Share

第40話

Author: るるね
last update publish date: 2026-04-16 23:44:40

 紗月もそこにいると知った途端、悠臣の声色は一気に親しげなものへと変わった。

 どこか浮き立つような高揚感すら滲んでいて、きっと慎一が聞いていることも分かったうえで、わざと自分と紗月の関係を親密に見せつけようとしているのだろう。

「紗月ちゃん、久しぶりだな。最近は元気にしてたか? この数年、ほとんど連絡できなくて悪かった。実はずっと海外の会社を視察していてさ……」

 悠臣は、紗月と連絡を絶っていた年月を、まるで仕事のためにやむを得なかったかのように取り繕っていた。

 それを聞きながら、慎一は思わず笑いそうになる。

 たしかに、悠臣がこの数年、断続的に海外へ行っていたのは事実だが、彼の言う「海外視察」など、まるで出鱈目だった。

 実権も持たず、金を散財することしか能のない放蕩息子が、海外に数か月滞在していたところで、酒と女に溺れていただけに違いない。

 おそらく、自分の家の海外子会社の所在地すらまともに知らないだろう。

 とはいえ、悠臣が国外にいる間は、慎一にとって厄介事がひとつ減る。

 それだけは都合がよかった。

 その礼だとでも言うように、慎一はわざとスマートフォンを紗月の枕元へ押
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 愛し続けた彼を、私は手放すことにした   第43話

     沈黙をまとったまま、慎一はひどく静かに部屋へ戻ってきた。 もう完全に出て行ったものだと思い込んでいた紗月は、不意を突かれて思わず息を呑む。 同時に、なぜか胸の奥がじんと熱を帯び、目の奥がわずかに痛んだ。 どうしてそんな感情が込み上げたのか、自分でも分からない。「……どなたですか?」 紗月が答えないままでいると、電話の向こうの女は、わずかに苛立ちを滲ませた声で問い返した。 やがて何かに思い至ったのか、言葉を濁しながら続けた。「もしかして……さつ……」 それ以上言われる前に、紗月は慌てて通話を切った。慎一の前で、母親だと気づかれることが怖かった。 ――まだ、自分には母と向き合う覚悟がないのだと、気づいてしまった。 そんな怯えた紗月の様子を前にしても、慎一はただ小さく鼻で笑っただけだった。誰と話していたのかなど、気にも留めていないように。 だが、その直後、ふと悠臣の存在を思い出したのか、踏み出しかけていた足をぴたりと止める。 冷たい視線が紗月へと向けられた。 問いかける声には、はっきりとした威圧が滲んでいる。 それでいて、わずかに自分でも気づいていないような苛立ちが混じっていた。「誰からの電話だ。……御堂か?」「え……? あ、違うの……!」 紗月は一瞬言葉に詰まりながら、慌てて首を振った。 慎一は小さく「ふん」と鼻を鳴らす。彼女を見る目には、露骨な不信が宿っていた。 胸の奥が理由も分からないまま重く詰まる。 昨日、悠臣が紗月の話をしたときの、あのどこか得意げな表情を思い出した瞬間、胸の内側から苛立ちが湧き上がる。 本当は、慎一も分かっている。 悠臣が紗月に特別な感情を抱いていないことくらい。 それでも、口から出た言葉は、その思考とはまるで正反対だった。「……は。昨日も聞いただろ。御堂がどれだけお前を欲しがってたか。もしあいつとどうにかなりたいなら、俺の目の届かないところでやれ。……俺は、汚い女に触れる趣味はない」 その言葉に、紗月の顔色がさっと青ざめる。同時に、昨夜のことが頭をよぎった。 慎一が電話をかけたあのあと、自分がどう反応していたのか。 覚えているはずなのに、まるで夢だったかのように輪郭が曖昧で、うまく思い出せない。 悠臣に、あの声は聞こえてしまっていたのだろうか。 もし聞かれていたら――。 考えるだ

