ここまで言って、静かに目を閉じているエリオットに声をかけた。「エリオット。もう起きているんだろう?寝たふりはもうやめろ。誘拐監禁については不問とする。その代わり、この屋敷はおれのものだ。いいな?そうだなあ……『演習中に大物と出くわして死ぬところだったが、アスカ様に助けられた。そのお礼としてこの屋敷を贈る』ということでどうだ?」「……いつから起きていると気付いていたのですか?あーあ。ボクがいても平気でいちゃつくんだもん。やってらんない!いいですよ。お二人で好きに使ってください。後で権利書を送っておきますから」不満そうに唇を尖らせるエリオット。二人で好きに使ってくれ、だと?この期に及んで何を言っているんだ?「お前も使うだろ?まさか、逃げるつもりか?」「え?………ボクも?」「ここは狂人の館だ。お前も十分狂人だろう?俺に執着するあまり誘拐監禁までするんだからな。可哀そうだが俺なんぞに捕まったのが運のつきだ。死ぬまでこき使ってやるから覚悟しておけ。お前は死ぬまで俺の下僕だ。その代わり楽しませてやる」「!!はい!狂人は言い過ぎだと思いますが、死ぬまでアスカ様と共に、ってなんかいいですね。ふふふ」「前世の記憶持ちが三人か。よくも集まったものだ。探せばもっといるかもしれないな?」俺の何気ない言葉にアスナがぎょっと目を見開いた。「いや、これ以上いらねえぞ?!俺だって身体を捨てねえと追えなかったんだ。そこまでする奴が他にいてたまるかよ!心当たりでもいるのか?……気付かなかったな。横恋慕しやがるヤツは潰したつもりだったのに……」いやいやいや!黒いぞお前!何してやがるんだ!全く………「そんな狂人はお前くらいだろう。そういう意味じゃない。他のゲームのシナリオがどこか別の場所で進んでいる可能性があるのでは、と言ったまでだ。同じ世界を題材にしたスピンオフがあっただろう?」エリオットは心当たりがあったようで、「ああ、あれか!」と手を叩いた。「でもこっちはBLアリの乙女ゲーでしたけど、あっちは……R18の大人向けでしたよ……?なのでボクはやったことがありませんが……」「俺もねえぞ?!」「マジかあ……。こっちと交わらないことを祈るしかねえな。俺はアスカだけで十分だし!」余計なことを言ってしまったせいで、なんだか違う方向に話が進んでし
なんという性格の悪さ!自分の愛を超えられるものなどいないだろう、と確信しているのだ。「……愚かだな。だが、嫌いじゃないぞ」彼は想像しただろうか。世界をも超える愛を。身体を捨て魂になってまで追いかけて来る執愛を。狂人の相手には受け止められなかったに違いない。だからここは憐れな小鳥を閉じ込める檻となった。だが、自らここを望むものにとって、ここは理想京。「出ることができない」のではなく第三者の立ち入りを拒み「余所者を排除できる」素晴らしい愛の褥。まあ、俺にとっては……秘密基地といったところか?俺は普通の愛では満足できない。前世の俺は、家族の愛を知らなかった。だから「普通の暮らし」「普通の家族」というものに憧れた。そんな俺にできた親友。阿須那は俺から「普通」を奪おうとした。俺を孤立させ、俺の世界を阿須那のみで構築させようとしたのだ。だから俺は彼を憎んだ。恐れた。時々想像する。それが穏やかに伝えられたものだったらどうだったろうか?俺は彼を受け入れたのだろうか。阿須那が彼の取り巻きからが俺を庇ってくれていたら?俺の中で阿須那の愛が「普通」になり、彼が俺の唯一の家族となったのではないだろうか。だが現実はそうはならなかった。阿須那は俺を手に入れるために画策し、俺はそんな阿須那を受け入れられず逃げる道を選んだ。未来への希望が無かったわけではないが、そんな未来など訪れなかった。この世界にまで俺を追ってきたと知り、俺はその執着を恐れると同時に、歓喜したんだ。世界を超え身体を捨ててまで俺を求め続ける阿須那。これ以上の愛があるだろうか?これ以上に信じられる愛があるだろうか?エリオットの夢見た世界とは違うのかもしれない。彼の理想は「アスカは素晴らしい王子様と一緒に幸せになりました」。確かにレオンは理想の王子様だ。その容姿、能力、地位、名誉、どれをとっても他の追随を許さない。俺にとっては、その寛容、知性、俺と対等に話せる丹力。婚約者としての俺は最低だっただろう。レオンを避け、茶会にも出ず、会おうともしない。何とかして会ってもつれない態度で毒を吐く。だが彼は俺に無理強いをしなかった。権力にものを言わせることもできたろうに、そのままの俺を受け入れ、学園という「ともに過ごせる場所」に俺が出るまで待ち続けた。俺が好ましいと思うのは、
