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第42話

Auteur: るるね
last update Date de publication: 2026-04-17 23:32:49

 翌日は日曜日だったことだけが、せめてもの救いだった。

 慎一は昔からそうだったが、こういう行為のときは一切手加減をしない。むしろ、快感よりも痛みを与えることを優先しているかのようだった。

 今回も例外ではなく、そのせいで紗月は翌朝になっても身体に力が入らない。昨夜、強く掴まれた箇所には、今もなお鈍い痛みが残っている。

 いずれ消えていく筋肉痛のようなもの。

 それが、この結婚の中で、慎一が唯一紗月に残していく痕だった。

 身体の痛みは、時間とともに薄れていく。

 胸の奥に残った想いだけは、どうしても消えてくれない。

 それが、いちばん厄介だった。

 昨夜の疲れが抜けきらず、紗月はいつもより遅く目を覚ました。

 目を開けると、部屋はひどく静まり返っていた。遮光カーテンが隙間なく閉められていて、室内はまだ夜のような薄暗さに包まれている。

 ろくでもない夢を見た気がする。

 その悪夢には、決まって慎一が現れる。

 夢の中でも現実でも、彼は執拗に追いかけてきて、逃げ場を奪うように紗月を辱める。

 流しきれなかった涙をそのまま引きずるように、目が覚めてもなお、目の奥がじんと痛み、気分は沈んだ
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  • 愛し続けた彼を、私は手放すことにした   第197話

     慎一からの突然の電話などに心を乱されたくなかった。 紗月は胸に浮かんだものを振り払うようにごく小さく首を振り、伏せたスマートフォンから視線を離すと、何事もなかったかのように二人との会話へ意識を戻した。 幸い、凛子の明るい声を聞いているうちに、先ほど胸を掠めたわずかな動揺も次第に薄れていった。 和やかに昼食をとりながら、久しぶりに源間と顔を合わせた凛子は、新作ドラマの詳しい話はもちろん、最近の大学院生活や仕事の近況に至るまで、興味の赴くまま次々と質問を重ねていく。 源間は嫌な顔一つ見せず、尋ねられたことにはほとんどすべて正直に答えていた。 聞かれれば素直に答え、頼まれれば断ることも苦手なのだろう。 話しているうちに、何を頼まれても最後には引き受けてしまいそうな人柄まで透けて見えるようだった。 昼食もそろそろ終わろうかという頃になって、凛子はようやく肝心なことを思い出したらしい。「契約は今日の午後にするの?」 紗月本人よりもよほど気が急いているようで、せっかく巡ってきたこの機会を逃すまいと、今すぐにでも話を確定させたくて仕方がない様子だった。「友枝さんが午後も空いているようでしたら、一度、私のスタジオへ来ていただけますか。契約については、本来なら所属事務所を通してお話しすることになるんですが……友枝さんは今、フリーで活動されているんですか?」「空いてる、空いてる。さっちゃんは事務所にも所属してないし、今日このまま契約書を見せてもらえるんでしょう?」 紗月が口を開く隙さえ与えず、凛子がすぐさま代わりに答えてしまった。 その勢いは、まるで自分自身の仕事が決まろうとしているかのようだった。 あまりにも順調に話が進んでいくため、紗月は一瞬、呆気に取られてしまった。 これほど簡単に話が決まってしまっていいのだろうか。遅れて我に返ると、確認せずにはいられず、慌てて源間へ尋ねる。「オーディションは受けなくてもいいんですか?」「これは私自身が立ち上げた企画です。出演者を決める権限も、すべて私にあります」 源間がこれまで手がけてきた数本の映画は、どれも監督として経験を積むために、自ら企画して撮り上げた低予算作品だった。 決して恵まれた制作環境とは言えない中で完成させた映画が劇場公開まで漕ぎつけ、少しずつ評価を得られたことには、確かに幸運もあったのだ

