LOGIN「えっ!?ディートハルトって男色だったの!?」
「ちょっと声が大きいよ!」
私の唯一の女友達と言って良い、彼女……。
伯爵家のご令嬢のイヴェッタが、背中をのけぞらして大声をあげていた。
昨夜夫からのカミングアウトを受けて、彼女の邸宅に約束もなしに訪問し、今に至る。「アーシュレイが約束もなしに来るから、何事かと思ったけど……。そりゃキツイわ……」
そういってイヴェッタは香り高い紅茶を口に含んだ。
「それで、離婚することになったの……?」
「それが、なぜか断られちゃって……。私も実家に援助してもらった手前、自分からは離婚を言い出せないし……」「……」
イヴェッタが大きな瞳を伏し目がちにし、一点を見つめていた。
何か考え事をしている時の顔だ。
イヴェッタとは王立学院からの友人で、今は私と同じ王宮の魔道具課に勤めている。
美しいピンク色の長い髪は、なかなかのくせ毛でいつも編み込みをしてごまかしている。
白い肌とピンクの瞳のコントラストが美しい。
頬にうっすらソバカスがあり、私はそこが可愛いと思っている。
本人は気にしているのだが。
大きめの丸眼鏡も彼女らしくて好きだ。
年齢は私と同じ23歳。本来結婚していても良い年だが、最近仕事を優先にしている貴族女性も増えており、イヴェッタもその一人と言える。
「……つまりアーシュレイと結婚しておいて、自分は秘密の恋人と仲良くしちゃおうってことね」
私は口に含んだ紅茶を危うく吹き出しそうになった。
「えっ、どういうこと……?」
「貴族男性はおおっぴらに男色と言えない。だから、体面を保つ為にも結婚は必要なわけ。だから、あなたと結婚しておいて、自分は好きな男性と楽しむってことじゃない?しかも騎士団じゃ、選び放題ね」
「うっ……、確かに……。でも、今は好きな人はいないって言っていたわ。私のこともパートナーとしては好きっぽいことを言ってたし……」
「でも、妻として愛してるって言われてないのよね」
イヴェッタの眼鏡がキラリと光り、その奥の鋭い視線が突き刺さった。
「はい、言われてません……。結婚するならアーシュがいいとしか……」
イヴェッタが大きくため息をついた。
「あんたたち、無駄に幼馴染歴長いじゃない?気心も知れてるし、気も使わないし、ディートハルトも楽なんでしょうね。でも、それは友人としての好きであって、恋愛でなかったのね」
完全に打ちのめされて、何も言葉が出なかった。
「そう……よね」
「それで、アーシュはどうしたいの?」
「……離婚はしたくない」
そう……、援助してもらったこととは別に、まだ離婚はしたくなかった……。 私はカバンから、分厚い本を取り出した。「何?これ、法律の本じゃない……」
私は本に挟んでおいたしおりのページを開き、イヴェッタに見せた。
「これって……。代理父親制度じゃない。確か夫婦間に疾病またはそれに準ずることが理由で子供が出来なかった時、代理父親を設けることが出来るっていうものよね?確かパートナーのサインがあればいいっていう……。えっ、これやるの?」
貴族にとって跡取りの子供ができないのは死活問題だ。
それを危惧した王家が、10年前にこの法律をつくった。
夫が同意すれば、代理で子種を分けてもらい、それは第三者には決して漏らさないという秘密保持が課せられる。
だから、このことを知っているのは夫婦とその男性だけということだ。
義母にバレることもない。また、将来子供が望まない限り、その男性と会わせることもないことが明示されている。
「うん……。私もまた一から結婚相手を探すの面倒だし、離婚歴あるとまともな人はまず無理じゃない……。だから、この制度を利用しようかなって。……それで、その相手をどこで探せばいいかな……?」「うーん……、周りでもこの制度を利用してる人って聞いたことないし、きっとみんな隠してるだろうからね……。一番いいのは夜会とか、舞踏会に参加して声をかけるのがいいんじゃない?」
「えっ!私からそんな、男性を誘うってこと……?」
イヴェッタがさらに深いため息をついた。
「アーシュ……、そんな覚悟もなくてどうするの……。学生時代なんて、男性をたぶらかす悪女とか言われてたのに……」
「そ……、それは女の子の友達が少なくて、ディートハルトとばかりいたからで……。でも、そうよね……。うん、それくらいやっていかないとよね」
「今度……、一緒に行ってくれない?」
私は心細くなり、両手を合わせてイヴェッタに懇願した。
「仕方ないわね……。親友の頼みだし、付き合うわよ」
イヴェッタは口角を上げて、紅茶を飲んだ。
