FAZER LOGIN次の日、会社へ着いて早々煌に呼び出された。
「昨日の男は誰だ?」 想定していた事とは言え、なんと言っていいものかと頭を悩ませる。 「随分と親しげだったが?」 「彼は……」 煌の鋭い眼が光り、言葉に詰まってしまう。 「柚、俺の目を見てちゃんと答えるんだ」 ガシッと肩を掴まれ、真っ直ぐに問いかけてくる煌に、柚は白旗を上げた。 (あぁ、この人には嘘は付けない……) どの道、桜には話してあるのだからいつかは煌の耳にも入るだろう。それが早いか遅いってだけ。 柚はふぅと息を吐くと、ゆっくり口を開いた。 桜に説明したように、彼は自分を捨てた人であり、結花の実の父であると。そして、どういう縁なのか結花の主治医となり、今は仮初の恋人を演じている事。嘘偽りなく話して聞かせた。 煌は黙って聞いていたが、その表情は険しく不快感で眉を顰めている。 「桜がそのうち分かるって、この事か……」 頭を抱え、盛大な溜息を吐きながらその場にしゃがみこんだ。 「……確認だが、お前に未練はないんだな?本当にビジネスとして付き合っているだけか?」 「そ、そうだよ!何言ってんの!?」 見上げてくる煌に慌てて否定の言葉をかけるが、面白くなさそうに顔を俯かせている。 「……向こうはそうは思ってねぇかもしれねぇだろうが……」 柚に聞こえない程の声で呟いた。 「ん?なんて?」 「なんでもない!」 よいしょッと膝を叩き、勢いよく立ち上がると柚の頭に手を置いた。きょとんとしながら煌を見つめる柚の瞳に自分の姿が映っているのが見え、ふわっと柔らかな笑みを浮かべた。「パパが……事故で──」 「え?」 その日、父が亡くなったことを知った。 亡くなったのは一月ほど前で、出産を控えた私には言えることが出来なかったと聞いた。「ごめ……ごめんなさい……本当は、早く報せるべきだった……」 受話器越しからでもその疲労感と消失感が伝わってくる。涙ながらに語る母を宥めるのが精一杯で、とても子供が生まれた事を報告できる様子じゃなかった。 遥乃自身も、悲しくないはずがない。電話を切り、一人になった所で声を殺して泣いた。(うぅ……パパ……ごめん……!ごめんなさい!) 最後の最期まで我儘で自分勝手で……それでも、パパは愛してくれた。なのに私は……! 大好きな父の最期を看取れず、全てが終わってから知った親不孝な娘。そんな娘が幸せになれるはずがない。「ふぇ……ふぇ~……」 鳴き声にハッとした。小さくとも力強く鳴き声を上げ泣く生まれたばかりの愛娘を目にして、母の言葉を思い出した。『もし、私達に何があっても貴女は強く生きるのよ。お腹の子の親は貴女しかいないの。産むと言う覚悟があるのなら、絶対幸せにしてあげなさい』 その通りだ。私には生きる理由がある。幸せにすると約束したのだから。 顔を上げた遥乃の瞳は先ほどとは打って変わって、瞳に強い灯が灯っていた。 ――その後、父が亡くなった実家は、一気に傾きそのまま事業は廃業となり多額の借金を背負う事となった。破産手続きで借金の方は何とかなったが、それでも全部は返しきれず生活の方は一変した。 今までのような豪華な生活は出来るはずもなく、母は大きく広かった屋敷から1Kの小さなボロアパートに引っ越し、近所のスーパーで生まれて初めて仕事を始めたと聞いた。 そんな母を放っておけず、帰国すると伝えた事もあったが、それを母が拒絶。「言ったでしょ?私達に何かあっても強く生きなさいと。今は貴女も大変な時期でしょう?こっちの事は心配いらないから……」 明らかに疲
