Partager

Ep.6 女子高生Début

Auteur: いろは杏
last update Date de publication: 2026-05-13 14:53:41

「翼くん――ううん、翼ちゃん、一緒に行こう」

桜井さんが僕の腕を取って、教室の後ろから女子更衣室の方へと向かっていく。

女子更衣室……。

男子だった頃は絶対に近寄れなかった聖域。ついに、この時が来てしまった。

「大丈夫だよ、私が……そばにいるから」

緊張でガチガチになっている僕に、桜井さんが優しく微笑みかけてくれる。その声に少しだけ勇気をもらいながら、僕は更衣室の扉を開けた。

* * *

中に入った瞬間、シャンプーや制汗剤の甘い匂いが鼻をくすぐった。

「翼ちゃん、体操服持ってる?」

「う、うん……理子先輩が貸してくれたのがあるよ」

女子更衣室は男子更衣室と大差なく、みんな自然に笑い合いながら着替えている。

僕をジロジロ見たり、あからさまに避けたりする子もいなくて、内心ほっとした。

「翼ちゃん、近くで見るとすっごく髪きれいだね」

「え、あ、ありがとう……」

「肌も白くて羨ましいー。昨日まで男子だったなんて、なんか詐欺じゃない?」

クラスメイトたちが普通に話しかけてくれる。腫れ物扱いされることを危惧していたため、ある意味拍子抜けではあるが、安堵も覚えた。

「さあ、着替えましょう――」

桜井さんに促されて、僕は恐る恐る制服のブラウスのボタンを外し始める。

周りを見渡せば、みんな普通に下着姿になって着替えている。当たり前だけど、これが女子の日常なんだ。

僕も……女の子として、ここにいる。

「わっ、ちょっと待って。翼ちゃん、結構あるじゃない!」

ブラウスを脱いだ瞬間、突然クラスメイトの一人が僕の胸を見て声を上げた。

「え?」

次の瞬間――。

「きゃあっ!? な、なに!?」

なんと、その子が背後から僕の胸を両手でガシッと鷲掴みにしてきたのだ。

「うわ、柔らかーい!」

「えっ、嘘、見せて! ……本当だ、昨日までペッタンコ――というかなかったはずなのに、羨ましい!」

「や、やめてよぉ……っ」

変な声が出て、顔が耳まで真っ赤になる。人に胸を揉まれるなんて、人生で初めての経験だ。

「あれ? でも翼ちゃん、ブラのサイズ合ってなくない?」

別の子が、揉まれている僕の胸元を見て首を傾げる。

「え?」

「なんかきつそう。カップからお肉が溢れちゃってるよ」

「あ、本当だ。絶対小さいよそれ。胸が潰れちゃってて可哀想」

僕はさらに顔を赤くした。確かに、理子先輩から貰った新品の下着はずっと窮屈な感じがしていたけど……まさか小さかったなんて。

「みんな、翼ちゃんが困ってるよ」

桜井さんが、胸を揉む女子たちから僕を引き剥がすように助け舟を出してくれる。

「翼ちゃん、今度の休みの日、一緒に買い物行こうか。下着選びって女の子にとってすごく大事だもんね」

「あ、ありがとう……」

桜井さんに庇われるようにして更衣室の隅に移動し、急いで着替えを終わらせる。

理子先輩の女子用体操服……白い半袖シャツと紺のショートパンツ。

「思ったより、動きやすいかも……」

「うん、翼ちゃん、体操服もすごく似合ってる!」

「足も細くてスタイルいいよね」

みんなのあっけらかんとした褒め言葉に、少しだけ自信が持てた。

* * *

体育館へと続く渡り廊下で、男子の集団と合流した。

その中に大輔の姿が見えた。

僕は嬉しくなって軽く手を振ってみたが、大輔は僕を見て一瞬ハッとしたような顔をした後、目を逸らして、足早に男子たちの方へ行ってしまった。

(あれ……もしかして、避けられてる?)