「副団長!お疲れ様です。 もう、お帰りになるのですか?」俺は騎士団本部で、帰りの支度をしていた。魔獣討伐に出て、――4年。やっと、帰ってこられた。俺は今回の討伐中に、副団長に就任した。アーシュは喜んでくれるだろうか。赤い髪をなびかせて、花のように笑う彼女が頭に浮かんだ。俺は口元が緩んだ。「副団長、にやけてますよ……。奥様、魅惑的ですもんね~!うらやましいですよ。奥様が食堂に来る時間は男性職員で混んでるって言いますからね!」「は……?」「ちょっと、副団長! 俺を睨まないでくださいよ。噂ですよ、噂……。今日は熱い夜になりそうですね~。では、失礼します!」そう言って、なかば逃げるように、若い団員は事務所を出ていった。食堂での様子を想像し、俺は奥歯に力が入った。あんなに清らかなアーシュに……。俺は頭を振る。――今日会えるんだから。俺は荷物をまとめ、足早に事務所を出た。手紙の返事がなかったことなど、忘れて……。 早く着きたくて、馬で伯爵邸に帰ってきた。夜も更け、屋敷も静かになっていた。扉を開けると誰かが立っていた。「おかえり……」さらに細くなった母の手が、俺の顔をなでた。「ディートハルト、またやせたんじゃない? 肌の色もこんなに焼けてしまって……。――体は? ケガはしていない?」母が俺の周りを回り、体を確認する。「また、一段と逞しくなったわね。でも、伯爵家当主になるんだから、そんなに鍛えなくても大丈夫よ?」――また、その話か。「でも、若い貴族女性には好ましいかもしれないわね……。何人かに声をかけてみようかしら……」母が何やら独り言を言った。「母さん、心配ありが
――もう、妊娠8か月になった。 あのあと、所長に申請書を出して、時短勤務にしてもらうことができた。 つわりのひどい時は何日も休みをもらった。 もちろん、良く思わない人もいた。 でも、エクリアさんやルシアンが私の分の仕事を請け負ってくれた。 私は背伸びをして彼の頭をなでた。 「ルシアン……。あなたやエクリアさんのおかげで、ここまで働くことができたと思っているわ……。本当に感謝を……」 なでた手をルシアンに掴まれた。 「――そうじゃない! もっと大事にされるべきなんですよ! あなたは……! 赤ちゃんだって……」 ルシアンは知らないから……。 ――私のずるさを。 婚姻を保ったまま、逃げたのは——私だから。 こんな方法しか、思いつかなかった。 彼とつながっている紙きれだけのこの関係を……。 私が——望んだんだ。 「うん……。 ルシアンの気持ち、嬉しいよ……。ありがとう……。明日から、家でゆっくり過ごすわ」 「俺だったら、もっと大事にするのに……」 それはまるで吐息のような声だった。 「……? 今なんて……?」 ルシアンは顔に似合わない、大きなため息をつき、髪の毛を勢いよく掻いた。 「まあ、いいです。産休に入っても、連絡くださいね! 俺もエクリアさんも、いるんですからね!」 「うん。ありがとう。頼りにしてますよ! 魔道具課のエース君!」 「あ、また俺のこと子ども扱いして……」 「あはは。だって、弟みたいに大事だから」 彼は口を結んで、何とも言えない顔をした。
「エクリアさん、少しよろしいですか?」彼女の眼鏡が鼻のラインに沿って落ちる。私を見つめながら、眼鏡を直した。「もちろん。じゃあ、またお茶でもしますか」「え! 俺も行きたい」とルシアンが立ち上がった。「君はまだ仕事が残っているだろ?」エクリアさんの言葉にルシアンは眉を思いっきりさげて、渋々腰を下ろした。 やっぱり、この香り……。エクリアさんが花の絵が描かれたティーカップを差し出した。「熱いから、気を付けてね……」「はい、ありがとうございます」酸味の利いたハーブティを口に含むと、ムカムカしていた胸がスッとする。「このカップ、素敵な絵柄ですね……」エクリアさんのカップにも花の模様が描かれている。「あ、これ? ふふふ。魔道具課って、男性が多くて激務じゃない? だから休憩の時に、お気に入りのカップでハーブティーを飲むのが癒しなの……」「そうですね……。確かに……」私は魔道具課の面々を思い浮かべて、深く頷いた。「それで、私に話って?」「その……。赴任してきて、早々……申し訳ないのですが……」私の背中に冷汗が流れる。もし……嫌がられたら。困った顔をされたら……。「うん……」「――妊娠していました。今、3か月に入ったところです……」私は目をぎゅっと握りしめた。「えっ! やっぱり! 私ね、こういう勘は当たるのよ!」私は顔を上げ、エクリアさんを見た。エクリアさんは目尻に深いシワを作って、微笑んだ。強張った私の体がほどけていった。彼女は私の手を取って、優しく包み込んでくれた。「おめでとう! 赴任したばかりだし、特に今は忙しいから、遠慮する気持ちも分かるわ。でも、アーシュレイさんにとって、今いち
