Masuk深津市の拘置所。夢香と美紀は、まだ20歳そこそこの若い女たちと同じ部屋に入れられていた。派手な髪色に刺青、気性も荒く、何度も問題を起こしてはここへ来ているような連中だ。そんな彼女たちに目をつけられた夢香と美紀は、わずか数日ですっかり憔悴していた。それに、何度も拘置所に出入りしている若者たちにとって、拘置所は庭のようなものだった。だから、かつての二人も十分に気が強く、他人を困らせることには慣れていたが、ここにいる女たちはそんなの比ではない。二人は完全に「いいカモ」として扱われていた。「おい、そこの二人。さっさと水汲んでこいよ」金髪の女がガムを噛みながら、苛立たしげにベッドの柵を蹴る。すると取り巻きの赤髪と緑髪の女がすぐに近づき、夢香と美紀を乱暴に急かした。最初のうちは抵抗した二人だったが、この喧嘩慣れした面々には到底敵わない。騒ぎになって職員が止めに入る頃には、いつも二人は散々な目に遭ったあとだった。そんなことが何度も続き、今ではすっかり逆らう気力を失っていた。寝具にネズミやゴキブリを入れられたり、寝具に排泄されたり……悪質ないやがらせは日に日にひどくなっていった。これまで苦労らしい苦労も知らずに生きてきた二人にとって、耐え難い日々だった。少しでも標的にされないよう、言われたことには黙って従うしかない。美紀はプラスチックの洗面器に水を汲み、震える手で運んできた。着ている服は皺だらけで、顔にはいくつもの痣が残っている。膝にも傷があり、数歩進んだところで足から力が抜けた。そのまま床へ倒れ込み、洗面器の水が金髪の女にかかってしまう。「うわっ!何してんだよ!」金髪の女が怒鳴り、美紀の肩を乱暴に蹴った。「水一つまともに運べないのかよ!こいつのこと床に押さえつけろ。踏みつけてやるから」赤髪と緑髪の女はすぐに美紀の両手をつかんだ。傷んでいたネイルを無理やり剥がすと、その手を床に押さえつけ、容赦なく踏みつける。耳障りな笑い声が響く中、美紀はたまらず悲鳴を上げた。夢香は壁際にうずくまり、感情を失ったような顔でその光景を見ていた。助けに入る勇気など、とてもなかった。以前、美紀を庇おうとして、自分までさらにひどい目に遭ったのだ。この数日で二人は、助けを求めても誰にも届かない絶望というものを、嫌というほど
実際、今の庄野グループは資金繰りに余裕があるとは言えなかった。まだ販売を開始していない大型案件をいくつも抱え、財務責任者からもたびたび資金面の警告を受けている。今回の観光開発は利益こそ期待できるが、深津市と潮咲市の境にまたがる大規模事業だけに、不確定要素も多いため、最初から数千億円の資金を一社で投じるのは、謙造にとってもリスクが大きかった。だからこそ、行政との正式な合意にも慎重になっていたのだ。青木グループを高く評価していたのも、佳乃が強く推していたからだけではなく、深津市を代表する大手として、資金力も人脈も十分にあるからだった。深津市と潮咲市にまたがる事業だからこそ、地元に強い企業同士で組む価値があると考えていた。謙造は少し考え、やがて口を開く。「さすが栗原社長ですね。そこまでお見通しなら、こちらも遠回しな話はやめましょう。確かに、あなた方には設計面で大きな強みがある。ただ、ヤジン・デザインは結局のところ、まだ一つの設計会社にすぎません。仮に青木グループと同額の資金を出せたとしても、その他の規模や実績、人脈まで含めれば、やはり青木グループとは比べられないでしょう」奈緒が口を開こうとしたが、その前に仁哉が言った。「庄野社長、誰がヤジン・デザインがずっと設計会社のままだと言いました?僕と奈緒ならいずれ青木グループを超えて、深津市を代表する企業になる。それは時間の問題です。今、僕たちの手元には数千億円を超える投資可能な資金があって、ちょうど投資先を探しているところなんです。