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第2話

Penulis: 楓原月乃
翌日の夕方、インターホンが鳴った。

莉央と直哉が食材の入った袋を提げて立っていた。

昨日のことを謝りに来たのだという。

母は満面の笑みで二人を迎え入れた。

昨日、私を罵っていた人と同一人物とは思えないほどの態度だった。

食卓に並んだのは、ステーキに海老のチーズ焼き、ティラミス。

どれも莉央の好物ばかりだった。

一方、私の前に置かれたのは、刺身の盛り合わせだった。

魚の切り身は濡れたように光り、皿から生臭いにおいが立ち上ってくる。

私は反射的に、皿を遠ざけた。

大学2年の頃、莉央に連れられて海鮮料理店へ行ったことがある。

そのとき莉央は、私が苦手だと知りながら、わざと活け造りを何品も注文し、テーブルを埋め尽くした。

身を切り取られた魚が、まだ皿の上で跳ねていた。

その汁が顔に飛び、私はその場で吐き、胃が痙攣するほど苦しんだ。

莉央はスマホを向けて動画を撮りながら、涙を流して笑っていた。

あとからその話を知った直哉は、莉央の頭を軽く小突き、「いたずらが過ぎるぞ」と言っただけだった。

それ以来、私は生魚のにおいを嗅ぐだけで吐き気を催すようになった。

莉央は刺身を一切れつまみ、私の取り皿へ置いた。

にこにこと笑いながら言った。

「琴葉、怖いものを克服したいんでしょう?まずは簡単なことから始めなきゃ」

私はその切り身をじっと見つめた。

生臭さが喉元までせり上がってくる。

母が箸で私の茶碗の縁を叩いた。

「何を大げさに嫌がってるの。水じゃあるまいし、食べたって死なないでしょう」

吐き気をこらえ、私は刺身を箸でつまんで口に入れた。

胃が激しく波打ち、生臭さが喉へ逆流してくる。

それでも、どうにか飲み込んだ。

三人は満足そうな顔をした。

ようやく「お手」を覚えたペットでも眺めるような目だった。

食事の途中で、直哉が翌日のクライアント向けプレゼンの話を切り出した。

「琴葉、あの海洋リゾートの企画だけど、莉央に発表を任せたらどうだ?大勢の前に立つと緊張するだろ」

あの企画の完成予想図には、2週間を費やした。

徹夜を重ね、4回も作り直した。

配色も、数字も、すべて頭に叩き込んでいた。

「自分で発表したい」

食卓が静まり返った。

直哉が眉を寄せる。

母は鼻で笑った。

「あんたが人前に立って、まともに何が話せるのよ」

莉央が取りなすように口を挟んだ。

「私は琴葉が挑戦するの、賛成だよ。どうしても無理そうだったら、そのときは私が代わればいいんだし」

そう言って、私に笑いかけた。

けれど、その目は少しも笑っていなかった。

その夜、私は鏡に向かい、午前3時まで発表の練習を続けた。

翌日、私は壇上に立ち、プレゼン資料を開いた。

ところが、肝心のデザイン画は、すべて真っ白になっていた。

画面に残されていたのは、小さな文字で書かれた一文だけだった。

【頑張って。アドリブも成長のうちだよ――莉央より】

会議室中の視線が、一斉に私へ向けられた。

最前列に座っていた直哉は小さく首を振り、呆れたように莉央を見た。

「まったく、お前は本当にいたずら好きだな」

莉央はおどけるように舌を出した。

クライアントは腕時計に目を落としている。

私の手は震えていた。

けれど、データも色番号も、着想を得た経緯も、すべて頭の中に残っていた。

私はプレゼン用のリモコンを置き、ホワイトボードの前へ歩いた。

マーカーを手に取り、メインデザインの構図をその場で描き始めた。

描きながら説明を続けた。

声は震え、何度か言葉に詰まった。

それでも、最後まで話し切った。

発表が終わると、会議室はしばらく静まり返っていた。

やがて、一人のクライアントが拍手をした。

視界の端に、直哉と莉央の姿が映った。

二人とも、表情を強張らせていた。

壇上を降りると、スマホが震えた。

寧々からメッセージが届いていた。

【船のチケット、取れたよ。明後日、港で待ってる】

……

企画は無事に採用され、会社では打ち上げが開かれた。

