LOGIN私・水城知世(みずき ちせ)の夫、小栗恭介(おぐり きょうすけ)は、不倫相手と縁を切ったと言い、家庭に戻ってきた。 それ以来、家族全員が彼の監視役になった。 彼がゴミを出しに行けば、父があとをつけ、動画を送ってきた。 「おとなしくしてる。スマホにも一度も触ってない」 法律事務所で会議がある日は、母が清掃員に扮して中へ潜り込んだ。 「近くに女の影はまったくなし」 海外での裁判を終えて帰国したときは、親友の佐伯麻友(さえき まゆ)が機器まで持ち出し、彼の全身をくまなく調べた。 「女の髪の毛一本、口紅の跡一つなし。異常なし」 誰もが、恭介の心はもう私のもとへ戻ったと口をそろえた。 本人も毎晩、ベッドのそばにひざまずき、これからは私とお腹の子だけを愛すると誓った。 ところが妊娠7か月のとき、恭介が出張に出たため、私は一人で健診へ向かった。 産科病棟の前を通りかかった私は、赤ちゃんを抱いた恭介が、ベッドに横たわる女に激しく口づけているところを目にした。 その周りでは、私の両親と麻友までが目を潤ませていた。 ベッドにいたのは、以前の不倫相手、葉山真里(はやま まり)だった。 私の姿に気づくと、全員が身構え、とっさに赤ちゃんをかばった。 けれど私は静かに歩み寄り、恭介の襟元を整えた。 「かわいい子ね。あなたによく似てる。邪魔して悪かったわ。洗濯物があるから、先に帰るね」
View More郁人はここまでずっと我慢していたが、ついに堪えきれなくなった。袖をまくり、眼鏡を外した。振り返ると、恭介の顔に拳を叩き込んだ。恭介はよろめきながら後退し、血のにじむ口元を拭うと、負けじと殴り返した。二人はすぐに取っ組み合いとなり、互いに容赦なく拳を振るった。「お前みたいな人間が、どの面下げて知世につきまとう!こんなふうに傷つけると分かっていたら、あのとき俺が知世を連れていくべきだった!」「二人ともやめて!人通りの多い場所で殴り合って、恥ずかしくないの?」私は駆け寄り、恭介を蹴り飛ばした。「知世!」目を真っ赤にした恭介が、私の脚に必死にすがりついた。「俺が悪かった。もう一度だけ、やり直すチャンスをくれ」「何のチャンス?」私は一歩下がり、無表情のまま彼の手を振り払った。「もう一度不倫するチャンス?それとも、私を傷つけるチャンス?」「違う、知世。俺が誤解して、お前を傷つけた。裏切ったことも分かってる。何もかも俺が悪かった」声は涙で途切れ、目には深い後悔が浮かんでいた。自分がこんなことをしなければ、家族3人で幸せに暮らしていたはずだった。大学で初めて知世を見た日のことが、恭介の脳裏に鮮明によみがえった。学内の作品展で最優秀賞を受賞した彼女は、自分の作品のそばに立ち、同級生たちと記念写真を撮っていた。あのときの明るい笑顔は、一筋の光となって彼の心に差し込んだ。気づけば恭介も彼女の前へ歩み寄り、声をかけていた。「すみません。一緒に写真を撮ってもらえませんか?」その写真も、ずっと大切にしまっていた。結婚した夜、眠る知世の頬に口づけ、続けて写真の中の彼女にも口づけた。これから一生、知世を幸せにすると心に誓った。彼女を守り、大切にし、決して裏切らないと。それなのに今の自分は誓いを破り、7年前の自分なら決して許さなかったことをしてしまった。私は黙って恭介を見下ろした。彼は子どものように泣きじゃくり、言葉にもならない声を漏らしていた。それでも、震える両手は私の脚を離そうとしなかった。私はようやく口を開いた。声には何の感情も残っていなかった。「本当は、あの子がいなければ、あなたとやり直そうとは思わなかった。いえ、最初からやり直すつもりなんてなかった。知ってるでしょう。私は
「真里、よくもお兄ちゃんに手を出したわね!」怒りに顔を歪めた麻友が、真里につかみかかった。「莉杏がお兄ちゃんの子だと思ったから、ここまで味方してきたのに!この女!お兄ちゃんを殺しかけただけじゃない。20年来の親友だった知世との仲まで壊したのよ!」我慢の限界に達した真里が、麻友の頬を打ち返した。「もうやめて!あなたたち兄妹だって、人のことを責められるような立場じゃないでしょう!拓真は散々女遊びしてきたくせに、責任なんて一度も取ろうとしなかった。この子を妊娠したときだって、真っ先に堕ろせって言ったじゃない!麻友、あなたも同じよ。知世さんの成績も家柄も、結婚相手までずっと妬んでたでしょう。自分から私に近づいてきて、『知世さんより私のほうがあなたと仲がいい』って張り合って、一緒に知世さんを仲間外れにしようって言ったのは、あなたじゃない!」隠していた醜い事実が、すべて白日の下にさらされた。恭介は、腕に抱いた自分の子ではない赤ちゃんを見つめた。不思議なことに、胸をよぎったのは安堵だった。これでもう、真里と莉杏に責任を負わずに済む。自分と知世の間に割り込む者もいなくなる。両親はよろめき、怒りで全身を震わせた。ようやく私を見つめ、小さな声で名を呼んだ。「知世……」「お父さん、お母さん。そう呼ぶのは、たぶんこれが最後よ」私は静かに、今後一切関わらないことを約束させる誓約書をバッグから取り出した。「署名してくれたら、これからも毎月、生活費は送る。署名しないなら、もう二度と私の顔を見られないと思って」「知世!何を言ってるの!」母は泣きながら駆け寄り、私を抱きしめた。「私がお腹を痛めて産んだ子でしょう。親子の縁を切るなんて、できるはずがないわ!」私は母の指を一本ずつ外した。「真里のために、何度も私を見捨て、騙し、傷つけた。そのときから、二人はもう私の親じゃない」「それは、あなたの妹を思い出したからなの」母は顔を上げた。歳月の刻まれた目に、深い悲しみが満ちていた。「あなたが5歳で田舎に預けられていた頃、お母さんはもう一人、女の子を産んだの。でも、あの子は運が悪くて、生まれて間もなく病気で亡くなった。だから、あなたが真里を家に連れてきて、あの子が私たちに懐いてくれたとき、妹が生きて戻ってきたように思