まあ、もし庄野グループが興味を持たないようでしたら、無理にお願いするつもりはありません。別の案件を探せばいいだけですから」そう言うと、仁哉は奈緒へ一度だけ視線を送って立ち上がった。奈緒は平静な顔を保っていたものの、内心ではかなり驚いていた。――数千億円?いつの間にそんな話になったの?普段は堅実で慎重な仁哉が、今日はずいぶん大きく出る。もしかして最近ずっと自分と一緒にいたせいで、こっちの無茶が影響したとか?とはいえ、ここで話を潰すつもりはなかったため、奈緒もすぐに立ち上がる。「今日は本気で提携の話をするつもりで来ましたが、そちらにその気がないなら仕方ありません。ただ、一つだけ言っておきますね。私と充がどれだけ揉めていようと、今の時点ではまだ
「佳乃さん、あなたが本当に充を助けるつもりで、夢香と美紀を外に出してくれるっていうなら、私も力になるわ!それに、充が奈緒と離婚さえすれば、私たち青木家はあなたを充のお嫁さんとして正式に迎えるから」電話口から突然割って入ってきたのは、翠だった。佳乃が電話をかけてきた時、ちょうど充は翠と食事中だったため、佳乃が何を話しているのか、翠にはすべて聞こえていたのだ。翠がそう言った瞬間、充の顔が一気に曇る。「母さん!」だが翠は鋭い目で充を制し、黙っていろと言わんばかりに睨みつけた。電話の向こうが数秒静かになったあと、佳乃の声が返ってくる。その声は先ほどまでとは打って変わって、ずいぶん柔らかい口調だった。「充のお母様ですよね?庄野佳乃です。お話しできて嬉しいです。安心してください。夢香と美紀はもともと仲のいい友人ですから、助けられるならもちろん力になります。それから、私と充のことは……そのときは、お母様にお願いしてもいいですか?」そう言いながら、佳乃の頬には嬉しそうな色が浮かんでいた。相手が何か言う前に、そのまま電話を切る。佳乃にとっては、充本人の曖昧な返事より、翠のこの言葉のほうがよほど頼もしかった。奈緒は何年も青木家に嫁いでいながら、最後まで姑に認められなかった。それに比べれば、自分はもう一歩先へ進んでいる。名家に嫁ぐなら、まず姑を味方につける。そのことを佳乃は理解していた。これで腹は決まった。すぐに深津市へ向かい、何とかして夢香と美紀を助け出さなければ。……個室では、佳乃が突然席を立ったことで、一気に静けさが戻っていた。謙造は困ったように仁哉を見て、引きつった笑みを浮かべる。「栗原社長、本当に申し訳ありません。娘は小さい頃から甘やかしてしまいましてね。少々わがままが過ぎるところがあるんです。それに、親子の縁まで持ち出してきたものですから、こちらとしても、もうどうしようもありません。ひとまず青木グループとの話を進めさせていただきます。ただ、もしお二人が庄野グループとの提携を望んでくださるなら、別の案件でご一緒することはできます。今後もいくつか大きな案件がありまして……」その途中で、仁哉が静かに遮った。「庄野社長。今の青木グループと組むなら、もう一度よく考えたほうがいいかと。今回のリ
佳乃は携帯を取り出し、そのまま充へ電話をかけた。すぐに通じ、相手の低い落ち着いた声が聞こえてくる。「もしもし、佳乃?」「充、いま奈緒さんと栗原社長がお父さんと話してるんだけど、私たちの提携を横取りするつもりみたい」電話の向こうの充は思ったより淡々としていて、それどころか、どこか疲れたような声でもあった。「そうだろうと思ってた」佳乃の声が一気に大きくなる。「分かってたのに何もしないの?奈緒さんに好き放題させたまま……」勢いのまま汚い言葉を吐きかけそうになった佳乃は、途中でぐっと飲み込んだ。そして少し声を落とす。「充、もうこのままじゃ駄目。ちゃんと立ち直らないと。あなたが苦しいのは分かるし、こんなこと、どんな男だって耐えられないと思う。