Masuk聖帝国暦六四五年四月下旬――。
帝国総軍司令部。その中枢に位置する作戦会議室にて、クライツ上級元帥は幕僚たちを招集し、戦局を左右する協議を開始した。
議長席には宰相ローゼンタールが着座し、文武の頂点として場を制している。
だが実質的に議事を主導するのは、作戦部長たるクライツであった。「反乱軍の戦線は、既に過度に伸長している」
低く、しかし明確な声が室内に響く。
「――今こそ、反撃の時である」
「「おおッ!!」」
どよめきとともに、幕僚たちの士気が一気に昂る。
だがクライツは、その熱気を手で制した。「……しかし、だ」
空気が一転して引き締まる。
「勢いに乗る反乱軍を、正面から受け止める部隊が必要だ。――志願する者は、挙手せよ」
「…………」
沈黙。
当然であった。反乱軍は戦闘艦艇だけでも三千隻以上。補助艦艇や徴用船舶を含めれば、総数二万隻を超える膨大な軍勢である。
これを正面から受ける任は、事実上の“死地”に等しい。「……まあ、出るまいな」
クライツは淡々と結論づけた。
「正面部隊はこちらで手配する。諸君は反乱軍の後背を遮断し、側面より圧迫せよ」
「「はっ」」
命令は即座に受理される。
既に方針は固まっていたのだ。「――では、宰相閣下。私はこれにて」
「うむ。あとは任せよ」
短い応答を交わし、クライツは席を立った。
向かった先は、司令部深部に設けられた超光速通信室。帝国の命運に関わる連絡は、ここから発せられる。
やがて、暗転していたモニターに像が結ばれる。 「――ご機嫌いかがですかな、ご老公」「……ほう。軍人の仮面を被った政治家殿ではないか」
映し出されたのは、痩躯の老人。
年齢は優に百を越えていようが、その眼光には未だ衰えがなかった。キスリング上級大将。
皇帝直轄の近衛艦隊および近衛地上軍を統括する、帝国随一の武門の長である。「ご用件は何かな、作戦部長殿」
「単刀直入に申し上げる。反乱軍との戦いに、ご助力願いたい」
「これは異なことを」
老人は鼻で笑った。
「我が近衛は、先代皇帝陛下より皇室墓所の守護を命じられておる。軽々しく持ち場を離れるわけには参らぬ」
嘲るような笑みが、画面越しに浮かぶ。
しかしクライツは、わずかに肩をすくめただけだった。「――こちらに、現皇帝陛下の勅命がございます」
提示された文書に、老人の視線が鋭く走る。
「……ふん。偽皇帝の命など、誰が従うものか」
即答であった。
だがクライツは一歩も引かない。「――反乱軍は既に第一総管区に迫っております」
声色は静かだが、言葉は鋭い。
「この状況においてなお動かぬ武人が、いかなる評価を受けるか――ご理解いただけるかと」
「……くっ、小癪な」
老人は歯噛みした。
それが正論であることを、理解していたからだ。やがて、長い沈黙の後。
「……よかろう」
吐き捨てるように言った。
「ただし、これは帝国のためだ。貴様のためではない」
「承知しております」
クライツはわずかに頭を下げた。
通信が切断される。その直後――。
近衛艦隊。戦闘艦艇千隻以上。
帝国最精鋭の軍勢が、次々とワープ航法に入り、前線宙域へと転移を開始したのであった。◇◇◇◇◇
アーヴィング大公国軍の先鋒は、ついに皇帝直轄領――第一総管区へと到達した。
長年、この宙域に敵影など現れることはなかった。
ゆえに最終防衛線として彼らの前に現れたのは――たった一つ。小型の武装準惑星、ウイスパー。
だがこの宙域は、単純な戦場ではない。周囲には激しい宇宙嵐が断続的に発生し、航行可能な空間は細く歪んだ回廊のように限定されている。
さらにその外縁には、重力と放射を撒き散らす恒星ナイトメアが横たわり、進路の自由を一層奪っていた。――逃げ場はない。すなわち、突進するしかない。
「……なんだ、これが最終防衛線か?」
嘲る声が艦橋に響く。
「武装準惑星と聞いていたが……旧式の金属塊ではないか。
――一気に踏み潰せ!」
