宮は入室を許可した。数秒後。画面の中央に、美緒の姿が映った。「こんばんは」美緒が少し頭を下げる。「本日はよろしくお願いいたします」鷹宮は、一瞬だけ返事が遅れた。「こちらこそ、よろしくお願いします」離婚後、美緒の姿を見るのは初めてだった。メール。電話。それだけだった。篠原美緒という名前は何度も見た。声でも聞いた。それでも、画面に映っている人間と新しい名前が結びつくまでに、ごく短い時間が必要だった。以前と大きく変わったわけではない。髪型も。表情も

  • 御曹司の妻を辞めた日、私は社長になった〜久世家を出た元嫁は、格上エリートと人生を再建する   20.電話の向こうの案件

    午後四時を少し過ぎた頃、鷹宮は小野寺製菓の資料を開いていた。地方の老舗菓子メーカー。創業は五十年を超える。主力商品は焼き菓子と羊羹、それから季節限定の詰め合わせ。都市部の百貨店にも卸している。売上そのものが大きく落ちているわけではない。取引先もある。商品にも、一定の評価がある。それでも利益が残らない。数字を見る限り、問題は複数あった。百貨店手数料。包装資材。送料。季節商品の売れ残り。値引き販売。商品数の多さ。そして、長年続いている取引条件。鷹宮は商品別収支のページをめくった。売価。原価。粗利。そこまでは出ている。しかし、包装と物流を含めた後の数字がない。販売チャネルごとの採算も混ざっている。百貨店で売った場合。自社ECで売った場合。贈答用。自宅用。すべてが同じ商品売上として扱われていた。「これでは、売れている商品と残っている商品が分かりませんね」向かいにいた三崎が言った。「はい」鷹宮は別の資料を開いた。商品一覧。数が多い。定番商品。季節限定。百貨店向け。オンライン限定。地域イベント向け。小さな会社にしては、扱う種類が多すぎる。増やした経緯は想像できた。取引先から求められた。季節ごとに新商品を出した。売れた商品を残した。やめる理由がなかった。そうやって一つずつ増えてきたのだろう。「相談内容は、販路の見直しでしたよね」三崎が確認する。「表向きは」「表向き?」「EC

  • 御曹司の妻を辞めた日、私は社長になった〜久世家を出た元嫁は、格上エリートと人生を再建する   4.美緒なら分かるだろ

    怜央からのメッセージは、短かった。莉奈の資料、今日中に見られる?美緒は、ダイニングのテーブルに広げた企画書を前にして、その文字をしばらく見つめていた。今日中に。莉奈が言った「ちょっと相談」という言葉より、その四文字はずっと重かった。けれど、怜央からの頼みだと思うと、重いと感じる自分の方が間違っているような気がした。窓の外では、庭の木々が夕方の光を受けて暗い影を落とし始めている。昼間には明るく見えた苔の色も、今は深く沈み、飛び石の縁だけがかすかに白く浮いていた。古い振り子時計の音が、廊下の奥から一定の間隔で届く

  • 御曹司の妻を辞めた日、私は社長になった〜久世家を出た元嫁は、格上エリートと人生を再建する   3.お義姉さんならできますよね

    スマホの画面には、莉奈の名前が表示されていた。お義姉さん、今日おうちにいますよね? ちょっと相談したい資料があって。美緒は、洗い終えた茶器を布巾の上に伏せたまま、その文面を見つめた。ちょっと相談。その言葉は軽かった。少なくとも、断るほど重いものには見えなかった。けれど美緒は知っている。久世家で使われる「ちょっと」は、たいてい、その言葉より少し重い。応接室には、まだ香の匂いが薄く残っていた。先ほどまで来客たちの笑い声が満ちていた部屋は、今は静まり返っている。茶器は洗い終えた。菓子皿も拭いた。座布団も元の位置に戻

  • 御曹司の妻を辞めた日、私は社長になった〜久世家を出た元嫁は、格上エリートと人生を再建する   2.奥様と呼ばれる檻

    応接室の花は、すでに整っていた。けれど美緒は、もう一度だけ花器の向きを確かめた。床の間の掛け軸に対して、枝先がわずかに右へ流れている。ほんの少しのことだった。誰も気づかないかもしれない。けれど、佳乃子は気づく。この家では、気づかれないことよりも、気づかれたときにどう見えるかが大切だった。美緒は花器を両手で持ち、音を立てないように数ミリだけ動かした。陶器の底が畳の上の薄い板に触れる、そのわずかな感触にまで神経が向く。朝から動き続けているせいか、指先が少し冷えていた。応接室は、客を迎えるための部屋というより、久世家が久世家であることを証明するための部屋に見えた。磨かれた座卓。季節に合わ

  • 御曹司の妻を辞めた日、私は社長になった〜久世家を出た元嫁は、格上エリートと人生を再建する   1.重い門の内側

    久世家の朝は、門が開く前から始まる。まだ空は薄く青く、庭石の縁には夜の湿り気が残っていた。高い塀の向こうから、坂道を上ってくる車の音がかすかに聞こえる。新聞配達のバイクが一度止まり、また遠ざかっていく。その音は門の内側へ届く前に、どこかよその世界のものになった。美緒は玄関先に立ち、新聞受けから取り出した朝刊を両手でそろえた。重い門は、まだ閉じている。外から見れば、それは久世家の格式を示すものなのだろう。代々この地方都市で名を知られてきた旧家にふさわしい、堂々とした門構え。高い塀の内側には手入れされた庭が広がり、松の枝は季節に合わせて整えられている。飛び石には落ち葉ひとつ残されておらず、

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