でも今は落ち込んでる場合じゃないでしょ?どうやって奈緒さんを抑えるか考えるべきじゃない?」充はもともと佳乃に好意を持っていたわけではないし、むしろ、鬱陶しいと感じることさえあった。だがここ最近、立て続けに何もかも失い続け、自分を認めてくれる人間は減り、責める声ばかりが増えていた。そんな状況だからこそ――あなたが苦しいのは分かる。その言葉が、思いのほか深く胸に刺さった。もちろん充は、そんな感情を声には出さなかった。「それで、何か方法が?それとも、君のお父さんが奈緒と組むのを止められるのか?」佳乃は即答した。「もちろんよ。それに、もう一度くらいなら夢香と美紀を助けることだってできる。でも充。私がそこまでするってことは、あなたもちゃんと約束してほしいの。今はまだ婚姻状態にあるってことは分かってる。でも奈緒さんと離婚したあと、私のこと、ちゃんと考えてくれる?」かなり踏み込んだ問いだった。佳乃は見返りもないまま一方的に尽くし続けるようなタイプではない。だから、最後に何も残らない恋など、するつもりはなかったため、充から明確な約束が欲しかった。佳乃は以前にも一度、夢香と美紀を助けている。その人脈が本物であることは、充も疑っていなかった。なにせ、潮咲市屈指の財力を持つ謙造の一人娘だ。父親も、最終的には佳乃の望みを聞くだろう。ただ……約束か。充は眉間を強く押さえた。自分の感情まで取引材料にされるようで、どうしても抵抗があった。だが今の自分は四面楚歌だ。そ
仁哉はようやく奈緒から視線を外し、謙造へ目を向けた。その口調はとても淡々としている。「それで、どのようなお話を?」謙造は穏やかな笑みを浮かべる。「栗原社長とは以前からのお付き合いですし、奈緒さんもあなたの大切なご友人です。ここは遠回しな言い方はやめましょう。奈緒さん、栗原社長の顔を立てて、娘に不利になる映像はすべて消していただけませんか?」奈緒は、仁哉が注いでくれた飲み物を口へ運ぼうとしていた手を止めた。「庄野グループは青木グループとの提携を続けるつもりですか?」ゆったりと答える謙造だが、その意思ははっきりとしている。「率直に申し上げれば、青木グループが最も理想的な提携先だと考えています」つまり、青木グループとの話を白紙にする気はないということだ。奈緒と仁哉は一度だけ顔を見合わせた。すると、奈緒が口を開くより先に仁哉が言った。「では、青木グループとの提携を取りやめて、ヤジン・デザインと組むという選択肢はありませんか?僕たちは設計だけでなく、資金面でも参加したいと考えています。このS級リゾート開発プロジェクトを、深津市と潮咲市をつなぐ一大事業として育てたい。十分に勝算はあります」謙造が何か言おうとした、そのときだった。佳乃が勢いよくテーブルを叩く。「絶対に無理!この案件は青木グループと組むって、もう決まったも同然なの。庄野グループがあんたたちまで入れるなんてあり得ないわ。あんたが何を考えてるかくらい分かってるから!」「佳乃、いい加減にしろ!」謙造が声を荒らげた。だが、ずっと押さえ込んでいた苛立ちが、一気に噴き出したようで、佳乃はもう止まらない。「お父さん、言わせて!もう我慢できない!」佳乃は立ち上がり、奈緒を睨みつけた。「あんた本当にいい加減にしたら?離婚する気もないくせに、いつまでも充を縛りつけないでくれる?既婚者のくせにさっきから他の男とベタベタして、そのくせ充とは離婚しない。挙げ句の果てには、あの人の仕事まで潰そうとするなんて!どこまで性格が悪いのよ。ここ最近、充を散々追い詰めて、それでもまだ足りないわけ?今あの人がどんな状況か分かってるくせに、さらに追い打ちをかけて、庄野グループとの提携まで奪おうとしてるんでしょ?私は絶対にあんたの思い通りにはさせないから!