「了解!」
先鋒を務めるのは、若き地方貴族の子息たち。
功名心に燃え、「皇帝直轄領一番乗り」を競う血気盛んな連中である。彼らは私兵の小艦艇を率い、隊形も半ば無視して突進を開始した。
その背後には、海賊、傭兵崩れ、流れ者の武装船団が雪崩のように続く。統制なき大軍。
だが――勢いだけは本物だった。迎撃に出た準惑星側の警備艦艇は、わずか四十隻。
数に圧倒され、散開しつつ準惑星内部へと後退する。「ははっ、逃げたぞ!」
歓声が上がる。
先鋒艦隊の中心に位置するのは、ネルリンガー伯爵。
名目上の大将格ではあるが、この軍に統一された指揮系統など存在しない。 それでも、今この瞬間においては――その混沌こそが推進力であった。「揚陸を開始せよ! 一番乗りは我らが貰う!」
命令と同時に、前衛艦艇から次々と揚陸舟艇が射出される。
無数の小艇が、獲物に群がる虫のように準惑星へと殺到した。――その時。
準惑星ウイスパーの表層が、各所でゆっくりと開いた。 装甲板が滑るように展開し、その内側から―― 対艦ビーム砲台、百門以上。「――撃て」
閃光。
次の瞬間、宙域は白熱した光に埋め尽くされた。直撃を受けた揚陸舟艇は、一瞬で蒸発し、あるいは炎の塊と化して四散する。
隊列は崩れ、爆発の連鎖が広がった。「怯むな! 援護射撃を加えよ!」
ネルリンガー伯爵の怒号が飛ぶ。
即座に応じて、千隻を超える艦艇群が一斉に火力を解き放った。 ビーム、実体弾、ミサイル――あらゆる攻撃が、準惑星へと降り注ぐ。装甲惑星ウイスパーのニッケル合金の装甲が剥がれ、砲台が次々と沈黙する。
外殻は裂け、内部構造が露出していく。「押し切れるぞ!」
誰かが叫んだ。
それは錯覚ではなかった。防衛火力は確実に減衰している。
そして再び、揚陸舟艇が突撃を再開する。炎と残骸の間隙を縫い、準惑星へと取りつこうとした――その瞬間。
「……っ!?」
ネルリンガー伯爵の旗艦「トランプ」。
その艦橋の視界が、突如として“白”に塗り潰された。光ではない。
――爆炎。それも、常識外れの規模の。
次の瞬間、全センサーが悲鳴を上げた。休戦ラインを越える瞬間まで、星間ギルドの商船「銀の秤」の船内には、張りつめた空気が満ちていた。 パニキア連邦側の警戒宙域では、数度にわたり検問艇が接近し、古びた船腹へ鋭い捜査光を這わせてきた。 だが、「銀の秤」は武装を持たぬ旧式商船であり、しかも星間ギルド所属の古参船である。 積荷目録も航路記録も、それらしく整えられていたため、大事には至らなかった。「船籍確認完了。積荷照会、一致」「……よし、通してやれ。こんな骨董品で戦をしようって奴もおるまい」 管制側の声が同時翻訳機を通して流れると、操舵席のヘッジボックが小さく肩を落とした。「いやはや、寿命が縮みますな」 ユリウスは商人風の外套の襟を整えつつ、静かに答える。「ご配慮ありがとうございます」 それから「銀の秤」は数度の短距離ワープを重ね、ようやくパニキア連邦最前線の辺境惑星「レーベ」へ到達した。 暗褐色の海に覆われた惑星だった。 低い雲が空一面へ垂れこめ、海上には巨大な浮体構造物がいくつも連なっている。 宇宙桟橋のような洗練された設備はなく、旧式の水上宇宙港へ直接降りるしかないらしい。「こちら『銀の秤』、入港を許可されたし……」 ヘッジボックが送信すると、すぐ応答が返る。「了解。三番ゲートへの接岸を許可する」「助かりましたな」「まだ早いですよ」 ユリウスは窓の外を見たまま言った。「降りるまでが航海ですから……」 次の瞬間、船体が大きく震えた。 「銀の秤」は一気に大気圏へ突入し、外殻がみるみる赤熱してゆく。 老朽化した船体が低く軋み、接合部が悲鳴を上げた。 窓外では、剥がれた耐熱タイルが火の尾を引きながら後方へ流れてゆく。「おいおい……まだ持ってくれよ」 操舵士が舌打ちする。「左舷外板、熱負荷上昇!」「分かっている! だが今さらどうしようもない!」 激しい振動の末、「銀の秤」はどうにか海上宇宙港の三番ゲートへ滑り込み、重い音を立てて接岸した。 船内に安堵の息が広がる。 ヘッジボックは額の汗を拭い、苦笑した。「いやぁ、長年のワープで船が悲鳴を上げております。応急修理に二日、いや三日ほど日をいただきたいですな」 ユリウスはうなずく。「はい、安全第一でお願いします」 この間、彼は商人の服へ着替えていた。 付き従うグレゴールも、護衛らしさを隠すため、目
