一周回って笑えるわね。
過去の私は、リーアとエルミニオの愛のための障害物。 そしてこの世界の都合のいい道具だった。 本当に愚かだった。 考えてみればエルミニオは婚約者がいながら他の女性と堂々と浮気する、テンプレ的なクズだったのに。 物語の強制力が私の目を曇らせていたのだろう。 とにかく彼にはさんざん苦しめられたのだから、一秒でも早く忘れてしまいたい。「ロジータ。お前はまだ兄のことを愛しているのだな。
あんなことをされてもなお……」はっとして顔を上げると、ルイスが心配そうに私の方を見つめていた。
思えばルイスだって同じ。「そういうルイスこそ、リーアへの想いは断ち切れそうなのですか?」
私は控えめに尋ねた。
確かルイスがリーアに出会ったのは、エルミニオと同じくらいのタイミングだった。 原作のリーアは陰謀によって奴隷に落とされたが、周囲の力を借りてこの王宮に使用人として入ってきた。 そこでエルミニオやルイスたちと出会い、ロマンスを繰り広げた。 ただルイスは、ずっと長い片想い…… 本当に死ぬ瞬間までそっくりな私たち。「大丈夫ではないが、忘れる努力はする。
お前の話はまだ半信半疑だが、リーアに酷いことをし、兄に殺される未来などごめんだ。 ロジータ。お前が俺を救ってくれるのだろう?」ルイスは目を細めて苦笑する。何だか切なくて胸が締めつけられる。
「ええ、そうです。だからもう少し演技の練習、頑張りましょう!ーーっ!」
気合いを入れたせいかまた胸の傷が疼き、とっさに私はうずくまる。
「ロジータ、傷が痛むのか!?
今日はもう無理そうだな。 練習は中断して、治療を再開しよう。」「いいえ!ルイス。本当に大丈夫です、続けましょう。
私たちにはもう時間がありません。」「しかし……はあ。その顔は絶対譲らないって顔だな。
ロジータ、お前意外と頑固なんだな。」「ふふ。ルイス。私のこと分かってきましたね。」
痛む胸を押さえつけ私は明るく笑ってみせた。
「全く……。お前には負ける。
分かった。では治療しながらやってみるか。 とにかく手を握っておけばいいから。」ルイスも椅子から移動し、私たちはベッドに向かい合って座り直した。
また心臓が脈打つけど、さっきまでの忙しい感じではなくて、なぜか落ち着く。 思えば理佐貴も一緒にいて落ち着く人だった。 そっとルイスの逞しい手が私の左手を包み込む。 ふわっと、ルイスの手から温かな力が流れ込んでくる。「こうやって、指先から力を巡らすのが一番効果が高いはずだ。
負傷した心臓の傷をゆっくりと修復していく。」またルイスの刻印が仄かに光り始める。
彼の刻印は薄い灰色で、花の蕾のように小さな星形だ。 対照的に私のはルイスのよりは大きく、色はうっすらと赤みを帯びている。 それにしても、いつ見ても本当に不思議な力。 ヴィスコンティ王家に伝わる禁忌の治癒ーー その名残だと言われている力。 この辺りは原作でも細かく設定されていたが、詳しくは覚えていない。 ただファンタジーらしい内容だった。「この力は王妃様譲りだと聞きました。」
「ああ。そうだ。」
「確か王妃様は、ルイスたちが幼い頃に亡くなったのですよね。」
胸に刻印が現れ、私が八歳でエルミニオの婚約者になった時にはすでに王妃は亡くなっていた。
今のヴィスコンティの王妃は国王の後妻だ。「そうだ。優しい方だった。」
まるで力が抜けたように、ルイスの声や仕草が柔らかくなった。
思えば私は王妃のことをほとんど知らない。 エルミニオは、私に彼女の話をしてくれなかった。「彼女だけだったな。
俺と兄を分け隔てなく見てくれたのは。」本当に優しい方だったのだろう。それはルイスのこの表情を見れば分かる。
「そうだったのですね。私も一度はお会いしてみたかったです。」
「ロジータ、敬語。」
「あ、そ、そうなのね。私も一度はお会いしたかったわ。」
背筋を伸ばして言い直すと、ルイスが小さく吹きだした。