どれくらいのめり込んでいたのだろう。気付けば俺の横には空の皿とティーカップが置かれ、エリオットが疲れ切ったようにソファで居眠り、アスナは俺の横で機嫌よさげに鼻歌を歌っていた。「お。もう良いのか?」俺の視線に気づいたアスナが、チュッとキスをしてきた。「おい!」ジロリと睨んでも「いいだろ、誰も見てねえんだし」と悪びれない。「お前もずいぶんと偉くなったものだな?」ビシっとデコピンしてやると、額を押さえながらブウブウと文句を垂れだした。「ひでえ!だって恋人だろ?こんくらいいいじゃん」「いつ恋人になった?」「えー!お互いの好意を確認して、あんなことまで許しといて恋人じゃねえとかねえわ。てか、お前、好きでもなんでもねえやつとできんの?」「そんなわけないだろう。お前でもあるまいし」「なら恋人ってことでいいじゃん。お前さ、俺に相当許しちゃってんの、自覚あんだろ?さっきだって『あーん』で食わせてやってたんだぜ?気づいてねえだろ?」確かになんだかんだ絆されまくっている自覚があるだけに言い返せない。悔しいが、確かに「恋人」という言葉が当てはまるのだろう。素直に認めるのもしゃくで、足を蹴ってやった。「…………声をかけろよ」出た声に含まれる甘えたような響き。アスナの言う通り、アスナに甘えるのが当たり前になってしまっていた。我ながら、本当にどうしようもない。クソ!蹴られたアスナは嬉しそうに笑いながらご機嫌で俺の髪をもてあそび始めた。「ははは!夢中になって読んでたもんだからさ。食うかな、って口元に出したら大人しく口開けんの。可愛かったぜ?あーんされてんの見たエリオットの顔、見せたかったよ」言いながらツンと俺の唇をつつく悪戯な指先。ギュッとその指を握り、はじき返してやる。「悪趣味だぞ?この腹黒め」「お前だって、飛鳥よりかなり黒くなってんじゃん」「そりゃ俺はもう飛鳥じゃねえからな。記憶が戻るまでの5年、俺はアスカ・ゴールドウインとして生きていたんだ。同じはずがないだろう?忘れたのか?俺はもともと悪役なんだ。悪役らしくせねばな?」飛鳥の方が良かったのか?飛鳥は前世の自分なのに、なぜか胸がぎゅっと痛んだ。するとアスナがキョトンとした表情でこう言ってのけた。「え?お前も飛鳥だろ?口は悪くなってるけど、根本は変わんねえよ。飛鳥もあ
ふ、とエリオットの表情が変わる。「……やっぱりアンタ、アスカ様なんですよね。………どうしようもなくアスカ様なんだもん。俺の推しよりもアスカ様らしいなんて……皮肉でしかないですよ……ズルいなあ……そんなアンタだから俺は………」「ふは!だろうな。俺たちは来るべくしてこの世界に来たのだと、俺は思っている。いや、むしろこちらにこそ生まれるはずだったのだ。転生前の俺も、飛ぶ鳥と書いて飛鳥。まあ、苗字だがな。そしてこいつの前世の名は、阿須那レオン。これは推察だが……元来こいつもレオンに生まれ変わるはずだったのだと思う」「!!それって………!………ほんと、ズルイや。アンタ、ボクの見たかったアスカ様そのものなんだもん……」俯くその肩がわずかに震えている。目を瞑り、次に開いたときには……エリオットは「健司」の表情になっていた。「改めてご挨拶申し上げます。俺は坂本健司。そしてボクはクレイン侯爵家が当主、エリオット・クレイン。火、水、風、土の四属性に加え、闇、光魔法が使えます。隠していて申し訳ございませんでした。このボクの心からの忠誠を、アスカ・ゴールドウィン様、今のあなたに捧げます。仕方がないのでその異物にも忠誠を。その代わり……あなたはずっとあなたで居てください。何者にも負けず、折れず、自由な存在で居てください。ボクはゲームに描かれなかったあなたの行く先が見たい」俺を見上げるその瞳には、これまでにはない確固とした光が宿っていた。あのどこか焦燥に駆られるような奇妙な熱ではなく、しっかりと地に足をおろしたもの。これまでの彼はその立場を変えながらもあくまでも「ゲームの中のエリオット」を演じていた。可愛らしく健気なご令息。時に浮かんだ狂気にも似た光は、彼が求めた「自らの存在意義」が揺らいでいたからだったのだろう。それが俺たちにいらぬ警戒心を抱かせたのだ。今の彼は一皮むけたように見える。これまで俺たちに騙されていたという怒り。その怒りを凌駕する、この世界に転生してきたものが自分だけではないという安心感。そして……新たな希望。「……いい顔になったな」ゲームでのエリオットは、言葉は悪いが「誰かに甘えて生きていく」タイプだった。しかし健司の本質は違う。「誰かのために誰かを支えて生きていく」タイプだ。ならば、俺が貰う。俺の下僕として
