LOGIN発掘現場の朝は静寂に包まれていた。
三つの太陽のうち、最も小さな青白い星だけが地平線上に昇り、廃墟に冷たい光を投げかけている。ミリアムは第七層の発掘区画に立ち、新たに露出した構造物を観察していた。
それは庭園だった。
三千年前の設計図が、土と時間の下から姿を現している。中央に噴水の跡。放射状に広がる花壇の痕跡。そして、四隅に配置された——何かの台座。
「美しい設計だ」
アデムの声が背後から聞こえた。ミリアムは振り返らなかった。
「昨夜の植物の件」彼女は言った。「あなた、何か知っている?」
沈黙。
それから、アデムは彼女の隣に立った。
「ミリアム、この宇宙には説明のつかないことがある。科学的に測定できない現象が」
「それは答えじゃないわ」
「いや」彼は廃墟の庭園を見つめた。「最も正直な答えだ。僕にも分からない。だが——僕は推測できる」
「聞かせて」
アデムは深く息を吸った。「エネルギーの転移。量子レベルでの共鳴。二つの存在が——深く接触した時、エネルギーの交換が起こる可能性がある」
「キスで植物が枯れる、と言いたいの? 馬鹿げてる」
「そうかもしれない」彼は微笑んだ。だがその笑みには、どこか悲しげなものがあった。「だが、量子生物学の最新研究では、意識そのものが量子的な現象だと示唆されている。意識同士の相互作用が、物理的な結果を生む可能性は——」
「充分に低いわ」ミリアムは遮った。「統計的に無視できるレベルの」
「君の『テクスチュアル・エンパシー』も、統計的に無視できるレベルで稀な能力だ」
ミリアムは黙った。
その時、レイラが駆け寄ってきた。若い助手の顔には興奮が浮かんでいる。
「博士! 第二の陶板を発見しました。しかも、昨日のものと対になっているようです」
新しい陶板は、庭園の北東の隅、台座の下から出土した。
ミリアムはそれを手に取り、目を閉じた。
再び、光の洪水。
そして——声。
愛する者よ、私を印章のようにあなたの心に刻んで
印章のようにあなたの腕に
愛は死のように強く
だが測定は愛のように愚かである
ミリアムの目が開いた。
最後の一行。それは雅歌の原典には存在しない。
「測定は愛のように愚かである」
彼女は陶板を見つめた。文字は昨日のものと同じインクで書かれている。顕微鏡でしか見えない、あの生きているような結晶構造を持つインク。
「何が書いてある?」アデムが訊ねた。
ミリアムは躊躇した。だが、何かが彼女に真実を告げさせた。
「雅歌の続き。でも——改変されている。『測定』という概念が、意図的に挿入されている」
「測定」アデムは繰り返した。「この惑星の入植者たちは、何を測定しようとしていたんだろう?」
「あるいは」ミリアムは静かに言った。「何を測定すべきでないか、を伝えようとしたのかもしれない」
レイラが土壌サンプルの分析結果を持ってきた。
「博士、奇妙なことがあります。この台座の周辺だけ、土壌の量子コヒーレンス値が異常に高いんです」
「量子コヒーレンス?」ミリアムは眉をひそめた。「土壌が?」
「ええ。通常、有機物は急速にデコヒーレンスを起こします。でもこの土は——まるで情報を保持しているかのように」
アデムが膝をついて、土に触れた。
その瞬間、彼の表情が変わった。
「これは——」彼は呟いた。「墓だ」
「墓?」
「いや、正確には墓ではない」アデムは立ち上がった。「量子記憶装置だ。人間の意識パターンを、土壌の量子状態として保存する——非常に古い技術。地球の初期入植時代に使われていた」
ミリアムの心臓が高鳴った。「つまり、この庭園の下には——」
「四人の意識がある」アデムは四つの台座を指差した。「三千年前から、ずっと」
その日の午後、ミリアムは一人でベースキャンプの医療ラボにいた。
彼女は自分自身の血液サンプルを採取し、分析装置にセットした。
なぜこんなことをしているのか、自分でも分からない。だが、昨夜からの違和感——アデムの指先に感じた、あの測定できない何か——が、彼女を駆り立てていた。