奈緒はもう帰るとは言わず、仁哉と一緒に席へ戻った。「庄野社長の顔に免じて、3回で手打ちにしましょう」そして、憎しみに満ちた目でこちらを睨む佳乃を静かに見返す。「庄野さんも、これを機に少しは覚えたほうがいいと思いますよ。何かあるたびにお嬢様気取りで人を見下してたら、そのうち本当に痛い目を見ますから。世の中、何でも庄野家の思い通りになるわけじゃありませんので」「何なのよっ!」怒りでもうどうにかなってしまいそうだった佳乃は、奈緒を指差して食ってかかろうとした。しかし、謙造に鋭く睨みつけられ、悔しさを飲み込み、ふてくされながらも、佳乃は彼の隣に腰を下ろした。それからの謙造は、打って変わってとても丁寧だった。テーブルに並んでいたのは、潮咲市でも評判の高い料理ばかり。どれも値の張る品で、酒も謙造が長年自宅の酒蔵で寝かせていた上等なものだった。奈緒は席につくなり、細かいことなど気にせず食べ始めた。最近はまともに食事を取れていなかったせいで、空腹も限界に近かった。しかも潮咲市の料理は奈緒の口によく合い、久しぶりに心から美味しいと思いながら食事を楽しむ。仁哉はそんな奈緒をずっと愛おしそうに見ていた。飲み物が減ればすぐに注ぎ足すし、遠くの料理も、奈緒が取りやすい位置へさりげなく回す。海老や蟹のように殻を剥く必要があるものは、奈緒が何も言わなくても仁哉が黙って殻を外し、身だけを小鉢へ入れて差し出した。その献身ぶりは、まさに専属の付き人さながらだった。その様子に、謙造も佳乃も呆気に取られた。謙造は何度も二人を見比べながら、何かを考え込んでいる。一方の佳乃は、くっきりと残った三つの手形を頬につけたまま、仁哉が奈緒の世話を焼く姿を見て、悔しさで顔まで青ざめていた。佳乃の怒りは何度か爆発しそうになったものの、そのたびに謙造がテーブルの下から手で制した。そのうえ謙造は笑みまで浮かべて奈緒へ声をかける。「どうぞゆっくり召し上がってください。足りなければ、いくらでも追加しますから」奈緒は料理を口へ運びながら、気軽に返した。「じゃあ、遠慮なく」「栗原社長、奈緒さんのお世話ばかりなさらず、どうぞ召し上がってください」仁哉は微笑んだ。「僕は大丈夫です。奈緒が食べ終わってからで」それから30分ほどして、よう
「充、今日で赤ちゃんが産まれてから1ヶ月経つの。私たちを迎えに来てくれない?」青木奈緒(あおき なお)は、おくるみに包まれた娘を抱きながら、期待を押し殺した落ち着いた声で言った。しかし電話の向こう、夫の青木充(あおき みつる)は感情の起伏がなく、平坦な声で言った。「すまない、急に予定が入った。運転手にお前たちを迎えに行かせるよ」出産も、産後の大事な時期も、充はずっと仕事で忙しいと言ってそばにいなかった。今日は赤ちゃんと一緒に産後ケアの施設から帰る、記念すべき日なのに、やっぱり彼は来てくれない。奈緒は切なくなったが、それでもこぼれ落ちそうになる涙を必死にこらえた。「…
一方、荒れ果てたリビングを眺めながら、充は力なくソファに腰掛け、タバコに火をつけ、胸が締め付けられるように苦しかった。「井上、俺は奈緒に優しくしてこなかったかな?あそこまで怒ることないだろう?」恵は、床を掃きながら、そっと声をかけた。「旦那様は奥様にとてもよくしてらっしゃいますよ。ご結婚されてから5年、お二人が言い争うのを見たことがありません。ですが、子供を産んだ後の女性は気持ちが不安定になりやすいんです。産後うつにもなりやすいですし、旦那様の支えがもっと必要なんですよ」充は眉をひそめた。「産後うつだって言うのか?でも、他の女は子供を産んだって、こんなに変わったりしない。今
それから、蛍は奈緒が傷つくのを心配して、充から返信ひとつないことは、結局言い出せなかった。そして、奈緒が退院するまで、充は結局、姿を見せなかった。退院後、二人は黎と香織を連れて、碧瀾郷へと引っ越した。そこは、奈緒が半年前に入手した、リノベーション済みのマンションの一室だった。蛍の家はその真向かいの部屋で、隣同士に住むのは大学時代からの二人の夢だったのだ。だから半年前、蛍の向かいの部屋が売りに出されたと聞いて、奈緒は迷わず購入した。部屋には家具や家電が揃っていたが、まだどこか殺風景だった。蛍はすぐに自分の家から布団やポットなどの日用品を運んできた。奈緒は買い物リストを
「産後の回復がかなり遅れていますね。出産時に出血が多かったですし、低血糖で倒れやすい状態です。しっかり栄養をとって、気持ちをあまり高ぶらせないようにしてください」診察が終わっても、奈緒はまだ眠ったままだった。医師は病室で蛍に病状を説明した。隣で聞いていた香織が、ため息をついた。「奥様は産後の肥立ちが悪くて……最初の2週間はお乳が張って痛くて食事が喉を通らなかったんです。その後は赤ちゃんが夜泣き続きで……それでも奥様は自分で母乳をあげていたから、夜もまとまって眠れていませんでした。昼間は仕事もしていて、体が回復する暇もなかったんですよ」それを聞いて、蛍は怒り心頭になりそうだった。