私が手を打つと、郁人がすぐに真里の父親を連れてきた。真里の養父の髪には白いものが目立ち、腰も曲がっていた。長旅をしてきたのか、服には泥が跳ねていた。それほどくたびれた姿でも、顔に浮かぶ慈愛は隠せなかった。震えながら歩み寄り、真里の手を取ろうとした。「真里、結婚して子どもまで生まれたのに、どうして父さんに一言も知らせてくれなかったんだ?この前、突然帰ってきて、もう縁を切ると言っただろう。心配で町へ捜しに行こうとして、山道から落ちて脚を折ったんだ。父さんの何が悪かったのか、どうか教えてくれないか」真里は唇を固く結び、狼狽した様子で後ずさった。麻友がすぐに彼女の前へ出た。「よくそんなことを聞けるね。真里がようやく田舎を出られたのに、無理やり連れ戻して結婚させようとしたでしょう!」真里の養父は困惑して顔を上げ、慌てて否定した。「わしは一度も、そんなことを言ってない。真里が結婚するときのために、100万円も貯めて待っていたんだ」彼はポケットから使い古した封筒を取り出した。中には少しずつ貯めた紙幣が、きちんと束ねて入っていた。老人のひたむきな姿に胸を打たれない者はいなかった。招待客たちは、たちまち小声で話し始めた。「どういうこと?結婚したのに、自分のお父さんにも知らせなかったの?」「家族に無理強いされたって、あちこちで話してたよね。あれも全部嘘だったんじゃない?」「やめて!」真里は耳を塞いで叫び、シャンパンのグラスを養父の足元に投げつけた。「縁を切るって言ったでしょう!どうして私の人生に口を出すの!」私は慌てて真里の養父の前に立ちはだかり、真里の頬を平手で打った。「最低ね!あなたは血のつながらない子なのに、お父さんは小さい頃から実の娘として大切に育ててくれた。あなたが学校へ通えたのも、お父さんがネットで私を見つけ、あなたを町へ連れ出して進学を支援してほしいと頼んだからよ。それなのに、あなたは何をしたの?華やかな暮らしが欲しいからって、20年以上も育ててくれた父親まで切り捨てたのよ」初めてあの村を訪れた日のことを、私は今でも覚えている。真里の養父は色あせるほど着古した服をまとい、ひどく老け、疲れ切った顔をしていた。その一方で真里は清潔なワンピースを着て、髪もきれいな三つ編みにしていた。
莉杏の生後1か月を祝う会は、市内で最も豪華なホテルで開かれた。会場の飾りつけも進行も、私がかつて自分の子のために考えたものと、何一つ変わらなかった。壇上では、赤ちゃんを抱いた真里が恭介に寄り添い、娘への言葉を述べていた。「本日は、私たちの娘を祝うためにお集まりいただき、本当にありがとうございます……」「私へのお礼はないの?」驚きの視線を一身に浴びながら、私はゆっくり壇上へ上がった。「私がいなければ、二人は一緒になれなかったでしょう?こうして幸せそうな姿を見られて、私も嬉しい。だから心を込めて、プレゼントを二つ用意したの。恭介、開けてみない?」私はバッグから箱を取り出し、恭介の前へ押し出した。「知世!」驚きと喜びを浮かべた彼が、私のもとへ駆け寄った。全身を確かめるように見回してから、矢継ぎ早に尋ねた。「どこにいたんだ?昨日は一日中探しても見つからなかった。昨日は誤解して悪かった。手を見せてくれ……」私は彼を押しのけ、箱を目の前へ差し出した。「開けて」「分かった」恭介はマイクを置き、慎重に箱の蓋を開けた。中を一目見た瞬間、彼の顔から血の気が消えた。箱の中には、妊娠8か月まで育った私たちの子が、保管容器に収められていた。へその緒が、保存液の中でゆっくり揺れていた。恭介は怯えきった顔を上げた。「知世、これは……何だ?」「あなたの子よ」私は容器を取り出した。小さな体はすでに形を成し、整った顔立ちまでかすかに分かった。無事に生まれていたら、きっと素直で、かわいい女の子に育っていたはずだった。視界がにじんだ。私は声に力を込めた。「恭介、この子は昨日、あなたに殺された。私たちの実の娘よ。実の娘を殺した父親が、よその子の生後1か月を祝っているんだもの。連れてこないわけにはいかないでしょう。誰が自分を殺したのか、この子にも見せてあげないと」「違う……わざとじゃない……」恭介はその場に膝から崩れ落ち、目を真っ赤にして箱を強く抱きしめた。膝をついたまま私の前までにじり寄り、すがるように言った。「知世、俺が悪かった。何でもする。頼むから、俺を人殺しだなんて言わないでくれ。わざとじゃなかったんだ」「知世、よりによって今、騒ぎを起こすつもり?」麻友が私の肩をつかみ、不満