分析結果が画面に表示される。
DNA:人間、ホモ・サピエンス、変異なし。
細胞構造:正常。
神経伝達物質:正常範囲内。
量子コヒーレンス値:——
ミリアムは息を呑んだ。
彼女の細胞の量子コヒーレンス値が、異常に高い。
発掘現場の土壌と、同じレベルで。
「あり得ない」彼女は呟いた。「人間の細胞は、こんな高いコヒーレンスを維持できない。デコヒーレンス時間は、せいぜい数ピコ秒——」
「特殊な設計がされていれば、可能だよ」
アデムの声が、ドアの方から聞こえた。
ミリアムは振り返った。彼がいつからそこにいたのか、分からない。
「盗み聞き?」彼女は冷たく言った。
「心配していた」アデムは近づいてきた。「君が自分自身を検査すると思っていた」
「どうして?」
「君の『テクスチュアル・エンパシー』。それは自然発生的な能力じゃない、ミリアム」
彼女の手が震えた。
「何を言っているの?」
アデムは画面を見た。そして、ゆっくりと説明を始めた。
「量子生物学の応用技術に、『感情共鳴装置』と呼ばれるものがある。古代のテキストや物体に残された量子的な情報パターン——書き手の感情や意図——を読み取る能力。それは、人工的に付与できる」
「私が——人工的に?」
「そうとは限らない」アデムは慎重に言った。「遺伝子改変、出生前処置、あるいは——」
「あるいは?」
「意識のアップロード時の、副作用」
ミリアムは一歩後退した。
「私は生まれてからずっと、自然な人間として——」
「君の最も古い記憶は?」アデムが訊ねた。
ミリアムは口を開き——そして、気づいた。
彼女の最も古い記憶。それは八歳の誕生日だ。
それ以前の記憶が、存在しない。
「記憶喪失は珍しくない」彼女は言った。だがその声は、自分でも信じていないことが分かる。「幼児期健忘。誰にでもある」
「八歳まで?」アデムは首を振った。「統計的に異常だ」
ミリアムは壁に背を預けた。頭が混乱している。
「なぜ今、これを言うの?」
「君を守るため」アデムは真剣な目で言った。「ミリアム、この発掘は危険だ。君が見つけているものは——単なる古代のテキストじゃない。それは、君自身の起源に関わる何かかもしれない」
「意味が分からない」
「分かるようになる」アデムは彼女に近づき、両手で彼女の肩を掴んだ。「今夜、僕と一緒に来てくれ。見せたいものがある」
「どこに?」
「廃墟の中心部。入植者たちが最後に暮らしていた場所」
ミリアムは躊躇した。だが、彼女の中の何か——科学者としての好奇心か、それとも自己の真実への渇望か——が、頷かせた。
夜、二人は廃墟の中心部に向かった。
三つの月が空に浮かび、廃墟を銀色に照らしている。アデムは小型のスキャナーを持ち、地下構造を探査していた。
「ここだ」彼は古い建物の基部を指差した。「階段がある。地下へ続いている」
彼らは慎重に降りていった。階段は螺旋を描き、地下深くへと続いている。壁には、時折、発光する苔のようなものが生えていた。
「バイオルミネセンス」アデムが説明した。「遺伝子改変された微生物。三千年前のものが、まだ生きている」
「あり得ない」ミリアムは呟いた。「その寿命は——」
「量子的に保存されていれば、理論上は永遠に生きられる」
階段の最下層に、扉があった。
いや、扉ではない。膜だ。半透明の、脈打つような生体膜。
アデムはそれに触れた。膜が波紋を作り、中央に開口部が形成される。
「中へ」彼は言った。
ミリアムは深呼吸し、膜を通過した。
その空間は、部屋というより子宮だった。
壁、床、天井——全てが柔らかく、微かに脈打っている。中央には四つの繭のようなものがあり、それぞれが淡い光を放っていた。
「これは——」ミリアムは息を呑んだ。
「量子培養槽」アデムは言った。「人間の意識を保存し、培養し、そして——必要に応じて再生する装置」
彼は最も近い繭に近づいた。その表面には、古ヘブライ文字が浮かんでいる。
ミリアムは文字を読んだ。
ミリアム・ベト・ヤコブ
入植者、詩人、愛する者
紀元前1207年保存
