「エリオット、君は何を知っている?アスナのことをおかしいという根拠はなんだ?黒髪は確かに我が家の直系のみに現れる特性だ。しかしそれだけでそこまでアスカを敵視する理由にはなるまい。いいか、君は知らないのかもしれぬが、アスナはレオンの母方の遠縁にあたり、レオンが婚約者である私の身を案じて私の従者にしたのだ。我が家でも従者としての教育を受け、父上に認められ『ゴールドウィン』を名乗ることも許されている。何より私自身が彼を認め、側に置くと決めたのだ。それでも君はアスナがおかしいというのか?王家、公爵家の認めたアスナを?それはクレイン侯爵家の総意と取るがよいか?」ここまで言われて初めて彼は自分のしでかしてしまったことに気付いたようだ。ハッと目を見開き、唇を震わせる。そう、彼がアスナの存在を否定すれば、それすなわちアスナを認めたレオンと俺、つまり王家と公爵家を否定したのと同意。単なる好き嫌いでは済まされないのだ。エリオットがそれを理解したのを確認し、再度問う。「ではもう一度聞く。アスカのことをおかしいと思う根拠はなんだ?納得のいくものであれば、ここは水に流そう。言ってみるがいい」彼は唇を開きかけ……そのまましばらく逡巡する。そして意を決したかのようにどこか挑戦的にすら思える物言いでこう言った。「……言っても信じないと思いますよ?」「ふん!信じるか信じないかは俺が決める。お前が決めることではない」「………………では。ボクがおかしくなったと思わないでくださいね?」「それは分からん。聞いてから判断する」「あはは!アスカ様らしいな!……でも、言わなきゃボクは排除される。そういうことですよね?………分かりました。では………。信じられないでしょうが、僕には前世の記憶があります。その記憶によると、この世界はゲーム……ああ、この方が分かりやすいかな。えっと、あっちの世界で読んだ物語のままの世界なんです。そのお話には、レオンハルト殿下も、アスカ様も、ボクも出てきます。教授や学園にも、ボクの知る限りでは全く同じなんです。あ、でも全く全部同じってわけじゃありません。物語のボクはあんまり勉強ができなかったからCクラスだったんですけど。ボクはどうしてもアスカ様と同じクラスになりたかったので、頑張って勉強したんです。そのおかげでこうしてAクラスに入ることができ
皆が魔法実習をしている間にそ知らぬ顔で教室に戻れば、ドヤドヤとクラスメートたちが戻ってきた。もちろんその中にはエリオットの姿も。「あっ!アスカ様、アスナ様!今までどちらにいらしたのですか?授業にいらっしゃらなかったので心配致しました」さも俺たちを気遣うように駆け寄ってくるエリオット。皆に見えないよう「ボクを置いていくなんて酷いじゃないですか」と小さく唇を尖らせた。自分だけに向けてこんな顔をされれば、大抵の男は都合のいい勘違いをするのだろうな。「悪いが、俺は魔法授業は免除されている。別に出る必要がないのだ。アスナは実技禁止を言い渡されている」「ってこと!」「えっ?!免除?禁止?………そんなの無かったのに……やっぱり……」最後の言葉は無意識なのだろう。口から出てしまっているぞ、エリオット。うーん。このエリオット、ゲームとは違いかなり詰めが甘いぞ。隠すつもりあるのか?俺としてはその方がいい。せっかくだ。少し意地悪をして楽しもう。「無かった、とは?どういうことだ?」「……いえ、なんでもありません」「君と俺は先ほどが初対面だと思うが、どこかで会ったことが?」「え?アスカ様は有名ですから!ボク、ずっとファンだったんです!」これは本心なのだろう。ガシっと俺の手を両手で掴み、熱く語りだした。「神童と呼ばれていらしたんですよね?5歳になるころには魔法を使いこなしていたとか!ご自分で学ばれたんですか?ああ、伝説の黒髪と金色の瞳……!この目で拝見できる日が来るなんて夢のようです!頑張った甲斐がありました!!」本心……なのだろう……が……。「なのにアスナ様もどうして黒髪なのですか?!ゴールドウィン直系のみに引き継がれるはずなのに!しかも、レオンハルト殿下と同じお顔ですよね?殿下の遠縁ということですが、おかしくないですか?そもそも……」「ステイ」ひとさし指でそっとエリオットにふれたとたん、エリオットの動きが止まる。別に触れなくてもできるのだが、エリオットにはこの方が分かりやすいだろう。俺の目配せでアスカがサッと動いた。わざとらしく大声を上げて動けなくなったエリオットを支える。「エリオット、どうした?!大丈夫か?きっと初日で緊張していたんだな。少し休んだ方がいいんじゃねーか?」「そうだな。医務室に連れて行こう。アスナ、彼を頼
