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第3話

Author: アイスクリーム
退院した二日目が寛人の母親、時任薫(ときとう かおる)の誕生日だった。

結月は二度と時任家と関わりを持ちたくなかった。しかし、薫は誕生日会に来るように、何度も結月にお願いをしたのだ。結月がいなければ、誕生日会を開く意味もないと言っていた。

薫は小さい頃から結月に優しかった。結月の両親が亡くなった後も結月を自分の娘みたいに接してくれたのだ。

それに、婚約解消のことも確かに寛人の両親にしっかり話すべきだと結月は思った。

情にもろい結月は結局薫のお願いに応じることにした。

薫はにぎやかなのが好きだから、誕生日会は盛大に開かれた。

時任家の大邸宅に入った結月はすぐに何をするのも不便そうにしている寛人や彼の身体を支えている澪が見えた。澪は非難するような口ぶりで言った。「寛人ったら、私を守るために命がけになっちゃって。

結月こそが寛人の婚約者なのに。こんなことをしたら、結月を怒らせてしまうよ」

二人の周りにいる招待客たちはみんな気まずそうな顔をして、屋敷に入ってくる結月の様子をうかがっていた。

寛人も結月の姿が見えた。彼は澪を振り払って結月に話しかけようとしたが、結月が自分に目もくれないで、一人で隅っこへ歩いていくのを見て、くっついてくる澪は好きなようにさせて、自分はまた座り直した。

二人の共通の友達は見過ごせなくなり、寛人を責めた。「寛人はもうすぐ結月と結婚するだろう。こんなことをしたら結月は悲しむぞ!」

寛人は結月を一瞥して、鼻で笑った。「結婚?俺はもうあいつにふられたよ。結婚なんてもうしないよ」

その一言が波紋を呼ぶことになった。

年配者たちまで寄ってきて、結月に事情を尋ねだした。

「二人は生まれた時から離れたことがなかったでしょう。どうしてここまで喧嘩することになったの?」

「寛人は生死の境に、自分の命をかけて結月を守ってあげたでしょう。結月も、寛人にお守りをもらうために、9999段もある階段を一段上るたびに頭を地面につけて神様に敬意を表すようなことまでできたのよ。何があってもちゃんと話し合えばきっと和解できるわよ」

「そうよ。ここ容阪には二人ほど仲良しな幼馴染はいないよ。誤解があったらすぐに解いたほうがいい!」

結月は澪が首につけているお守りを見て、目をそらした。

それは寛人が交通事故にあった後、神様に守ってもらうために、階段で9999回も頭も地面につけて神様に拝んで手に入れたものだ。

その後、結月は三ヶ月もまともに歩けなかった。

あの時、寛人もお守りや自分の命を大事にして、絶対に結月を裏切らないと約束した。

それが今は……

結月は自嘲する笑みを浮かべた。

寛人は自分の命を澪にあげた。お守りまであげてしまった。

二人の過去は、今澪を目の前にすると全く価値のないもののようだ。

まだ説得してくる人に、結月は優しい声で言った。「喧嘩じゃないんです。私達はもう別れましたから。婚約の印になっている物も返してしまったし」

薫がそれを聞いて、ハイヒールを履いた足で駆けてきて、寛人の耳をつねり、結月に謝るように促した。

しかし、寛人はただ黙ったまま結月をじっと見つめた。

結月は注目される中心でいるのが嫌になって、一息入れるために、ドレスの裾をつまんで屋上にあるガーデンに行った。

澪もすぐについてきた。

澪は手を手すりについた。寛人が買ってあげたピンクダイヤモンドが彼女の指の上で輝いている。

結月は目をそらして、離れようとしたが、澪に腕を掴まれてしまった。

澪は敵意を隠そうとしなかった。「叔母さんはあんたに肩入れをしてるんだから、すごくイイ気分でしょ?」

結月は眉をひそめて、澪を振り払おうとした。

しかし、澪はその手にさらに力を込めた。「叔母さんがあんたの肩入れをしたのは、あんたのお母さんのおかげよ。でも残念、あんたの両親は若くして死んだわよね。人が死んだ以上、その情なんて何年かしか持たないわよ。

私が寛人と付き合えば、叔母さんはあんたのために自分の息子を敵に回したりしないはずよ」

パシンッ!

結月は一瞬でカッとなって、澪の顔を叩いた!

ほかのことならどうでもよかった。

しかし亡くなった両親のことだけは、どうしても我慢できない。

澪は口の端に少し笑みを浮かべて、顔を覆って後ろにいる寛人に駆け寄って泣き出した。「寛人に怒らないでと彼女に言っただけなのに。伊東さんは私には関係ないし、伊東さんにとって寛人は大した存在じゃないって言うのよ」

寛人は一瞬にして暗い顔になった。「結月、謝れ」

結月は自分を嘲笑うかのように笑みを浮かべた。昔、寛人もこんなふうに自分を守ってくれていた。しかし、今は他の人を守るようになってしまった。

これ以上騒ぎを起こすつもりはなかったので、結月は二人を一瞥して、その場を離れようとした。

しかし、寛人は骨が砕けそうな力で結月の腕をしっかりと掴んだ。

結月は彼を見て、一言一句はっきりと述べた。「私がその女を殴ったのは、彼女が私の両親が若くして死んだと言ったからよ。あんたについては、そうね、事実も知らず、その女の味方になる人なんて、私にとって大した存在じゃないのよ」

そう言って、結月は寛人の指を一本ずつ引き離し、その場を去っていった。

階段を降りる時、結月は耐えられず、ポタリと涙を流した。

寛人には結月のことが嫌いな従妹がいて、同じ手段を使っていた。

しかし、あの時の寛人は迷わず結月を信じてくれた。

結月の潔白を証明して、真相がわからない年配者たちに誤解されないように、監視カメラ映像まで調べてくれたのだ。

しかし今、寛人は何も聞かず、澪を信じた。

結月は手を強く握りしめて、涙をこらえた。

結月は早めに帰りたくて、薫に別れの挨拶をしに行った。しかし、誕生日会が終わった後に一緒に話がしたいと薫にお願いされてしまったのだ。

薫はずっと自分を実の娘のように接してくれたから、結月は拒む言葉を口に出せず、静かなところで一人で待つことにした。
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