  • 愛し続けた彼を、私は手放すことにした   第42話

     翌日は日曜日だったことだけが、せめてもの救いだった。 慎一は昔からそうだったが、こういう行為のときは一切手加減をしない。むしろ、快感よりも痛みを与えることを優先しているかのようだった。 今回も例外ではなく、そのせいで紗月は翌朝になっても身体に力が入らない。昨夜、強く掴まれた箇所には、今もなお鈍い痛みが残っている。 いずれ消えていく筋肉痛のようなもの。 それが、この結婚の中で、慎一が唯一紗月に残していく痕だった。 身体の痛みは、時間とともに薄れていく。 胸の奥に残った想いだけは、どうしても消えてくれない。 それが、いちばん厄介だった。 昨夜の疲れが抜けきらず、紗月はいつもより遅く目を覚ました。 目を開けると、部屋はひどく静まり返っていた。遮光カーテンが隙間なく閉められていて、室内はまだ夜のような薄暗さに包まれている。 ろくでもない夢を見た気がする。 その悪夢には、決まって慎一が現れる。 夢の中でも現実でも、彼は執拗に追いかけてきて、逃げ場を奪うように紗月を辱める。 流しきれなかった涙をそのまま引きずるように、目が覚めてもなお、目の奥がじんと痛み、気分は沈んだままだった。 重たい身体を引きずるようにベッドを降りる。 ――できれば、もう彼にはいてほしくない。 そんなことを願いながら、寝室のドアを開けたが、その心配はまったくの杞憂だった。 部屋の中は、妙に整いすぎた静けさに包まれている。 防音性の高いマンションのせいで、外の音はほとんど入ってこない。その分、空気が澱んだように重く、息苦しささえ感じられた。 慎一の姿はなかった。 いつ出ていったのかは分からない。おそらく、あの一方的な行為が終わった直後には、もういなかったのだろう。 いないでほしいと願っていたはずなのに、本当にひとりきりだと分かった瞬間、胸の奥から言いようのない空虚が込み上げてきた。 内側から何かが押し広げようとしてくるような、息が詰まるほどの重さだった。 静まり返った部屋の中で、紗月は力の入らない脚のままソファに腰を下ろす。焦点の合わない目で、天井の一点をぼんやりと見つめた。 長い時間、何かを考えていた気がする。 ふと気がつけば、頭の中は空っぽになっていた。 そんな混沌の中で、不意に思い出したのは、昨日祖父から渡された一枚の名刺だった。 母の連絡先。

  • 愛し続けた彼を、私は手放すことにした   第41話

    「……いや……!」 慎一の声音に滲むあからさまな脅し。 滅多に見せることのない執着と、底意地の悪い悪戯めいた残酷さに、紗月はこの瞬間、本当に彼が口にした通りのことをやりかねないのだと信じてしまった。 咄嗟に「いや」と叫んだその先で、紗月は慎一の深い眼差しとぶつかった。 その瞳の奥には、一瞬だけ、かすかな温度を帯びた笑みのようなものが浮かんでいた。 けれど、それは見間違いだったかのように、次の瞬間には跡形もなく消えてしまう。 そんなものが善意であるはずもない。……きっと、また自分を嘲っているのだ。 長年慎一と向き合ってきたからこそ、紗月はどうしてもそんなふうに考えてしまう。 また、自分の思い上がりを笑われているのだと。 次に返ってくるのは、きっとこんな言葉だ。 ――「お前なんかを、どこの男が抱きたいと思う?」 そんなふうに、さらに踏みにじられる覚悟までしていたが、事態は紗月の予想した方向には進まなかった。「……は?」 紗月の叫びを聞いた悠臣が、しばらく間を置いてから戸惑ったような声を漏らす。 信じられないものを聞いたように。 これだけの条件と待遇を提示しているのに。しかも相手は自分――社長である悠臣だ。 常に自信に満ちている彼にとって、拒絶されるなど考えたこともなかったのだろう。 その声には、あからさまな驚きと困惑が滲んでいた。 それでも、彼はなおも食い下がる。「紗月ちゃん、もう一度ちゃんと考えてみないか? それとも……何か他に条件があるのか?欲しいものでも、望む立場でもいい。もし君が望むなら、君だけを特別に契約してもいい。会社全体で君ひとりのために動く。……こんな条件、どこの事務所だって出せるわけがないだろ?」 悠臣の声は次第に焦りを帯びていく。 慎一の前で断られることが、彼にとっては何より耐え難い屈辱なのだろう。 だが、悠臣が焦れば焦るほど、慎一の機嫌は目に見えて良くなっていった。「紗月。心が動かないのか?これだけの条件、俺でも用意してやれない。たかが男ひとりだろ。ちゃんと掴んでおくべきじゃないのか?……ちょうど、お前が昔、俺にしがみついてきたみたいに」「……っ、いや……!」「本当に?お前の夢は、芸能人になることだったんじゃないのか。身体を使って取引するくらい、別に悪いことでもないだろ」 もちろん、悠臣はそんな