向かった先は、カフェテリア。この時間は授業中だから、利用するものはいない。見とがめられたとしても、アスナは「実技禁止」の身だし、俺は俺で魔法の授業で習う程度のことは既に身についている。だから問題ないだろう。「誰もいねえ」「ちょうどいいだろう?アスナ、俺はBセット。あと、アールグレイティーをポットで。食後はレモンタルトだ」「持って来いって?はいはい、ご主人様。このアスナに全てお任せください」ちょうど観葉植物の影になる特別席。アスナはそこの椅子を恭しく引き、そこに俺が座ったのを見届けると、言われたものを注文しにカウンターに向かう。その背を見送りながら、俺はエリオットについて一旦考えを整理してみることにした。ゲームのエリオットは主役なだけあり、天真爛漫な人物という印象だった。おっとりと穏やかで優し気な外見の割に頭の回転は速く、状況判断にも優れている。ここまでは今日出会った彼と同じだ。アスカが断罪されたのは、彼をその外見で「可愛いだけの取るに足らぬ輩」だと判断し、自分の優位を信じて疑わなかったから。そこがゲームと現実との違いになる。この世界とゲームの世界が違うということはもう理解している。しかし、それは「俺」と「アスナ」というイレギュラーが関わった事象に関して、だと思っていた。つまり、俺たちが全く関わることのないキャラクターは、ゲームと同じ行動をとるし、ゲームと変わらぬ人生を送るのだ。彼らが変化するのは、イレギュラーと実際に、もしくは間接的に関わりを持ったとき。しかし、エリオットが俺に向けた感情。あれはゲームの彼ではありえないものだった。彼はイレギュラーと関わることで変化したのではなく、はじめから違っていた。そこから導かれる答えは……「エリオットも……転生者?」「アスカ、持ってきたぞ」とん、と目の前にトレーが置かれる。「Bセットは運んでくれるそうだ。届くまで茶でも飲んでようぜ?」丁寧な手つきでティーカップに紅茶を注ぐ。「ほい。砂糖は2つ、だったよな?」「うむ。それでいい」「礼はいらないぜ?で、難しい顔で何を考えていた?」「アスナ、恐らくエリオットも転生者だ。もしくはお前と同種」「何故そう思う?」「お前というイレギュラーに反応した。そして、お前と同じ匂いを感じる。お前はどう思う?」俺の言葉にアスナはニヤリと
エリオットもそれに気づいたようだ。「お気遣いありがとうございます、アスナ様。では、遠慮なくそちらに座らせて頂きますね?宜しくお願いいたします」にこり、と笑う表情はとても可憐なのだが、チラリと俺に視線を寄越して目を細めた姿に一瞬だけ肉食獣の気配を滲ませる。あえて俺にだけ分かるように。うん。やはり面白い。従順なだけの犬よりよほどいい。そんなところまでアスナにそっくりだ。「いいな。……実にいい」思わず口にした俺に、アスナがしかめっ面をした。「アスカ、あいつに近寄るなよ?頼むから余計なことは考えるな。アイツは鬼門だ。俺だけにしておけ」机の下で俺の足を蹴るアスナ。その足を遠慮なく踏みつけてやる。「いて!」涙目で睨むアスナに、涼しい顔を向ける俺。「どうした、アスナ?おかしな奴だな。“お前ならこれくらい十分対処できるはずだ“ だろう?」挑発するように顎を上げてやれば、アスナは唖然とした後、くしゃくしゃと自らの頭をかき交ぜた。「……ふー……。イエス・マイロード。全てあなたの仰せのままに」「アスカ様、同席できて嬉しいです!よろしくお願いいたしますね!」「よろしく。アスカ様はお忙しい。君の案内は俺に任せてくれ!こうみえて学園には詳しいんだぜ?中途入学どうし“仲良くしようぜ?“」にこにこと子犬のように尻尾を振って見せるエリオットに、俺ではなくアスナが返事をする。「ええ。“仲良く“してくださいね?ボク、アスナ様にもとても興味があるんです」ここで声を潜めて、こう口にした。「貴方は誰ですか?どうしてここにいるの?」ピリッ。アスナからエリオットにだけ分かるように殺気が放たれた。普通ならば向けられた相手には相当な負荷がかかるそれを、エリオットは難なく受け止めて見せる。「ごめんなさい。お気に障りました?じゃあ、言いなおしますね。“貴方はなんですか?”」キラキラしたタンザナイトが今は赤く燃えていた。一触即発の空気。おいおい。ここはどこか忘れたのか?後ろの奴らには瞳の色の変化までは見えていないようだが……仕方ない。俺は魔力を載せてゆっくりと告げた。「ステイ、だ。エリオット」ピタとエリオットが静止する。その目が驚いたように見開かれた。俺はゆっくりと人差し指を唇に当て、目を細めて悠然とほほ笑んだ。「ここはどこだ?そして今は授