宴も盛り上がってきた頃、莉央が私の「笑い話」を披露し始めた。

「みんな知ってる?琴葉って子どもの頃、マンションの噴水に落ちたことがあるんだけど、水は膝くらいまでしかなかったのに、2時間も泣き続けたんだよ」

テーブルを囲んでいた人たちから、一斉に笑い声が上がった。

莉央は肘で直哉をつついた。

「ねえ、海に行ったときの話もしてあげてよ」

直哉はためらい、私をちらりと見た。

莉央が直哉の袖を引いた。

結局、直哉は口を開いた。

「ああ。波なんてほんの少ししかなかったのに、怖がって監視員にしがみついて離れなかったんだ」

また笑いが起きた。

爪が食い込むほど手のひらを握り締め、私は勢いよく立ち上がった。

「もう、その話はやめてもらっていい?」

一瞬にして、テーブルが静まり返った。

同僚の一人がそっと身を寄せ、小声で忠告してきた。

「桐谷さんには逆らわないほうがいいよ。社長の恋人の親友なんだから」

そこまで言ったところで、何かに気づいたように目を見開いた。

驚いた顔で私を見つめる。

「あれ?でも、社長の恋人って君じゃなかった?それなのに、どうして……」

同僚の視線が、私と莉央の間を行き来した。

私は口元をわずかに歪めた。

「社長とは、仕事上の関係だけよ」

以前の私は、直哉のそばにいたくて、必死に勉強し、この会社へ入った。

入社初日、エレベーターで直哉と会ったとき、直哉はこう言った。

「俺との関係を理由に特別扱いされたら、琴葉のためにならない。自分の力で成長しないと」

私の席は、直哉から最も離れた隅に用意されていた。

二次会に入る頃、誰かが新しくできた水中遭難をテーマにした脱出ゲームへ行こうと言い出した。

沈没船、海底、水中からの脱出。

最初から最後まで、そうした演出が続くらしい。

チーム分けが始まっても、誰も私を選ばなかった。

同僚の一人が、冗談めかして言った。

「琴葉と一緒だと、途中で気絶して足手まといになりそうだし」

最後に残ったのは、私と直哉と莉央だった。

莉央は直哉の腕を抱き込んだ。

「直哉、私と一緒に行ってよ。暗いところ、一人じゃ怖いもん」

直哉は困ったように私を見たあと、莉央の隣へ移った。

そして、優しく私の頭をなでた。

「琴葉も、いつまでも俺に頼ってばかりじゃ駄目だろ。今回は一人で挑戦してみろよ。度胸をつける練習だと思ってさ」

私は大きく息を吸い、一人で脱出ゲームの扉を開けた。

中は青い照明に包まれ、水音が流れ、天井からクラゲの模型がいくつもつり下げられていた。

途中まで進んだところで、莉央がどこかの隠し通路から突然飛び出し、大声を上げた。

同時に、頭上から冷水が浴びせられた。

濡れた床で足を滑らせ、膝を金属製の枠へ強く打ちつけた。

周囲の照明が一斉についた。

皆が通路の先に並び、こちらへスマホを向けていた。

莉央は腹を抱えて笑った。

「今の顔、最高に面白かった!」

直哉が慌てて追いかけてきた。

険しい顔をしている私を見ると、心配そうな声を出した。

「怒ったのか?莉央はただ……」

「いたずら好きなだけ」

私は直哉の続きを代わりに口にした。

服についた水を払い、立ち上がる。

「怒ってないよ」

直哉はほっとしたように笑い、私の頭をなでた。

「琴葉は本当に手がかからないな」

解散することになると、直哉は莉央を送っていくと言った。

「莉央の家までの道は、夜になると暗いんだ。一人だと怖いらしいから」

私は直哉を見つめた。

「どうして莉央が怖がるものは、克服しなくてもいいの?」

直哉は何か言おうとしたが、言葉が出てこなかった。

「もういい。送ってあげて」

家へ帰ると、母がソファでせんべいをかじりながら、誰に送ってもらったのかと聞いてきた。

タクシーで帰ったと答えると、露骨に嫌そうな顔をした。

「莉央ちゃんは、直哉さんの前であんなに上手に甘えられるのに。あんたは何なの?負けて当然よ」

私は母を見た。

「お母さんの言うとおりだね。莉央のほうが直哉にはふさわしい。お母さんの娘になるのも、私より莉央のほうが向いてるよ」

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