Share

追放

Author: rinsan
last update publish date: 2026-06-17 11:26:53

田舎の長の娘として生まれ、欲するものは手を伸ばせば届く

――そんな世界で育ってきた杏姐にとって、

後宮で与えられた扱いはあまりにも現実離れしていた。

まるで、ぬるま湯の井戸から突然、底知れぬ深淵へ放り込まれたかのようだった。

己が世間知らずであったことを、今さらながら思い知らされる。

井の中の蛙――その言葉が胸の奥で鈍く響き、逃げ場のない羞恥となって杏姐を締めつけた。

屈辱は、静かに、しかし確実に彼女の誇りを侵食していく。

頬を伝う涙は、悲しみではない。

ただただ、己の無知を突きつけられた痛みと、踏みにじられた自尊心の味がした。

「お嬢様!」

息を切らし、胸を上下させながら駆け寄ってきた梅鈴の声が、

静まり返った回廊に震えるように響いた。

杏姐は振り返り、その姿をじっと見据えた。

化粧気ひとつない顔、色褪せた布を重ねただけの粗末な衣。

それは彼女自身の落ち度ではない。生まれた家の貧しさが、そのまま形になっただけのこと。

——それでも。

今の杏姐には、そのみすぼらしさが、まるで自分を嘲る鏡のように映った。

梅鈴の存在そのものが、胸の奥に沈殿した苛立ちをかき混ぜ、憎しみへと変えていく。

Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 捨てられた下女は謎多き下官に溺愛される   故郷

    湯気の立つ鍋の香りがまだ店内に残るなか、梅鈴は小鹿のように弾む足取りで陽光へ駆け寄った。「陽光さん!ここで働かせてもらえることになったんです!」その声は、朝の光をそのまますくい取ったように明るく澄んでいた。振り返った陽光は、思わず息を呑んだ。昨日まで旅塵をまとっていた少女が、まるで別人のように凛として立っている。髪は李婆に整えられ、香油のほのかな甘い香りが、梅鈴の動きに合わせてふわりと揺れた。「そ、そうか……よ、よかったじゃないか、梅鈴」言葉を返しながらも、陽光の視線は彼女の変化に追いつけず、戸惑いが胸の奥で静かに波紋を広げていく。梅鈴はそんな陽光の心の揺れに気づくこともなく、ただ嬉しさを抱えきれない様子で微笑んだ。その笑みは、昨日までの不安を洗い流し、新しい居場所を得た少女の輝きそのものだった。陽光が戸口をくぐったその瞬間、奥の薄闇から李婆のくぐもった笑い声が転がり出た。「おやまあ、陽光さん。おはようさんだね」皺の刻まれた頬をにやりとゆるませながら、李婆は湯気の向こうから姿を現した。その視線に含まれた“何かを見透かすような色”に気づき、陽光は胸の鼓動を悟られまいと、わざとらしいほど平静を装う。「あ、ああ……李婆。梅鈴を雇うことにしたって?」声は落ち着いているはずなのに、どこか喉の奥でつまずくような硬さがあった。李婆は肩をすくめ、まるで当たり前のことを告げるように言う。「そうさね。旅費が貯まるまで、店の二階で寝泊まりしてもらって、 その間は店を手伝ってもらうつもりだよ」  李婆はふと梅鈴へ視線を向け、柔らかく顎をしゃくった。「梅鈴、奥で湯を沸かしておくれ。陽光さん、どうせ朝飯を食べていく

