ロジータの処刑は、エルミニオたちの独断である。
スカルラッティ家の権力を考えれば、これは許されない行為だった。 だからエルミニオたちは、密かにこの小広間でロジータの処刑を決行した。 エルミニオがあえて星の力が宿る剣を使ったのは、刺殺痕が残らないからだ。「死んだか?」
「…虫の息です。あとは手順通りにやりますので、殿下はご心配なく。」
関係者たちは、その場でロジータが病死したかのように偽造し、床の血を拭き取る。
誰かに発見させるため、あえてロジータを放置し、その場を去る。 そういう計画だった。 エルミニオは、愛するリーアを虐げる女を密かに始末した。 何とも美しい愛だと、人は言うだろう。 だが俺は、なぜか初めから納得がいかなかった。「エルミニオ様、私、やっぱり怖いわ。ロジータ様に恨まれそうで…」
「リーア。ロジータはもう死ぬんだ。何の心配もいらない。」
エルミニオはリーアの腰を引き寄せ、絶命しかかっているロジータをゴミのように眺めた。
誰もが彼女は死んだと思った。「行くぞ、ルイス。」
「兄さん。俺は………もう少ししてから行きます。」
しばらくして関係者たちが去り、次にエルミニオとリーアも立ち去った。
小広間は静寂に包まれていた。 ロジータは床に崩れ、呼吸も微弱だった。 心臓を突き刺されたのだ。 まだ生きている方が不思議だった。 だが顔が真っ青だ。…間違いなく死にかけている。 『刻印』までもが、俺を引き止める。「くそ…!」
咄嗟に腕を掴み、俺はロジータを抱き上げた。
彼女はあまりにも軽く、まるで羽のようだった。 ロジータのドレスの肩紐がずれ、ふと白い肩が覗いた。「ルイス…様?」
弱々しい、碧い瞳が俺を不思議そうに見つめた。
「……今は黙っていろ。」
マントで彼女の体を覆い、運河沿いの回廊を急いだ。
これは、つまらない同情だ。 みじめな女を、放っておけなかっただけ。 …それだけか? 彼女の体から、血の匂いがした。 ロジータ・スカルラッティ。 俺はお前が嫌いだ———— それでも…俺の住む宮殿はどこよりも薄暗い北側にある。
あまり改装もされていないのであちこち色褪せ、見た目も寂れている。 これは俺が誰からも期待されていない証拠。 使用人の数も少なく、あまり人も近づかないのでロジータを隠すには都合が良かった。 使用を禁止されている『治癒力』を使い、ロジータを助けた。 あまりに傷が深く、そこまでしなければ助からなかったからだ。 幸い出血は止まり、何とか命はつなぎとめた。 だが、三日ほどロジータは熱病に苦しんだ。「う……くっ!……だめ、やめて……!
エルミニオ様……どう、して……なの……」「ロジータ、大丈夫だ。全部、悪い夢だ。」
今だけは、つい優しい言葉をかけてしまう。
ロジータが悪夢を見るたびに、乱れた金髪を左右に分け、額の汗を拭いた。 ロジータは、こんなに綺麗な顔をしていたのか。 無自覚に彼女の顔を見つめ、俺はしばらくロジータの看病を手厚くした。 運命の相手のいない俺の『星の刻印』は、亡き母から譲り受けた、仄かな治癒の光を放っていた。そうしてついに、ロジータは目覚めた。
「ルイス様。私と結婚してください!」
ただし、頭がおかしくなってしまったようだ。
目覚めたロジータは、今までとはどこか雰囲気が違っていた。 エルミニオに殺されかけたショックで? それに俺と契約結婚だと?何を言っているんだ。 しかし、ロジータが言っていることは妙に的を得ていて驚く。『はい。今の私はエルミニオ様に命を狙われています。 その私を助けたあなたも、危険です。 この窮地をうまく乗り切るには、私たちが互いに協力し合う必要があります。』確かに、今の俺の立場は危うい。 瀕死のロジータを衝動的に助け、しかも禁忌の力を使った。 彼女が言っていることも分からなくはない。 ロジータが俺に惚れ、結婚したとなれば、二人が命を狙われる可能性は低くなるだろう。 