Masuk――聖帝国暦六四六年九月上旬。 旧帝国軍は、レオンハルト=トラヴァース国家元帥の指揮下で、大規模な再編成を進めていた。 旧式艦艇の後方転用。 能力を無視して高位に就いていた貴族将校の更迭。 実戦経験豊富な中堅将校の抜擢。 これまで派閥と家柄に縛られていた帝国軍に、容赦なく人事のメスが入っていく。 だが。 トラヴァースの矛先が向かったのは、軍部だけではなかった。◇◇◇◇◇「何事だ!」 早朝。 帝都ルシフェルにある総統官邸へ、武装した上級憲兵隊が踏み込んだ。 官邸警備隊は抵抗することすら許されず、次々に武装解除される。 寝室から急いで出てきたマリアーヌ=ローゼンタールは、憤怒の表情で彼らを睨みつけた。「ここが誰の官邸か分かっているのであろうな!」「無論にございます」 上級憲兵隊長は、一礼した。「ローゼンタール総統閣下。ご同行願います」「馬鹿な!」 ローゼンタールの顔色が変わる。「罪状は何だ!」「多数ございます」 隊長が片手を上げた。 後方から憲兵たちが運び込んできたのは、大きな箱であった。 五箱が床へ並べられる。「……何だ、これは」「証拠資料でございます」 その中には、ローゼンタールが官僚時代から積み重ねてきた不正の記録が収められていた。 違法な情報収集。 政敵への恐喝。 通信記録の改竄。 裏金。 司法当局への圧力。 情報部を私的に利用した政敵の失脚工作。 そして、総統就任後に行われた数々の強権的な政治工作。 ローゼンタールは、一枚一枚を見ながら顔を強張らせていった。「……くだらぬ」「そうでございましょうか」「私は帝国総統だぞ!」 ローゼンタールは隊長を睨みつけた。「総統たる私を拘束するには、皇帝陛下の詔が必要だ。それくらい知っておろう!」「存じております」「ならば――」「こちらを」 最後に、一冊の薄い資料が差し出された。 ローゼンタールはそれを開く。 そして。 動きを止めた。「……何だ、これは」 帝国最高機密に指定されている防衛計画。 要塞配置。 艦隊動員計画。 備蓄量。 さらには第一総管区内部の防衛上の弱点。 それらを、ロサリオ副総統を経由して、アストレア側へ流したことを示す訴状が添付されていた。「……な」 ローゼンタールの顔から血の気が引いた。「何な
相次いで届けられる敗報に、マリアーヌ=ローゼンタール総統は苛立ちを隠せなくなっていた。 第一総管区外縁部では、新帝国軍が要塞を破壊し、次々に惑星を降伏させ、着実にその支配圏を広げている。 その一方で、旧帝国にはなお多数の艦隊が存在するというのに、諸侯たちは自領防衛を理由に兵力を手放そうとしない。「このままでは国が滅びるぞ!」 総統府の執務室に、ローゼンタールの怒声が響いた。「ハイアットよ。軍務尚書として、何か申すことはないのか!」 軍務尚書ハイアットは、しばらく俯いていた。 やがて覚悟を決めたように顔を上げる。「現状において取り得る最善の策は……優秀な軍人へ、軍の全権を委ねることかと存じます」「優秀な軍人?」「はい」「誰を指しておる?」 ハイアットは机上のタッチパネルを操作した。 一人の男の軍歴が、壁面モニターへ表示される。 レオンハルト=トラヴァース。「……トラヴァース元帥か」 ローゼンタールは、その名前に見覚えがあった。「現在は予備役であったな?」「左様にございます」「年齢は……五十七歳?」 ローゼンタールが眉を上げた。「元帥としては、ずいぶん若いではないか」「第三次パニキア戦役において名を上げ、異例の速度で昇進した人物でございます」 画面には、過去の戦歴が次々と並んでいた。 少数艦隊による包囲突破。 撤退戦での友軍救出。 補給線を利用した敵主力の誘導。 手堅さに派手さも兼ね備え、戦局全体を見て勝つ指揮官であることが読み取れる。「これほどの人材が、なぜ現役ではない?」 ローゼンタールの問いに、ハイアットは少し言葉を選んだ。「……軍内での政争の結果にございます」「ほう」「トラヴァース元帥には、有力な後援貴族がおりませなんだ。本人も派閥を作ることを嫌い、上官に媚びることもなかったため……」「能力があるからこそ、邪魔になったということか」「端的に申せば……」 ローゼンタールは、しばらく画面を眺めた。 今の帝国に、人事上の好き嫌いを言っている余裕はない。「分かった」 指先で画面を閉じる。「ただちにトラヴァース元帥を招聘せよ」「はっ」「失礼のないようにな。今はこちらが頭を下げる立場だ」「畏まりました」◇◇◇◇◇ 翌日。 帝国軍の正装に身を包んだレオンハルト=トラヴァース元帥は、総