朝倉遥乃の家は元々裕福で、それこそ奏と釣り合いの取れるほどの豪商だった。 両親も仲が良く、遥乃自身もそんな両親の事が大好きで憧れだった。「私も、パパみたいな人と結婚する!」それが、私の幼い頃の口癖だった。 両親はいつも笑っていたが、パパみたいに優しくて温かくて、家族の事を大事にしてくれる人と結婚するのを夢見ていた。 だが、夢は夢。現実はそう甘くなかった。 私が愛した人は、自分の事を本当に愛してくれていたんじゃなかったと知った時は、この世の全てを恨んだ。 悲しくて、悲しくて……憎かった。 それでも生きてこれたのは、自分の胎に芽生えた小さな命を守る為。その為だけに生きてきて、生まれたばかりの結花を見た時、自然と涙が溢れてきた。これから一生、なにがあってもこの子だけは守ってみせると改めて決意したのを覚えている。 そう思うと、私のママも私を生んだ時、そう思ったのかな……とかいろんな想いが溢れてきた。 壊れそうなほど小さい手を握り、ようやく訪れた穏やかで幸せな時間を噛みしめていた。「あ、そうだ。ママ達に知らせないと」 海外に渡米する時は、驚いてはいたものの、私の意見を尊重して許してくれた両親。胎に子供がいるという事は誰にも伝える気はなかったが、移住して暫く経って落ち着いたころに煌と桜に両親にだけは伝えた方がいいと説得され、連絡をしてみた。内心では怒っていたと思うが極めて冷静に話を聞いてくれた。 父親については少し追及された。「ごめん。それだけは言えない」 「相手はこの事を知っているのかい?」 「……」 「遥乃。子供を育てるって言うのは簡単なことじゃない」 「分かってる」 だけど、奏に何て言えばいいの?貴方の子ができましたって?『は?冗談じゃない』『君とは遊びだったんだから』『子供は諦めてくれ』 そう言われるのがオチ。そんな事になったら、私はもう立ち直れない。この世に生きる意味
遥乃は顔を真っ赤に染めながら、奏の『印』を隠そうと服で覆った。恥ずかしいはずなのに、期待が込められた視線を向けてくる。(堪らないな……) 他の連中は知らない、僕だけが知る遥乃の顔。 奏はそっと頬に手を当てると、ゆっくりと顔を近付けた。遥乃は一瞬、戸惑った顔をしたが、僕を受けいるように黙って目を閉じた。 二人の息が重なる。熱く甘い時間…… 遥乃の口から答えは聞けなかったが、なんとなく何を言いかけたのかは分かっている。『それは結婚も?』 正直、遥乃と出会う前までは結婚なんてどうでもよかった。いつものように親の決定にいい返事をして、決められた相手と添い遂げるつもりだった。 だが、遥乃のいない未来なんて考えられなくて……いざとなれば、両親とぶつかる覚悟は出来ていた。 それなのに――……遥乃は僕の前から消えた。 いくら探しても見つからず、心に大きな穴が開いたようだった。それでも、いつものように変わらぬ日常はやってくる。 もう毎日がどうでも良くなっていた奏は両親の決めた大学に進み、言われるがままに医者になっていた。傀儡のような人生だと失笑するぐらいに…… そうなると、次は結婚だ。家柄と容姿に釣られて絡んでくる女性は多くいたが、どうしても付き合う事が出来なかった。(どうせ付き合った所で、相手は決められている) まあ、それでいいと思っていたある日、患者として目の前に現れた柚の姿を見て、忘れていた感情が少しずつ戻ってきていた。 そして……あの日初めて親に反抗した。 腕に抱いた遥乃を目にした両親は不快感を前面に出していたが、構わずその場をやり過ごした。だが、家に帰ってからが大変だった。「奏!どういうことだ!」「どうって、知っての通りだけど?」 実家に呼び出され、言ってみれば怒りを露わにしながら机を叩きつける父親
藤原家は藤原グループとして知らぬ者はいないと言えるほどの名家だ。 奏の勤めている病院も藤原グールプの一つで、奏の父親も有名な外科医で、母親は会社をいくつも経営する敏腕社長だ。 そんな家庭に生まれた奏は、生まれた瞬間から親が決めたレールを歩き続けてきた。 親が決めた習い事をやり、親の決めた学校へ進学し、親の決めた職業へ就いた。 名家と呼ばれる家に生まれた者の運命だと思って受け入れていた。 遥乃に会うまでは──…… 「えぇ?奏くん家って全部親が決めてるの?進学や仕事も?」 「そうだね。生まれた時から僕の人生は決められてる。まあ、うちはこれが普通なんだと思ってる」 ある日の放課後、家に呼んだ時に進学の話になり、つい自分の生立ちを話してしまった。 遥乃は一瞬驚いた表情をしたが、すぐに表情を戻し眉を下げた。