INICIAR SESIÓN
1
「もう、女性を愛することは——できない」ガウンを着て、ベッド上で正座をした夫が私にそう言った。
——夫婦の寝室で。
「だから、もう——やめてほしい……」
大丈夫……と自分に言い聞かせる。
「やめてほしいって……、それってどういう……」
声が震えないように、ゆっくり話した。
「子供は……、子供は——諦めてほしい」頭から冷水を浴びたかのような感覚に陥った。
夫は金色の輝く髪を垂らし、深々と頭を下げた。
筋肉質で大きな体を縮めている。
まるで怯えたように……。
「ディー……、頭を上げて」
夫のディートハルトは眉を八の字にして、今にも泣きそうな顔をしていた。
……ずっと苦しかったんだね。
私はため息を漏らした。
もう、ここまでね……。「わかったわ。それで、どうしようか……。離婚……する?」
離婚……という言葉が私の心臓の鼓動を速めた。
ダメよ……。
彼にこの気持ちを気づかれては……。
これ以上、苦しめては……。
「離婚は嫌なんだ…………。女性と結婚してなきゃいけないなら、アーシュがいい」
私のことを、アーシュレイではなく——愛称呼びをしてくれるのね。
「アーシュとはずっと一緒にいるし。君といるのは楽しいから……パートナーなら君がいいなって」
ディートハルトは少し笑った。
「ちょっと、私が女性らしくないってこと?」
「あははは……、それそれ。普通の貴族女性はそんな話し方しないよ?」
「そりゃ、私は普通じゃないけど……」
私は膝の上で両手を絡める。
ディートハルトは私の手を優しく包み込む。
その温もりに、緊張が解けていく。
「とにかく、離婚はしない……」
芯の通った瞳で彼はそう言った。
離婚はしないけど、子供はいらないってこと……?
私たちは結婚して二年——白い結婚を貫いている。
正確には今日まで、全て私が振られ続けている。
まさかその理由が『女性とそういうことはできません』だったなんて……。
彼をその気にさせるために、色気のあるネグリジェや下着を着たことか……。
その度に「寒そうだね、風邪引くよ?」と厚手のガウンを着せられてきた。
男性が興奮するような香水、時には媚薬まがいなものまで使ったが……。
——全て空振りだった。
私の髪は赤く、少しウエーブがかっている。
よく肉づきが良いと友人に言われる。
——自分では良く分からないけど。
結婚前は男性をたぶらかす悪女……なんて言われた事もあった。
しかし、ディートハルトには全く効果がなく自信もなくなっていった。
私の二年間の努力……。それなら、初夜に言ってほしかった……。
「お義母さまにはなんて言えば……。子供を今か今かと楽しみにされているのに……」
そう、私がこんなにも子作りを望んでいたのは、義両親、特に義母からの圧力が凄まじいからだ。
義母も悪い人ではないのだけれども、なんせ気の強い人なのだ。 「うん……。養子も考えてる……」養子……。あの義母が養子を受け入れるだろうか……。
「それに弟のところにもう子供が生まれたし、うちはいなくても問題ないかなって」
ディートハルトは伯爵家の嫡男だ。まだ義父が家督だが、そのうち弟かディートハルトが継がなければならない。
優先順位からいって、嫡男のディートハルトだろう。
ディートハルトは王宮騎士団でもうすぐ副団長に昇進する。
だから、家督は弟に譲る気でいるのだろう。
しかし、義母は貴族としての体面を何よりも重んじる人。
正当な理由がない限り、それは認めてくれないであろう。
義母は子育てに熱心だった。
貴族女性としては珍しく乳母ではなく、授乳から全て自分の手で子育てをし、料理やお菓子作りまで完璧にこなす超人だった。
そして、何よりも溺愛しているディートハルトの子供を楽しみにしている。
義母からはとうとう不妊症を疑われ、病院にまで通わされた。
正直不妊症かどうか、分からない……。
——だって一度もしてないのだから。
さすがにそのことを義母に打ち明けることもできず……。
だから、余計——辛かった。
今日こそは逃がさないとばかりにディートハルトに迫ったら……。
まさかのカミングアウトだった……。
女性を愛せないってことは……。
「ねぇ、ディーは男性が好きってことなの……?」
ディートハルトは翡翠の美しい瞳を揺らした。
「どうなんだろう……。俺もよく分からないんだ……。女性は……、君や家族以外は苦手で……。その……男性の方が好感が持てる……かな」
まだ、男性が好きって、自覚したばかりなのかな……。それとも……。
「好きな人が——いるの?」
ディートハルトは俯いていた顔を勢いよく上げて、前のめりになった。
「そんな人はいない!アーシュがいるのに!」
私がいるのに……?