エクリアさんは席を立って、ミニキッチンのある部屋に私を通した。ここに座っていてと言われ、小さなテーブルについた。エクリアさんはお湯を沸かし、何かを迷いながら、ハーブティーの瓶を取り、ティーカップを出した。その中にハーブティーを入れて、お湯を注いだ。少し時間を置いてから、そのティーカップを私の前に差し出した。「え?」「まだ、休憩時間だから。少しお茶しましょ……」エクリアさんは向かいに座った。エクリアさんは簡素なカップにハーブティーを入れて、飲んでいた。ここのところ暖かいものは——飲んでない。香りを嗅ぐと、気持ちが悪くなるからだ。私の気持ちを察するかのように、エクリアさんが笑った。「大丈夫。まずは一口飲んでみて……。きっと、ホッとするから……」私はごくりと喉を鳴らした。ゆっくりとカップを持ち上げて、口元に持っていく。ハーブティーの香りが鼻孔をくすぐるも、不思議と胃がスッキリした。温かい飲み物が口に入り、喉を通過した。「えっ……美味しい……。お、美味しいです!」私は続けて、飲み込んだ。全く――気持ち悪くなかった。「私もね、昔好んで飲んだハーブティーなんだよ。今度買ってきてあげるよ」「あ、ありがとうございます!すごく、嬉しいです」香りも酸味があって、気持ちまでも落ち着いた。エクリアさんが胸ポケットからペンを出し、メモ紙に何か書いた。「今日は早退していいから、ここに行っておいで……。優しい先生だよ」「えっ? 先生……?」「そう、私も二人ね、その先生に取り上げてもらったんだ」「取り上げて……」私はその言葉に、息が止まった。 ◇ 「アーシュレイさ
「熱いよ?」えっ……。彼は少し距離の取り方がおかしい……と思う。「えっ? ああ、そう?」私は体を後ろに反らせて、彼の手から離れた。「こら、アーシュレイちゃんを狙わないの!」向かいに座る女性職員が低い声を出した。何かと私の面倒を見てくれる年の離れた先輩だ。「エクリアさん、ひどいなぁ……。俺は純粋に心配で……」エクリアさんが下がった眼鏡の奥から、ルシアンを覗き込んだ。「いいかい? アーシュレイちゃんは、結婚しているんだからね? 変な気を起こすんじゃないよ?」「分かってますよ……。言われなくたって……」ルシアンがぼそっと言った。「アーシュレイちゃんは、こんな時に異動願を出してくれた貴重な人なんだからね。なかなか、できることじゃないよ、本当に……」エクリアさんがそのまっすぐな黒い瞳を私に向けた。ズキッと胸が痛んだ。そんなかっこいい人じゃないのに……。でも――本当のことなんて言えない。私はエクリアさんに笑顔を向けた。胃のあたりがキュッと締め付けられる。赴任して一か月半が経った。ここでの生活にはやっと慣れたところだ。「さぁ、お昼だね。アーシュレイちゃんはどうする? 食堂に行く?」私はバッグから、布の袋を出した。「お弁当かい?」「はい。母が最近作ってくれて……」「そうなのかい。じゃあ、私たちは行くね……」魔道具課のみんなが席を立ち、食堂に向かった。私は包みを開ける。お母様が作ってくれたサンドイッチ。お腹は空いているはずなのに――手が、出なかった。ここのところ、毎日こうだ。お母様の料理はおいしい……はずなのに。家でも、外でも食欲
結婚するなら、アーシュレイ以外考えられなかった。魔道具のことを話している時の彼女は、目を輝かせていた。そんな無邪気なアーシュレイが大好きだった。どんな時も優しい彼女……。しかし……。――母が子供を急かした。追い詰められたアーシュレイは、あの手この手で俺を誘惑した。――甘い香り、ナイトドレス。あの夜が脳裏をよぎった。俺は、彼女を拒み続けた。それでも、その気になってしまうこの体が憎らしく、あの女たちのようにアーシュレイに欲情してしまう自分が許せなかった。俺は穢れてしまったから……。穢れのない、アーシュレイを汚したくなかった。『もう、女性を愛することはできない』そうアーシュレイに告白した。前のような関係に戻りたかった。そして――俺は。……彼女を、傷つけた。 母からの圧力にアーシュが選んだのが、『代理父親制度』だった。アーシュレイが、そう選択した。俺はイヴェッタに言われたあと、街の魔道具屋を何軒も回った。「妻がどこにいるのか、知りたいんだ」「ほっほっほ……。浮気調査ですか? 嫉妬する男は嫌われますよ……」亭主は笑いながら、奥から何か出してきた。「髪の毛をこの中に入れてください。その方の魔力から、場所を特定できます」二人のベッドから、アーシュレイの髪の毛を拾った。――赤く艶やかな髪の毛。それからは、彼女を追いかけた。俺は仕事が終わるとアーシュレイを迎えに行き、寝るときも抱きしめた。俺以外の誰かが、彼女に触れる。頭がおかしくなりそうだった。自分勝手だと……分かっている。分かっているのに、どうすることもできなかった。……そして