少し胸がチクリと痛んだが、すぐに体育の先生のホイッスルが鳴り響いた。

「今日は2年C組とD組の合同授業です」

先生が説明する。

「佐藤は、今日は見学で」

「はい」

僕は見学席のベンチに座る。D組の生徒たちも体育館に入ってきた。

知らない顔ばかりだ。

「あれ? 見ない顔の子がいる」

「C組の転校生かな? すっげー可愛い」

D組の女子たちが僕を見て囁き合っている。朝のホームルームで事情を説明したのはC組だけだから、彼らは僕のことを純粋に見知らぬ女子生徒だと思っているらしい。

その時だった。

「あたし、2年D組の中村あかり! よろしく!」

ショートカットの活発そうな女の子が、小走りで僕の前に現れた。

「あの……佐藤翼です。よろしくお願いします」

「翼ちゃん!」

あかりちゃんは、僕の手をきゅっと握ると、目をキラキラと輝かせた。

「すっごく可愛いね! あたし、一目惚れしちゃったっ

!」

「えっ?」

いきなりの直球すぎる言葉に、僕は完全に困惑した。

「あたし、翼ちゃんみたいな可愛い女の子、大好きなの! あ、つーちゃんって呼んでもいい? あたしのことはあかりって呼んでね!」

「……あかりちゃんは、いつもこんな感じなの」

見学席の僕を気にして近くにいてくれた桜井さんが、少し呆れたような苦笑いを浮かべて耳打ちしてくる。

どうやら、事情を知らないあかりちゃんは、僕を本物の女の子だと思っているようだ。

「可愛い女の子見ると、放っておけないタイプなんだよねー!」

あかりちゃんは屈託のない笑顔でウインクした。

「この授業も、つーちゃんの応援があると百倍頑張れるかも! ちゃんと見ててね!」

バレーボールの試合形式の授業が始まると、あかりちゃんは独壇場と呼んで差し支えないほどの抜群の運動神経を見せた。

強烈なスパイクを決めるたびに、僕の方を見てニカッと笑ってピースサインを送ってくる。

「すごい……」

男子コートにいる大輔も頑張っているけれど、あかりちゃんのバネのような運動能力は女子の中では完全に別格だった。

「つーちゃんも、今度一緒にやろうね!」

休憩時間に、汗を拭いながらあかりちゃんが僕のところに戻ってくる。

「あたし、バスケ部なんだ。つーちゃんは何部?」

「か、科学部です……」

「理系なんだ! すごいじゃん! 白衣着て実験してる頭いい女の子とか、めっちゃ素敵っ!」

あかりちゃんのストレートな褒め言葉に、なんだか照れてしまう。

「つーちゃんって、すごく魅力的だと思う」

「魅力的って……」

「なんか、他の女の子とは違う特別な雰囲気があるっていうか、目が離せないの」

桜井さんが、あかりちゃんの言葉を横で聞きながら、唇を尖らせて複雑そうな表情をしている。

「そうだ、つーちゃん!」

あかりちゃんがポンッと手を叩く。

「彼氏とかいるの?」

「そ、そういうのは……いない、けど……」

「じゃあ彼女は!? どっちもいなかったら、あたし立候補していい?」

あまりにも肉食系すぎる発言に、僕の顔は今度こそ沸騰したように真っ赤になった。

この子、本当にグイグイくる……!

「そうだ!! 今日のお昼、一緒に食べない?」

「えっ?」

「食堂で一緒に食べよっ! 四時間目の授業が終わったら、C組の教室まで迎えにいくね!」

あかりちゃんの有無を言わさない積極的な誘いに、僕は戸惑うまま――気がついたら、こくりと頷いてしまっていた。

「は、はい……」

* * *

体育の授業が終わり、また更衣室に戻る。

「あかりちゃん、すごく積極的だったね……」

着替えながら、桜井さんがなんとなく不満そうに呟いた。

「うん……でも、悪い人じゃなさそう」

「うん、あかりちゃんはいい子だと思うよ。ただ……」

「ただ?」

「……ううん、何でもない」

桜井さんは首を振って、目を逸らした。

汗ばんだ体操服から制服のブラウスに着替えながら、僕はこの一時間のことを振り返る。

女子更衣室で着替えて、胸のサイズを指摘されて、あかりちゃんみたいな女の子と出会って……。

女の子の世界の第一歩を、否応なしに踏み出したような気がする。

(それにしても、下着のサイズが合ってないって指摘されたのは、やっぱりちょっと恥ずかしかったな……)