  • 愛し続けた彼を、私は手放すことにした   第196話

     凛子がやってきたのは、ちょうどそのときだった。 紗月の手にある脚本を見つけるなり、大げさなほど「わあ!」と声を上げ、そのまま勢いよく隣の席へ腰を下ろす。半身が紗月に寄りかかりそうなほどぴったりと身を寄せ、興味津々といった様子で手元の脚本を覗き込んだ。「すごい! 源間、これが新しい映画の脚本?」「映画じゃないよ。途中で企画が変わって、先にドラマを一本撮ることになったんだ」「どうしてそんな急に? 源間はドラマを撮らないんじゃなかったの?」「新しい分野に挑戦してみたくなって。ちょうど研究課題の成果としても提出できるし」「教授も嬉しいでしょうね。こんなに優秀な学生がいて」「いや……それはさすがに褒めすぎだよ」 凛子が席に着いてからも、源間はまずきちんと挨拶を交わし、彼女が興味の赴くまま次々と投げかける質問にも、一つひとつ真面目に答えていた。 凛子の口調は気心の知れた相手に向けるような気安いものだったが、それにつられて態度を崩しすぎることもなく、かといって堅苦しくなることもない。 柔らかな笑みを絶やさず受け答えする姿からは、穏やかで人当たりのいい性格が自然と伝わってきた。 すでに何本もの商業作品を手がけ、監督として自分の作品を世に送り出している人間とは思えないほど、源間には気負ったところがなかった。若くして実績を積んでいることを誇示する様子も、自分を特別な人間だと思っているような傲慢さもない。 先ほど紗月から作品を褒められたときに目を輝かせていた姿も含め、映画そのものが心から好きなのだろうと思わせる、どこか純粋な雰囲気をまとっていた。 今回の新作ドラマについても、源間にはすでにはっきりとした考えがあるらしい。知名度の高い俳優を揃えるより、まだ世間に広く顔を知られていない、作品そのものの印象を損なわない新鮮な役者を起用したいと考えていた 凛子は、源間が新作を準備していることを偶然知り、駄目でもともとという気持ちで紗月のことを話してみたらしい。 何気なく写真まで見せてみたところ、源間は紗月の顔立ちをひどく気に入り、「まさに自分が探していたイメージだ」とその場で答えたという。 脚本を大切そうに抱え込み、惜しむように何度も表紙へ目を落としている紗月を見て、凛子はふと思い出したように、そのときの話をからかい半分に持ち出した。 源間は途端に頬をう

  • 愛し続けた彼を、私は手放すことにした   第195話

     その夜も、紗月はなかなか眠ることができなかった。 ようやく少しずつ落ち着きを取り戻し始めていた眠りは、慎一が何の前触れもなく口にした「おやすみ」という一言と、再び二人を縛りつけたあの契約によって、すっかり乱されてしまった。 翌朝、鏡に映るひどく気力のない自分の顔を見つめ、紗月はしばらくぼんやりとその場に立ち尽くしていた。 目の下には薄く隈が浮かび、どれほど疲れているのかは鏡を見るまでもなく自分が一番よく分かっている。 やがて我に返ると、疲れの色を少しでも隠すように慌ただしく化粧を施し、重く沈んだ身体と頭を無理にでも目覚めさせようと、いつもより濃いブラックコーヒーを淹れた。 以前の紗月は、コーヒーが好きではなかった。 もともと苦いものがひどく苦手で、わざわざ好んで口にしようと思ったことさえない。 けれど、いつからだっただろう。 日々そのものがコーヒーよりもずっと苦くなってしまえば、舌に残る程度の苦さなど、驚くほど簡単に受け入れられるようになっていた。 幸い、家を出る頃には、鏡に映る自分もいくらか元気を取り戻したように見えた。 朝より顔色もよくなり、念入りに化粧を整えたおかげもあって、少なくともひどく憔悴しているようには見えない。 紗月は約束の十分前に店へ到着した。 ところが、凛子から紹介されることになっていた監督は、紗月や凛子よりもさらに早く店へ着き、すでに席に着いて待っていた。 紗月の姿を見つけると、すぐに礼儀正しく立ち上がって握手を交わし、どこか改まった様子で自ら名乗る。「源間俊行と申します。友枝さんは、私の名前を聞いたことがありますか……? まだそれほど知られていませんし、撮った作品も決して多くありません。それでもよろしければ、ぜひ今回の作品をお願いしたいと思っています」「そんなことありません。源間監督の映画はどれも素晴らしいです。上映されたとき、私も映画館まで観に行きました」 紗月は慌てて首を横に振った。社交辞令で褒めているのではなく、本当に彼の映画を観ていたことを伝えたくて、特に印象に残っている場面や演出についてもいくつか具体的に話していく。 源間は途中で口を挟むこともなく、紗月の言葉へ真剣に耳を傾けていた。 話が進むにつれて、その瞳は目に見えて輝きを増し、興味を隠そうともせず、まっすぐ紗月だけを見つめている。 好き