  • 愛し続けた彼を、私は手放すことにした   第40話

     紗月もそこにいると知った途端、悠臣の声色は一気に親しげなものへと変わった。 どこか浮き立つような高揚感すら滲んでいて、きっと慎一が聞いていることも分かったうえで、わざと自分と紗月の関係を親密に見せつけようとしているのだろう。「紗月ちゃん、久しぶりだな。最近は元気にしてたか? この数年、ほとんど連絡できなくて悪かった。実はずっと海外の会社を視察していてさ……」 悠臣は、紗月と連絡を絶っていた年月を、まるで仕事のためにやむを得なかったかのように取り繕っていた。 それを聞きながら、慎一は思わず笑いそうになる。 たしかに、悠臣がこの数年、断続的に海外へ行っていたのは事実だが、彼の言う「海外視察」など、まるで出鱈目だった。 実権も持たず、金を散財することしか能のない放蕩息子が、海外に数か月滞在していたところで、酒と女に溺れていただけに違いない。 おそらく、自分の家の海外子会社の所在地すらまともに知らないだろう。 とはいえ、悠臣が国外にいる間は、慎一にとって厄介事がひとつ減る。 それだけは都合がよかった。 その礼だとでも言うように、慎一はわざとスマートフォンを紗月の枕元へ押し当てる。 悠臣がより近くで彼女に話しかけられるように。 あまりにも親切に。「……っ、う……」 紗月の目は大きく見開かれたまま、涙が絶え間なくぽろぽろと零れ落ちていた。 身体は小さく震え、恐怖に怯えながらも、どこか熱を孕んでいる。 慎一は彼女の身体の敏感な場所を知り尽くしていた。わざとそこを狙うように触れられるたび、紗月はまともに耐えることができない。 全身から力が抜けていき、それでも最後の理性で必死に口元を押さえ、声が漏れないように堪える。 悠臣の声は電話の向こうから途切れることなく続いていた。「……この数年、俺なりにかなり頑張ったんだぜ? 今じゃ芸能プロダクションの社長だ。会社名はミドウ・エンターテインメント。はは、分かりやすいだろ?……紗月ちゃん、慎一から聞いただろう? まあ、あいつがどう伝えたのかは知らないけどさ。うちに来てくれないかって話だ。君来るなら、俺が直接契約する。俺が君を担当して、最高のリソースを用意する!君が欲しい立場も、肩書きも、やりたい仕事も――全部、俺が叶えてやる自信がある」 悠臣は次々と言葉を重ねていく。 紗月の耳には、その半分も入って

