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第3話

Penulis: 花柳響
last update Terakhir Diperbarui: 2025-12-30 06:00:42

 重厚な両開きの扉がスタッフの手によって恭しく開かれた瞬間、視界を埋め尽くすようなまばゆいフラッシュの光と、数百の瞳が一斉にこちらを向く物理的な圧力が、突き刺さるように私に集まった。

 一瞬、足がすくむ。

 天井高く吊るされた豪華絢爛なシャンデリアが、残酷なほど会場の隅々までを照らし出している。そこは、私を裏切った元彼と親友を祝福するための、広すぎる披露宴会場。

 祝福という名の好奇に満ちた視線が、場違いな来訪者である私と――そして私の隣に立つ、あまりにも完璧すぎる男に注がれているのが肌でわかった。

(……ヤバい。息が、できない)

 心臓が早鐘を打ち、指先が冷たくなる。

 ぎゅっ、と。私は無意識に、とっさに絡ませた男の腕を強く握りしめていた。

 シルク混の上質なスーツ生地越しに、硬く引き締まった筋肉の感触が伝わってくる。その熱と固さが、唯一の命綱だった。

 すると、隣の男――今日から私の「偽物の彼氏」となった彼は、その無数の視線を楽しむかのように、唇の端に浮かべたあの半笑いを一層深くした。

「堂々と。……君は、今日の主役はなよめより美しい」

 耳元で囁かれた声は、まるで上質なベルベットのようだった。

 低く、甘く、鼓膜を震わせ、私の芯にある不安だけを狙って溶かしていくような響き。吐息が耳朶を掠める感触に、背筋にぞくりとした電流が走る。

(うわ……。これが時給五万の「演技」……)

 わかってる。わかっているけれど、その計算された声色と、腕から伝わる頼もしい体温に、心臓が言うことを聞かない。

「……っ、わかってるわよ、仕事でしょ!」

 私は彼にだけ聞こえる小声で悪態をつき、彼から見えないように頬の熱を誤魔化しながら、精一杯背筋を伸ばした。

 そうだ、私は今日、ただ祝いに来たのではない。奪われたプライドと、屈辱を晴らしに来たのだ。

 私たちが会場に足を踏み入れたことで、ざわめきがさざ波のように大きくなる。

「おい、あれって茅野だよな?」「隣の男、誰だ?」「すごくイケメンじゃないか?」「俳優か何かか?」

 その好奇の視線の中を、私たちはまるでランウェイでも歩くかのように、ゆったりと進んだ。彼のエスコートは完璧だった。私の歩幅に合わせ、ドレスの裾が絡まないよう細心の注意を払いながら、周囲を威圧するような優雅さで歩く。

 そして、案の定。

 メインテーブルの近くで、あの二人――新郎の拓也と、新婦の美咲が、私たちに気づいた。

 スポットライトを浴びていた美咲の満面の笑顔が、私を見た瞬間、凍りついたのを私は見逃さなかった。拓也に至っては、グラスを持つ手を止め、信じられないものを見るかのように、私の隣の男を凝視している。

(よし、第一関門突破)

 胸の奥がスッとするのを感じながら、私たちは指定されたテーブルへと向かった。

 乾杯の挨拶が始まり、当たり障りのない時間が流れる。私は、次々と運ばれてくる高級フレンチにほとんど手をつけられずにいた。

 喉を通るわけがない。周囲の視線は未だにチラチラと私たちに向けられている。

 だが、隣の彼は違った。

 完璧なテーブルマナーでナイフとフォークを操り、時折、同じテーブルになった私の知人たちと「朱里さんとは、共通の知人のパーティーで知り合いまして」などと、もっともらしい嘘を笑顔で振りまいている。

 その隙のない「完璧な彼氏」ぶりに、私は感心を通り越して、少し怖ささえ感じていた。

 嘘をついている時の彼は、なぜこんなにも魅力的なのだろう。

 そして、新郎新婦のお色直しの中座。

 そのタイミングを狙いすましたかのように、二人が私たちのテーブルへと近づいてきた。周囲の空気が、ぴりりと張り詰める。

「朱里、来てくれたんだ。ありがとう」

 純白のウエディングドレスに身を包んだ美咲が、幸せの象徴そのものといった顔で微笑む。だが、その目は笑っていない。私のドレスやメイク、そして隣の男を値踏みするような、昏い光が宿っている。