エルミニオも、実の弟の妻となれば、手出ししづらいはずだ。 だが、それだけではロジータの提案は受け入れられない。 第一に俺はリーアを愛していたし、ロジータと契約結婚するリスクの方が高かった。 まず、俺がロジータを助けたのを知ったエルミニオは怒り狂うだろう。 あの時の賛同者たちも敵に回す。 それに、ロジータの実家の勢力を考えると、エルミニオに反逆の意思ありと捉えられる可能性もある。 スカルラッティ家は、ヴィスコンティでも高名な家門で、莫大な財産、軍事力などを有している。 王権を強化したい王ーー父にとってロジータは、なくてはならない存在だった。 それゆえにエルミニオはリーアを愛していながら、長い間ロジータと婚約破棄ができなかったのだ。 確かに自分たちの身を守るため、契約結婚に賭ける価値もあるが、その分リスクも大きい。 俺はロジータの提案を断った。 だが彼女は断ったにも関わらず、しぶとく食いついてきた。『私…いえ、この世界は小説の世界です。 私は悪役令嬢のロジータで、まさに今日、エルミニオ様に殺される運命でした。』ついにロジータは完全におかしなことを口走り始めた。 彼女が言うには、ここは小説の世界であり、自分たちは決められた物語《ストーリー》によって動かされているという。 さらには、最近俺がリーアヘの歪な思いに苦しんでい
ロジータの処刑は、エルミニオたちの独断である。スカルラッティ家の権力を考えれば、これは許されない行為だった。だからエルミニオたちは、密かにこの小広間でロジータの処刑を決行した。エルミニオがあえて星の力が宿る剣を使ったのは、刺殺痕が残らないからだ。「死んだか?」「…虫の息です。あとは手順通りにやりますので、殿下はご心配なく。」関係者たちは、その場でロジータが病死したかのように偽造し、床の血を拭き取る。誰かに発見させるため、あえてロジータを放置し、その場を去る。そういう計画だった。エルミニオは、愛するリーアを虐げる女を密かに始末した。何とも美しい愛だと、人は言うだろう。だが俺は、なぜか初めから納得がいかなかった。「エルミニオ様、私、やっぱり怖いわ。ロジータ様に恨まれそうで…」「リーア。ロジータはもう死ぬんだ。何の心配もいらない。」エルミニオはリーアの腰を引き寄せ、絶命しかかっているロジータをゴミのように眺めた。誰もが彼女は死んだと思った。「行くぞ、ルイス。」「兄さん。俺は………もう少ししてから行きます。」しばらくして関係者たちが去り、次にエルミニオとリーアも立ち去った。小広間は静寂に包まれていた。ロジータは床に崩れ、呼吸も微弱だった。心臓を突き刺されたのだ。まだ生きている方が不思議だった。だが顔が真っ青だ。…間違いなく死にかけている。『刻印』までもが、俺を引き止める。「くそ…!」咄嗟に腕を掴み、俺はロジータを抱き上げた。彼女はあまりにも軽く、まるで羽のようだった。ロジータのドレスの肩紐がずれ、ふと白い肩が覗いた。「ルイス…様?」弱々しい、碧い瞳が俺を不思議そうに見つめた。「……今は黙っていろ。」
俺はルイス・ヴィスコンティ。ヴィスコンティの第二王子だ。兄ーー王太子エルミニオの輝く影に隠れ、宮廷では「無能な王子」と囁かれている。王位は遠く、誰も俺に期待していない。時々、そんな俺の心の奥で何か疼くことがあった。夏の海辺と、誰かの優しげな笑顔ーーそれはすぐ消え去ってしまう、幻のような記憶。あれは一体何だったのだろう?だがそれよりも、最近、俺の頭を悩ませるのはリーア・ジェルミの存在だった。銀髪、儚い笑顔を見るたび、胸が締め付けられる。だがこんなもの、愛じゃない。それよりもっと歪で凶悪な…彼女を縛りたい、閉じ込めたい。そんなどす黒い衝動に苛まれる。俺は兄に劣等感を抱くだけでなく、こんなにも最低な男だったのか?その夜、王宮の小広間では悲惨な光景が広がっていた。頭上のシャンデリアが月明かりで暗く光り、すぐ近くで運河の水音が響いていた。