تسجيل الدخولだが、父の奮闘もむなしく、俺の刑は確定した。 正確には、父が奮闘する隙もなく、兄が父を下剋上してしまったらしい。 牢内でいまいち情報が掴めずにいたが、裁判で引っ張り出された時に、俺の弁護士と名乗る人物が現れた。 無能で、弁護なんてする気が微塵もないおっさんは、自分は侯爵家に雇われたと言ったが。 雇った〝侯爵〟がスチュアート……つまり兄の名前だったことで、父が隠居させられて、領地に幽閉されたことを知った。 兄は、俺の無罪を証明する気なんてなかった。 世間も〝侯爵家のオメガが嫉妬で神子様を迫害〟という話題のほうが面白いから、そっちを支持した。 そうして、俺は本当に隷奴へと落とされた。 北の開拓地は、荒涼とした景色が広がるなにもない土地で。 夏は短く、常に寒風が吹きすさび、作物が実らない場所だ。 重犯罪や政治犯といった、なまじアルファなだけに下手な牢獄に入れておくと、いろいろ禍根になりそうな者が送られてきている。 そしてそこで、俺は初めてのヒートを味わった。 この世界に転生してから、経済的にも周囲の愛情的にも満たされた環境で育ってきた俺は、抑制剤を切らしたことなどない。 王妃様と抑制剤がどれほどまずくて、飲むと体調を崩すかについて話をしたが。 ここにきて、それでも絶対に飲めと言われた理由がわかった。 全身が熱くなり、手足が震え、目の前が霞む。 しかし本当に恐ろしいのは、ヒートそのものではない。 オメガから溢れ出るフェロモンによって、理性を失い、本能に駆られたアルファたちだ。 隷奴のオメガには、それぞれに粗末な掘っ立て小屋があてがわれているが。 入口に筵が下がっているだけのその小屋に、獣と化したアルファがこぞって押しかけ、小さなオメガの体を奪い合うように貪り、蹂躙していく。 オメガ自身も、ヒートによって熱に狂い、自ら身を投じる。 その暴力と狂乱を、俺はまるで、自身の魂が幽体離脱したかのような感覚で、ぼんやりと天井から状況を見下ろしていた。 そし
地下の石牢に、父の侯爵と兄のスチュアートが面会に来た。 本来なら、神子を害した重罪人に面会なんて難しいのだが、牢番に相当な金を握らせたらしい。「父上!」「おまえがそんなことをするはずがないと信じている!」 鉄格子の隙間から俺の手を握った父はそう言ってくれたが、兄は一歩離れたところから俺を冷たく見下ろしていた。「本当に……、神子様になんの無礼も働いていないのだろうな?」 幼い頃から、微妙に俺を煩わしそうに扱っていたスチュアートは、ここにきてそれを全く隠す気がなくなったらしい。「確かに私は神子様と同学年ですが、クラスも違います。ほとんど、口を利いたこともありません」「だが、廊下や裏庭で、おまえが神子様を詰っている姿を見たという報告が入っている」「私は、王妃教育を受けるために、学園の授業以外の時間のほとんどを王宮で過ごしています。私の友人に聞けば、それはすぐにもわかります」「おまえの友人など、おまえのために嘘を付くに決まっているだろう」「ならば、同じことが神子様の信奉者にも言えるのでは?」 言い返すと、兄は顔を赤くして鉄格子越しに俺を突き飛ばした。「やめなさい!」 父が兄を叱責する。「家族のおまえがマシューを信じなくてどうするんだ!」「こいつはランディが神子様に気持ちを移したことに嫉妬して、神子様に暴言を吐いたのですよっ?」「おまえがその現場を見たわけじゃないんだろう! そもそも、もし本当に神子様と気持ちが通じ合ったのならば、きちんとした手順で婚約を解消すべきだ! マシューは、殿下が神子様をお選びになると言うなら、どう処すべきかわきまえている」 父が、俺を見る。「神子様と殿下が番となれば、我が王国の繁栄は約束されたも同然。私も身を引く覚悟がございます」 むしろ、穏便にそういう形にしてほしかったとすら思っている。 だが、兄はいまだに不審な顔で俺を見ていた。──やっぱ、攻略対象だからメルヴィン側なんかな…