――聖帝国暦六四六年七月下旬。 アストレア聖帝国と旧帝国中央政府。 両国の国力は、数字の上ではほぼ互角にまで接近していた。 だが、その先にある成長力まで同じではない。 勢いは明らかに、ユリウス率いる新帝国側にあった。 量子エーテル。 位相鉄鉱石。 それら戦略物資の生産量は増え続け、鉄や銅などの基礎資源についても、新規鉱山の開発と精製設備への投資が進められている。 かつて新帝国最大の弱点であった食料事情も改善されつつあった。 海洋惑星では大規模な養殖事業が始まり、魚類や藻類を利用した蛋白源の生産量が急増。 それでも不足する穀物などのカロリー源については、パニキアを仲介して人類統合共和国との通商条約を締結した。 新帝国からは量子エーテルを輸出。 代わりに穀物、油脂、飼料などを大量に輸入する。 国境を越えて、資源と食料が流れ始めていた。 さらに表には出ていないものの、第二総管区や第四総管区との経済的な結びつきも強くなっている。 新帝国の成長は、もはや旧第六総管区だけの力によるものではなかった。 その勢いは戦場にも現れていた。 両帝国にとって実質的な最大の係争地となった第三総管区では、新帝国軍が旧帝国軍を相手に連戦連勝を重ねていたのである。 そして八月。 ユリウスは、ついに決断した。「第一総管区へ侵攻する!」 旧第五総管区――現在のルドミラ総管区を経由し、帝国中枢へ直接圧力を加える親征であった。 投入兵力は宇宙艦隊五個艦隊。 惑星地上軍、百二十個師団。 新帝国建国以来、最大規模の遠征軍である。 総司令官は皇帝ユリウス一世。 先鋒を務める前衛艦隊はパウルス元帥。 惑星地上軍は、ナシール=イブン=ラヒーム上級大将が統括する。 さらに、かつてアーヴィング大公国軍を率いたハルダー元帥も正式に軍へ復帰。 遠征軍全体の補給と後方輸送を預かる総責任者となった。 そしてもう一人。「面倒な仕事は嫌いなんだけどねえ」 ツーシームが安煙草をくわえながらぼやいた。 彼女に与えられた任務は、敵後方の心理的な攪乱。 正面から殴るパウルスとは正反対の役目であった。◇◇◇◇◇「前方に敵要塞を確認!」 パウルス艦隊の旗艦に、情報士官の声が響いた。 第一総管区は帝国発祥の中心地域である。 外敵の侵入路とされてきた第三総管区側を避け
ツーシーム艦隊は重力波や宇宙潮流を積極的に利用し、隠密航行するために、通常航路を大きく外れながら進撃を続けた。 巨大惑星の重力井戸を掠め、ときには恒星間を流れる粒子流へ身を任せる。 通常艦隊ならば、航法士が眉をひそめるような危険な航路だった。 だが、そもそも速度が遅い次元潜航艇にとっては違う。 重力の流れを利用すれば、他次元への潜航を行いながら速度を稼ぐことができる。 その結果、四十隻からなるツーシーム艦隊は、僅か二か月で第一総管区深部へ到達した。 そして今。 モリガンの次元潜望鏡の視界に、近衛艦隊の秘密基地が広がっていた。「第一遊撃隊、配置良し」「第二主力攻撃隊、準備良し!」 各部隊指揮官からの報告が次々と届く。 ツーシームは安煙草を指先で挟みながら、正面に浮かぶ基地の立体映像を見つめていた。 ロサリオから得た地図に間違いはない。 基地の位置。 警戒網。 防御施設。 宇宙港の構造。 そして、近衛艦隊が有事の際の退避場所まで記されていた。「始めるよ」 ツーシームは短く告げた。「全隊、作戦開始」◇◇◇◇◇ 近衛艦隊秘密基地。 司令官キスリング上級大将の指令室に、警報が鳴り響いた。「閣下!」 情報士官が振り返る。「基地外周部に異常反応!」「何だ?」「次元潜航艇と思われます。微弱ですが、重力波に不自然な揺らぎを確認しました」 キスリングは立体星図へ目を向けた。 