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第1173話

Author: 楽恩
彼は義兄を怒らせただけでなく、以前に紀香にしたことからしても、紀香が彼をどれほど嫌っているかは想像に難くなかった。

彼女に一目会うことすら難しいだろう。

内心では長いあいだ葛藤していたが、どうしてもあの可能性を信じたくなかった。

だが、もしそれが本当だったら——

海人の反応があまりにも奇妙だった。

来依が他の男とあれほど親しげにしているというのに、彼はまるで無関心だった。

ふと我に返ったとき、背中に冷たい汗がにじんでいた。

「まだ突っ立っているつもりですか?」駿弥が再び口を開いた。「俺が代わりに犯人を捕まえてやりましょうか?」

「い、いえいえ……」年配の警官が慌てて前に出て、へりくだった態度で言った。「藤屋さん、どうかご同行をお願いします」

駿弥の声が一段と冷たくなった。「この男はすでに罪を犯しています。監視映像も証拠もある。今あなた方がすべきことは、本人に事情を聞くのではなく、即刻連行することです」

年配の警官は冷や汗をかき始め、ついに覚悟を決め、強引に清孝を連れて行くしかなかった。

「失礼します」

ちょうどその時、海人からの電話がかかってきた。

清孝は手錠を揺らしながら合図を送り、ウルフが前に出て電話を取り、清孝の耳元にあてた。

「今どこだ?」

「お前、自分の妻の産科健診の日も把握してないのか?」

電話の向こうから海人の冷たい声が響いた。電波を通しても、まるで地獄の底から聞こえるようだった。

「ちゃんと見張ってろ」

彼女が誰を指すか、言葉にせずとも分かる。

清孝は意味ありげに言った。「まさか病院にいないとはな。俺がどれだけメッセージ送って電話かけたと思ってる?お前が無関心だとは思わなかったよ」

海人の声は冷たく返ってきた。「今日、なぜ来依が俺を外に出したのか、今やっと分かった」

清孝は完全には信じていなかった。

今日の出来事はすべてが不自然だった。

だが、信じたい気持ちもあった。

さもなければ、もう一つの可能性は……地獄そのものだった。

「焦るな。もしかしたら、あの男はお前の妻の生き別れの兄かもしれんぞ。俺の目から見ても、二人はかなり似てた」

海人は清孝が疑いを持つことを予測していた。

あの男の頭脳は、官僚社会でも立ち回る男だ。

「妊娠してるから、無理に逆らえないんだ」

その一言には、清孝も納得せざるを得
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