夜明け前の薄青い光が、ヴァルカンの館の回廊へ静かに差し込んでいた。 ユリウスが外交使節として出立する朝――その少し前、ツーシームは館の奥に設けられた一室へ足を向けていた。 荒鷲の金印を持つ少女。 帝国軍特殊部隊が昨夜あれほど執拗に探した以上、もはやこの館も絶対安全とは言い切れない。 どこか別の隠し場所へ移す必要があった。「さて、寝ぼけ眼のまま運ばれてくれると助かるんだがねぇ……」 安煙草をくわえたまま、ツーシームは扉を押し開けた。 だが、そこで彼女の足が止まる。「……ん?」 部屋の中央に、少女が立っていた。 いつもは伏せがちで、どこか夢の中を漂うような目をしていた娘が、いまは背筋を伸ばし、凛とした面持ちでこちらを見返している。 あきらかに空気が違った。 ただ起きているのではない。自分が誰であるかを、ようやく思い出した者の眼だった。 ツーシームは片眉を上げ、煙を細く吐いた。「お加減はどうさね?」 少女は小さな顎を上げる。「悪うない。余は、ようやく記憶を取り戻したぞ……」 その言葉は幼い顔立ちに似合わぬほど重く、古い響きを帯びていた。 ツーシームは一瞬だけ黙り込み、それから肩をすくめて笑う。「あはは、そいつはめでたい。……いや、こっちの都合で言えば、もうちょっと忘れていて欲しかったんだけどね」 少女は「ふん」と鼻で笑うだけだった。 だが、その仕草にさえ、ただの怯えた娘にはない気品がある。 荒鷲の金印。 帝国が血眼になって追う理由が、ようやく輪郭を持ってきた気がした。「余をどこへ連れてゆく気だ?」「安全な場所さ。少なくとも、昨夜みたいに犬ころが窓から雪崩れ込む場所じゃない」「そなた、存外に世話焼きだな」「海賊と商売人はねぇ、預かった品が傷つくのを嫌うのさ」 少女はわずかに目を細めた。 その視線は幼いのに、妙に人を洞察し値踏みする。 ツーシームは心の中で舌を巻いた。 ――こりゃ本物だねぇ。 そのころ館の表では、ユリウスの出立準備が整っていた。 正門前に待つ陸上ホバークラフトの周囲には、護衛のSPたちが忙しく動いている。外交使節の旅とはいえ、向かう先は異星人国家パニキア。 警戒は当然だった。 二階のバルコニーへ出た幼い妻イオナが、身を乗り出すように手を振る。「あなた、行ってらっしゃいませ!」 下で振
停戦成立後、アーヴィング大公家の艦隊は、グラストヘイム要塞へ必要最小限の守備兵力を残し、主力をいったん後方へ下げた。 そのすぐ後方にある補給拠点として選ばれたのが、惑星ヴァルカンである。 衛星軌道上には、巨大なエーテル・タンカーが数珠つなぎに並んでいた。 鈍く光る船腹のあちこちへ補給アームが食らいつき、青白い流体が脈打つように移送されてゆく。 宇宙桟橋の一角では、VLS用の長大なミサイルコンテナが何列にも寝かされ、整備員たちが汗まみれで搬入指示を飛ばしていた。 また別の区画では、砲弾、予備反応炉部材、艦載機部品、食糧コンテナ、医療資材までが山となって積まれている。 桟橋と地上を結ぶ専用シャトル群も、まるで蜂の群れのように休みなく往復していた。 上がってくるのは物資。 降りてゆくのは、休暇を許された兵員たち。 疲れ切った水兵や機関兵たちは、シャトルの扉が開くや否や、ヴァルカンの酒場街へ吸い込まれていった。 酒、女、賭博、熱い飯。 前線帰りの兵に必要なものは、昔から大して変わらぬらしい。 