  • 捨てられた下女は謎多き下官に溺愛される   変貌

    翌朝。李婆は、鶏の甲高い鳴き声に背中を押されるようにして目を覚ました。寝台の縁に手をつき、ゆっくりと身を起こす。白髪を指先で整えながら櫛を通していると、階下から微かな物音が立ちのぼってきた。こんな早い刻限に――と眉をひそめ、階段を降りる。朝の薄明かりが差し込む食堂では、梅鈴がひとり、黙々と箒を動かしていた。その姿は、夜露を含んだ若木のように慎ましく、どこか凛としている。李婆は思わず足を止めた。静かな朝に響くのは、箒が床を掃く柔らかな音だけだった。「あっ、おはようございます」梅鈴は朝の光を受けてぱっと顔を上げた。「あんた……こんな夜明け前から何をしてるんだい」眠気を押しやりながら李婆が声をかけると、梅鈴は箒を握ったまま、不思議そうに首をかしげた。「何って……店の掃除です。故郷では日が昇ると山へ薪拾いに行ってましたから。都では、どこへ拾いに行けばいいんでしょうか」そのあまりに素朴な問いに、李婆は思わず口元をゆるめた。「ここではね、薪は拾うもんじゃないよ。買うものさ」そう言って、彼女は肩をすくめながらも、山の暮らしがまだ身体に染みついた娘をどこか愛おしげに見つめていた。店の掃除を終えると、梅鈴はためらいもなく家畜小屋へ向かい、餌をやり、水桶を抱えて井戸へと歩き出した。その一連の動きには、無駄がひとつもない。まるで身体そのものが“働く”という営みに馴染みきっているかのようだった。李婆は、軒先に腰を下ろしながらその姿を静かに見つめていた。(ほんとに、よく働く娘だねぇ)感心というより、どこか胸の奥を温めるような思いが滲む。井戸の滑車がぎぃ、と鳴り、冷たい水面が桶の縁に揺れる。梅鈴はその重みを両腕に受け止め、息を整えながら運び出した。その表情には苦しさも不満もなく、ただ淡々と、しかし確かな誠実さだけが宿っている。彼女にとってこれは、田舎で過ごした日々となんら変わらない“いつもの仕事”だった。湯気の立つ鍋が静かに煮え、炊きたての飯の香りが店内に満ち始めた頃、まるでその瞬間を待ち構えていたかのように、陽光が店先へ姿を現した。「梅鈴。昨日はよく眠れたか」勢いよく戸を押し開け、軽やかな足取りで踏み込んだ陽光。だが、振り返った梅鈴の姿を目にした途端、その動きはふっと止まった。目の前に立つ少女を見た瞬間、陽光の胸中で

  • 捨てられた下女は謎多き下官に溺愛される   居場所

    茶椀を置く李婆の指先は、長年の働き者らしく節くれ立ち、しかしどこか寂しげに見えた。「…あたしももういい年でねぇ。最近は腰が痛くて、仕事も思うようにいかないんだよ」ぽつりとこぼれた声は、湯気のように淡く揺れ、梅鈴の胸に染み入った。李婆はゆっくりと顔を上げ、まっすぐ梅鈴を見つめる。「もし、あんたさえよけりゃ…旅費が貯まるまで、この店を手伝ってくれないかい?」思いがけない言葉に、梅鈴は反射的に椅子を蹴るように立ち上がっていた。「い、いいのですか…?」声が震え、胸の奥が熱くなる。李婆は肩をすくめ、照れ隠しのように笑った。「たいした駄賃は払えないよ。けどまあ、部屋は余ってるしね。寝る場所くらいはあるさ」その言葉は、荒野に落ちた一粒の灯火のようだった。行き場を失った少女の心に、ようやく“居場所”と呼べる温もりが灯る。梅鈴は胸の前で手をぎゅっと握りしめ、深く頭を下げた。「…ありがとうございます。わたし、精一杯働きます」李婆は「まったく、律儀な子だよ」と呟きながらも、どこか嬉しそうに目を細めた。店の二階──李婆の住まいへ続く急な階段を上りきると、古い木の匂いがふわりと漂った。李婆は北側の扉の前で足を止め、建付けの悪い戸をぐっと押し開ける。中は薄い埃が舞い、古道具や布包みが積み上がっていた。「ここは物置にしてる部屋なんだがね……しばらく、ここを使っておくれ」梅林は戸口で一瞬ためらい、そっと足を踏み入れた。李婆が「明日中には片付け──」と言いかけたその時、梅林が小さく息を呑む。「……こんな立派な部屋を、本当に私が?」李婆は思わず言葉を失った。物置同然のこの部屋を“立派”と言われるとは思ってもいなかったのだ。梅林は部屋を見回し、子どものように弾んだ声をあげる。「だって、すごいわ。壁に隙間がないんですもの!風が入ってこなくて暖かいし、雨漏りの心配もない。それに……寝台まであるなんて」彼女は寝台にそっと触れ、振り返る。「李婆さん。この寝台、本当に私が使ってもいいの?」その瞳は、長い旅路の果てにようやく見つけた“安全な場所”を確かめるように揺れていた。李婆はそのまっすぐな喜びに胸を突かれ、ほんの少しだけ視線をそらす。「……好きにおし。婆さんの古い寝台でよけりゃね」はしゃぐ梅林の姿を見つめながら、李婆の胸には言いようのない複雑な

