LOGIN翌朝、目が覚めてしばらくぼんやりしてると、百合はふと、父の遺言書のことを思い出す。
(私達が追ってる謎も、分かるかもしれない……)
秋明に話そうと思い、着替えてキッチンに行く。一足先に来ていた秋明は、新聞を広げて座っていた。テーブルの上には、トーストとサラダとスープのみ。充分ではあるが、この家にしては質素だ。
「おはよう、秋明さん」
「あぁ、おはよう。双子は用事があって、今日は来ない。朝は作る気しないからこれだけだが、大目に見てくれ」
「まぁ、秋明さんが作ってくれたの? 充分よ」
予想外ではあるが、双子がいないのは都合がいい。あのふたりを信頼していないわけではないが、大事な話をするのに、他の人が家にいると気になってしまう。
いつも通り向かいに座ると、手を合わせて食事をする。毎朝しっかりした食事が続いていたが、たまにはこういう軽食も悪くない。
食事を終えると、秋明をまっすぐ見た。
「最近ドタバタしてて忘れてたけど、母さんから遺書を読み終えた百合は、秋明にどう話すかを整理してから、1階に降りる。リビングから珈琲の香りがした。彼はリビングに居るのだろう。呼吸を整えてからリビングに入ると、秋明は珈琲を飲みながら、ノートパソコンで仕事をしていた。「秋明さん……」 名前を呼ぶと、秋明は百合を見上げる。その目に金への執着や下心などは無く、純粋に百合を心配しているのが伝わった。「どうだった?」「遺書は、まだ秋明さんには見せられない。けど、いつか見せたいと思うわ」「そうか。無理に見せる必要はない。あまり気負うな」 秋明の気遣いが嬉しい。立場は秋明の方が上なのだから、契約だと言って無理やり遺書を見ることもできるのに。「ありがとう、秋明さん。無茶言ってる自覚はあるんだけど、お願いがあるの。あの金庫を、取り返して」「元々そのつもりだ。あれは宝生家のものであって、熊谷家のものでも、ましてや妻夫木家のものでもない。あれはお前が持つべきだ」「秋明さん……」「どう取り返すかは、今考えてるところだ。もう少し待ってくれるか?」「もちろんよ。ありがとう、秋明さん」「そう何度も礼を言うな。俺自身も、ずっと気になってたんだ。祖父母の代であんなに仲が良かった妻夫木家と宝生家に、なにがあったのか。何故あれだけ売上が良かったアレグリアが潰れたのか……」 秋明の覚悟に胸が締め付けられる。あの遺書や、自分達の父の不仲を考えると、妻夫木家が宝生家に何かした可能性だってある。 遺書を抜きにしても、状況的にそう見えなくもない。 そんな中、秋明は真実を明かそうとしている。「私にできることなんて微々たるものだけど、やれるだけのことはやるわ」「無理はするなよ」「お互いにね」 それから百合は、スケジュールを見直した。まだ自信がないため、護身術教室はそのままに、経営セミナーは週に1回に減らし、英会話も少し削った。できた時間は、ジュエリーデザイナーとして必要なことを学ぶために使うことにした。 何から始めるか迷ったが
翌朝、目が覚めてしばらくぼんやりしてると、百合はふと、父の遺言書のことを思い出す。(私達が追ってる謎も、分かるかもしれない……) 秋明に話そうと思い、着替えてキッチンに行く。一足先に来ていた秋明は、新聞を広げて座っていた。テーブルの上には、トーストとサラダとスープのみ。充分ではあるが、この家にしては質素だ。「おはよう、秋明さん」「あぁ、おはよう。双子は用事があって、今日は来ない。朝は作る気しないからこれだけだが、大目に見てくれ」「まぁ、秋明さんが作ってくれたの? 充分よ」 予想外ではあるが、双子がいないのは都合がいい。あのふたりを信頼していないわけではないが、大事な話をするのに、他の人が家にいると気になってしまう。 いつも通り向かいに座ると、手を合わせて食事をする。毎朝しっかりした食事が続いていたが、たまにはこういう軽食も悪くない。 