「隣の方は……例の、婚約者さん?」

 拓也が、ねっとりとした、あからさまに不躾な視線で、私の隣の男を上から下まで眺めた。

(……来た)

 私は、テーブルクロスの上で見えないように拳を握りしめた。

「へえ。この人が」

 拓也は、値踏みする視線をやめない。それは明らかに、私ではなく、私の「所有物」としての彼に向けられた、男特有のマウンティングだった。「俺の捨てた女を拾った男」への、優越感を含んだ視線。

「ずいぶん、急だったんだな。俺たちと別れてすぐ……いや、もしかして、付き合ってる時から?」

「拓也……!」

 私がカッとなって立ち上がりかける。

 最低だ。浮気をして私を裏切ったのはそっちのくせに、まるで私が二股をかけていたとでも言いたげな口ぶり。周囲のゲストの耳がダンボになっているのがわかる。ここで私が激昂すれば、私は「ヒステリックな元カノ」になり、彼らの被害者面が完成してしまう。

 わかっているのに、腸が煮えくり返るようで、言葉が出ない。

 と、その時。

 震える私の肩を、隣から伸びてきた大きな手が優しく、しかし有無を言わせぬ力強さで制した。

 ふわり、と高価なコロンの香りが鼻孔をくすぐる。

「初めまして」

 彼――みなとは、悠然と立ち上がった。

 座っている時も存在感はあったが、立ち上がるとその長身は圧倒的だった。仕立ての良いスーツに包まれた185センチの身体が、拓也の前に立ちはだかる。

 拓也が、ひどく小さく、貧相に見えた。

「朱里から、お二人のことは伺っております。本日はご結婚、誠におめでとうございます」

 完璧な笑顔。完璧な角度のお辞儀。

 だが、その声には一切の温度がなかった。美しく響くバリトンボイスなのに、そこに含まれる絶対零度の冷気が、周囲の空気を凍りつかせる。

「……どうも。あなたが、朱里の」

「ええ。彼女のフィアンセです」

 湊はそう断言すると、私の肩を抱く代わりに、私が座る椅子の背もたれに、長い指をそっと這わせた。

 直接触れられていないのに、まるで背後から抱きしめられているような錯覚。

 それは、私を自分の絶対的な庇護下においていると、誰の目にもわかるほど雄弁に物語る仕草だった。「私の女に手を出すな」という、静かだが強烈な警告。

「朱里は、ご覧の通り少々お人好しでして。あんな形で……お二人の『門出』を知らされたというのに、それでも祝福したいと健気に準備をしていたものですから」

 湊は、口元だけで優雅に微笑んだ。

 ぞっとするほど、美しい笑顔だった。

「私としては、今日ここに来ることも、あまり賛成ではなかったのですが。……彼女の優しい心根に免じて、お許しいただけると?」

 一瞬、拓也と美咲の顔が引き攣り、言葉を失う。

(……すごい)

 私は息を呑んだ。

 直接的な非難の言葉は、何一つ言っていない。「浮気」とも「裏切り」とも言っていない。

 それなのに、この男はたった数秒の会話と雰囲気だけで、「朱里は裏切られた被害者」であり、「そんな彼女を心から心配している、度量の広いハイスペックな婚約者が自分だ」という構図を、この場の全員に完璧に植え付けてみせたのだ。

 拓也は何も言い返せず、悔しそうに唇を噛んでいる。男としての格の違いを、まざまざと見せつけられた敗北者の顔だった。

「……朱里、本当に、幸せそうでよかった」

 美咲が絞り出すようにそう言ったが、その声は震えていて、もう誰の耳にも響かなかった。

 二人は、逃げるようにそそくさとメインテーブルへと戻っていく。

 私は、あっけに取られたまま、その小さくなっていく背中を見送っていた。

(……勝った)

 いや、彼が、勝たせてくれたんだ。

 ずっと胸につかえていた重苦しい塊が消え去り、代わりに震えるような高揚感が身体を駆け巡る。

 私は勝った。この、嘘で塗り固められた完璧な王子様のおかげで。

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