いま私、何か面白いことを言った?「ふ。本当に今のお前があのロジータだなんて、信じられない。」
ああ、そういうことね。
確かに前世の記憶を思い出す前の私は、傲慢で残虐な悪女だったから。「そうね。今の私にはロジータと、前世の記憶があるから。」
「前世か。何だか不思議な気分だな。」
ルイスは首を傾けながら微笑した。
その笑顔がやけに眩しくて、思わず私も笑顔で反応した。確かにルイスの言った通り、私は以前のロジータとは違う。前世を思い出したことは大きい。本来なら昨夜死んでいたはずの私。しかも当て馬役のルイスに助けられたことは、かなりイレギュラーだ。だいたい『悪役令嬢』は死に戻りや、ある時点までの回帰といった内容が多いから。その代わりこれまでに起きた出来事を変えることはできないし、これから起こりうる最悪の事態に備えて慎重に動かなければならない。いま私にある武器は、『原作の知識』と『七央の知識』そして『ロジータからの離脱』だ。正直、洗脳されていたのと変わらないロジータから、客観的に物事を見られるようになったのは不幸中の幸い。いくらエルミニオへの苦しい記憶が存在しようとも、今の私ならそのくだらない想いを断ち切ることができる。これからロジータとして生きていかなければならない以上は重要だ。しばらく沈黙が続き、ルイスがためらいがちに尋ねてきた。「あの噂は……本当か?」「噂?」「お前の父親、ジャコモ・スカルラッティ公爵が、お前の『星の刻印』に細工したのではないかという話だ。とにかく宮廷、いや貴族たちの間では公爵が悪どいことをしているという噂が出回っている。」「真相は分からないわ。実は私も父についてはほとんど何も知らないの。ルイスも知っているでしょう?スカルラッティ家での私の立ち位置は道具。たんにエルミニオ様と結婚させるために作ったような娘だったから。小説ーー原作でもその部分はまだ曖昧だったの。」私の父、悪どいスカルラッティ公爵。確かに終盤に差しかかるほど、父の悪事が次々と暴かれていく展開だった。そもそもリーアを奴隷にしたのもあの男。だがこれにはまだ証拠が足りない。エルミニオたちも、愛するリーアの名誉を回復しようと真相解明に乗り出す。そのせいでロジータ自身も、悪どい娘として父と一括りにされがちだった。ロジータの性格が破綻していたのは事実だけれど。「父はとにかく野
一周回って笑えるわね。過去の私は、リーアとエルミニオの愛のための障害物。そしてこの世界の都合のいい道具だった。本当に愚かだった。考えてみればエルミニオは婚約者がいながら他の女性と堂々と浮気する、テンプレ的なクズだったのに。物語の強制力が私の目を曇らせていたのだろう。とにかく彼にはさんざん苦しめられたのだから、一秒でも早く忘れてしまいたい。「ロジータ。お前はまだ兄のことを愛しているのだな。あんなことをされてもなお……」はっとして顔を上げると、ルイスが心配そうに私の方を見つめていた。思えばルイスだって同じ。「そういうルイスこそ、リーアへの想いは断ち切れそうなのですか?」私は控えめに尋ねた。確かルイスがリーアに出会ったのは、エルミニオと同じくらいのタイミングだった。原作のリーアは陰謀によって奴隷に落とされたが、周囲の力を借りてこの王宮に使用人として入ってきた。そこでエルミニオやルイスたちと出会い、ロマンスを繰り広げた。ただルイスは、ずっと長い片想い……本当に死ぬ瞬間までそっくりな私たち。「大丈夫ではないが、忘れる努力はする。お前の話はまだ半信半疑だが、リーアに酷いことをし、兄に殺される未来などごめんだ。ロジータ。お前が俺を救ってくれるのだろう?」ルイスは目を細めて苦笑する。何だか切なくて胸が締めつけられる。「ええ、そうです。だからもう少し演技の練習、頑張りましょう!ーーっ!」気合いを入れたせいかまた胸の傷が疼き、とっさに私はうずくまる。「ロジータ、傷が痛むのか!?今日はもう無理そうだな。練習は中断して、治療を再開しよう。」「いいえ!ルイス。本当に大丈夫です、続けましょう。私たちにはもう時間がありません。」「しかし……はあ。その顔は絶対譲らないって顔だな。ロジータ、お前意外と頑固なんだな。
