【怪体新書】〜民俗学者、異世界で本物と出会う〜

【怪体新書】〜民俗学者、異世界で本物と出会う〜

last updateLast Updated : 2026-09-15
By:  可和Updated just now
Language: Japanese
goodnovel12goodnovel
Not enough ratings
5Chapters
5views
Read
Add to library

Share:  

Report
Overview
Catalog
SCAN CODE TO READ ON APP

怪異を解体し続けた老学者は、転生した先で――本物に出会った。 この物語は、予告するべきではない。 神秘とは、解き明かされた瞬間に死ぬからである。 ――生涯をかけて怪異を解体し続けた、民俗学者・木崎数史郎。 八十八年の退屈の果てに息を引き取った彼が、次に目を開けたとき。 そこは、異界であった。

View More

Chapter 1

【退屈な絶命】

 死とは、古い和紙を一枚、また一枚と剥がしてゆくのに似ていた。

 視覚。聴覚。触覚。

 世界と私とを繋いでいた感覚の膜が、音もなく剥がれ落ちてゆく。

 *

 平成十二年、晩夏ばんか

 岐阜県の、とある病院の一室。

 シーツは汗でぬるく、首筋に張りついたまま剥がれない。

 窓の外で、法師蝉ほうしぜみが鳴いている。

 あれが鳴き止めば、夏も終わるのだろう。

 木崎数史郎きざきすうしろう、八八歳。

 私は病床に横たわり、自身の肉体がただの物体へと還元されてゆく様を、他人事のように観察していた。

 「……先生。先生、聞こえますか」

 水底から響くような声が、鼓膜を揺らした。

 最後の弟子の、高村だ。

 四十を過ぎてなお抜けきらぬ学生じみた顔が、涙で無様に濡れている。

 「……泣くな、高村。観察の邪魔になる」

 喉から漏れたのは、枯れ木の擦れるような音であった。

 高村は泣き笑いの顔で、骨と皮ばかりの私の手を強く握りしめた。

 熱い手だ。

 脈打つ血の流れ。生きた肉の熱。

 その生の熱が、今の私には少しばかり疎ましく、そして、ひどく羨ましかった。

 「先生、原稿……。『現代怪異総論』の最終章、校了しました。ご口述の通り、一字一句、違わずに」

 「そうか」

 「最高傑作です。これで、この世に満ちるあやかしの正体を、全て綴り終えました。先生は、何もかもを、ただの事実と歴史に書き換えられたのです。……もう、不思議は一つも残っておりません」