秘密基地の存在そのものが、第一級軍事機密である。 敵に場所を知られるだけでも厄介だった。「ここがばれると面倒だな」 キスリングは即座に命じた。「対潜装備を搭載した駆逐艦を四隻出せ。逃がすなよ!」「了解!」 命令を受けた四隻の駆逐艦が宇宙港を離れた。 いずれも近衛艦隊所属。 最新型の次元探知装置と対潜魚雷を装備している。 次元潜航艇一隻程度ならば、十分に対処できる戦力だった。 だが。 出撃から十数分後。『こちら第四駆逐隊!』 通信機から、切羽詰まった声が飛び込んできた。『敵影多数!』「多数?」『七方向から光子魚雷!』 一瞬、通信が乱れた。『確認十五本! 回避――』 そこで通信が途絶えた。 数秒後。 基地の遠距離観測装置に、四つの爆発光が映し出された。「四隻とも反応消失!」「馬鹿な……」 指令室がざわめく。
――聖帝国暦六四六年五月中旬。 ルドミラ攻略戦の大敗から一月余り。 旧帝国は、失った戦力の再編成に追われていた。 各地の予備艦艇をかき集め、損耗した艦隊へ補充する。士官学校の卒業時期は繰り上げられ、退役寸前だった艦長たちまで現役へ呼び戻された。 だが、艦艇は揃えられても、人間までは簡単に補充できない。 経験豊富な士官。 熟練した機関士。 砲術下士官。 通信下士官。 そうした人材の多くが、ルドミラ方面で失われていた。 一方、新帝国は急がなかった。 ユリウスは軍を動かさず、領内の造船所を稼働させ、徴税制度を整え、弾薬、燃料、食料を蓄積させていた。 戦争とは、艦隊指揮だけで行うものではない。 そして、そのことを誰より理解していたのが、副宰相ザイフリートだった。「第四総管区については、ほぼ問題ありません」 新帝国首都グラウゼン。 宮殿内の会議室で、ザイフリートは淡々と報告を続けた。 長大な卓の上には、旧帝国領を示した立体星図が浮かんでいる。「マスターデリオン侯爵は、正式な臣従こそ表明しておりませんが、すでに我々の経済圏へ大きく傾いております」 第四総管区。 旧帝国最大級の金融市場を有し、銀行、証券、保険、商品取引所が集中する星域である。 直接的な軍事力こそ突出していない。 しかし、帝国経済の血液とも言える資金の流れを握っている。「旧帝国中央政府が発行する戦時国債の引き受けも、大幅に縮小しております」「それだけでも、かなり効くだろうな」 ユリウスが星図を見ながら言った。「はい。金利はすでに急上昇しております」 ザイフリートが資料を切り替える。 数字の列が空中に並んだ。「旧帝国政府の短期国債利回りは、この三か月で約二倍。軍需企業への支払いも遅延し始めております」「金がないのか?」 パウルスが尋ねた。「正確には、信用がなくなり始めております」 ザイフリートは答えた。「政府が明日も存在すると信じられている限り、国は借金できます。しかし、敗戦が続き、領土が削られ、税収が減れば、債権者は高い金利を要求する」「そして、高い金利を払えば、さらに財政が悪化する」「その通りです」 ザイフリートが笑う。「戦争は金食い虫ですからな」 第四総管区を事実上、新帝国側へ引き寄せたことで、旧帝国は軍資金調達の重要な経路を失いつ
惑星ヒンデンブルク近隣宙域から脱出したロサリオ艦隊は、もはや艦隊と呼べる状態ではなかった。 戦闘開始時には整然と陣形を組んでいた艦艇群も、今では各所に損傷を抱え、編隊を維持することすら難しい。 それでも、ロサリオ国家元帥は逃げることだけは諦めていなかった。「進路変更。第七退避航路へ」「はっ!」「ただし十分後に再度変更する。周辺の分艦隊には我々の進路を知らせるな」 参謀たちは一瞬だけ顔を見合わせた。 通常ならば、味方の分艦隊と合流して戦力を増やすべき局面である。 だが、ロサリオは逆を選んだ。 追っているのは、偽帝の元で連戦連勝のパウルス元帥だ。 あの男を相手に、常識的な撤退をしても意味がない。 味方を集めれば集めるほど、その場所が目印になる。「敵は我々の艦隊反応を追っている。ならば、一つの大きな艦隊でいること自体が危険なのだ」 ロサリオはそう言うと、艦橋中央に浮かぶ宙域図へ指を伸ばした。