  • 愛し続けた彼を、私は手放すことにした   第194話

     凛子は、一度何かをすると決めれば、昔から驚くほど行動が早かった。 紗月がその話を聞かされたのは、まだ朝のことだ。それなのに、その日の夜にはもう、凛子から弾んだ声で電話がかかってきた。 監督と会う時間も場所も、すでにすべて決まったらしい。 しかも約束は翌日の昼だという。話があまりにも早く進み、紗月のほうが驚いてしまうほどだった。「そんなに早く?」 思わず驚いて尋ねると、電話の向こうから凛子の得意げな笑い声が返ってきた。「それだけ向こうが本気でさっちゃんを気に入ってるってことでしょう? きっと、直接会うのが待ちきれないのよ。これから映画館の大きなスクリーンでさっちゃんを見られるようになるのかな。そうなったら私、本当に嬉しい! 絶対何回も観に行くからね」 仕事を紹介してもらったのは紗月のほうなのに、凛子の喜びようは、まるで自分自身が主演女優に選ばれたかのようだった。声を聞いているだけで、その浮き立つような気持ちがこちらにまで伝わってくる。 そんな凛子の明るさにつられ、紗月も思わず声を立てて笑った。 慎一と別れて家へ戻ってからも、胸の奥にはずっと重苦しいものが沈んでいた。昼間に見た夢のせいで、忘れたつもりだった過去まで掘り返され、気持ちはなかなか晴れなかった。それが凛子と話しているうちに、いつの間にか少しずつ薄れていく。 明日は、どんな監督に会うのだろう。 どんな映画で、どんな役なのだろう。 まだ何も決まってはいない。それでも、もう一度芝居へ近づけるかもしれないと思うだけで、胸の奥には久しく感じていなかった小さな期待が芽生えていた。* 昼間、慎一は夜になったら電話をすると言っていた。 その言葉どおり、凛子との通話を終えてから数分も経たないうちに、今度は慎一から電話がかかってきた。 画面に表示された名前を見た瞬間、先ほどまで浮き立っていた紗月の気持ちが、ほんの少しだけ現実へ引き戻される。 紗月はすぐには電話に出なかった。 鳴り続けるスマートフォンを手にしたまま、長いこと画面を見つめて迷う。できることなら、このまま出ずにやり過ごしてしまいたかった。 けれど、頭に浮かんだのは、あの契約書だった。結局、紗月は小さく息を吐き、気の進まないまま通話ボタンを押した。 電話に出たことが意外だったのか、それとも素直に出たことがおかしかったのか。慎一

  • 愛し続けた彼を、私は手放すことにした   第193話

     慎一の言葉を聞いても、紗月はすぐにはその意味を理解できなかった。「私がいつ……」 そこまで口にしたところで、言葉がふいに途切れた。 紗月の表情がわずかに強張り、慎一の言う「この前」がいつのことを指しているのか、ようやく思い当たる。 あのときの記憶は、今も紗月の中に恐ろしいほど鮮明に残っていた。 休憩室で慎一と一夜を過ごした翌朝、紗月は何度も迷った末、ようやく勇気を振り絞って、一緒に朝食を食べられないかと尋ねたのだ。 慎一のオフィスまで会いに行ったものの、中へ足を踏み入れる勇気さえ持てず、扉の前に立ったまま声をかけることしかできなかった。 それほど勇気を振り絞って口にした願いに、慎一が返した言葉もまた、今なお耳の奥に焼きついている。『紗月。調子に乗るな』 忘れたつもりでいたあの日の記憶が、一瞬にして鮮明によみがえった。 紗月の表情は目に見えて強張り、さっきまで目の前に並んでいた豪華な朝食さえ、急に色褪せたもののように映る。 食欲はすっかり失せ、もう一口たりとも喉を通りそうになかった。「……朝倉社長。あのとき、私に何て答えたかも覚えてる?」 まさか慎一のほうから、あの日のことを持ち出してくるとは思ってもいなかった。 自分ではもう気にしていないつもりだったのに、こうして思い出しただけで胸の奥が鈍く痛む。 これ以上慎一と言葉を交わす気にもなれず、紗月は冷えた眼差しを逸らした。「どうやら、ずいぶんひどいことを言ったらしいな」 慎一は悪びれる様子もなく、相変わらず余裕を崩さなかった。 紗月が席を立ち、そのまま部屋を出ていこうとすると、背後から慎一の声が追いかけてくる。「紗月。食べたくないなら、せめてもう少し俺に付き合え。あのときのことが気に障ってるなら、今ここで埋め合わせをしてもいい」 そこでわずかに間を置き、慎一はまるで紗月の機嫌を取ることさえ楽しんでいるかのように、改めて尋ねた。「欲しいものでも、してほしいことでも。何でもいい、言ってみろ」「私が欲しいのは……今すぐ、あなたの顔を見ないで済むことよ」 苛立ちに任せてそう言い放つと、紗月はもう慎一の反応を確かめようともせず、自分のバッグを探してすぐに立ち上がった。 休憩室を出ようとドアノブへ手を伸ばしたところで、その手に慎一の手が重なる。 紗月が振り返るより早く、背後から近