 一つも残っていない、か。

 高村の、涙混じりの宣告。

 それが、胸の奥の空洞に、からん、と乾いた音を立てて落ちた。

 目を、閉じる。

 幼い頃、私は誰よりも妖怪が好きだった。

 押入れの闇には何かがいると信じ、夜更けに練り歩く百鬼夜行へ、震えるほどの憧れと恐れを抱いていた。

 だが――

 私は、なぜ。

 瞼の裏で、何かが、鳴き始める。

 数十年前。

 四国の、深い山奥。

 犬神憑きの村があった。

 むせ返る真夏の緑の匂いと、耳鳴りのする蝉時雨せみしぐれの中。

 私は、憑き物筋として村八分にされ、生きながら葬られた人々の血筋と暮らしを、徹底して洗い出していた。

 求めていたのは、真実ではない。

 理屈の通じぬ、本物の「呪い」の存在証明であった。

 人を狂わせ、血を吐かせ、村を恐怖の底に突き落とす――そんな「目に見えぬ犬の化け物」が、この日本の影に確かに潜んでいるのだと、この目で観測したかった。

 だが、真相は、陳腐で救いようのない、人の事情に過ぎなかった。

 地下水脈から滲み出る、微量の重金属の毒。

 近親婚を重ねた末に、血へと刻み込まれた心の病。

 そして何より、ひと握りの者が村の富を独占し、民の不満をそらすために仕立て上げた、差別の構図。

 それらが絡み合い、犬神という集団狂気の幻影を生み出していたに過ぎなかった。

 私は集会所に村人を集め、分厚い調査報告書を叩きつけた。

 お前たちの恐れる呪いなど、ただの鉱毒と人の悪意に過ぎぬ――そう、白日の下に晒した日のことを、今も鮮明に覚えている。

 『先生……っ、ありがとうございます……』

 憑き物筋として石を投げられ続けた青年が、泥だらけの土間に這いつくばり、私の足にすがって号泣した。

 『これで、俺たちは自由になれる……。妹も、ようやく嫁に行けます……。先生は、俺たちの恩人だ』

 青年団の若者たちが次々と頭を垂れ、歓喜の涙を流していた。

 社会のものさしで測れば、私は村の因習を打ち破った英雄だったのだろう。

 だが、若者の熱い涙に足袋を濡らされながら、胸を満たしていたのは、底のない失望だけであった。

 嗚呼ああ

 ここにも、化け物は、いなかった。

 白日の下に晒したのは、正義などではない。

 ただ、退屈な事実だけだ。

 人助けなど、どうでもよかった。

 狂喜する若者たちの輪から、ひとり外れた部屋の隅。

 村人の恐れを煽り、長く供物を巻き上げてきた祈祷師の老婆が、濁った目で私を睨んでいた。

 その横を通り過ぎようとして、節くれだった手に着物の袖を強く掴まれた。

 線香の匂いの染みついた、老婆の口が動く。

 『お前様は……神を殺したんじゃ』

 老婆の歯の隙間から、呪詛が漏れた。

 『綺麗な蝶の羽を、むしり取ってのう。ただの薄気味悪い虫けらに、変えてしもうたんじゃ。……この先、お前様の世界には、羽のないウジ虫しか、這うておらんよ』

 その一言は、どんな呪いよりも深く、私の芯を射抜いていた。

 老婆の、言う通りであった。

 羽のない、虫けら。

 私がこの世に為したのは、つまるところ、それであった。

 知ろうとすればするほど、ただ、其処に何もないことだけが露わになる。

 中身など、無かったのだ。

 薄れゆく意識の中で、私は静かに独りごちる。

 心電図が、長く尾を引く音を立て始めた。

 ――それは、すべての謎を解き明かした勝利のファンファーレであり、同時に、生涯をかけてなお本物に出会えなかった、敗北の弔鐘ちょうしょうだった。

 「つまらない、人生であった」

 私は、執着の筆を、静かに置いた。

Expand
Next Chapter
Download

Latest chapter

More Chapters
No Comments
5 Chapters
【退屈な絶命】
 死とは、古い和紙を一枚、また一枚と剥がしてゆくのに似ていた。  視覚。聴覚。触覚。  世界と私とを繋いでいた感覚の膜が、音もなく剥がれ落ちてゆく。  * 平成十二年、晩夏。  岐阜県の、とある病院の一室。  シーツは汗でぬるく、首筋に張りついたまま剥がれない。  窓の外で、法師蝉が鳴いている。  あれが鳴き止めば、夏も終わるのだろう。  木崎数史郎、八八歳。  私は病床に横たわり、自身の肉体がただの物体へと還元されてゆく様を、他人事のように観察していた。  「……先生。先生、聞こえますか」  水底から響くような声が、鼓膜を揺らした。  最後の弟子の、高村だ。  四十を過ぎてなお抜けきらぬ学生じみた顔が、涙で無様に濡れている。  「……泣くな、高村。観察の邪魔になる」  喉から漏れたのは、枯れ木の擦れるような音であった。  高村は泣き笑いの顔で、骨と皮ばかりの私の手を強く握りしめた。  熱い手だ。  脈打つ血の流れ。生きた肉の熱。  その生の熱が、今の私には少しばかり疎ましく、そして、ひどく羨ましかった。  「先生、原稿……。