食事を終えると、秋明をまっすぐ見た。「最近ドタバタしてて忘れてたけど、母さんから、父さんの遺言書をもらったの。もしかしたら、何か分かるかも」「まずはお前ひとりで読んで、俺にも見せていいものだと判断したら見せてくれ。アレグリアの謎が分かるかもしれない」「それもそうね。読んでくる」「あぁ」 百合は自室に戻ると、なんとなく鍵をかけ、封筒を開ける。慎重に取り出して開いてみると、ボールペンで丁寧な文字で書かれていた。 百合へ お前がこの遺書を読んでるということは、父さんは百合が幼い頃に死んだんだろう。一緒にいてやれなくて、本当にすまない。 どんな暮らしをしてる? 母さんは、働いた経験がほとんどないから、苦労しただろう。いらない苦労をさせてしまって、申し訳ない。一応母さんにも500万円の遺産を残してはいるが、一生働かずに食っていける額ではないから、大変だったに違いない。 父さんから百合への遺産だが、幼い百合には荷が重いから、母さんには、お前が二十歳以上になってから渡すように言ってある。母さんが忘れてないといいんだが…
「そんなに?」「子供の頃から、英才教育を受けてきたからな。小学2年生の頃には、4年生がするところまで学んでたし、その頃には日常会話くらいは英語とドイツ語でできるようになってた」「私には考えられないわ……」 百合は自分の子供時代を振り返る。勉強は嫌いで、昔からオシャレが好きだった百合は、ファッションやオシャレをテーマにしたアニメに夢中になり、そのキャラクターのイラストを描き続けていた。 こうして振り返ると、実に子供らしい子供時代を送ってきたと思う。「産まれが産まれなんでな。ボンボンなんて、大抵は習い事漬けだ」「お金持ちも大変なのね。子供の頃は、好きなものを好きなだけ買ってもらえて羨ましいって思ってたけど」 百合の発言に秋明は吹き出す。「一般人からすると、そういう認識か」「実際はどうだったの?」「うちは特殊だから、あまり参考にならないと思うが、父が教育パパだったんでな。色々面倒だった。 例えば、チョコを食べたいって言ったら、スーパーで売ってるようなチョコと、高級チョコをひと口ぶんずつ出して、どっちが高級品か当てさせられた」「えぇ、なによそれ……」 予想の斜め上のエピソードに、つい口を挟む。秋明は当時を思い出しているのか、なんともいえない顔で笑う。「外したら全部没収されるから、なんとか味を覚えて当てられるように努力した。父は俺に、こうやって一流の味を覚えさせてきたんだ」「なんというか、大変だったわね」「まぁな。当時は恨んだが、おかげで食事で恥をかかずにすんでる」「遊びに連れて行ってもらうことってなかったの?」「母は遊園地や動物園に連れて行ってくれたが、父が連れて行った先はパチンコ屋だとか、競馬とか、賭け事をする場所ばかりだった」「なんで!?」 気まずくなって話題を変えてみたが、こっちはこっちでなかなか強烈なエピソードだ。「反面教師だよ。努力を怠るとこんな底辺になるってな」「あぁ……。にしても、よく入れ
「思えば、お互いを知ろうとする時間なんてなかったな」 食事を終えると、秋明がぽつりと呟く。「そうね。期限付きの契約結婚だから、お互いを知る必要がないって思ってたわ」 百合は答えながら、契約した時のことを思い出す。あの時に色々聞かれたが、あくまでも生活に必要なことであって、愛し合うためにお互いを知ろうとはしていなかった。「あぁ、俺もだ。だが、そうでもないらしい。今日は大事な商談もない。少し、話そうか」 それは秋明からの初めての歩み寄りに思えた。気遣ってくれたことはあるが、互いに理解しようとする機会はほとんどなかった。 好きな色や食べ物。趣味、幼少期の思い出などを語り合う。 ぽつりぽつりと、降りはじめの雨のようにぎこちなかったが、同い年ということもあり、会話は次第に弾んでいく。「ねぇ、この後デートしましょうか。