ほだされるな、か……。俺は背にジワリと滲む汗を感じながら苦笑した。「……もう遅いようだ」エリオットの視線が明らかに固定されている。あえて視線が合わぬよう微妙にずらしているのだが……目を合わせるまでそうしているつもりか?クラスメートもそれに気づき、ざわつき始めた。「エリオット様、アスカ様とお知り合いなのかしら?」「いや、田舎に居たっていうし接点はないのではないか?」「アスカ様に見惚れる気持ちは分かるがな」なにかを期待するかのような視線が、俺に集中してしまった。いや、どうしろと?ゲームの中で知っているだけで、今世では初対面なのだぞ?それに好印象を持ちはしたが、積極的に関わりたいわけでもない。「遅かったか………」アスナが大げさにため息をついた。「仕方ねえなあ貸し一つな?」すっくと立ちあがるアスナ。俺に向いていた視線は一気に隣のアスナへと向かう。「先生!よろしければ俺が彼に校内を案内しましょうか?同じ中途入学した仲間として」キラキラスマイルを披露して、ダメ押しにウインク!「きゃああああ!アスナ様、お優しいっ」「さすが面倒見がいいよなあ」クラスメートの声を後押しに、エリオットに向かって微笑みかける。「エリオット、どうだ?君さえよければ、だが……」みんなこいつの外面に騙されているようだが、よく見ろ。目の奥が全く笑っていないだろうが!これは明らかにエリオットに対する挑発だ。果たして彼はそれに気づくか……?驚いたように目を丸くしていたエリオットが、クスリと笑みを零した。「あはは。……うん、分かりました。………アスナ様、でしたか?ええ。よろしくお願いいたします。貴方さえよろしければ」浮かべる笑みは無邪気なものだが……一瞬その目がキラリと光ったのを俺は見逃さなかった。どうやら彼は無邪気なだけの人ではないようだ。さすがに公爵家と渡り合うだけのことはある。能力と努力する力、そして状況を素早く判断し行動するだけのしたたかさも持ち合わせていた。ゲームの中のアスカはそれに気づかなかった。悪役で好き勝手していたアスカこそが、恵まれた家族と環境に育ち、「自分は無敵なのだ」と信じて疑わない無邪気な人だったのだから。エリオットを「顔だけのやつ」と見くびったのがゲームのアスカの敗因だ。俺は違う。自分で言うのはなんだが、あの家族の中で
そうこうするうちに、エックスデーはやってきた。そう、あのピンク頭の主人公が学園に登場したのである。俺の記憶よりも若干早いのは誤差といったところだろうか。「身体が弱く療養していたため入学が遅れた」という触れ込みなのはゲームと同じ。彼は「公爵家の息子。これまで田舎で病気療養していたが、ようやくいい薬が見つかり学校に通えるようになった」ということになっている。だが実のところは、健康そのもの。平民として育てられていたため、学園に通うための最低限の貴族のルールが身についておらず、入学に間に合わなかっただけなのだ。そう、彼は昔侯爵が手をつけた使用人がこっそりと産んでいた侯爵家の庶子。生まれてからずっと放置されていたのだが、可憐な令息に成長していたことがたまたま侯爵の耳に入ってしまった。しかも公爵にとって都合のいいことに、王子と同じ年齢。そこで王子と縁を結ばせようと、母親を脅すようにして無理やり公爵が引き取ったのだ。ゲームのレオンは、彼の「飾らない素朴さ」を気に入り側に置くようになる。そして彼と婚約するため、能力は高いが必要以上にレオンに執着する婚約者、アスカ・ゴールドウィンを断罪するのだ。その彼がA-2、つまり俺のクラスに入ってきた。実際の彼はゲームで見るよりも可憐だった。本当に男なのか?線の細い華奢な身体つき。健康だと知っている俺ですら「病弱だったのか」と信じてしまいそうだ。特徴的な珍しいピンク色の髪は、クセ毛なのかふわふわとカールし、彼の顔の周りを柔らかく彩る。けぶるような長いまつげが影を落とす瞳の紫は、まるで希少な宝石タンザナイト。見る角度によって深い青にも見えた。小さな顔というキャンバスの中に絶妙なバランスで配置された鼻はスッキリと小さく、薔薇の花のように可憐な唇がふわりとほどけて柔らかな言葉を紡ぐ。「エリオット・クレインです。田舎で療養していたので、入学が遅れてしまいました。身体が弱く社交をしてこなかったので、失礼なことをしてしまったらごめんなさい。皆さんにご迷惑をおかけせぬよう頑張ります」そう言って遠慮がちに微笑む姿は謙虚で清廉そのもの。野に咲く花を思わせた。てっきり侯爵が金にものを言わせてAクラスに入れたのだと思っていたが……立ち居振る舞いからするとそれもなさそうだ。ゲームの印象では単なる前向き(空気を読まない)で素朴(