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    「どんないい知らせなの?」 凛子の声を聞いた途端、一晩中張りつめていた紗月の心は、ようやくほんの少しだけ緩んだ。 胸の奥を締めつけていた重苦しさが、わずかに和らいだような気がする。 朝食が所狭しと並べられたテーブルの前へ腰を下ろした途端、凛子が話し始めるよりも早く、休憩室の扉が静かに開き、昨日とほとんど変わらない服装の慎一が入ってきた。 おそらく、一睡もしていないのだろう。 顔色はあまり優れず、普段はどんな場面でも隙を見せない彼には珍しく、その目元には隠しきれない疲労の色が濃く滲んでいた。 ネクタイも昨日と同じままで、夜通し働いていたことが一目で分かる。 何気なく顔を上げた紗月と目が合う。 慎一は無意識だったのか、ごく浅く口元を緩めた。紗月が電話中だと気づくと、声をかけることもなく、そのまま向かい側のソファへ静かに腰を下ろす。 その姿を目にした途端、ようやく少しだけ解けかけていた紗月の身体は、再び小さく強張った。 さっきまで凛子の声だけを聞いていられた穏やかな時間は、一瞬で消えてしまう。「さっちゃん! 聞いて。私の知り合いに若手の映画監督がいるんだけど、まだそれほど有名じゃないの。でも、これまで撮った映画は何本も興行成績がよくて、評判もすごく高いのよ。今度の映画で主演女優を探してるっていうから、試しにさっちゃんの写真を見せてみたら、『ぜひ一度会ってみたい』って言ってくれて!」 凛子は、紗月が先日オーディションを受けたことを知っていた。 だからこそ、自分にできることはないかと考え、人脈を頼りに密かにあちこちへ声をかけてくれていたらしい。 そのことを思うだけで、紗月の胸は少しだけ温かくなった。「オーディションなの?」 慎一には聞かれたくなくて、紗月は思わず声を潜める。そう口にしたあと、気づかれないようにそっと慎一の様子を窺った。 向かいに座る慎一は、携帯電話へ視線を落としたまま、特にこちらへ反応を示す様子はない。紗月の電話を盗み聞きしようという気もないのか、それとも聞こえていても興味がないのか、その表情からは何も読み取れなかった。「もう、ほとんど決まりみたいなものなの……。勝手に話を進めちゃって嫌だったら、ごめんね。でも、本当にいい人なのよ。海外にいた頃に知り合ったんだけど、そのとき彼がチームを率いて私の学校へ撮影に来ていて……」

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     翌朝、紗月が目を覚ますと、昨日よりもさらに体調が悪かった。 全身に力が入らず、めまいがして、手足は冷えきっている。歩くだけでも、身体が小刻みに震えているような感覚さえあった。 キッチンで薬を飲んでいると、ちょうど慎一も部屋から出てきた。アイランドキッチンに置かれた薬をちらりと目にしたが、彼はほんの一瞬視線を流しただけで、気にかける様子はまるでない。 紗月は彼がすでに出勤用の服に着替えていることに気づく。 まだ時間は早いのに、彼は今すぐにでも出ていきたいというように、どこか落ち着かない様子だった。この家に一秒でも長くいたくな

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