しばらく口を開けたり閉じたりと何かを言いかけてはやめ、やめては言いかけるのを繰り返していたエリオットだったが、ようやく理解が追い付いたようだ。「ええ?!な、なんですぐに教えてくれなかったの?俺、言ったじゃん転生者だって!しかも同じ日本人なんでしょ?おまけにチートじゃん!なんで?!俺、アンタのこと『推し』って言ったよね?そりゃゲームだと俺は敵だし、絡みたくないのは分かるけど!分かるけどさああ!敵じゃないって分かったんだから、せめてあのクソ豚始末した時に教えてくれてもよかったんじゃないのっ?どおりでおかしいと思った!だってアスカ様ってば、ツンデレハイスぺなのにちょっとなんていうか箱入り息子で陽とのこと疑わないでしょ?だからあんな主人公に嵌められちゃって断罪されちゃうんだし。そこが可愛かったのに!俺が守ってあげたかったのに!なのに、アンタってばツンデレにしてはなんつーか、わりと常識的だし。意外と優しいしさあ!おまけにそんなヤツくっつけちゃって!断罪だってサクサクっと回避してレオン殿下にも好かれまくってるし!どう考えてもおかしいじゃん?!でもそれって俺が転生したせいで変化があったのかな、って思ってたのに!思ってたのに!まさかアンタも転生者かよおお!それに、なんだよそいつ!前世からくっついてきた?そんなのアリ?絶対に敵わないじゃん!運命じゃんそんなの!ズルいよ!ずる過ぎるでしょ!!人間じゃないってチートがすぎるし!従魔なんて完全にあのゲームとは別もんじゃん。別ゲーじゃん!俺が転生したせいで変わったんじゃない。このゲームを変えたのはアンタたちだったんだ。じゃあなんで俺、こっちに来たんだよおおお!何したらいいんだよおおお!」ガクリと崩れ落ちて床ドンしながらの弾丸トーク。「……エリオット、お前……自分のこと『俺』って言うんだな。そっちが素か」「え?!ここ、慰めたり謝ったりするところじゃないの?!ひっかかったの、そこ?!そんなことはどうでもいいでしょうがっ!」「確かに。アスカ、ちょっとくらい慰めてやれよ。なんつーか、不憫」「お前の慰めなんぞいらねえんだよっ!俺は!アスカ様、いや、アンタに慰めて欲しいの!偽アスカ!慰めろ!!」「……良かったじゃねえか。俺が本物のアスカだったら、断罪を回避したらお前なんぞごみクズみたいに捨てているぞ?
「……来る」面倒ごとを避けるため、ひょいっと足環を取り外す。「?!え?は?……ええっ?」「言っただろう?普通の人間用の魔封じなど俺にとっては意味がない。俺の魔力を上回るものでないと、俺を抑えることなんてできねえぞ?」ハッと目を見開いたところを見ると、豚の処理の際のやり取りと思い出したのだろう。「あ、あれ『そういう体にしよう』というんじゃなかったんですか?」「そういう体でもあり、事実でもある。それとな、念のためお前の魔力も込めてあったようだが……全然足りてねえからな?魔力をうまく使えないふりで俺を油断させるまでは合格だ。演習を利用して俺を誘い出したのも、なかなか良かった。この部屋も非常に興味深い。また使ってやろう。だが、これはいただけないな」外したチェーンをぐるぐると振ってやる。「こんな飾り、俺には意味がない。まあいい余興にはなったが」ドガーン!!「アスカ、無事かっ?」膨大な魔力と共にアスナがやってきた。「遅いぞアスナ。もっと早く来るか、いっそもっと遅く来い。中途半端なんだよお前は」息を切らすアスナの目に飛び込んできたのは、足を組みニヤニヤしながらベッドに腰かける俺と、足元の床で青ざめながら正座するエリオット。ガクン、とアスカの顎が落ちた。「………あー………どういう状況だ?これ」この顔が見れただけでもエリオットの目論見に乗ってやった甲斐があったというものだ。要するに、この世界に来たエリオットは、まず元居た世界に戻れないことに絶望した。(恐らく元の世界のエリオットはもう死んでいるだろう)そしてここが大好きだったゲームの世界で自分が主人公のピンク頭だと気付くと、「推しの悪役令息を救うことこそボクがここに来た理由なのだ」と思い込む。ゲームのルートをたどりつつ、諸悪の根源である豚を養豚場に送ろうと心に誓った。そして、本来ならば入るはずもないAクラスに入り俺と接触することに成功。俺と共に事件を解決し、「こうしてお姫様は王子様と幸せに暮らしました」というハッピーエンドを望んだというわけだ。しかし、計画におかしな異物が混入した。アスナだ。ゲームに全く登場しない、しかも王子様そっくりのアスナが俺の横にしっかりがっつりと付き従っている。おまけにどうやら、王子様の方は俺に気があるのに、俺の方にその気がない。エリオットは混乱