あの時の私はロジータ・スカルラッティとして、断罪、処刑までの筋書きを真っしぐらにたどっていた。本来ならこの煌びやかな空間で、エルミニオと一緒にダンスを踊っているのは私だったはずなのに!と。それなのにエルミニオが、今夜のダンスの相手に私ではなくあの女を選んだ!とにかく彼女が憎かった。彼に優しくエスコートされてきたリーアは下の会場にいる私と、真っ先に目が合った。「しかし殿下のお相手は、私ではなくロジータ様では……?」美しい銀糸のような長い髪と宝石のようなサファイアブルーの瞳の彼女。エルミニオの隣でまるで小動物のように小さく震えている。彼女が着ていたのはヴィスコンティ王家を象徴する、星のラメが入った群青色のドレス。なぜかエルミニオと同じドレスコードだ。彼も群青色の洗練された礼服を着ていた。加えて、リーアの頭上にはたくさんの真珠が散りばめられたティアラ。童話のシンデレラのように輝くクリスタル製の靴。どれもこれも私が欲しかったものばかり。なんで……なんで殿下の隣にいるのが私ではなくて、あの女なの!?招待された貴族たちと同じ場所にいる私を、リーアは気の毒そうに見おろしていた。「その、ロジータ様。私、悪気は……」「何で……何であなたが、エルミニオ様の隣にいるのよ!!何で……っ!!」本来なら、このような公式の場では婚約者同士で同じ色やお揃いのデザインの服で揃えるものだ。特に王太子とその婚約者ともなれば、他とは一線を引いた特別感を出す必要がある。だけど私は彼のドレスコードが分からず、会場から一人だけ浮いたような真紅のドレスを着ていた。虚しく悔しい。分かっていた。ずっと。「何を喚いているんだ、ロジータ・スカルラッティ!なぜお前が会場にいる!?呼んでもいないのに!」リーアに向けられるものとは全く違う、エルミニオの冷淡な声が
……き、気まずい。なぜなら体勢を崩した私が、ルイスにしっかり抱き止められているから。しかも、彼の膝上にまたがる形になってしまったから。本当に信じられないし、心が悲鳴をあげている。ありえないこの状況に、ルイスも目を見開いて固まってる。やはりチェニックの上からでも、ルイスの腕も胸も本当に逞しいというのが分かる。それに薔薇の香水のようないい匂いまでする。両膝も石みたいに硬い。ルイス、もしかして鍛えすぎなのでは?見た目は華奢なのに、反則でしょう。「〜〜ったく、だから、何をやっているんだ?お前は。気をつけろと言っただろう!」「ご、ごめんなさい、ルイス!」ルイスの照れながらも呆れ顔、といったものが視界に入ってくる。私の方も結局、また敬語に戻ってしまうが今はそれどころではない。とにかく私は慌てて体勢を立て直そうとした。「私だってわざとじゃありません、ただ、なぜかこう体が……っ」だが、ぐんと何かに引っかかり、また体がルイスに近づいてしまう。なんと今度は、私が着ているチェニックの前止めの紐が、ルイスのチェニックのボタンに絡まっていた。そのせいで服が引っ張られ、胸元が露見する形に。今度こそ完全に墓穴を掘った。もう!この失態は、本当にどうしたらいいの!「待て、ロジータ、動くな!」ルイスの口調が強くなる。目の前で肌を露出した私を叱りつける。「俺が取るから、お前は動くな。いいな?」「わ、分かりました。」「よし。」半分は呆れ顔。もう半分は照れ隠しといった、ルイスの表情がたまらない。顔を紅潮させながらも、ルイスはチェニックに絡まった紐を解こうとしていた。……本当に恥ずかしい。だってルイスに私の開いた胸元が見えてるから。手当のために包帯が巻いてあるし、胸が直接見えてるわけではないのだけれど