きついブラジャーのホックを留めながら、今度、理子先輩にも相談してみようと思った。

「つーちゃん! また後で――お昼、教室で待っててねっ!」

先に着替え終わったあかりちゃんが、更衣室の出口から元気に手を振ってくれる。

「う、うん――」

あかりちゃんとのお昼……一体どんな話になるんだろう。

僕が実は元男子だということを知ったら、どういう反応をするんだろうか。

不安と、期待と、そして周囲の目――色々な感情が複雑に混ざり合いながら、僕の新しい日常は回り始めていた。

Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application

Dernier chapitre

  • 放課後、女の子になった僕は、恋とカラダに戸惑っている   Ep.Final 永遠に続く家族の形

    「おはよう、翼」 大好きな、優しくて落ち着いた声で目が覚めた。 僕ははち切れそうに大きなお腹を大事に抱えながら、ゆっくりと目を開けた。 「おはようございます、理子先輩」 隣で愛おしそうに微笑んでいる理子先輩を見て、僕も自然と笑顔になる。 あの星空の下で、僕が女の子として生きていくことを決めてから、もう八年もの月日が経っていた。 ひと足先に高校を卒業した理子先輩は、理系の名門大学へと進学し、今では新薬開発の界隈で名の通った若き天才化学者となった。 一方の僕は、大学で教育学を学び、念願だった保育士として働いている。そして今は、都内の日当たりの良いマンションで、二人で穏やかな同棲生活を送っていた。 「お腹の調子はどう? 蹴ってない?」 「うん、今日も元気にぽこぽこ動いてるよ」 僕は自分のお腹を愛おしく撫でた。臨月を迎えて、もうパンパンに大きくなっている。 男だった僕が、自分のお腹の中で新しい命を育み、お母さんになろうとしている。今でも時々、夢なんじゃないかと思うくらい奇跡みたいな毎日だ。 「もうすぐ会えるのね。私たちの赤ちゃんに」 「そうですね……楽しみだけど、初めてのことだから、ちょっと不安もあります」 「大丈夫よ。陣痛の時も、出産も、私がずっと手を握ってついているから」 理子先輩が僕の手を、あの頃と変わらない温かさで強く握ってくれた。 この人と一緒なら、どんなことでも乗り越えていける。 「朝ごはん、作るわね。翼の好きなフレンチトーストでいいかしら」 「ありがとう、理子先輩」 すっかり板についたエプロン姿でキッチンに向かう理子先輩の後ろ姿を見ながら、僕は胸いっぱいの幸せを噛み締めていた。 * * * 僕の妊娠が分かったのは、半年前のことだった。 その少し前に、僕たちは夜のベッドで真剣に話し合ったんだ。 「翼、私たちの将来について、話したいことがあるの」 ある夜、理子先輩が私の髪を撫でながらそう切り出した。 「将来って?」 「結婚のこと……そして、家族のことよ」 理子先輩の真剣な表情に、僕も背筋を伸ばした。 「僕も、理子先輩とずっと一緒にいたいです。おばあちゃんになっても」 「私も同じ気持ちよ。それでね……翼は、子どもは欲しい?」 その質問に、僕は少し考えた。保育士とし