豪華なダンスホールに、きらびやかな衣装をまとった人々が集う。 服装やら建物の様式は中世ヨーロッパ風なのに、卒業式にダンスパーティーとか、なんでそこだけアメリカンなんだろう……? なんて、プログラムを組んでいるときは考えていたが。 いざ現実となったら、それどころじゃない。 中央の大階段に、ランドルフが姿を表す。 その隣にいるのは、神子のメルヴィン。 会場内には、さざなみのようにヒソヒソ声が広がる。 そりゃそうだろう。 俺はいまだ〝婚約者〟のままなのに、代わりのエスコート役もいないまま、一人でホールに立っているのだ。──さっさと婚約破棄すりゃあ良かったのに……。 この三年、俺が思っていたのはそれだけだった。 政治的な都合も、あるのかも知れないが。 王妃教育では、将来を見据えて普通の学生では覚える必要のなさそうな歴史や語学、各国のマナーや慣習、政治と経済まで学ばされる。──婚約破棄してくれりゃ、あんな勉強もしなくて済んだのになぁ……。 そんなことを考えながら、大階段を降りてくるランドルフをぼんやり見上げていると、向こうも気づいたらしく目線が合う。「マシュー・エヴァレット」「はい」「今宵限り、あなたとの婚約を白紙にしてもらう」 ランドルフは、静かな声で言った。「え……、あ……、はい……」 俺は、実に間の抜けた返事をする。 なぜなら、「ここまで引っ張ってこれ?」って気持ちと、「やれやれ肩の荷が降りた」って安堵と、「こんな公衆の面前でするのはどうなの?」って感想がないまぜになってて、思考がまとまらなかったからだ。「私は、よもやあなたがそんなことをするとは思っていなかったが……」「……は?」「神子であるメルヴィン・ローズベリィを
俺が十五歳になって、魔法学園に入学した時。 それはゲームのメインストーリーの始まりで、ヒロインのメルヴィン・ローズベリィも入学してきた。 メルヴィンは平民だったが、欠損すら回復させる〝奇跡の治癒魔法〟を発現させたことで、教会から〝神子様〟の認定を受けた。 ローズベリィ侯爵家は教会派閥の貴族で、奇跡の神子様を養女として迎え入れた。 卓越した能力と、愛らしい容姿。 ローズピンクの髪に、ぱっちりと大きな蜂蜜色の瞳、長い睫毛にふっくらと健康的に丸い頬。 天真爛漫で明るく前向きな性格は、淑オメガ教育を徹底的に受けた貴族の子女を見慣れたアルファたちには、ひどく新鮮に見えたに違いない。 案の定、ランドルフもまた順調に、メルヴィンに惹かれていった。 だから俺は、ランドルフがどんどんメルヴィンとの距離を詰めていることに安堵し、これでやっと婚約破棄をしてもらえるのだ……と思っていた。 だが、どんだけ待ってもその気配はない。 二日に一度のお茶の席で、なんか言ってくるかと思ったが、それもない。 これはもう、言い出すきっかけをこっちが作ってやらなきゃ駄目かと思い、それとなく話を向けてみる。「殿下は、お昼を神子様と過ごされているとか?」 学年が違えば、学園内で顔を合わせる機会はほぼないはずなのだが、メルヴィンとランドルフはわざわざ待ち合わせて昼メシを一緒に食っている。 一応、裏庭辺りにいるらしいが、全く人目がないわけでもないから、公然の秘密だ。「うむ、神子様は素晴らしいな。私の知りたい、市井の生活や視点を持っている」 こんな入れ食いみたいな返事をするから、じゃあ更に話しやすい空気を作ってやろうとか、俺はこう言った。「大変親密との、お噂も聞きますが……?」「マシューまで、そんなことを言うのか?」 たちまち、不機嫌そうにランドルフの眉が寄った。「私も……とは?」「侍従や爺や、護衛どもまでが、距離が近すぎると説教を垂れる。もう、そんな忠告は聞き飽いた」 じゃあ、さっさとあっちに乗り換えろよ……と言いたいが、流石にそんなことを言えるわけがない。 ランドルフは俺を見もせずに、盛大にため息を吐き、大仰に肩をすくめているが。 ぶっちゃけ、その態度をまんまお返ししたい気分になった。 もっとも、それができるほどの友情も、信頼関係も、俺はラ