「……辛くない?」 「え?」『可哀想』だの『金持ちは違う』とは言われてきたが、僕を心配する言葉をかけたのは遥乃が初めてだった。「あ、ごめんね!奏くんの人生を否定してる訳じゃないの!ただ、自分が本当にやりたい事を見つけた時、親の期待と自分の意思……どっちを取っても辛いだろうな……って」 自分のこと様に語りかける遥乃の言葉を黙って聞き入ってしまった。正直、そんなこと考えた事なかった。というより、本当にやりたい事なんてこれから先見つかる事があるのだろうか……「それに……」と言いかけて「なんでもない」と誤魔化した。「なに?」 「ううん。ごめん、気にしないで」 「そう言われると、余計気になるんだけど」 笑って誤魔化そうとした柚に詰め寄り、壁際まで追い詰めると覆い被さるように壁に手を置き柚を見下ろした。「ねぇ、教えてよ」 「ッ!」 困ったように視線を逸らすが、それすらも許さないと顔を固定され、
「無理よ」 柚の答えを聞き、奏は全身の血の気が引いたように顔を青ざめた。 「や、やっぱり許せない?」 「そうじゃない……これは私の気持ちの問題」 奏の気持ちは分かった。……本当は以前から分かっていたけど、認めたくなかっただけ。だからと言って、元には戻れない。いくら謝ってもらっても、あの時の言葉が私の心に鎖のように絡まって締め付けてくる。 それだけ、あの時の言葉が呪言となっている。 「もう、戻れない、のか?」 「……ええ。ごめんなさい」 絶望したように顔を俯かせる奏。 「愛してるんだ……今も昔も……君だけなんだ」 壊れたおもちゃのように呟く奏に、柚は掛ける言葉が見つからず視線を逸らし「ごめんなさい」と一言残し、部屋を後にした。 パタンと扉の音が聞こえる。それと同時にシーンと静まり返った部屋に嗚咽混じりの声が響き渡った。 *** 次の日、仕事を終えた柚が目にしたのは、自宅マンション前に佇む奏の姿だった。 一瞬、見間違えかと思ったが、柚の姿を捉えて駆け寄って来る姿を見て、本人だと確信した。 「何してるの!?」 「君が僕と戻れないと言うように、僕も君を諦められない」 「え!?」 納得してくれたと思ってたのに違うの!? 「だから、もう一度君に振り向いて貰えるように努力する事にしたんだ」 「はあ!?」 あまりの事に理解が追いつかない。 「何度来ても答えは変わらないわ。無駄な事は止めて」 「そんなのやってみないと分からないだろ?」 奏は一歩も引かない。
泣き疲れて寝てしまった結花の頬を優しく撫でながら「また明日来るね」と伝え、柚はそっと病室を出た。 「柚」 病院の外へ出ると、待っていたかのように奏が立っていた。素通りしようと思えば出来たが、ここは病院の外。行き交う人達のチラチラとした視線が突き刺さる。 ここで言い争いをすれば、明日から注目人物として病院内に広まってしまう。 (仕方ない) あまり気乗りはしないが、結花の為にも逃げてばかりは駄目だと思った。 「……場所を変えましょう?」 柚の言葉に奏は喜び、自分の車まで案内した。 *** 行き着いた場所は、奏のマンション。 部屋に入るのを躊躇ったが「何もしない」と言う奏の言葉を信じて部屋へ上がった。 コトンと淹れたての珈琲が置かれ、そっと口をつける。今まで緊張で強ばっていた体がフッと緩むのが分かった。 「何もなくてごめんな」 「ううん。大丈夫」 向かい合いながら、奏も気持ちを落ち着かせるように珈琲に口を付けた。 「……まずは謝罪させてくれ」 小さく息を吐くと、意を決したように口を開いた。 「君を傷付けた事……一人で全てを抱えさせてしまったこと……本当にすまなかった!」 床に頭を擦り付けそうな勢いで頭を下げられた。その姿を黙ったまま見つめた。 今更謝罪されたとこで過去が変わるわけじゃない。私の気持ちも…… 「信じてくれないかもしれないが、僕は本当に遥乃……君の事を愛していた。いや、今も昔も変わらず君を愛してる。じゃなきゃ7年も君の姿を追ったりしない」 真っ直ぐと濁りのない瞳を向けてくる。「ウ







