LOGIN彼氏の誕生日パーティーの主役席で——私は、ひとり三時間も待ち続けていた。 華やかに着飾り、主役として登場するはずの彼——桐生律真(きりゅう・りつま)は、一本の電話で病院へと呼び出されていた。電話の相手は、彼が長年心に秘めていた初恋の人、藤崎詩織(ふじさき・しおり)。 足を捻ったという口実で、詩織は病院の個室で彼を待ち構え、自ら仕掛けたカメラの前で——彼にキスをねだった。 その唇が深く重なる頃——「足が不自由で立てない」はずの律真が、何の躊躇もなく立ち上がり、詩織を壁際に押し付けた。 「律真……どうして高梨文咲(たかなし・ふみさき)には、足が治ってることを隠してるの?」 詩織の問いに、彼は熱を帯びた声で囁いた。 「知られたら、結婚しろって騒ぎ出すに決まってるだろ。 あいつなんか、ただの無料の家政婦だ。俺が妻にする価値なんてない」 そして——彼と詩織は激しく絡み合い、詩織は私が心を込めてデザインした純白のウェディングドレスを身に纏いながら、カメラ目線で勝ち誇った笑みを浮かべた。 画面は、淫らな水音と共に途切れた。 そうか。彼は、最初からずっと私を騙していたんだ。 私は、彼のために作ったバースデーケーキを無言でゴミ箱に投げ捨て、震える指先で母にメッセージを送った。 「お母さん。わかった。お見合い、行くよ」
View More彼が事故に遭ったのは——私の誕生日だった。私はその日、文旭と、彼の両親、そして私の両親に囲まれながら、穏やかに誕生日を祝っていた。笑い声が響くあたたかいテーブルの向こう。友人から届いた通知には、「律真が交通事故に遭った」とあった。私は画面を見て「自業自得」とだけ返信し、スマホの電源を落とした。過去は風のように去り、愛も憎しみも、もうどうでもよかった。【番外・桐生律真視点】文咲と別れてから——ようやく気づいた。なぜ、あのときの彼女があれほど冷たかったのか。彼女は、もうずっと前から知っていたんだ。俺の足が、本当はとっくに治っていたこと。でも彼女は、それを責めることもなかった。きっとその時点で、彼女の心は俺から離れていたのだろう。ふと思い出した。詩織が、俺にマフラーを巻いてくれたあの日。文咲は、珍しく何も言わなかった。泣きも怒りもしなかった。ただ、静かに俺を見つめていた。その目は——もう何も期待していなかった。どうやら彼女、気づいたらしい。俺が、彼女が編んでくれたマフラーを野良犬の寝床にしたことに。あの瞬間、胸の奥に言い表せない不安が湧き上がった。うまく言葉にはできないけれど——なんとなく、そんな気がした。もうすぐ、俺にとってすごく大切な何かを、失ってしまいそうな気がしてならなかった。けれど、俺はそれに気づかないふりをした。それどころか、彼女の目の前で詩織と抱き合い、わざと見せつけるように振る舞った。四年も付き合えば、もう『ときめき』なんてなくなった。俺は新しい刺激が欲しかった。その欲に溺れ、彼女の想いを裏切った。文咲が去るあの日。俺は「買い物に行こう」と彼女を誘った。交際初期、彼女はよく言っていた。「小さい頃、両親は忙しくて、ほとんど家政婦さんに育てられてきたの。買い物なんて一緒に行ったことがないの。だから、大切な人と買い物するのが夢だった」あの時、俺は「これからは俺が連れて行く」と約束した。けど、その約束は何度も先延ばしになり、一度も叶えることがなかった。そしてやっと実行に移したその日、彼女はもう、何の喜びも見せなかった。その変化に気づきながらも、俺は最後のあがきとして、詩織との距離をわざと近づけた。彼女が嫉妬してくれたら、少しは希望があると思った。でも、文咲はただ
文旭の拳は、迷いなく律真に振り下ろされた。「誰が、文咲を泣かせていいって言った!」その声は怒りと悔しさに震えていた。「俺にとって、彼女は世界で一番大事な女の子なんだ!そんな彼女に、どうして涙を流させた!」気づけば、私の頬は涙で濡れていた。私が顔を手で覆った瞬間——律真もようやく反撃に出た。二人はその場で取っ組み合いになり、私は必死で間に割って入った。「やめて!」荒い息を吐きながら、私はバッグからティッシュを取り出し、文旭の頬の傷にそっと当てた。律真は、それを黙って見つめていた。しばらくして、かすれた声で言った。「文咲、どうして、俺のことは心配しないの?」私はその言葉を無視し、黙々と文旭の傷を拭い続けた。文旭の目は静かに、だけどどこか独占欲を宿して、私を見つめていた。その後、私は文旭を病院に連れて行き、治療を受けさせた。偶然にも——そこには律真と、そして久しぶりに見る詩織がいた。詩織は律真の顔に浮かぶ傷跡を見て、涙声で心配する。「律真さん、大丈夫?顔、痛くない?」でも——律真はそんな詩織を一切見ず、ただ私たちが繋いでいる手だけを見つめていた。文旭はそれに気づき、わざと見せつけるように、私の手をきゅっと握った。「俺に用か?」律真は、苦しげに私を見た。「本当に、俺のことは、もうどうでもいいのか?」私は冷たく笑った。「自惚れないで。あなたはもう、私にとって他人。あなたがどうなろうと、私には一切関係ない。たとえ死んでも、私は一滴の涙も流さない」その言葉に、律真の瞳から最後の光が消えた。力なくうなだれ、苦笑しながら詩織を連れてその場を去った。その背中を見送っていると、「未練でもあるのか?」横で文旭が、少し不機嫌そうに言った。でも、彼の手は私の手をぎゅっと強く握っている。私は小さく首を振った。「死んでもどうでもいい。今、私が大事にしたいのは、あなただけ」文旭は驚いた顔をしたあと、私の目を真っ直ぐ見つめた。「俺、そういうの……本気にするからね?」静かにそう言った。その後、私と文旭は交際を始め、穏やかで温かい日々を送るようになった。彼はたまに私の家に遊びに来る。母は、あからさまに、時にはさりげなく、彼に私への告白を促している。すると、クリスマスの日—