『現代怪異総論』の最終章、校了しました。ご口述の通り、一字一句、違わずに」  「そうか」  「最高傑作です。これで、この世に満ちる怪の正体を、全て綴り終えました。先生は、何もかもを、ただの事実と歴史に書き換えられたのです。……もう、不思議は一つも残っておりません」  一つも残っていない、か。  高村の、涙混じりの宣告。  それが、胸の奥の空洞に、からん、と乾いた音を立てて落ちた。  目を、閉じる。  幼い頃、私は誰よりも妖怪が好きだった。  押入れの闇には何かがいると信じ、夜更けに練り歩く百鬼夜行へ、震えるほどの憧れと恐れを抱いていた。  だが――  私は、なぜ。  瞼の裏で、何かが、鳴き始める。  数十年前。  四国の、深い山奥。  犬神憑きの村があった。  むせ返る真夏の緑の匂いと、耳鳴りのする蝉時雨の中。  私は、憑き物筋として村八分にされ、生きながら葬られた人々の血筋と暮らしを、徹底して洗い出していた。  求
last updateLast Updated : 2026-09-15
Read more
【予備】
――無、では、なかった。 意識が切れたと思った、次の瞬間。 奇妙な浮遊の中に――私は、いた。 肉体は、ない。 視覚も、ない。 だが、私という核だけが。 冷たく透き通った虚無の中を溶けもせず漂っている。 脳が止まった後も、なお在る、この核とは何だ。 死してなお消えぬ意識の残滓か。 それとも魂と呼ぶべき何かか。 ならばここが、いわゆる霊界と呼ばれるもの、だろうか。 だが、宗教めいた飾りは一切なかった。 三途の川も、お花畑もない。 あるのは、途方もない量の何かが流れ渦巻く、その奔流のみ。 地鳴りのような音が四方八方から響き、光の粒が明滅しながら川のように流れていく。 誰かの、記憶。 未練。 歴史の、断片。 柳田の常民概念に通底するような、『集合的無意識』の海。 その概念に、極めて近かった。 私は奔流に呑まれまいと、必死に自己の輪郭を保つ。 この無機質な流れに溶け、モノへと還元されるなど、あってはならぬ。 ——私は、木崎数史郎だ。 まだ何一つ、満たされていない。 その時。 奇妙な匂いが、漂う。 思わず、在るはずのない鼻がひくつく。 それは生前、いかなる採訪でも、ついぞ嗅げなかった匂い。 濃い、獣の臭気。 鉄錆のような、血の匂い。 そして、もっと根の深い、培ってきた理を真っ向から拒む、知り得ぬものの香り。 ――いるのか。 魂が、歓喜に震えた。 探し求め、殺し尽くし、それでもなお出会えなかった『本物』が。 ズズッ。 不意に、凄まじい引きの力を感じた。 虚無の底の、底から。 何かが私を選び、手繰り寄せている。 まるで底知れぬ巨大な何かが、私の匂いを嗅ぎつけ、ねっとりと舌を這わせ、すくい上げようとするかのような。 離せ――いや。 離すな。 私は、矛盾した叫びを上げた。 だが、抗う力など端から意味をなさなかった。 引きずり込まれる。 ぐるぐると回りながら、堕ちていく。 堕ちていく、その最中。 一瞬だけ、何かを見た。 闇の奥に広がる、いびつな紋様を。 六角。 いや、あれは。 網、か。 世
last updateLast Updated : 2026-09-15
Read more
【零歳:望まれぬ出生】
泣き喚く声が、自分のものとは思えぬほど遠くに響いていた。 鉛のように重い瞼を、辛うじて押し上げる。 ――古風な、日本家屋の天井板であった。 だが、何かが違う。 木目が黒ずみ、異常なほどの湿気を吸って膨張していた。 皮膚の表面には絶えずじっとりとした水滴が結露している。 身体は分厚い布に幾重にも包まれ、手足の自由が全く利かない。 己が今、無力な赤子という器に収まっているのだと本能が理解する。 拘束衣にも似た産着の中で身じろぎ一つできぬ無力感は、精神が大人であるがゆえに、かえって焦燥を煽り立てた。 ふと、視界の端が翳る。 天井の薄暗い木目を遮るように、女が覗き込んできた。 先ほどの声の主だろうか。 その見下ろす眼差しに、我が子の誕生を慈しむような光は感じられなかった。 ――なるほど。予備、か。 脳裏に、冷ややかな諦観が通り過ぎる。 この美しくも空虚な女の瞳を見た瞬間、私は産声を上げることを放棄し、ピタリと口を閉ざす。 ここで己の存在を不用意に主張すれば、私を予備と断じたこの女に「不要なもの」として処分されかねぬ。 代わりに、微かに動く眼球だけを必死に巡らせ、この場の情報収集に努めた。 部屋の調度品、行灯の形状、女の着物の様式は、江戸時代後期のそれに酷似していた。 文明は、少なくとも現代の科学が支配する世界ではないのだろう。 ――視線を、ずらす。 部屋を仕切る重たい襖が視界に入った。 染め抜かれた、家紋。 それを見た瞬間、私の眼は釘付けとなった。 六角形の雪の結晶の中に、笹の葉があしらわれた意匠。 紋章学的に分類するならば、「雪輪に笹」と呼ばれる風流な家紋である。 雪の結晶は豊穣の兆しであり、笹は冬の寒さにも耐える生命力を表す。 一般的な武家や商家であれば、縁起物として好んで用いるだろう。 だが、人生の大半を怪異の解明に費やしてきた眼が、その装飾に潜む欺瞞を告発する。 違う。 雪輪などではない。 あの六角形は、自然界の雪の結晶にしては、線があまりにも有機的で、粘着質すぎる。 あれは――網、か。 そして、内側に描かれた笹の葉に見える鋭利な曲線。 恐らく植物の葉脈ではない。 獲