でも、愛せないって……。
私は顎に手を当てて、天井を見上げた。
離婚してあげて、彼を自由にしてあげるのが一番なんだけど……。
家同士の付き合いもあるし、……何より私の立場が弱いのが問題だった。
うちは貧乏男爵家だからだ。
なんで結婚できたかというと、父親同士が学友だったため、昔から家族ぐるみでの付き合いがあった。
お酒の勢いで父親同士が勝手に婚約を交わしてしまった。
当時義母は相当怒っていたと後からディートハルトに聞いた。
そして結婚の時も、うちの実家を相当な額支援してもらい、実家を立て直すことができた。その恩義があるため、私からは離婚を切り出せない。
「はぁ~。とりあえず子供のことは私に任せてくれる?」
私は頭をかきながら、ディートハルトにそう言った。
「任せるって?いい養子先を知っているの?」「う……ん。とりあえずやるだけやってみる」
いや、あの義母だもの……。
養子も説得も無理だろう。
これは奥の手を使うしかない。
そう……、それは……。
——公認の愛人を作ること。
ディートハルトに似た容姿の男性に、代理で父親になってもらうということだ。
――退団届。「どうしても、見つけないといけない人がいます」「地位も名誉もよりもか……。今までの努力が……」俺は爪が食い込むほど、手を握った。「構いません。俺には、その人の方が大事だからです」「はあ……。お前も頑固だからな……。でも、退団だけはするな」「――しかし」団長が机に置いた封筒を持って、俺の胸に押し付けた。「落ち着いたら、手紙をくれ。俺がその地域の騎士団に異動させてやるから……」俺は退団届をクシャッと握り込む。団長の大きな手が、俺の頭を撫でて髪が乱れる。その手はとても重かった。「――はい。感謝します、団長」団長は白い歯を見せて笑った。 ◇◇◇ 騎士団の荷物は意外と少なかった。まぁ、ほとんど討伐でこの事務所にはいなかったから……。訓練場を見渡す。青い空に緑の芝が揺れる。息を吸いこめば、青々とした香りが胸に広がる。俺は前を向いて、出口を急いだ。——その時。後ろから芝を駆ける音がした。振り向く間もなく、お腹に手を回された。その手はひどく震えて、冷たかった。子どもみたいに小さな手。その手に俺は幾度も助けられてきた。「なんでだよ! なんで……。ひどいよ、ディー……」――レイン。「すまない。急いでいたんだ。お前にはたくさん世話になったのに……」「そうだよ! 相棒だったじゃん。それなのに、何の相談もなく、休団するなんて!」「……」胸が痛かった。「あの、アーシュレイって女が原因なんだろう? あんなひどいことされたのに、なんで? もう、離婚だってできるじゃないか!」
イヴェッタに会議室に通される。「なんか飲む?」その声に感情が見えなかった。「いや、大丈夫だ」「……」イヴェッタが自分の紅茶をカップに入れて、飲みながらテーブルの椅子に座った。俺も彼女の向かいに座った。「で、今さら、何しに来たの?」「は? それは、どういうことだ……? 討伐が終わったから帰ってきたんだ。」彼女の言葉にはいつも、棘がある。「そうね。副団長様だもんね。就任おめでとうございます」祝う気のない顔で、イヴェッタはそう言った。「ありがとう……」「昨日、家に帰った。アーシュがいた痕跡がなかった。よく着ていたワンピースもなかった。俺からの手紙も……」「魔道具課にはもう、アーシュはいないわよ。あなたが討伐に出発して、すぐに辺境の地に異動になったのよ」――異動?あんな時期に?イヴェッタが口元を歪めた。「自分で異動願いを出してね……」「アーシュが自分で!? いったいなぜ……。