彼女の名前。
いや、違う。彼女と同じ名前を持つ、三千年前の女性。
「これが」アデムは静かに言った。「君の起源だ」
「何を——」
「君は複製体だ、ミリアム」彼は彼女の目を見た。「この繭の中の意識パターンから、二十八年前に再生された。『テクスチュアル・エンパシー』は、オリジナルのミリアムが持っていた能力。彼女は古代のテキストを『感じる』ことができた。なぜなら——」
「なぜなら?」
「彼女自身が、そのテキストを書いたから」
ミリアムの膝が崩れた。アデムが彼女を支えた。
「嘘よ」彼女は震える声で言った。「私には両親がいる。子供時代の写真がある——」
「植え付けられた記憶だ」アデムは悲しげに言った。「八歳以降の。それ以前は、君がこの繭から出た時から、意識が形成されるまでの空白期間」
「じゃあ私は——人間じゃない?」
「いや」アデムは力強く言った。「君は人間だ。オリジナルと同じくらい。いや、ある意味では——もっと人間的かもしれない」
「どういう意味?」
アデムは他の繭を指差した。
「オリジナルのミリアムは、愛する人を失った。彼の名前は——」
「アデム」ミリアムは囁いた。「あなた——」
「僕もまた、複製体だ」彼は微笑んだ。「三千年前の男の。彼は遺伝子アーキビストだった。ミリアムを愛していた。だが——」
彼は最後の繭を見た。それは他のものと異なり、暗く、光を放っていなかった。
「彼らは子供を作った。だがその子は——人間と機械のハイブリッドとして生まれた。当時の技術では、予期せぬ結果だった」
ミリアムは暗い繭に近づいた。表面には、小さな手形が刻まれていた。
子供の手形。
「この子は生きられなかった」アデムは続けた。「三日間だけ。だが、その三日間で——彼らは理解した」
「何を?」
「愛は測定できないことを。人間性は、DNA でも意識パターンでも定義できないことを。それは——選択だ。愛する選択。苦しむ選択。それでも共にいる選択」
ミリアムは泣いていた。涙が頬を伝う。
「彼らは雅歌を書き換えた」アデムは言った。「新しいバージョンとして。測定を拒絶する愛の詩として。そして、自分たちの意識を保存した。いつか——この真実を理解できる時代が来ることを信じて」
「そして私たちは——」
「その意識から再生された」アデムは彼女の肩を抱いた。「同じ愛を、再び生きるために」
ミリアムは彼を見上げた。涙で霞む視界の中で、彼の顔が微笑んでいる。
「でも」彼女は言った。「私たちには選択がある。オリジナルと同じ道を歩む必要はない」
「その通り」アデムは言った。「だから僕は、君に全てを話した。選択するのは君だ、ミリアム。僕と共にいるか、それとも——」
彼女は彼にキスをした。
繭の光が、二人を包み込んだ。
そして——ミリアムは気づいた。
自分の心拍が、聞こえない。
物理的には鼓動している。血液は循環している。だが——アデムの耳には、その音が届いていない。
彼が軌道ステーションで言った言葉を思い出す。
君の心拍が聞こえない
その時は冗談だと思った。
だが今——
「アデム」彼女は囁いた。「私の心臓——あなたには聞こえる?」
彼は彼女の胸に耳を当てた。
長い沈黙。
それから、彼は顔を上げた。
「聞こえない」彼は静かに言った。「君の心臓は——量子的に位相がずれている。この現実とは、微妙に異なる周波数で」
「つまり私は——」
「完全には、この世界に存在していない」アデムは彼女の手を握った。「君は二つの状態の重ね合わせだ。人間であり、同時に——情報パターンでもある」
ミリアムは笑った。ヒステリックな笑いではなく、奇妙な解放感を伴う笑いだった。
「じゃあ」彼女は言った。「私たちは本当に、測定できない存在なのね」
「そうだ」
「でも、愛することはできる」
「それが唯一の、確実なことだ」
二人は抱き合った。
繭の光が、脈動するように明滅した。
まるで祝福のように。
あるいは——警告のように。
