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第5話

Author: 芽吹き
廊下に出た勇太だったが、そこには誰もいなく、ただ隅っこに茶トラの猫がうずくまって、彼を警戒するように見ていただけだった。

「どうやら猫だったみたいね」追ってきた明里が小声で言う。「勇太、早く高橋さんのところに戻ってあげて。私は後でタクシーで帰るから大丈夫」

勇太は眉を顰めた。「こんなに雨が降ってるのに、タクシーなんて捕まらないよ。俺と一緒にいればいい」

明里は唇を噛み、小さな声で言う。「でも、高橋さんは……」

「お前は誰の女だ?」勇太は不意に彼女の顎を掴み、低い声で尋ねた。

明里は途端に顔を赤らめる。「……あなた」

「なら、俺の言うことを聞け」勇太は明里の手を取り、そのままコンサートホールへと連れ戻した。

ドアを開けて中に入ると、奈津美はまだ元の席に座って、静かに演奏を聴いていた。

勇太はほっと息をつき、明里を引っ張って奈津美の隣に座らせると、何気なく言った。「外は雨がひどいし、彼女も演奏会が好きだっていうから、ここにいてもらうことにしたよ」

奈津美は「うん」とだけ答え、勇太の嘘に気づかないふりをする。

演奏会の間、勇太は相変わらず奈津美に細やかな気配りを見せていた。

寒くないか尋ねたり、お腹をさすってあげたり。さらには、途中で退席して休むかとまで小声で聞いてきた。

でも奈津美は知っていた。勇太の左手は、ずっと明里と指を固く絡ませていたことを。

ふと、二人が初めて手を繋いだ時のことを思い出した。

それは16歳だった、ある雪の降る冬の夜のこと。勇太はこっそり塀を乗り越え自分の家の前にやってきて、凍えて真っ赤になった手を差し出し、笑って言った。「奈津美、手がすごく冷たいんだ。温めてくれない?」

自分が顔を赤らめながらその手を握ると、勇太はすぐに指に力を込め、ずっと離さなかったのだ。

あの頃、勇太の目には自分しか映っていなかった。

それなのに今は、自分と手を繋ぎながら、他の女の手も握っている。

一筋の涙が奈津美の頬を伝った。

勇太はすぐにそれに気づき、指の腹でそっと奈津美の頬を拭う。「どうした?」

奈津美は微笑んで、小さな声で答える。「音楽があまりにも素晴らしいから、感動しちゃったの」

勇太はくすりと笑い、甘やかすような声で言った。「まったく、君は本当に可愛いな。こんなことで感動するなんて」

しかし、奈津美は何も言わず、ただ勇太が涙を拭うのを黙って受け入れた。

演奏会が終わり、人々が会場の片付けを始めた。しかし、勇太は奈津美を引き留める。

勇太がスタッフに、たくさんの楽器を運び込ませた。ピアノ、チェロ、ヴァイオリン……どれも信じられないほど高価なものばかりだ。

「君が前に、この楽器たちのこといいって言ってたろ?だから全部、買っておいたんだよ」勇太は笑って奈津美に尋ねる。「気に入ってくれた?」

「高橋さん。陣内社長はこれらの楽器を手に入れるために、大変な苦労をされたんですよ」傍にいたスタッフも言葉を付け加えた。「個人のコレクターから高値で競り落としたものもあれば、博物館から借り受けたものもあって……」

その様子を横で見ていた明里の目に、暗い影がよぎる。

奈津美は皮肉っぽく口の端を上げ、何かを言おうとした。

しかし、「これは何?」と、明里が突然手を伸ばし、好奇心から傍にあった何か装置を動かすためのロープを引っ張った。

「引っ張らないで!」顔色を変えたスタッフが慌てて止めたが、もう手遅れだった。

頭上で機械が動く大きな音がしたかと思うと、次の瞬間、重い照明の骨組みと音響機材が猛烈な勢いで落下してきた。

その瞬間、勇太はとっさに明里を引き寄せ、腕の中に抱え込むようにして横へ転がった。

一方、その場に立ち尽くしていた奈津美は、黒い影が自分に迫ってくるのをただ見つめることしかできなかった――

ドンッ。

激しい痛みが体を襲い、奈津美は血の海に倒れた。薄れていく意識の中で最後に聞こえたのは、慌てふためく勇太の叫び声だった。「奈津美――」

しかし、奈津美には分かっていた。勇太が他の女を腕に抱いているということを……
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