last updateLast Updated : 2026-09-15
Read more
【二歳:夜の帳】〜節穴〜
その戦慄を胸の奥深くに秘めたまま、私は二年の歳月を生きた。 観れども、声には出さず。 思えども、面には出さず。 乳を含み、湯に浸かり、襁褓を替えられながら――私はただ、この家の輪郭を描き上げていった。 そして。 この体も、ようやく二本の足で立つことを覚えつつあった。 * 私に与えられた名は、「半兵衛」という。 竹中 半兵衛。 初めてその名の音と文字の連なりとを解した時。 揺り籠の中で、戦慄と苦い笑いを抑えられなかった。 ただの、偶然か。 生き延びるための策を企てねばならぬというに、よりにもよって、この名とは。 だが今は、名のことよりも考えねばならぬことがあった。 私を取り巻く、この屋敷に住まう人の有り様について。 ——ある日のことだ。 私は廊下で転び、膝から血を流した。 通りかかった奉公人の厳蔵は、うつろな目で一瞥をくれただけで、無言のまま通り過ぎた。 次いで現れた母・篝火は、私の流す血よりも床板に落ちた染みを不快そうに見下ろし。 『すぐに、拭き清めなさい。神聖な屋敷が、穢れます』 二歳の私に向かって、そう言い残し、去っていった。 ただ一人。 篝火の目を盗み小走りに駆け寄って、傷口に小さな袖を押し当ててくれたのは。 四つになる姉、ササメであった。 竹中 ササメ。 この娘だけが狂った中に於いて唯一、人らしい揺らぎを残しているように見えた。 しかし。 その揺らぎすらも、多分に歪みを含んだものではあったが。 昼の姉は四つの童とは到底思えぬほどに自らを律し、まるで篝火の写しのように振る舞う。 なのに、私が覚束かぬ足取りで暗い廊下を行くと。 ササメはいつも小走りに寄ってきて、こう言うのだ。 『半兵衛、あぶないよ。こっち』 私が転ばぬよう、その手を柔らかく握る。 小さな掌から伝わる、その温みだけが――この屋敷で人がまだ人である、ただ一つの確かな印であった。 * 深夜。 私は重い木綿の布団を跳ね除け、目を覚ました。 竹中の屋敷は夜になると、その貌を変える。 昼のあいだは、奉公人た
last updateLast Updated : 2026-09-15
Read more
【二歳:夜の帳】〜観測〜
その言葉の真意を解そうとした――まさに、その時。 ――ズルリ。 雨戸の、向こう。 先ほどまで覗き込もうとしていた、板一枚隔てた、すぐ側で。 重いものが、板を擦りながら這っていく音がした。 風では、ない。 獣の足音でも、ない。 濡れた雑巾の束を引きずるような、摩擦の音。 ズルリ……ズルリ。 その『何か』は、ゆっくりと縁側に沿って動いていく。 そして、私が覗こうとしていた節穴の真正面で。 ぴたり、と、止まった。 ヒュッ、と、ササメの喉から、息の漏れる音が鳴る。 姉は私の頭を胸に抱え込み、亀のように床へ|蹲《うずくま》った。 肋骨が軋むほどの鼓動が、私の背に直に響く。 スゥー……スゥー……。 ――聞こえた。 節穴の向こうから、空気を吸い込む音。 ただの呼吸ではない。 獲物を品定めするような、吸う音。 私の鼻にも、その穴を通って匂いが届く。 古井戸の腐れ水のような。 そして、噎せ返るほど甘い、線香の匂い。 ――ガリッ。 不意に、雨戸を鋭いもので引っ掻く音。 心の臓が跳ね上がる。 板一枚はさんで、得体の知れぬ何かがいる。 ポタッ、と、一滴。 黒々とした鼻血が、ササメの手の甲へ落ちた。 育ちきらぬ頭が、限界を訴えたのだろう。 (姉上は……気づいて、いない) 永遠とも思える、息を止めた数瞬。 ――やがて。 ズルリ……ズルリ……。 気配が、動いた。 重い腹を引きずる音が、少しずつ遠ざかっていく。 だが――間を置いて、ズルリ、と、また一度。 まるで、こちらの様子を窺うような。 あるいは、名残惜しそうに立ち去りかねているような。 息を止めたまま、幾つ数えただろう。 十を数え、二十を数え。 やがて、音は完全に途絶えた。 それでも、私の口を塞いだ両手は白くなるほどに押しつけられたまま。 「……あえうえ」 かすかにもがくと、姉は慌てて力を緩めた。 堰を切ったような、深い息が漏れる。 「……行った……。もう、いない……」 ササメはその場にへたり込み、震える手で顔を覆った。 指の隙間から、こらえきれぬ嗚咽が漏れ出す。 「怖かったぁ……。うぅ、怖かったよぉ……」 私は呆然と、その横顔
last updateLast Updated : 2026-09-15
Read more
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status