  • 捨てられた下女は謎多き下官に溺愛される   美しい髪

    梅鈴が冷たい水を浴びた瞬間、春先の夕暮れの風が肌を撫で、ひやりとした感触が骨の奥まで染みわたった。だが、その冷たさは彼女にとって日々の営みの一部にすぎない。洗い清められた身体に、李婆から借りた古着をそっとまとったとき、ふと胸の奥が温かくなる。(古いけれど…なんて上等な仕立てなの)指先に触れる布は柔らかく、まるで長い旅路の末にようやく見つけた安らぎのようだった。帯をきゅっと締め、姿勢を整えて李婆の前に歩み出る。「上等なお着物を貸していただいて、ありがとうございます」深く頭を下げる梅鈴を、李婆はしばし無言で見つめた。(…こりゃあ驚いた)つい先ほどまで“山猿”と揶揄されていた面影は、どこにもない。そこに立っているのは、洗いざらしの黒髪を夕風に揺らし、澄んだ瞳をまっすぐ向ける、ひとりの美しい少女だった。粗末な暮らしの影は跡形もなく、まるで水面から姿を現したばかりの清らかな精霊のように。籠の外では夕靄がゆるやかに立ちのぼり、李婆はその気配を愉しむように喉の奥でくっくと笑った。(明日陽光さんがあの娘を目にした時こそ見ものだよ)老いた声はどこか含みを帯びていた。「おいで、梅鈴。髪に香油を塗ってあげようね」李婆の節くれだった指が、梅鈴の黒髪をそっとすくい上げる。香油が温められたようにほのかに香り、指先が髪を滑るたび、夜の水面のような艶が静かに広がっていった。「こしがあって、なんて豊かな髪だろうねぇ」李婆はうっとりと目を細め、まるで宝物でも撫でるようにその髪を眺めた。「そんなふうに言われたの……はじめてだわ」梅鈴の声は驚きと、かすかな照れが混じり合い、胸の奥でそっと震えていた。李婆のこしらえた素朴な夕餉を挟み、梅鈴と李婆は、湯気の立つ椀の向こうで、ぽつりぽつりと身の上を語り合った。梅鈴の言葉に、李婆はただ相槌も打たず、長い歳月をくぐり抜けた眼差しで静かに耳を傾けていた。やがて、湯飲みを口に運びながら、李婆はふう、とひと息ついて問いかけた。「それでお前さん……これから、どうするつもりだい」その声音には、詮索ではなく、ひとりの娘の行く末を案じる温かさが滲んでいた。梅鈴は膝の上で指をぎゅっと結び、小さく息を吸ってから答えた。「どこかで仕事を探して……故郷へ戻る旅費を、少しずつ貯めるつもりです」その言葉は、決意というよ