  • 放課後、女の子になった僕は、恋とカラダに戸惑っている   Ep.51 星降る夜の決断

    『私は翼を愛してる』 理子先輩のその真っ直ぐな言葉が、僕の心の最も深い場所に、静かに、けれど確かに響き渡った。 愛してる。 この完璧で、大人の余裕があって、でも本当は不器用な理子先輩が、こんな僕を。 胸の奥がじんわりと熱くなって、また視界が滲みそうになる。でも今度の涙は、恐怖や悲しみから来るものじゃない。 「理子先輩……」 「翼、急いで答えを出さなくてもいいのよ。翼の気持ちが固まるまで、何年かかっても、私はずっと待ってるから」 理子先輩は、僕のすべてを包み込むような優しい大人の微笑みを見せてくれた。 でも、僕はゆっくりと、けれどはっきりと首を振った。 「いえ……僕は、今、決めないといけない気がします」 「今?」 「はい……これは僕の人生なんですから。僕自身の口で、ちゃんと決めないと」 僕は理子先輩の手を握ったまま、満天の星空を見上げた。 無数の星が瞬いている。その一つ一つが、まるで僕のこれまでの記憶の破片のように見えた。 「少しだけ、考えさせてください」 「ええ、もちろんよ」 僕は夜の冷たい空気を深く吸い込み、自分の心の中を整理し始めた。 男性に戻る薬を飲むということ。 それは、元の安全な人生に戻るということ。もしかしたら、今のこの息の詰まるような男性恐怖症の問題も、男の身体に戻れば解決するかもしれない。 でも……僕は本当に元に戻りたいのだろうか? 女の子になってからの、この怒涛の三ヶ月間を思い返してみる。 確かに、逃げ出したいほど辛いこともたくさんあった。男性からのいやらしい視線、生理の絶望的な苦痛、そして今回の海での恐ろしいトラウマ。 でも、それと同じくらい……いや、それ以上に、奇跡みたいに素晴らしいこともたくさんあった。 可愛い服を着て鏡の前に立つ楽しさ。リップを塗って自分が綺麗になっていくメイクの喜び。あかりちゃんや美月ちゃんとの、女の子同士の甘くて楽しい友情。 そして何より……理子先輩と一つ屋根の下で過ごした、かけがえのない毎日。 「理子先輩」 「何?」 「僕……女の子になってからのこの三ヶ月間、理子先輩と一緒に過ごした時間が、これまでの人生で一番幸せでした」 「翼……」 「最初は、女の子にされたことが受け入れられなくて、戸惑ってばかりでした。でも、理子先輩がい

  • 放課後、女の子になった僕は、恋とカラダに戸惑っている   Ep.50 私のエゴと二つの道、あなたを愛する理由【理子視点】

    【理子視点】 翼の温かい涙が私の服に染み込んでいく。星空の下で、声を殺して震える小さな身体を抱きしめながら、私は心の奥底で渦巻くひどく複雑な感情と向き合っていた。 翼が語ったこの三ヶ月間の想いを聞いて、私の胸はナイフで抉られるような痛みを感じている。 女の子になって嬉しかったこと。生理の苦しみ。そして、男たちに蹂躙されかけた今回のトラウマ……。すべてが、私が勝手にこの子の身体を造り変えてしまったことから始まったことなのに。 「翼……」 私は翼の顔を上げさせ、頬に伝う涙を、そっと指で拭ってあげた。 「ありがとう。ずっと一人で抱え込んでいた痛みを、素直に話してくれて」 「理子先輩……」 翼が潤んだ瞳で私を見上げる。その瞳には、自分が何者か分からなくなってしまった不安と恐怖が色濃く残っている。 「私も、翼に話さなければならないことがあるの」 私は、夜のひんやりとした空気を深く吸い込んだ。 今まで自分のエゴで胸の奥に秘めていた秘密を、全て打ち明ける時が来たのだと思った。 「でも、その前に……ごめんなさい」 「え?」 「私の身勝手な好奇心のせいで、翼の人生をめちゃくちゃに変えてしまって……本当に、ごめんなさい」 私は翼の前で、深く頭を下げた。 「理子先輩、顔を上げてください! 僕、そんなつもりで言ったんじゃ……」 「いいえ、これは私の責任よ。あの日、私の作った未完成な薬で、翼を強制的に女性にしてしまった……」 あの日のことを思い出すと、今でも胸が締め付けられる。 「最初は、科学者としての失敗を挽回するために、何とか元に戻す解毒剤を作らなければって必死に研究していたわ」 「理子先輩……」 「でも、時間が経つにつれて……翼が私の手の中でどんどん可愛く、美しく輝いていく姿を見るようになって……私の心に、醜いエゴが芽生えてしまったの」 私は星空を見上げた。 「正直に言うと、毎日が幸せだった。翼が可愛い服を着て、私にメイクを褒められて嬉しそうに照れる姿を見ると、たまらなく愛おしかった。このまま、ずっと私の可愛い女の子のままで、私のそばにいてほしいって……本気でそう思ってしまったの」 「そんな……」 「自分の犯した罪への罪悪感よりも、あなたを自分好みの女の子として独占したいという支配欲が勝ってしまった。……私は、本