彼女は今どこにいるんだ!」イヴェッタの眉に深い皺ができる。「言うわけないじゃない。アーシュがあなたに手紙の一つも残さないで行ったのよ。それって、――分かるわよね?自分のことばかり考えているから、こうなるのよ。ま、一つ言えることは、アーシュは今、幸せに暮らしているわ……」「幸せ……?」俺のいないところで……?丸眼鏡の奥の瞳がいたずらに、微笑む。「そうよ。とーってもね」「4年別居なら、片方だけの署名で離婚できるわね」――離婚。イヴェッタが優雅に紅茶を飲む。「ま、婚姻を結んだまま、その――レインって子と一緒になるでもいいし。どこかの、貴族女性と再婚するでもいいんじゃない? きっと熱心なあなたのお母様が見つけてくれるわよ。なんたって、―
「副団長!お疲れ様です。 もう、お帰りになるのですか?」俺は騎士団本部で、帰りの支度をしていた。魔獣討伐に出て、――4年。やっと、帰ってこられた。俺は今回の討伐中に、副団長に就任した。アーシュは喜んでくれるだろうか。赤い髪をなびかせて、花のように笑う彼女が頭に浮かんだ。俺は口元が緩んだ。「副団長、にやけてますよ……。奥様、魅惑的ですもんね~!うらやましいですよ。奥様が食堂に来る時間は男性職員で混んでるって言いますからね!」「は……?」「ちょっと、副団長! 俺を睨まないでくださいよ。噂ですよ、噂……。今日は熱い夜になりそうですね~。では、失礼します!」そう言って、なかば逃げるように、若い団員は事務所を出ていった。食堂での様子を想像し、俺は奥歯に力が入った。あんなに清らかなアーシュに……。俺は頭を振る。――今日会えるんだから。俺は荷物をまとめ、足早に事務所を出た。手紙の返事がなかったことなど、忘れて……。 早く着きたくて、馬で伯爵邸に帰ってきた。夜も更け、屋敷も静かになっていた。扉を開けると誰かが立っていた。「おかえり……」さらに細くなった母の手が、俺の顔をなでた。「ディートハルト、またやせたんじゃない? 肌の色もこんなに焼けてしまって……。――体は? ケガはしていない?」母が俺の周りを回り、体を確認する。「また、一段と逞しくなったわね。でも、伯爵家当主になるんだから、そんなに鍛えなくても大丈夫よ?」――また、その話か。「でも、若い貴族女性には好ましいかもしれないわね……。何人かに声をかけてみようかしら……」母が何やら独り言を言った。「母さん、心配ありが
――もう、妊娠8か月になった。 あのあと、所長に申請書を出して、時短勤務にしてもらうことができた。 つわりのひどい時は何日も休みをもらった。 もちろん、良く思わない人もいた。 でも、エクリアさんやルシアンが私の分の仕事を請け負ってくれた。 私は背伸びをして彼の頭をなでた。 「ルシアン……。あなたやエクリアさんのおかげで、ここまで働くことができたと思っているわ……。本当に感謝を……」 なでた手をルシアンに掴まれた。 「――そうじゃない! もっと大事にされるべきなんですよ! あなたは……! 赤ちゃんだって……」 ルシアンは知らないから……。 ――私のずるさを。 婚姻を保ったまま、逃げたのは——私だから。 こんな方法しか、思いつかなかった。 彼とつながっている紙きれだけのこの関係を……。 私が——望んだんだ。 「うん……。 ルシアンの気持ち、嬉しいよ……。ありがとう……。明日から、家でゆっくり過ごすわ」 「俺だったら、もっと大事にするのに……」 それはまるで吐息のような声だった。 「……? 今なんて……?」 ルシアンは顔に似合わない、大きなため息をつき、髪の毛を勢いよく掻いた。 「まあ、いいです。産休に入っても、連絡くださいね! 俺もエクリアさんも、いるんですからね!」 「うん。ありがとう。頼りにしてますよ! 魔道具課のエース君!」 「あ、また俺のこと子ども扱いして……」 「あはは。だって、弟みたいに大事だから」 彼は口を結んで、何とも言えない顔をした。