  • 捨てられた下女は謎多き下官に溺愛される   つぎはぎだらけの衣

    陽光は、梅鈴を下町の外れに佇む小さな食堂へと導いた。古びた建物は年季を感じさせるものだったが、どこか暖かくも感じた。建付けの悪い木の扉は、長い年月を吸い込んだように重く、押し開けると微かな油と薬味の香りがふわりと漂う。昼下がりの店内は静まり返り、客の姿はひとつもない。「李婆、いるか!」陽光は奥へ向かって声を張り上げた。「そんな大声を出さなくても聞こえてますよ」帳場の奥から、ゆっくりとした足取りで初老の女が現れた。白髪をひとつに束ね、皺の刻まれた目元には、長年この店を守ってきた者だけが持つ穏やかな強さが宿っていた。陽光は、ふいに「李婆」と呼ばれる老女へ深々と頭を垂れた。「李婆。今夜、この娘を泊めてやってほしい」その声音には、どこか頼み慣れた気安さと、梅林を気遣う真剣さが同居していた。李婆は驚きもせず、長年の諦めを含んだため息をひとつこぼす。「まったく……犬や猫だけじゃなく、今度は人間の娘まで拾ってくるとはね」そう言いながら、ゆっくりと梅林へ視線を移す。老いた瞳は鋭くも温かく、梅林の全身を一度で見抜いた。「まあ……なんて小汚いんだい。まるで山猿じゃないか」その言葉に、陽光が堪えきれず吹き出す。「おいおい。若い娘に山猿はひどいだろう」李婆は梅林に手招きをした。「おいで。中庭で洗ってやるよ」「……あ、ありがとうございます」梅林は陽光に深く礼をし、李婆とともに奥へと消えていく。その小さな背中には、長い旅の埃と、ようやく辿り着いた安堵の気配が静かに揺れていた。「陽光さん……そろそろ戻る時間だろうよ」李婆の声は、叱るでもなく、ただ長い年月の重みを帯びた柔らかな諭しだった。陽光は一瞬だけ迷うように目を伏せ、それから静かに頷く。「……そうだな。李婆、梅林を頼む」短い言葉に、彼の不器用な優しさが滲む。陽光は店の戸口へ向かい、振り返ることなく外気の冷たさへ身を滑らせた。夕闇が街路をゆっくりと沈めていく。陽光はその中を歩きながら、胸の奥でそっと呟く。(明日……また様子を見に行ってみよう)足取りは軽くも重くもなく、ただ静かに、思いを抱えたまま家路へと続いていった。中庭には、古い井戸と小さな菜園が寄り添うように並び、脇にはニワトリとヤギの小屋がひっそりと身を寄せていた。李婆は井戸のそばに椅子を引き寄せ、梅林をそっと座

  • 捨てられた下女は謎多き下官に溺愛される   名前

    「酷い話もあるものだな」ため息とともに落とされたその一言は、夜気に溶けるより先に、梅林の胸へ重く沈んだ。男はしばし言葉を探すように視線を伏せ、やがて低く続けた。「本来なら、身なりを整え、多少の金子や衣を持たせて送り出すものだ。それを――」言葉の先を噛み殺すようにして、男は唇を結んだ。怒りとも哀れみともつかぬ感情が、その横顔に影を落としている。やがて彼は梅林の方へ向き直り、静かに問いかけた。「お前……これからどうするつもりだ。今夜、身を寄せるところはあるのか」その声音は責めるでも詮索するでもなく、ただひたむきに彼女の行く末を案じていた。だが梅林は、首を横に振ることしかできなかった。振るたびに、心の奥で何かがきしむように痛んだ。夜の気配が濃くなるほど、彼女の孤独は輪郭を増していく。それでも、目の前の男の言葉だけが、かろうじて彼女を闇から引き留めていた。男はしばし思案するように視線を伏せ、それから静かに手を伸ばした。「ついてこい」差し出された掌は、荒々しさとは無縁の、どこか温度を帯びたものだった。梅林はその手を前に、ほんの一瞬だけ身をこわばらせる。見知らぬ男について行くなど、本来ならばあってはならないこと――(本当に、この人について行ってもいいのかしら…)胸の奥に小さな影がよぎる。だが、恐る恐る指先を重ねた瞬間、彼女の中の迷いは不思議と薄れていった。男の掌は思ったよりも力強く、そして優しかった。立ち上がった梅林の前を歩き出す男の背中は、夕闇の中で大きくも小さくも見えた。けれど、その歩みに悪意の影はどこにもない。むしろ、彼の存在そのものが、迷子の心を導く灯火のように思えた。なぜだろう――初めて会ったはずなのに、彼が悪人にはどうしても見えなかった。 廃れた町外れに沈む夕光の中、梅鈴はおずおずと問いかけた。「あなたは……お役人様ですか」その声音に、若い男は喉の奥でからりと笑い声を転がした。「まあな。とはいえ貧乏貴族の末っ子で、役人と名乗るのも気が引ける下っ端の下官だよ」気取ったところのない笑みを浮かべ、男は続けた。「俺は陽光。お前の名は」「わ、私は……梅鈴と申します」「梅鈴か。いい名だな」その一言は、彼女の胸の奥にそっと触れた。これまで誰からも与えられたことのない、温かな肯定。名を呼ばれるたびに疎まれ、