  • 放課後、女の子になった僕は、恋とカラダに戸惑っている   Ep.49 緑のサンクチュアリ

    「翼、今日は少しだけ、気分転換に出かけましょうか」 翌朝、理子先輩が朝食の片付けをしながら提案してくれた。 「出かけるって……どこにですか? 外は、まだちょっと……」 僕は身をすくませた。外に出れば、また見知らぬ男の視線に晒されるかもしれない。それがひどく怖かった。 「大丈夫よ。親戚の別荘が、県境の山の方にあるの。自然がいっぱいで、見知らぬ人は誰一人いない、完全に隔離された静かなところよ」 理子先輩は、怯える僕を安心させるように優しく微笑んだ。 「きっと気分が良くなると思うわ。私がずっと守ってあげるから、どうかしら?」 「はい……理子先輩と一緒なら、行ってみたいです」 僕は頷いた。確かに、ずっと部屋の中で怯えて塞ぎ込んでいるより、理子先輩が安全だと言う場所で、少し外の空気を吸った方がいいかもしれない。 「それで、車で行くんだけど……私の叔父にお願いして、運転してもらうことにしたの」 「叔父さん……ですか? あの、男の人は、まだ……」 「安心して。叔父といっても、翼もよく知っている田村先生よ。今回の件で、翼のことを本当に心配してくれているの」 その名前を聞いた瞬間、胸の鼓動が早くなる。 「あの……田村先生って……僕のクラスの担任の……?」 「ええ、そうよ。私が彼をボディーガードとして手配していたの。だから大丈夫、田村先生は翼を助けてくれた恩人よ。それに、移動中は私がずっと翼を抱きしめているから」 理子先輩が僕の震える手を、両手でしっかりと握ってくれた。 「……わかりました」 大人の男の人と密室の車に乗るのは怖かったけど、僕は理子先輩を信じることにした。 一時間後、家の前に黒いSUVが停まり、田村先生が迎えに来てくれた。 「よう、体調はどうだ?」 田村先生が車から降りてきて、低い声で声をかけてくれた。 その瞬間、僕の体はビクッと大きく跳ね上がり、呼吸が浅くなった。 頭では命の恩人だと分かっているのに、大人の男の大きな体格と低い声の圧力が、あの海岸での恐怖のフラッシュバックを呼び起こしてしまう。 「ひっ……あ……えっと……っ」 「おっと、すまん。近づきすぎたな」 田村先生は僕の過呼吸気味の反応を見てすぐに察し、両手を少し上げて、三歩ほどサッと距離を取ってくれた。 「……先生、翼はまだ男性の骨格や