「はじめまして。望月文旭(もちづき・ふみあき)です」穏やかな笑みとともに差し出された手。その名前。どこかで聞いたことがある気がして、私はしばらく彼の顔をじっと見つめてしまった。彼は、私の困惑に気づいたのか、くすりと笑いながら言った。「忘れちゃった?子どもの頃、一緒に遊んだことがあるんだよ。ほら、お隣の『ぽっちゃり君』だった俺」「まさか!あの鼻水垂らしてた、守ってあげるって言ってた……あの子?」私は思わず声を上げた。彼は、柔らかくうなずいた。目の前の彼は、スーツが似合う洗練された青年。まるで別人だ。あのころ、いつも私の後ろを走って追いかけていた、小さな太っちょの男の子だったなんて。信じられなかったけれど——私たちは自然と会話を始め、気づけば、笑い声が絶えなかった。帰り道、ふと昔の話を持ち出した。「お前、子どもの頃、俺と結婚するって言ってたの、覚えてる?」私は気まずく笑って、何も答えなかった。彼は車を停めて、まっすぐに私を見つめてきた。「文咲。昔から、ずっと好きだったんだ。今も、その気持ちは変わらない。無理に答えなくてもいいよ。いつか君が、心を開いてくれるその日まで、俺は変わらず、ここにいるから」その言葉を受け止めた私は、頬が熱くなっていることに気づいた。まさか、ずっと想ってくれていたなんて——部屋に入ろうとしたとき、スマホにメッセージが届いた。【明日、時間ある?よかったらご飯でもどう?】私は迷わず、【いいよ】と返信した。そのときだった。廊下の影から、ひとつの人影が現れた。髭が伸び、目の下には隈。血走った目でこちらを見るのは、律真だった。「ずいぶん早いな、新しい男……もう乗り換えたのか?」その声には、嫉妬と怒りが滲んでいた。「桐生、私たち、もう終わったのよ」静かに、そう言った。四年間愛した男。その顔を見たとき、私はもっと取り乱すと思っていた。でも、驚くほど心は穏やかだった。あの日、病院で子どもを失ったときから、私は少しずつ、彼から心を離していたのかもしれない。彼の脚を見ながら、私は告げた。「あれ?演技終わり?足、治ってるじゃん」彼はぎくりと肩を震わせ、慌てて言い訳を始めた。「違うんだ、聞いてくれ文咲。あの時は本気で結婚するつもりだっ
私がいなくなってから——律真は、ようやく違和感に気づいた。胸の奥に、言いようのない不安が広がる。悪い予感が脳裏を過った。車を飛ばし、猛スピードで帰宅すると——彼は玄関のドアを乱暴に開け放った。そこは、あまりにも静かで、空っぽだった。私の痕跡は、すべて綺麗に消されていた。書斎の机の上。彼との唯一のツーショット写真——そこに写る私は、きれいに切り取られ、残されたのは笑顔の律真だけ。震える手で寝室のドアを開けた。当然のように——私のものは、何一つ残っていなかった。まるで、人間蒸発。彼は荒い息を吐きながらスマホを取り出し、私とのチャットを開いた。そして私は気づいた。彼はずっと前から私を「通知オフ」にしていたのだ。そこに並ぶ、私からのメッセージはたった二行。【別れよう】【私は、裏切りと嘘が大嫌い】その一文に、律真は膝から力が抜けたように座り込んだ。必死に文章を打っては消し——最終的に送ったのは、たった一言。【ちゃんと話そう】だが、送信と同時に、画面に浮かんだのは「ブロックされました」彼は自嘲するように、これまでのチャット履歴をスクロールし続けた。そこには、私が彼を想い、愛した痕跡がびっしりと残っていた。一週間前を境に、すべてが止まっている。あの日——彼が私の編んだマフラーを詩織に渡し、「野良犬の敷物にでもしろ」と言った、あの日から。ポタポタと、スマホに涙が落ちた。彼は狂ったように、屋敷中を探し回った。でも、どこにも、私はいない。その頃、私は——もう空港に降り立っていた。父と母に囲まれ、暖かい声で迎えられた。母が私の手を取り、驚きの声を上げた。「文咲、手……どうしてこんなに傷だらけなの?まさか、あの律真の野郎に、また酷使されたんじゃないでしょうね?」私は苦笑して誤魔化した。「料理中に切っちゃっただけだよ」母は心配そうに繰り返す。「気をつけなさいよ、こんな傷……痛いでしょうに……」私はふと考えた。この痛みを律真は、一生知ることはないんだろうな、と。彼は、私の怪我を見ても心配することなく、「不器用だな」と呆れ、私を責め立てただけだった。本当に、もう、終わりでいい。母の手を引いて、私は言った。「お腹空いた。お母さんの料理が食べたい」帰宅後、知