封印から三日後、奇妙な現象が始まった。 カルメル7 の野生動物が、発掘現場に集まってきたのだ。 最初は一羽の鳥だった。地球由来の鳩に似ているが、羽が虹色に輝く、この惑星固有の種。それがミリアムのテントの外に巣を作った。 次に、小型の哺乳類。六本足で、大きな瞳を持つ、ウサギのような生物。それが庭園の縁を掘り、巣穴を作り始めた。 そして——群れ。 数十匹の動物が、種を超えて、庭園の周囲に集まってきた。 レイラは困惑していた。「行動学的に説明がつきません」彼女はデータパッドを睨みながら言った。「この惑星の動物は、通常、人間の居住地を避けるのに」 ミリアムは窓の外を見た。一匹の動物——四本足で、猫に似た生物——が、彼女をじっと見つめている。「避けていない」彼女は呟いた。「近づいている」「理由は?」 ミリアムは答えなかった。 だが、心の中では理解していた。 動物たちは、何かを感じている。庭園から発せられる、量子的な何かを。 測定されない存在の気配を。 その午後、アデムが興奮した様子でラボに入ってきた。「ミリアム、これを見て」 彼は小さな装置——量子スキャナー——を持っていた。画面には、複雑な波形パターンが表示されている。「これは?」「動物たちの脳波だ」アデムは説明した。「より正確には——量子脳波。彼らの意識の量子的なパターン」「それが?」「庭園の量子パターンと、同調している」 ミリアムは息を呑んだ。「つまり——動物たちは、庭園の真実を『見て』いる?」「視覚的にではない」アデムは首を振った。「だが、感じている。量子的なレベルで。人間が失った、あるいは抑圧した感覚で」 彼は窓の外の動物たちを見た。
地上に戻った時、夜明けが近づいていた。 ミリアムとアデムは発掘現場の縁に座り、最初の太陽——深紅の巨星——が地平線を染めるのを見ていた。 ミリアムの世界観は、完全に書き換えられていた。自分が誰なのか。何なのか。そして——なぜここにいるのか。「オリジナルのミリアムは」彼女は訊ねた。「なぜ雅歌を書き換えたの? 単なる愛の詩じゃ不充分だった?」 アデムは遠くを見つめた。「彼女が生きた時代」彼は説明を始めた。「カルメル7の入植者たちは、深刻な危機に直面していた。人間性の定義をめぐる内戦——『存在論戦争』と呼ばれるものだ」「歴史書で読んだことがある」ミリアムは頷いた。「遺伝子改変派と純血主義者の対立」「それだけじゃない」アデムは続けた。「AI の意識化、量子アップロード、バイオ機械融合——人間を『拡張』する技術が急速に発達した。そして人々は問い始めた。どこまでが人間で、どこからが——人間でないのか、と」「そして戦争が起きた」「ええ。だが、この惑星の入植者たちは異なる道を選んだ」アデムは廃墟の庭園を見た。「彼らは『測定の放棄』を宣言した」「測定の放棄?」「人間性を定義しようとすること自体を、禁忌としたんだ。DNA テストも、意識検査も、存在論的分類も——全て禁止された。なぜなら——」「測定した瞬間に、愛が破壊される」ミリアムは呟いた。「その通り」アデムは微笑んだ。「雅歌の新しいバージョンは、その宣言文だった。『あなたの声は計算されず、あなたの息は測定されず』——それは、愛する者を分析することの拒絶」 ミリアムは立ち上がり、庭園の中央に歩いていった。噴水の跡が、朝日を浴びて輝いている。「でも」彼女は言った。「それは持続しなかった。この惑星の入植者は全滅した」「内部からの崩壊ではない」アデムも立ち上がった。「外
発掘現場の朝は静寂に包まれていた。 三つの太陽のうち、最も小さな青白い星だけが地平線上に昇り、廃墟に冷たい光を投げかけている。ミリアムは第七層の発掘区画に立ち、新たに露出した構造物を観察していた。 それは庭園だった。 三千年前の設計図が、土と時間の下から姿を現している。中央に噴水の跡。放射状に広がる花壇の痕跡。そして、四隅に配置された——何かの台座。「美しい設計だ」 アデムの声が背後から聞こえた。ミリアムは振り返らなかった。「昨夜の植物の件」彼女は言った。「あなた、何か知っている?」 沈黙。 