  • 放課後、女の子になった僕は、恋とカラダに戸惑っている   Ep.48 消えない感触と悪夢

    「……ただいま」 理子先輩の家のドアを開けて中に入った瞬間、僕はせき止めていた息を吐き出すように、ほっと深く息をついた。 「お疲れさま、翼。ゆっくり休みましょう」 理子先輩が僕の荷物を受け取ってくれる。いつものリビング、いつものソファ、いつもの理子先輩の家の匂い。外の世界から遮断された、ここは完全に安全な空間だった。 でも、僕の心はどこかおかしかった。 「翼、少し横になってて。今日は私が夕食の準備をするから」 「はい……」 「大丈夫――こういう日のために、密かに練習してたのよ」 僕はソファに座って、理子先輩がキッチンに向かうのを見送った。 その瞬間、急に胸の奥がざわざわと波立ち、強烈な不安に襲われた。 「理子先輩……っ」 「何?」 「えっと……その……」 一人になるのが怖い、なんて言えなかった。理子先輩の姿が見えなくなるだけで、またあの男たちが暗がりから出てきそうで怖いなんて、子どもみたいで恥ずかしい。 「大丈夫よ、すぐそこにいるから。何かあったら呼んでね」 理子先輩は僕の怯えた瞳を見て、すべてを察してくれたみたいだった。 キッチンから聞こえてくる、包丁でトントンと野菜を切る音。お湯を沸かす音。いつもなら心地よく感じるはずの生活音なのに、今の僕には、どんな音も神経を逆撫でするノイズにしか聞こえない。 その時、玄関の方で「ガタン」という音がした。 「ひっ!」 僕は反射的に頭を抱え、ソファの上でボールのように身を縮こまらせた。心臓がドクンドクンと耳の奥で激しく鳴り、息が浅くなる。 「翼? どうしたの?」 理子先輩が手を止めて、慌ててキッチンから出てきた。 「あ……えっと……今、玄関で、音が……誰か、入って……っ」 「ああ、隣の部屋の人が帰宅してドアを閉めた音よ。ここはオートロックだし、誰も入ってこない。大丈夫よ」 理子先輩が僕の隣に座って、震える肩を抱き、そっと手を握ってくれた。 「ごめんなさい……変ですよね、こんな、些細な音で……」 「変じゃないわ。あれだけの恐怖を味わったんだもの、神経が過敏になるのは当然の防衛反応よ」 理子先輩の温かい手に包まれ、僕は少しだけ呼吸を落ち着かせた。 「……夕食、一緒に作りましょうか? 一人でじっとしているより、私の隣にいた方が気が紛れるかもしれないし」

  • 放課後、女の子になった僕は、恋とカラダに戸惑っている   Ep.47 消えたアイデンティティ

    「……翼? 翼、聞こえる?」 優しい、大好きな声が、深い海の底から響くように聞こえてくる。 僕は鉛のように重いまぶたを開けて、ゆっくりと意識を浮上させた。 「あ……理子先輩……?」 「よかった……気がついたのね」 理子先輩の顔が、ぼんやりと見えてきた。ひどく心配そうな、泣きはらしたような表情を浮かべて、僕の手を両手でぎゅっと握りしめてくれている。 「ここは……?」 「救急病院よ。田村先生が、警察のパトカーと一緒に連れてきてくれたのよ。中村さんは……ショックで過呼吸になってしまって、今、先生が外のベンチで落ち着かせているわ」 そう言われて、僕はぼやけた視界で周りを見回した。白い壁、白いシーツ、冷たい消毒薬の匂い。たしかに病院の個室ベッドの上にいるようだった。 「体の調子はどう? 痛いところはない?」 「えっと……」 僕は体を動かしてみた。左腕に強く掴まれた内出血の痛みがあり、首筋と頬も、殴られたのか熱を持っているような鈍い痛みがある。でも、致命的な怪我はなさそうだ。 「いくつかの打撲と擦過傷があるけど、大きな怪我はないって先生がおっしゃってたわ。無理やり飲まされた強いアルコールと睡眠薬の症状も、点滴でだいぶ抜けてきているはずよ」 「アルコール……睡眠薬……?」 その言葉を聞いた瞬間、僕の頭の中に断片的な記憶が、強烈な吐き気とともに蘇ってきた。 海岸の死角のテントで……入れ墨の男の人たちに……変な味のするジュースを無理やり飲まされて――。 「あ……そうだ……僕、あの時……っ!」 記憶が少しずつ繋がっていく。恐怖で心臓が早鐘のように打ち始めた。 「大丈夫よ、もう安全だから。もう何も心配いらないの」 理子先輩が、僕の頭を胸に抱き寄せて優しく撫でてくれる。その温かさに、僕は少しだけ呼吸を落ち着かせた。 「先生、意識が戻ったようです」 理子先輩が呼びかけると、カーテンの奥から白衣を着た男性の医師が近づいてきた。 その瞬間。 僕の体が、ビクッと大きく跳ねた。 「ひっ……!」 なんだろう、この感覚。 男性の医師を見ただけなのに、その骨格の大きさや、低い声のトーンに本能が激しく反応し、強烈な動悸と息苦しさが襲ってくる。 「……翼、大丈夫?」 「は、はい……ちょっと、びっくりしただけです……」 僕