私とルイスは向かい合って、椅子に腰を下ろした。今のルイスは少しゆったりとしたシルクのチュニックに、黒のホーズと革のブーツを合わせていた。私は血に染まったドレスを脱ぎ、使用人から借りたガウンとクリーム色のエプロンを身につけていた。「それで。“恋人らしい”とは、一体どうやるんだ?」真剣にルイスが尋ねてくる。改めてそう言われると、返事に困る。実は私もエルミニオと婚約していながら、恋人らしいことはほとんどしてこなかった。ただ前世の恋人、理佐貴との記憶が私にはあった。「そうですね。まずは、お互いの名前を呼び合うところから始めましょう。ルイス様はこれまで通り、私をロジータとお呼びください。私の方は恋人らしく、「ルイス」と、お呼びしても宜しいでしょうか?」「……いいだろう。」 エルミニオほどではないけれど、原作で知る限りルイスもプライドが高い人だった。王子だからこの提案は駄目かもと思ったが、案外協力的で助かる。「ありがとうございます。それではさっそく。「ルイス」。」「なんだ。ロジータ。」一瞬、ルイスの瞳が揺れた気がした。不満そうではないし、すぐに冷静に切り返してくる辺り問題はなさそうだ。「いい感じです、ルイス。」満足げに私が笑うと、ルイスが視線を逸らした。機嫌を損ねたのかと思ったが、どうやら違う。「呼び捨てにするなら、いっそ敬語もやめてみてはどうだ?」「敬語を?よいのですか?」「ああ。徹底した方がいいだろうから。」ルイスがそこまで言ってくれるなら、私もしっかり答えよう。「分かった。じゃあ、『ルイス。昨日は傷の手当てをありがとう。今朝のあなたの寝顔、とても可愛かったわ』。」「ロジータっ、それはあまりにも……!」目の前のルイスが壁側に顔を背けた。あれ、もしかしてあまりに馴れ馴れし
それなのに、この胸の高鳴りは、一体何? ロジータ?それとも前世の七央の? 心臓が激しく脈打つたび、私はルイスから目が離せなくなっていた。 戸惑いが隠しきれない。「ロジータ?傷が痛むのか?」ルイスは控えめに尋ね、心配そうに私の顔を覗き込む。 肩にそっと置かれた手は、まるで壊れ物を扱うかのように優しくて。 かつてあんなにも私を毛嫌いしていたのに。 本気で調子が狂うし、心臓がやけに騒がしい。 ルイスって、もしかしてスパダリなのでは…?「な、何でもないですわ。」恥ずかしくて私はルイスから顔を背けてしまった。 彼はまだ訝しそうに私を見てる。 視線が熱い。いえ、私の顔が真っ赤なの? 気まずい。鼓動も驚くほど早い。 早く治って。 これは、刺された傷口が痛むからだと誰か言って!「服は使用人に用意させた。 だが傷口が開くから、風呂はまだ控えてほしい。 食事も用意させた。 準備が終わったら来てくれ。」さっきの出来事があったせいか、ルイスとの食事はご飯が喉を通らなかった。 柔らかいリゾットに、優しい味のスープ。 これ絶対、負傷中の私のために用意したんだわ。 やっぱりルイスってスパダ…… いや、私は何を血迷っているの? ルイスとは契約結婚までするのよ。 このくらいで慌ててどうするの! 思わずルイスを盗み見る。 ヴィスコンティの王族らしい気品のある佇まい。 食事をする時の、フォークやナイフを持つ仕草も完璧だった。 少しくせのある栗色の髪も、脇役らしくて、なんだか親近感が湧く。 ルイスの琥珀色の瞳って、太陽の光に照らされるとさらに綺麗なのね。 案外と小さな唇が、愛らしい。 いつもは静かな人。だけど実は情に熱い人。 ルイス・ヴィスコンティ。私の命の恩人。「さっき、エルミニオたちの仲間が、ここへ来た。」「え!だ……大丈夫だったのですか?」「ああ。お前の死体が消えて、兄さんたちも焦っているようだ。 ここで隠し通すのも時間の問題だな。 お前が生きてると知れば、間違いなく命を狙ってくるだろう。 急いだ方がよさそうだ。」ロジータ・スカルラッティは王太子エルミニオに殺される運命。 怖い……!物語の強制力とやらが私を容赦なく追い詰めてくる。 エルミニオは、原作通り私を殺すまであきらめないだろう。 だから変えるしかないのだ