  • 愛し続けた彼を、私は手放すことにした   第39話

     短い沈黙が落ちた。 あまりにも度を越した侮辱だった。 とりわけ、慎一が自分をほかの男のベッドへ送るなどと言い放ったことは、紗月にとって、直接刃物で胸を抉られるのと何ひとつ変わらなかった。「……っ、う……」 涙がこぼれ落ちるより先に、紗月は思わず慎一を打とうと手を伸ばした。 もともと力の弱いその腕では敵うはずもなく、動きも遅い。振り上げた手首はあっという間に慎一に掴まれ、そのまま枕へと押し戻されてしまう。 結局、彼に触れることすら叶わなかった。 慎一はフンと鼻先で笑う。 紗月が泣いていても、その目は冷えきったまま。まるで退屈な芝居でも眺めるような眼差しだった。「なんだ、そんなに言われるのが堪えるのか?」「ひどい……慎一……っ、最低……」 嗚咽まじりに、普段なら決して口にしないような言葉を絞り出す。それさえも慎一には可笑しかったのか、彼はくつくつと喉の奥で笑った。 楽しげに。「ただの提案だろ。お前が嫌だと言うなら、本当に他の男にくれてやるわけがない。……俺だって潔癖なんだよ。他人が触れた汚いものに触れる趣味はない。知ってるだろ、紗月」 冷えきった声でそう言い放ちながらも、慎一は涙に濡れる彼女を気遣う素振りすら見せない。 乱暴に紗月の脚を持ち上げると、何の準備もないまま、容赦なく彼女の内側へと踏み込んでいった。「――っ、あ……!」 強く押し込まれた衝撃に、紗月の身体が小さく跳ねる。 喉の奥から、涙を含んだか細い声が漏れた。 いつもなら、ただひたすら耐えるだけの彼女が、今は泣き声を滲ませている。 その変化が、慎一にはわずかな愉しさを与えたのか、口元に薄い笑みを浮かべたまま、さらに心を抉る言葉を落とした。「もっと声を出せよ。他の男のベッドに行きたくないなら、せめてこのベッドの上では少しはまともに応えてみせろ」「……っ、いや……! もう……慎一とは……したくない……っ!」「俺とは? じゃあ、誰とならいい?」「……誰でも……あなたじゃ、なければ……」 紗月だって、何も感じない人形ではない。 あそこまで言われて、胸が張り裂けそうなほど苦しいまま、それでもなお彼の乱暴さに耐えさせられる。 もう、これ以上は無理だった。 この瞬間だけは、本気で慎一の顔を見たくなかった。 そんな彼女の抵抗など、慎一にとっては痛くも痒くもないらし

  • 愛し続けた彼を、私は手放すことにした   第38話

     结婚して間もない頃、慎一を喜ばせたくて、こういうことに関しては、紗月のほうから何度か自分から歩み寄ったこともあった。 やっとの思いで勇気を振り絞り、慎一に触れようとするたびに、彼はまるで娼婦でも見るかのような冷えきった目で紗月を見下ろし、容赦なく「はしたない」と吐き捨てた。 ほんの数度、それを繰り返しただけで、紗月はもう二度と自分からは動けなくなってしまった。 慎一に触れることも、身体を重ねることも、すべては彼の指示を待つだけ。 あるいは、彼が先に動き出すのを、ただ静かに待つだけだった。 慎一の手が乱暴に触れてきた瞬間、紗月は反射的に下唇を噛みしめた。 声を漏らしてしまわないように。 薄暗い常夜灯の下で、彼の落とす影が紗月の身体をすっぽりと覆い隠していた。 息が詰まるほど隙間なく閉ざされたその影は、まるで暗い牢獄のようで、どこにも逃げ場がない。 もっとも、紗月は逃げようなどとは、最初から思っていなかった。 慎一の触れ方も、愛撫も、優しさとは程遠い。 むしろ、わざと痛みを与えようとしているかのように荒々しく、冷酷だった。 いつもなら、自分の欲望だけを満たして終わるはずなのに、今日はなぜか彼の動きはゆっくりとしていた。 寝間着越しに、紗月の柔らかな身体を押し潰すように掌でなぞり、膝をわざと彼女の身へ押し当てた。 そのせいで紗月の身体が耐えきれず小さく震え始めたところで、慎一は低い声で問いかけた。「さっき、俺にお前を欲しいと言ってきた男がいた。スターとして売り出したいらしいが……どうする?」 掌で押さえつけられるたびに走る痛みを感じながら、紗月は顔を上げた。 ちょうど彼の視線とぶつかり、その意味ありげな眼差しに囚われたまま、目を逸らすことができなかった。「え……な、に……っ、……慎一、待っ……」 これまでの情事の最中、慎一がこんなふうに時間をかけて、意味の分からないことを口にしたことなどなかった。「紗月。お前、昔は芸能界に入りたかったんだろう? 事務所にも入っていたし、俺と結婚するために辞めたって……後悔はしていないのか?」「……っ」 そのことについて、紗月はこれまで一度も口にしたことはなかったのに、慎一は知っていたのだ。 紗月が、自分の夢を手放した理由を。 それが彼との婚約、そして彼のそばにいるためだったことを。 紗

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status