兄エルミニオの冷酷な声が広間いっぱいに響いた。「ロジータ・スカルラッティ!リーアに毒を盛ろうとした罪は、俺への…いや、ヴィスコンティ王家への反逆に等しい!よって、婚約は破棄し、ここでお前を処刑する!」ロジータの深紅のドレスが床に広がり、いつも自慢していた金髪が、みすぼらしく揺れる。彼女は兄を愛しすぎ、嫉妬からリーアに毒を盛った。将来、王太子妃になるかもしれないリーアを毒殺しようとした。だからこの断罪には、正当性がある。そう思い込もうとし、俺は彼女の最期から、一瞬だけ目を逸らした。しかし、次に見るとエルミニオの剣は容赦なくロジータの心臓を突き刺し、彼女の真紅のドレスはさらに濃く染まっていた。かつては同じ『星の刻印』を持っていたロジータを、あんなにも残酷に。碧い瞳に涙が滲み、やがて彼女は膝を崩した。「エルミニオ様……、私……、私は、あなたを……!ゴホッ!」震
栗色のルイスの髪が、さらりと揺れる。「はい。今の私はエルミニオ様に命を狙われています。 その私を助けたあなたも、危険です。 この窮地をうまく乗り切るには、私たちが互いに協力し合う必要があります。 この傷が癒えれば、私はヴィスコンティ国を去りますので、それまでと思えば…」「去るのか?国を?お前が?」「え?ええ。命を狙われると分かっていて、ここに居続けるのは危険です。 それで、結婚する理由についてですが… 私がルイス様に助けられて、惚れたというのはどうでしょう。」「お前が俺に?ありえない。おかしくなるほど、兄を愛していたくせに。」「まあ、聞いてください。とにかくそれで私たちが結婚してしまえば、エルミニオ様は私が諦めたと思うはずです。 ルイス様を好きになり、エルミニオ様には何の未練もないと分かれば、私を殺そうとは思わなくなるはずです。 リーアに嫉妬する理由がなくなるのですから。」「そうだが…!それだと、お前はよくても俺には何の得が? 確かに俺にはまだ星の刻印の相手が現れず、婚約者もいないが… それにロジータ。お前の実家、スカルラッティ家の勢力を考えてみろ。 だからお前は兄の婚約者だったんだろう? もし俺と結婚するとなれば、兄に反逆を企てていると言われかねない。 …悪いが、付き合い切れない。」だめ、ルイスが行ってしまう! このままじゃまた、私は物語に引き込まれ、エルミニオに命を狙われ続ける! 運命を変えて、傷が癒えたら、この小説の舞台、ヴィスコンティから逃げるのよ! それが私が生き残る最後の手段だわ!「ルイス様、これを聞いても断りますか? 今から私はおかしなことを言います。 ですが、全て真実ですので、どうかお聞き下さい。 私…いえ、この世界は小説の世界です。 私は悪役令嬢のロジータで、まさに今日、エルミニオ様に殺される運命でした。 本来ならあのまま小広間で、息絶えたはずです。」「ロジータ?一体何を…」ルイスは分かりやすく目を見開いた。「そしてルイス様。 あなたも、リーアを愛し、彼女を塔に閉じ込め、殺される運命なのです。」動揺を隠しきれない、ルイスの琥珀色の瞳が揺れる。「戯言を…!どうかしているんじゃないのか?ロジータ・スカルラッティ!」普段は温厚なルイスが怒り、戸惑う様子を見せた。「戯言じゃありません。
それは、ヴィスコンティ王家に伝わる治癒力——禁忌とされる力——の名残だ。「私、生きてる…痛っっ?!」「ロジータ、大丈夫か?」ルイスの声は低かったが、気遣いを感じた。力強い彼の腕が私の肩を支えてくれた。「ルイス…様? 私なぜ…生きて…!っ!」 胸の痛みが私の言葉を途切れさせる。ルイスはふと視線を逸らし、無愛想に返事した。「その様子だと、小広間で兄に刺されたのは覚えているようだな。ロジータ、あの後お前はもがき苦しみ、生死の境を彷徨《さまよ》っていた。だが、俺の力で…かろうじて命は繋いだ。しかし傷は思った以上に深い。ヴィスコンティ家の星の能力が宿る剣で、心臓を刺されたのだ。