お金があんまりかからない、普通のデート。映画を見て、感想を言い合いながらアイスでも食べるの」「学生みたいなデートだな」 呆れ返ったように言うが、突き放したような印象はなく、むしろ愛おしそうに百合を見ていた。「嫌?」「嫌じゃない。正直言うと、そういう放課後デートに憧れてた時期があった」 秋明は恥ずかしそうに頬をかきながら言う。完成された妻夫木秋明しか見ていないせいか、彼にも学生時代があったということが信じられないというか、しっくり来ない。「意外ね。そういうの、馬鹿にする人かと思った」 百合が率直な感想を述べると、秋明は不機嫌そうに目を細めた。「お前は俺を、血も涙もない冷血漢とでも思ってるのか? 俺だって人間だったし、当時は皆と同じ未熟な学生だった。習い事やらなんやらで、放課後に恋人や友達と遊ぶのは、憧れだったんだよ」「じゃあ、その憧れ叶えましょうよ」「あ、おい!」 百合は秋明の手を引き、ホテルから出る。秋明は驚きながらも、大人しくついてくる。「まずは映画ね」「意外と強引なところがあるんだな」 秋明は困ったように笑う。「たまにはいいでしょ」「まぁ、いいが……」 ふたりは映画を観て、その後カフェで軽食を取りながら感想を言い合う。「なるほど、これが金をかけないデートか。リーズナブルな割には、満足感がある」 キリの良いところまで話すと、秋明が感慨深そうに言う。「もっと学生デートみたいなこと、してみる?」「なにをする
「ごめんなさい……。私、泳げないの……」 そんなこと言っている場合ではないと分かっているが、子供の頃に溺れた記憶がフラッシュバックして進めない。「なら、俺がお前を岸まで連れてく」 秋明は上半身裸になると、百合を強く抱きしめて飛び込んだ。 海面に叩きつけられた直後、全身が沈む。息を止める間もなく飛び込まれ、口や鼻に海水が入ってしまう。(怖い!) 秋明にしがみつくと、顔が海面から出た。空気を必死に取り込みながら、咳き込みながら海水を吐き出す。「俺に捕まってろ!」 返事をする余裕などなく、秋明にしがみつく。秋明は片手で百合を抱き、もう片手で水をかき、岸を目指す。「秋明様、奥様! こちらです!」 岸辺では、紫苑が大きく手を振っていた。彼は秋明に向かって港に常設してある発泡スチロール製の浮き輪を投げる。秋明は浮き輪に捕まると、百合を見る。「お前もつかめるか?」「え、えぇ……」 片手で秋明にしがみついたまま、もう片方の手で浮き輪を掴む。秋明が紫苑に合図をすると、紫苑は浮き輪についているロープを引っ張ってくれる。「大丈夫ですか?」「先に百合を引き上げてくれ」「分かりました。奥様、掴んでください」「紫苑……」 紫苑の伸ばされた手を掴むと、彼は百合を引き上げる。秋明も百合のおしりや足を押して岸にあがるのを手伝ってくれた。 秋明は自力で上がると、百合を抱き寄せる。ひんやりした胸板の奥では、心臓が激しく脈打っていた。「生きてる……」「あぁ、俺達は生きてる……」 互いのぬくもりに生を感じ、安堵するが……。「くしゅっ! うぅ、寒い……!」「どうぞ」 紫苑はふたりの肩に大きなバスタオルをかけてくれる。
「どうしよう……」「風呂とトイレに窓があるか確認するぞ」「そうね、やれることはやらないと」 ふたりで浴室に入ると、地面が揺れた。それと同時に電気が切れる。「地震!?」「いや、コンテナを運んでるようだ……」 外からは重機と思われる音がする。クレーンかなにかがコンテナを持ち上げているのだろう。『海に沈めてやる』 矢絃の嘲笑う声が聞こえた。近くで荒い息遣いも聞こえてきて、秋明に触れてみる。いつも堂々としている秋明が震えているのが分かる。「秋明さん?」「すまない……。暗くて狭いところに、トラウマがあってな……」 彼はなんとか深呼吸をして落ち着こうとする。だが震えは収まりそうにない。 百合は矢絃の言葉を思い出した。