  • 放課後、女の子になった僕は、恋とカラダに戸惑っている   Ep12. ランジェリーフロアへようこそ

    土曜日の午前十時。僕たちは最寄り駅の改札前で桜井さんを待っていた。 理子先輩から借りた、少し大きめの白いニットワンピースに身を包み、足元は慣れないローヒールのパンプス。 休日のお出かけなんて、男だった頃は適当なシャツとジーンズだったのに、今は準備をするだけで一苦労だった。 「おはよう、翼ちゃん」 桜井さんが手を振りながらやってきた。今日はベージュのニットにデニムのロングスカートという出で立ちで、いつもの制服とは違った大人っぽい魅力がある。 「おはよう、桜井さん」 ちなみに、理子先輩も普段の学校でのかっちりした服装とは違って、ふんわりとした白いブラウスにカーキのフレアスカ

  • 放課後、女の子になった僕は、恋とカラダに戸惑っている   Ep.11 痛みの告白

    僕が女の子になってから――つまり、理子先輩との同居生活が始まってから、一週間ほどが経った。 朝、僕が朝食とお弁当を作り、学校に行って授業を受ける。放課後は部活で元に戻る方法を研究して、帰宅する。 そこから僕が夕食を作って、一日を終える――そんな疑似同棲のような日常のリズムが、少しずつ出来上がっていた。 でも、一つだけ、誰にも言えない深刻な問題があった。 「うっ……」 体育の授業中、持久走で走っている最中に、胸のあたりに鋭い痛みが走った。 「翼ちゃん、大丈夫?」 隣を走っていたクラスメイトが心配そうに声をかけてくれる。 「だ、大丈夫……っ」 僕は苦笑いを浮かべて

  • 放課後、女の子になった僕は、恋とカラダに戸惑っている   Ep.10 翼の魅力【理子視点】

    【理子視点】 翼がエプロンをつけてキッチンへ向かうのを、私はソファに座ったまま見守っていた。 「冷蔵庫、開けてみますね」 彼の声が聞こえて、私の胸は少し縮こまった。あの中身を見られるのは、正直とても恥ずかしい。 冷蔵庫の扉が開く音がして、しばらく沈黙が続いた。 「……うーん」 「あ、あの……あまり食材がなくて、ごめんなさい」 私は慌てて謝った。 「いえいえ、大丈夫ですよ! 残っている卵と、ウインナー、あとはキャベツがありますね。調味料も……戸棚の奥に醤油と砂糖があったので、これなら何か作れます」 翼の明るい声に、私は安堵した。でも同時に、申し訳ない気持ちでいっぱい

  • 放課後、女の子になった僕は、恋とカラダに戸惑っている   Ep.9 お風呂での葛藤

    理子先輩の家に着いて、玄関で靴を脱いでいると、彼女が振り返った。 「お疲れ様。お風呂、沸かしておいたから先にどうぞ。ゆっくり疲れを取って」 「ありがとうございます」 リビングを通って脱衣所に向かいながら、僕の心臓は少しずつ早鐘を打ち始めた。 お風呂――。 昨日の夜は色々と余裕がなくて、シャワーを浴びたこともあまりよく覚えていない。でも今日は、ちゃんと自分自身で服を脱ぎ、湯船に浸かることになる。 つまり、この身体と、より深く直接的に向き合わなければならないのだ。 「……はぁ」 脱衣所で一人になった僕は、大きくため息をついた。 壁の鏡に映る自分を見る。 何度見

Plus de chapitres
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status