回復するには時間がかかる。だから今はむやみに動くな、悪化する。」彼の左手に、星形の刻印が光る。まだ相手が見つかっていない、ルイスの刻印。運命の相手がいないというだけで、微かな侘《わび》しさが滲んでいる。痛みに耐えながら、私は眉を顰めて尋ねた。「なぜ…私を?ルイス様。あなたは私を嫌っていたでしょう。」そう告げると、ルイスは大きな溜め息を吐いた。「勘違いするな。お前のことは相変わらず嫌いだ。リーアを虐げ、兄に媚びるお前の姿は、いつも見るに耐えなかった。だが…あの小広間で、兄に踏みにじられるお前を…なぜか放っておけなかったんだ。それに、俺の『星の刻印』が命じたんだ。お前を救えと。」「刻印が?…それについては、よく分かりませんが。ルイス様。助けてくれたことは感謝しています。ですが、私を救ったことがエルミニオ様たちにバレたら、あなたも無事では…」しかも禁忌の治癒力を使ったのだから、厳罰は免れないはず。けれど人の心配をよそに、ルイスは想定内だと目を細める。「お前…何か雰囲気が変わったな…?あ、いや、分かっている。ただ…あの時は…実は俺にも、よく分からない。俺の星の刻印が反応した意味も。とにかく、勝手に助けた責任は取る。傷が癒えるまでは、ここにいてもいい。だが、その後の面倒は見切れない。癒え次第、出て行ってくれ。」出て行くといっても、どこに?実家に?けれど私の命を狙っているのは王太子のエルミニオ。もし追跡されたら、勝ち目なんてあるの?それに、容赦なく心臓を突き刺されたのだ。王家の禁忌の力でも治りきらず、まだ猛烈に疼いてる。それ
夢の中で、私は別の世界で生きていた。 東京の雑踏。ネオンの煌めき。トラックの眩いライト… 私は白石七央《しらいし なお》。24歳で、どこかの会社員だった。 光に飲まれ、事故に遭うあの恐怖の瞬間。 一方で、ヴィスコンティ王国の小広間でエルミニオに心臓を刺され、リーアに嘲笑された、リアルな痛みも覚えていた。 全てを現実のように鮮明に。 その時ふと、頭に甲高い男性の声が響いた。『ロジータ・スカルラッティは、物語の悪役令嬢である。 星の導きに縛られ、運命から逃げることは許されない。 エルミニオとリーアの愛の物語を完成させるため、死ななければならない。』そうか。 私は自分でも気づかないうちに、小説『奴隷になった私が、王太子の最愛になるまで』の悪役令嬢に転生していたんだ…! ここは、元伯爵令嬢のリーアが、陰謀によって奴隷に落とされた世界。 そして、彼女こそが、王太子・エルミニオに愛されて幸せになるヒロインだったのだ。そうとも知らずに私は健気に、エルミニオを愛してしまっていた。 幼い頃、ヴィスコンティの『星の刻印』で婚約者となって以降、ずっと彼が好きだった。このヴィスコンティ国では古くからの言い伝えがある。 同じ『星の刻印』を持つ者が、運命の相手だと。「星の刻印」は、基本的にヴィスコンティ王家の象徴である星形をしている。 運命の相手以外の『刻印』は、サイズもバラバラであり、色も薄かったり濃かったりする。 また体に現れる部位も違う。 私はあの時刺された、心臓のある左胸上に。 エルミニオには右胸にあった。だが、エルミニオは彗星のようにヴィスコンティに現れた、リーアに心を奪われてしまった。 私はそれに嫉妬して、何度か彼女を苦しめた。 エルミニオはいつもリーアを庇い、一方で私をひどく非難した。「ロジータ!なぜリーアに冷たく当たるんだ!」「なぜって…エルミニオ様。本当に分からないの?」そんな抵抗も虚しくーー数年前、エルミニオの『星の刻印』が、リーアと全く同じ星形へと変化するという事件が起こった。 これはヴィスコンティ国の建国以来、初めての現象だったという。 人々はこれを私の父の仕業だと噂した。『きっと、自分の娘を王太子の、エルミニオ様の婚約者にさせたいがために『星の刻印』に細工をしたのだ!』と。 当然父は否定した。 確かにこ