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last update Last Updated: 2025-08-09 06:00:18
「次は水回りだ」

 本部長が廊下の反対側にある扉を開けると、そこにはまるで高級ホテルのような空間があった。

「バスルームとトイレだ。掃除は業者が週1で入るが、気になるならそのときだけ立ち会ってくれ」

 広々とした洗面カウンターに、大きな鏡。

 壁付けの照明が淡く灯り、バスタブはジャグジー付き。

 香水のようなアロマの香りが微かに漂い、バスタオルはふかふかに整えられていた。

(こんなところで毎晩お風呂に入るの?)

「こっちが書斎だ」

 次に案内された部屋は落ち着いた木目調の壁に囲まれた、静謐な空間だった。

 本棚には資料が整然と並び、黒革のチェアと大理石のデスク、デュアルモニターのPC。

 見ただけで“仕事のできる男の城”とわかる。

「ここは俺専用だ。必要でない限りは立ち入らないで欲しい」

「はい……」

 場違いすぎてここには一生入れない気がした。続いて案内されたのは寝室。

「ここは俺の部屋。君が入る必要はない」

 と言いながらも一応部屋を見せてくれた。

 本部長の部屋は、大きなクイーンサイズのベッドに遮光カーテン。

 無駄なものはなにひとつなく、寝るためだけに存在しているような完璧な部屋。

 私は喉の奥に言葉を詰まらせた。

(逆に安心したかも。入ってこないでって線引きがある方が、気が楽)

「最後が、君の部屋だ」

 案内されたドアを開けると、そこには明るい色合いの、ほっとする空間があった。

 白とベージュを基調にした、やわらかな雰囲気の6畳ほどの部屋。

 ベッド、シンプルなデスク、チェストに加えて、カーテンには淡いピンクとグレーの柄があしらわれている。

「インテリアは女性向けに合わせたつもりだ。もし好みに合わないなら変更してもいい」

「……いえ。充分すぎるくらいです」

 コンパクトで落ち着くこの空間に、私はようやく少しだけ呼吸を整えることができた。

 ここが、今日からの“わたしの居場所”。

(いよいよ同居生活、始まるんだ……)

 改めて思うと胃がキュッと縮まる。もちろん“形式だけ”の契約結婚。明日、仕事の前に婚姻届けを出しに行くし、自分で決めたことだけど…。ただ紙の上だけの関係で終わるならよかったんだけど、まさか本部長と同居するなんて。

 だって、朝起きて顔を合わせて、仕事も一緒、家に帰っても一緒。夫婦でも恋人でもない男性と同じ屋根の下で1年間過ごす――思
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