彼は食料と水があると言っていた。もしそれが本当なら、この状況をマシにできる。「待ってて!」「待て、行くな!」「大丈夫、すぐ戻るから!」 百合はスマホのライトをつけ、冷蔵庫まで行く。それを見た秋明も、スマホのライトをつけて落ち着こうとする。 冷蔵庫にはペットボトルに入った水が2本、ビールが2本。コンビニのパンと、ケーキの箱。 百合はスマホをライトが上になるようにして置き、その上にペットボトルを置く。水に光が反射して明るくなる。「これで少しは違う?」「あぁ、すまない……。情けないところを見せてしまったな」 秋明は力なく笑う。「誰にでも苦手なものはあるわ。それを恥ずかしがる必要なんてない」 秋明を安心させようと笑いかけると、百合は軽く彼の背中を擦ってから立ち上がった。 百合は冷蔵庫に戻ると、ケーキの箱を開けた。中には小ぶりのホールケーキとドライアイスが入っていた。ケーキに乗った板チョコには「天国行きおめでとう」の文字。(どこまでもふざけてるわね) 天国行きを否定するかのようにチョコをかじると
ビルから出ると、リムジンが停まっていた。ボディガードのひとりがドアを開ける。秋明は何食わぬ顔でリムジンに乗ると、困惑しながら立ったままの百合に目を向ける。「何ぼさっと突っ立ってるんだ。はやく乗れ」「え、えぇ……」 おずおずとリムジンに乗り、百合は目を見開く。L字型をした革張りの座席があり、その向かいには小さなバーカウンターを想起させるテーブルがある。小型の冷蔵庫と食器棚もあり、食器棚の中には高そうなグラスが並んでいた。「お前は俺の隣に座るんだ」「分かったわ」 少し距離を作って座ると、秋明はあからさまに不機嫌になる。どうしたらいいか分からずにいると、秋明は距離を詰め、百合の肩に手
百合は疲れ切った顔で家に帰る。あの後、秋明と情報を共有していて遅くなってしまった。彼は百合が矢絃の家に住んでいると知ると、新しい家を用意するからすぐに出られるようにしろと言っていた。 これは百合にとって嬉しい話だ。1秒でもはやく、この家から出たいと思っている。(色々話したいけど、母さんはもう、寝てるだろうな……) 腕時計を見ると、もう12時になろうとしている。早朝から仕事がある母はきっと寝ているはずだ。(私も、シャワー浴びてはやく寝よう……) 自室に戻ることを考えながら玄関の前に立つと、ドアが開いた。「母さん……!」「おかえり、百合」 パジャマにカーディガンを羽織った母・藤
百合は秋明のオーラに圧倒され、言われるがままにキスをしてしまう。「あの女、妻夫木さんにキスをしたぞ!」「どういうことなの!?」 会場はどよめき、矢絃とマキは呆然としている。秋明は更に百合を抱き寄せ、人々に振り返る。「この女性は宝生百合といって、最近噂になっている高級ブランドのデザイナーであり、俺の婚約者でもある。そこの副社長のストーカーなどしていない」 秋明の言葉に、会場は更にどよめく。百合は何がなんだか分からず、固まっている。「なんだ、お前は! コイツに何をした!? お前もお前だ! 男だったら誰でもいいのか? このアバズレが!」 顔を真っ赤にして怒った矢絃が、ふたりの間に割
晩餐会当日、高級ホテルにあるきらびやかな会場には多くのセレブがいる。百合は暗い気持ちで壁の花を決め込む。 成功したデザイナーとはいえ、セレブの仲間入りを果たしたわけではない。矢絃がいなければ、このような場にはいられないだろう。(こんなところ、願い下げよ) 百合は矢絃から送られてきた日程を伝えるメールを思い出し、心の中で吐き捨てる。メールには日時と会場と、「本来はお前ごときが参加していい場ではない。晩餐会に出られること、感謝するんだな」という一文が添えてあった。 あれから矢絃はマキの家にでも転がり込んでいるのか、帰ってこず、母の藤子と数人の使用人と奇妙な同居生活をしていた。 藤子に







