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第4話

Auteur: 魚魚魚ちゃん
節美は母の手を振りほどこうとしたが、力が及ばず、結局、廷悟に抱き上げられたことで、ようやく父が母を止めた。

父は廷悟を見て、驚きの表情を浮かべた。

「廷悟、どうしてここに?」

廷悟は淡々と答えた。「月美は具合が悪いと聞いて、様子を見に来たんだ。心配しなくていい。心臓のドナーはもう見つけたから、月美はすぐに回復するよ」

泣いていた母は、突然黙り込んだ。

「本当に?どこでドナーを見つけたの?月美は本当に助かるの?」

廷悟は再び頷き、確信を持ちながら言った。

「俺にはいくつかのリソースがある。手術は俺が担当するから、月美は無事に回復するに違いない」

廷悟が「俺が手術を担当する」と言った瞬間、節美の体がわずかに震えた。

その後、また苦笑した。

母が去ったら、廷悟は節美を抱きかかえて、病室へ運んだ。

そして、毛布と温かい水を準備した。

病床に横たわる節美を見ながら、廷悟は体温計で熱を測り、41度を見て眉をひそめた。

「そんなに熱があるのに、どうして俺に連絡しなかったんだ?」

節美は縮こまっていて、皮肉を込めた口調で言った。

「深尾先生のような賢い名医は、気温が5度しかない廊下で、3時間も過ごしたら風邪を引くなんて考えもしなかったんじゃない?」

廷悟は彼女に心配していなかっただけだ。

心配しているのは、彼女の体の中にある心臓だけだった。

廷悟は一瞬手を止めた。少し罪悪感を覚えたのか、低い声で言った。

「ごめん」

節美はその言葉を幻聴だと思いながら、何も言わなかった。

廷悟はベッドの脇に座り、節美の熱い手を握りながら、小声で言った。

「ごめん。約束するよ。これからは一緒に幸せに過ごそうって。君が望む条件なら何でも叶えて、しっかり愛してあげるって」

節美は彼を見ず、無言で手を引いた。

一晩中点滴を受けた後、翌日にはやっと少し回復した。

廷悟は自分の病院には戻らず、ずっとこの病室にいて、薬も持ってきた。

薬は苦いから、節美は顔をしかめた。そこで、廷悟はオレンジジュースを差し出した。

「私の風邪はいつ治るの?」

廷悟は答えた。

「普通の風邪なら7日で治るけど、節美はかなり高熱だから、10日くらいかかるかも」

「じゃあ、月美に心臓を提供するのは遅くなるの?」

節美は平然と言った。まるでそれが些細なことのように。

廷悟は複雑な目で彼女を見つめて、突然、彼女のことが少しわからなくなった気がした。

すぐに答えは返ってこなかった。

節美は言い続けた。

「風邪が治ったとしても、心臓を取った後、私は生きられないわ。風邪なんて大事なの?」

その言葉は残酷だったが、節美は驚くほど冷静に言った。まるで冷徹な刃のようだった。

なぜか、廷悟は胸が痛んで、強気に言った。

「必ず健康な状態で手術を受けさせるよ」

健康な状態で手術を受けて、終わったらすぐに墓に運ばれるの?

節美は、彼の執着に何の意味があるのかわからなかった。

病室の外で、父が株式譲渡契約書を持って入ってきた。

封筒に入った書類が重々しく節美の顔に投げつけられ、父は冷たい声で言った。「お前が望んでた通り、月美の持ってた株は全部お前のものだ」

その中には、半分が自分のもので、半分が月美のものだった。

合わせて20%になり、取締役会でも高いほうだ。

節美は満足げに署名をして、全員が去った後、弁護士に電話をかけた。

「遺産の委託をしたいです」

弁護士は彼女の親友である暁玲子(あかつき れいこ)と一緒に来た。

顔色が真っ青で、骨と皮ばかりになってベッドに横たわっている節美を見て、玲子は涙をこぼした。

「クソ野郎どもが。あのクソ野郎どもがどうして節美にこんなことができるの!?私が仕返ししてやる、絶対に許さないわ!」

節美は彼女を止めた。

廷悟を攻略している間、良い人にはあまり出会わなかったが、この人生で出会った唯一の良い友達は玲子だった。

彼女はいつも節美の味方で、節美に何があっても、いつも一番先に助けてくれた。

もし玲子がいなければ、節美は今日まで生きていられなかっただろう。

玲子は廷悟以外に、節美がシステムを持っていることを知っている二人目だった。

今、節美は廷悟から離れて、新たなターゲットを攻略することを玲子に打ち明けた。

「つまり、ついに深尾のクズ男から解放されるのね?」

節美はうなずいた。

それを見た玲子は立ち上がり、喜んで言った。

「それは良かった。システムがやっと役に立ったわね。深尾なんか早く捨てて、痛みを感じさせるべきだったわ!」

節美はその言葉を聞いて、思わず笑い出し、弁護士を見た。

「私が持っている西園寺家のすべての株、会社、そして現金は、親友の暁玲子に譲りたいです。残りの現金は、貧しい子供たちに寄付して欲しいです」

弁護士は驚かなかったが、手続き通りに尋ねた。

「では、ご家族には?」

「一銭も残しません」

玲子はそれを聞いて、涙をこぼしながら言った。

「私は一時的に預かっとくけど、新しい身分で戻ってきたら、必ず全部返すから、必ず戻ってきてね」

節美は頷き、彼女の涙を拭いた。

その時、廷悟が部屋に入ってきた。

「戻ってきてってなんだ?」

彼の目には警戒心を含まれていた。

節美はどこまで聞かれたか分からないが、慌てて説明した。「玲子に言ったんだけど、病気が治ったら、ちょっと海外に行って休むつもりだって。玲子は寂しそうで、戻る時にお土産がほしいって頼まれたの」

廷悟はあまり表情を変えなかったが、少し疑わしげに見つめてから、いつも通りの顔に戻った。

「後で検査を受けることを忘れるなよ」

節美は安堵のため息をついた。

そして、廷悟に検査に連れて行かれた。

この検査は心臓が提供可能かどうかを確かめるものだと、節美は分かっていた。

検査室を出ると、月美にバッタリ会った。

彼女は車椅子に座っていて、薄い病衣の下から細くて華奢な体が見えた。長い髪が垂れ、病的な美しさが漂っていた。

ただ座っているだけで、人々の心に痛みを感じさせていた。

「姉さん、お義兄さんから聞いたんだけど、私に心臓のドナーが見つかったんだって」

月美が突然口を開いた。

「姉さんもきっと喜んでくれるよね?」

節美はその黒い瞳をじっと見つめた。あまりにも明るくて、純粋そうで......

でも、その奥に隠された深い悪意を感じ取った。

本当に何も知らないのだろうか?

「嬉しいよ」

節美は笑顔を浮かべ、少し本心を込めて答えた。

「すごく嬉しいよ」

予想外の反応を見て、月美の顔に少し不満が浮かんだ。わざと無関心そうに髪をかき上げながらこう言った。

「それはよかった。前から私に対して偏見があるみたいだから、姉さんは手術を受けさせたくないのかなって思ってたのよ」と。

その手の薬指には、はっきりと目立つ結婚指輪が光っていた。

廷悟がつけているのとお揃いのものだった。

節美はその指輪を見逃すことなく、じっと見つめていた。その視線に気づいた月美は、慌てて指輪を外した。

「ごめんなさい、これはお義兄さんが帰国の時にくれたお土産で、特に意味はないの。

元々は中指にはめてたんだけど、病気で手が腫れちゃって、薬指にはめるしかないの。

姉さん、怒らないでね」
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