  • 捨てられた下女は謎多き下官に溺愛される   放浪

    門兵に肩を乱暴に掴まれた瞬間、梅鈴の身体は軽い布切れのように外へ放り出された。乾いた地面に叩きつけられ、転がるように倒れ込む。肺の奥に溜まった砂埃が咳となってこぼれ、視界が揺れた。それでも、彼女は必死に膝をつき、震える指で地を押して立ち上がろうとする。だが、その背後で――まるで彼女の存在など初めからなかったかのように、巨大な門は無情な音を響かせて閉ざされていった。「そんな……」かすれた声が漏れた。梅鈴は縋るように門へ駆け寄り、拳を何度も叩きつける。薄い皮膚が痛みで痺れ、骨に響く衝撃が涙を誘った。「お願いです……! どうか……門を開けてください……!」叫びは風にさらわれ、

  • 捨てられた下女は謎多き下官に溺愛される   後宮

    重く閉ざされた後宮の門の前には、女たちの長い列が蛇のように伸びていた。国中から集められた「候補者」たちが、緊張と期待と諦念を胸に、ただ順番を待つしかない。その最後尾に、杏姐の一行も加わっていた。籠の中で揺られながら、杏姐は苛立ちを隠そうともしない。「遅いわねぇ……いつまでこの私を待たせるつもりなのかしら」吐き捨てるような声が籠の薄布を震わせる。やがて、列の前方から役人の怒鳴り声が響いた。「次の者! 出身地と名をここに記入するように!」その声に押されるように、杏姐は慌てて籠から身を滑らせ、地面に膝をつく。化粧の香りがふわりと立ち、彼女は深々と頭を垂れた。「鹿北町より参りまし

  • 捨てられた下女は謎多き下官に溺愛される   帝都入り

    「梅鈴、何してるのよ! 早く来て、髪を結うのを手伝いなさい!」籠の簾越しに、杏姐の鋭い怒声が空気を裂いた。「は、はいっ……! ただいま参ります!」川辺で手を洗っていた梅鈴は、驚いたように身を翻し、裾を押さえて駆け出した。その小柄な背が砂埃を上げて遠ざかっていくのを、男はぼんやりと目で追う。「……あの程度の器量で、皇帝の御目にとまるんだろうかね」誰に聞かせるでもなく、疲れと皮肉の入り混じった声が漏れた。籠の中では、化粧道具や装飾品が乱雑に散らばり、揺れるたびに微かな香りが漂う。杏姐は鏡を覗き込みながら、苛立ちを隠そうともせず言い放った。「そこの香油を髪に塗ってちょうだい。早く

  • 捨てられた下女は謎多き下官に溺愛される   帝都への道のり

    都までの道のりは、決して人に優しいものではなかった。帝都までは歩いて十日――その数字が示す以上に、梅鈴にとっては果てしない距離である。供として連なるのは、彼女を除けば皆、肩幅の広い屈強な男たちばかり。彼らの歩幅は大地を割るように大きく、足取りは迷いなく速い。梅鈴は必死に裾を握りしめ、息を切らしながらその背を追った。一歩遅れれば、すぐに置き去りにされてしまいそうな焦りが胸を締めつける。対照的に、籠に揺られる杏姐は、まるで春の庭を散策するかのような優雅さだった。籠の簾越しに差し込む光を受けながら、爪を磨き、甘い菓子をつまみ、ときおり遠くの景色を眺めては、未来の栄華を思い描くように

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status