「エクリアさん、少しよろしいですか?」彼女の眼鏡が鼻のラインに沿って落ちる。私を見つめながら、眼鏡を直した。「もちろん。じゃあ、またお茶でもしますか」「え! 俺も行きたい」とルシアンが立ち上がった。「君はまだ仕事が残っているだろ?」エクリアさんの言葉にルシアンは眉を思いっきりさげて、渋々腰を下ろした。 やっぱり、この香り……。エクリアさんが花の絵が描かれたティーカップを差し出した。「熱いから、気を付けてね……」「はい、ありがとうございます」酸味の利いたハーブティを口に含むと、ムカムカしていた胸がスッとする。「このカップ、素敵な絵柄ですね……」エクリアさんのカップにも花の模様が描かれている。「あ、これ? ふふふ。魔道具課って、男性が多くて激務じゃない? だから休憩の時に、お気に入りのカップでハーブティーを飲むのが癒しなの……」「そうですね……。確かに……」私は魔道具課の面々を思い浮かべて、深く頷いた。「それで、私に話って?」「その……。赴任してきて、早々……申し訳ないのですが……」私の背中に冷汗が流れる。もし……嫌がられたら。困った顔をされたら……。「うん……」「――妊娠していました。今、3か月に入ったところです……」私は目をぎゅっと握りしめた。「えっ! やっぱり! 私ね、こういう勘は当たるのよ!」私は顔を上げ、エクリアさんを見た。エクリアさんは目尻に深いシワを作って、微笑んだ。強張った私の体がほどけていった。彼女は私の手を取って、優しく包み込んでくれた。「おめでとう! 赴任したばかりだし、特に今は忙しいから、遠慮する気持ちも分かるわ。でも、アーシュレイさんにとって、今いち
エクリアさんは席を立って、ミニキッチンのある部屋に私を通した。ここに座っていてと言われ、小さなテーブルについた。エクリアさんはお湯を沸かし、何かを迷いながら、ハーブティーの瓶を取り、ティーカップを出した。その中にハーブティーを入れて、お湯を注いだ。少し時間を置いてから、そのティーカップを私の前に差し出した。「え?」「まだ、休憩時間だから。少しお茶しましょ……」エクリアさんは向かいに座った。エクリアさんは簡素なカップにハーブティーを入れて、飲んでいた。ここのところ暖かいものは——飲んでない。香りを嗅ぐと、気持ちが悪くなるからだ。私の気持ちを察するかのように、エクリアさんが笑った。「大丈夫。まずは一口飲んでみて……。きっと、ホッとするから……」私はごくりと喉を鳴らした。ゆっくりとカップを持ち上げて、口元に持っていく。ハーブティーの香りが鼻孔をくすぐるも、不思議と胃がスッキリした。温かい飲み物が口に入り、喉を通過した。「えっ……美味しい……。お、美味しいです!」私は続けて、飲み込んだ。全く――気持ち悪くなかった。「私もね、昔好んで飲んだハーブティーなんだよ。今度買ってきてあげるよ」「あ、ありがとうございます!すごく、嬉しいです」香りも酸味があって、気持ちまでも落ち着いた。エクリアさんが胸ポケットからペンを出し、メモ紙に何か書いた。「今日は早退していいから、ここに行っておいで……。優しい先生だよ」「えっ? 先生……?」「そう、私も二人ね、その先生に取り上げてもらったんだ」「取り上げて……」私はその言葉に、息が止まった。 ◇ 「アーシュレイさ