「第三分艦隊を切り離せ。西へ向かわせろ」「しかし、閣下……」「囮だとは言っていない。生き延びろと伝えろ。それぞれ別方向へ逃げれば、敵も追撃戦力を分けざるを得ん」 命令を受けた四隻が艦隊から離れた。 その二時間後には、さらに三隻。 補給基地付近で友軍のミサイル艇十一隻と遭遇した際にも、ロサリオは合流を拒否した。 むしろミサイル艇を三方向へ分散させ、それぞれ異なる航路へ向かわせた。 残存艦艇の識別信号も定期的に変更する。 通信も最低限。 民間輸送船の航路付近を通過するときには速度を落とし、その船影に紛れることさえあった。 敗走ではある。 だが、その逃走は徹底していた。 そして、その効果は確かにあった。「敵艦隊、どうやら本艦隊を見失った模様です」 通信参謀の報告に、艦橋の空気が僅かに緩んだ。 ロサリオは椅子の背にもたれ、深く息を吐いた。「当然だ。戦争とは敵を撃つだけではない」 彼の目の下には、深い隈ができていた。 敗戦。 艦隊崩壊。 そして敗走。 この数十時間、まともに眠っていない。 それでも声だけは国家元帥の威厳を保っていた。「残存艦艇は?」「六隻です」 その数字には、さすがのロサリオも黙った。 旗艦、戦艦ウォンロン。 巡洋艦二隻。 駆逐艦三隻。 それだけだった。 一個艦隊が、僅か六隻。 だが逆に
休戦ラインを越える瞬間まで、星間ギルドの商船「銀の秤」の船内には、張りつめた空気が満ちていた。 パニキア連邦側の警戒宙域では、数度にわたり検問艇が接近し、古びた船腹へ鋭い捜査光を這わせてきた。 だが、「銀の秤」は武装を持たぬ旧式商船であり、しかも星間ギルド所属の古参船である。 積荷目録も航路記録も、それらしく整えられていたため、大事には至らなかった。「船籍確認完了。積荷照会、一致」「……よし、通してやれ。こんな骨董品で戦をしようって奴もおるまい」 管制側の声が同時翻訳機を通して流れると、操舵席のヘッジボックが小さく肩を落とした。「いやはや、寿命が縮みますな」 ユリウスは商人
――総統官邸最上階。 厚い装甲窓の外では、首都星ルシフェルの軌道を巡る星々が、静かに流れていた。 寝室には甘い香りの香油が漂い、照明は柔らかく落とされている。 その豪奢な寝台の上で、ノクターン総統は絹の寝具に埋もれ、女を腕に抱いたまま大きな寝息を立てていた。 旧帝国領の半分を動かす男も、この瞬間だけは無防備だった。 ――その時だった。 床板が、ほとんど音もなく開く。 暗闇の中から、黒装束の男が這い上がってきた。 官邸の防衛網を潜り抜け、ここまで辿り着いた刺客である。 男はゆっくりと立ち上がると、寝台の脇に歩み寄り、消音銃を構えた。 照準は、眠る総統の胸。 その時、腕に
ツーシームは惑星ヴァルカンの軌道上に浮かぶ、宇宙船用の中型ドックに姿を現していた。 広大な格納空間には白色灯が並び、無数の整備アームが忙しなく伸び縮みしている。 金属を切削する甲高い音と、冷却材の噴き出す低い唸りが、油と焼けた鉄の匂いを伴って充満していた。 その中央で、海賊船「モリガン」は外装を剥がされ、まるで解体途中の獣のように横たわっている。「商会長、こんな油臭いところへようこそ」 振り返った男――元星間ギルドの主任技師、トロストは、作業服の袖をまくり上げたまま笑った。 頬はこけ、目の奥は妙に冴えている。「ああ。いつ戦いがあるかわからないからね」 ツーシームは周囲を見回
アーヴィング侯爵家の首府、惑星クラウゼンへと向かう航路。 海賊船「モリガン」の居住区では、恒星光が鈍く差し込み、機関の低い鼓動だけが静かに響いていた。 テーブルに肘をつき、ユリウスは難しい顔で天井を見上げている。 その向かいで、ツーシームは安煙草をくわえ、ゆっくりと紫煙を吐き出した。「まぁ……あたいにも銀が必要なのは分かるけどねぇ」 軽い口調とは裏腹に、その視線は真剣だった。「いい方法はないかな?」 ユリウスは身を乗り出す。「他の宙域からも銀を集めたいんだ。第六総管区だけじゃ、どう考えても足りない」「……商会制度、かなぁ」 ツーシームは煙を吐きながら、ぽつりと答える。