しかし、現実は俺が思っていた以上に厳しい。 何がと言えば、それは〝礼儀作法〟という、高く分厚い壁だった。 ランドルフは十歳の誕生日に、アスフォーデル王国の王太子として正式な指名を受け。 同時にマシューが婚約者に指名された。 その日を境に、俺は一般の貴族子女のマナーと同時に、〝王妃教育〟なるものも受けねばならなくなった。 第一の性より、第二の性が重要視されるこの世界では、オメガのカテゴリーは〝淑女〟に分類される。 王宮に毎日通い、専属の教師陣の元、徹底的な指導を受けた。 最初は立ち居振る舞いから始まり、お茶の席でのマナー、ダンスに音楽、周辺諸国の歴史から言語まで。 身につけねばならない教養の内容は多岐に渡る。「マシュー様、椅子に腰掛ける時に、姿勢を崩してはなりません」 マナー講師の女性ベータは、男オメガに親でも殺されたんじゃないかってぐらい、厳しい。 少しでも姿勢が崩れると、ピシリと鞭が飛ぶ。 基本、叩かれるのは尻だけだし、それも腫れ上がるような強さではない。 が、それでも叩かれれば痛い。 年端もいかない頃は、自動的に涙も出た。「マシュー様、王太子妃が人前で泣いてはなりません」 また、鞭が飛ぶ。「マシュー様は、男オメガでございますから、ズボンだけで座れるのです。淑女であれば、五枚のパニエを履き、椅子の端に浅く腰を下ろすだけです。マシュー様は、ずっと楽に座っていられるのですよ」 と言われても、背中を真っ直ぐに伸ばしたままの姿勢を保つのは、なかなか難儀だ。 講師は常に「おまえは男オメガだから楽してるんだぞ」と説教を垂れるが、小児にそんなこと言ったって無理だろ……と、俺は心の中でツッコミを入れた。 いわゆる本を頭の上に乗せて真っ直ぐ歩く……みたいな姿勢矯正に始まり、笑い方一つ、箸……はないが、ティーカップの上げ下ろしにまで細かいルールがあり、失敗すると容赦なく細い鞭で尻を叩かれる。 ある程度の作法が身についたら、週に一度、十五分だけ王妃様とお茶をさせられた。 要は、週一の定期テストのようなものだ。 だが、ここで王妃様とする会話は意外に楽しい。 オメガ特有の悩み……。 抑制剤を飲まねばやってられない体質とか、飲んだら飲んだで体調が崩れるとか、フェロモンが出てもいないのに出てると難癖を付けられるとかって話が出来るのが嬉しかっ
「ランドルフ殿下の十歳の誕生日に正式に発表されるが。今回の一件で、陛下と王妃様はマシューを婚約者に内定されたよ」 池ドボン事件から数日して、父上が夕食の席でそう言った。 上座に父上、次席に兄のスチュアート、俺と母上は兄の向かいに並んで座って食事をしている。 十歳は、この世界の一種の〝元服〟のような、通過儀礼となる年齢だ。 もっとも成人というわけではなく、死亡率の高い幼少期を過ぎ、人口と言うか、人間として〝頭数〟に入れても大丈夫……的な年齢って意味になる。「侯爵家としては、喜ぶべきなんでしょうけど……」「おかたま?」 聞こえる話が理解できても、分かってることを悟られると面倒なことになるだろう……と考えて、俺は自分を見る母上に、きょとん顔を返した。「マシューは、ランドルフ殿下のことが好きかい?」 父上が問うてくる。「またあそぶおやくそくを、いたちまちた」 滑舌だけは、どう頑張っても治らない。「そうだったね。楽しみかい?」「あい」 ニコニコしながら頷く父上は、心なし鼻の下が伸びてるように見える。 まぁ、母上大好きな父上が、母上そっくりでしかも末っ子のオメガを溺愛しているのは、当然と言えば当然だが。 末っ子にデレデレの父上を、兄が心なし煩わしそうな顔をして見ている。「他の候補者を差し置いて内定してしまっては、マシューが恨みを買いそうじゃありません?」「王家に嫁げる家格の家に、他にオメガはいない。とりあえず、はしゃぎすぎる程度に相性は悪くなかった……と思われたようだ」「スチューは、ランドルフ様の側近候補。マシューが婚約者となったら、他の貴族からの風当たりが強くなりそうじゃありません?」「母上、ブラッドリーは座学が苦手ですぐに逃げてしまいます。私以外に、殿下の側近は務まりません」 家同士の政治の話を全部すっ飛ばして、スチュアートが不服そうに言う。「スチューを悪く言ったのではないのよ」 ぶんむくれている息子を、母上は「うふふ」と言いながら愛しそうに眺めている。「うむ。グレンヴィル家のブラッドリーは、騎士団長の息子らしく体を動かすほうが得意らしいな。ローズベリィ家とスペンサー家が、派閥の伯爵家から養子を迎える可能性はあるが、今のところは覆らないだろう」 父上の言葉に、俺は心の中で〝なるほど〟と頷いた。 王太子がアル