それから、アデムは彼女の隣に立った。「ミリアム、この宇宙には説明のつかないことがある。科学的に測定できない現象が」「それは答えじゃないわ」「いや」彼は廃墟の庭園を見つめた。「最も正直な答えだ。僕にも分からない。だが——僕は推測できる」「聞かせて」 アデムは深く息を吸った。「エネルギーの転移。量子レベルでの共鳴。二つの存在が——深く接触した時、エネルギーの交換が起こる可能性がある」「キスで植物が枯れる、と言いたいの? 馬鹿げてる」「そうかもしれない」彼は微笑んだ。だがその笑みには、どこか悲しげなものがあった。「だが、量子生物学の最新研究では、意識そのものが量子的な現象だと示唆されている。意識同士の相互作用が、物理的な結果を生む可能性は——」「充分に低いわ」ミリアムは遮った。「統計的に無視できるレベルの」「君の『テクスチュアル・エンパシー』も、統計的に無視できるレベルで稀な能力だ」 ミリアムは黙った。 その時、レイラが駆け寄ってきた。若い助手の顔には興奮が浮かんでいる。「博士! 第二の陶板を発見しました。しかも、昨日のものと対になっているようです」 新しい陶板は、庭園の北東の隅、台座の下から出土した。 ミリアムはそれを手に取り、目を閉じた。 再び、光の洪水。 そして——声。 愛する者よ、私を印章のようにあなたの心に刻んで 印章のようにあなたの腕に 愛は死のように強く だが測定は愛のように愚かである ミリアムの目が開いた。 最後の一行。それは雅歌の原典には存在しない。 「測定は愛のように愚かである」 彼女は陶板を見つめた。文字は昨日のものと同じインクで書かれている。顕微鏡でしか見えない、あの生きているような結晶構造を
カルメル7の夕陽は三つある。 ミリアム・ヴァシュティは発掘現場の縁に立ち、三連星が織りなす光の交響曲を眺めていた。琥珀色、深紅、そして青白い光。それぞれが異なる角度から廃墟を照らし出し、三千年前の建造物に複雑な影の模様を描いていく。 彼女の専門用スーツは、惑星の薄い大気を補正しながら体温を調整していた。だが汗は止まらない。興奮による発汗を、どんな技術も抑制できない。「ミリアム、これを見て」 助手のレイラ・ハシムが、発掘区画の奥から声を上げた。若い女性の声には抑えきれない昂揚が滲んでいる。 ミリアムは慎重に斜面を降りた。足元の土は、かつて庭園だった場所の名残を留めている。炭化した植物繊維、人工的に配置された石、そして——彼女の心臓が跳ね上がる——文字の刻まれた陶板の破片。「深度マーカーは?」「第七層。推定紀元前1200年、地球暦換算で」レイラの指が空中のホログラフィック・ディスプレイを操作する。「入植第一世代の遺物です」 ミリアムは膝をついた。陶板は彼女の手のひらほどの大きさで、表面には古ヘブライ文字に似た——だが微妙に異なる——文字が刻まれている。 彼女は目を閉じた。 これが彼女の「才能」だった。テキストを見ること。いや、正確には「感じる」こと。文字の背後にある感情の残滓を、データとしてではなく、直感として把握する能力。 学会は彼女のこの能力を「テクスチュアル・エンパシー」と呼んだ。科学的に説明不可能だが、その精度は驚異的だった。彼女が「感じた」解釈は、後の言語学的分析で九十七パーセントの確率で正しいと証明される。 残りの三パーセント? それは彼女が「何も感じなかった」時だ。 今、彼女の指先が陶板に触れる。 視界が白く染まった。 いや、白ではない。光だ。無数の光が彼女の意識の中で渦を巻いている。そして——声。 愛する者よ、あなたは美しい あなたの瞳は鳩のよう あなたの声は計算されず あなたの息は測定されず ミリアムは息を呑んだ。これは——「雅歌」だ。 地球の旧約聖書に収められた、あの愛の詩篇。だが、最後の二行は彼女の知るどのバージョンにも存在しない。「ミリアム? 大丈夫?」 レイラの声が遠くから聞こえる。ミリアムは陶板から手を離し、深く息を吸った。「これは……大発見よ」彼女の声が震えている。「雅歌の未知の断片。し