戦艦ハンニバルの艦橋でも、補給士官たちが目を回すような忙しさで働いていた。「第三倉庫、誘導弾積載完了!」「機関部予備材、右舷搬入口より受領!」「食糧補充、基準値の〇・六倍! この艦、兵員数のデータに消費が読めません!」 怒鳴り声と足音、端末の警告音がひっきりなしに交差する。 その只中で、ユリウスだけは少し離れた高座に座し、正面スクリーンへ映る補給桟橋の光景を静かに見つめていた。 彼の脳裏を占めていたのは、戦況でも、物資量でもなかった。 もっと根源的な、奇妙な違和感である。 ミサイルも、弾薬も、艦内配管の継手も、果ては工具規格に至るまで、帝国軍の軍需物資は地球規格で統一されている。 それだけなら、まだ分かる。帝国は地球文明の流れを汲む国家だからだ。 だが奇妙なのは、その規格が人類統合共和国でも通用し、さらには地球文化を起源に持たぬはずのパニキア連邦でさえ、大筋では同じ規格を用いているという事実だった。 ユリウスは低く呟いた。「……なぜだろう」 そばに控えていた副官が顔を上げる。「何がでございますか、閣下」「規格だよ」 ユリウスは視線を外さずに言った。「国家が違えば、思想も言葉も法律も違う。敵同士であればなおさら、兵器体系など別
数か月前――。 旧第六総管区の片隅に、惑星リチャードはあった。 豊かな鉱脈、繁忙な港、絶えず上下する株価。 この星を治めるドリス伯爵は、善政家か悪政家かで評価の割れる男であったが、ただ一つだけ確かなことがあった。 彼は何よりも経済を優先する統治者である、という事実である。 税制は企業寄り。 港湾使用料は安く、投資家には甘い。 その一方で、労働者への配慮は薄く、景気が悪化すれば真っ先に切られるのは現場の人間たちだった。 たしかに数字の上では繁栄している。 だが、その繁栄が誰の懐を温めているのかは、街路の空気を吸えばすぐに知れた。 そんな折――。 第六総管区を実質的に統治するアーヴィング侯爵が、帝国中央政府へ反旗を翻した、という報せが届いた。 その一報は、遠い戦場の政変では終わらなかった。 人々の胸に長年たまっていた不満へ、火のついた油を注いだのである。 伯爵邸の執務室へ、青ざめた家令が駆け込んだ。「伯爵様! 民衆どもが暴徒となり、屋敷へ押しかけております!」「なんだと!?」 机上の端末から顔を上げたドリス伯爵は、肥えた喉をひきつらせた。「警備隊は何をしておる!」「各所で手が回りませぬ! 銀行街も襲われ、大手保険会社の支店も炎上中にございます!」 伯爵は立ち上がり、窓辺へ走った。 夜の街に、いくつもの火の手が見える。 怒号。 警報。 銃声。 経済優先で築き上げた秩序が、たった一夜で紙細工のように崩れはじめていた。「……すぐ脱出するぞ!」「はっ!」 中央政府に近しい立場を取ってきたドリス伯爵は、民衆にとって旧体制そのものであった。 日頃より不満を募らせていた労働者階級は、侯爵の挙兵を合図に一斉蜂起したのである。 暴徒たちは銀行や保険会社を『資本の城』と叫んで打ち壊し、倉庫を略奪し、酒に酔った群れは婦女子へも牙をむいた。 火は商業区画から住宅街へ広がり、正義を名乗った怒りは、たちまち無差別な暴虐へ変わっていった。革命。 革命と言う甘い言葉を口にする者は多い。 だが現実の街路を埋めるのは、理想ではなく、煙と血と恐怖である。 このままでは星そのものが壊れる。 そう悟った者たちがいた。 教師、下級役人、教会関係者、町工場の親方――いわゆる良識派である。 彼らは広場へ集まり、拡声器を奪い、暴徒たちへ必死
停戦成立の報せが銀河を駆けめぐった翌日――。 ヴァルカン軌道上、アルテミス商会の私室では、場違いなほど気の抜けた空気が流れていた。 長椅子にだらしなく寝ころび、ツーシームは片脚を投げ出したまま新聞を広げている。 唇の端には、いつもの安煙草。紫がかった煙が、照明の下でゆらゆらとたなびいた。 紙面の一面には大きな活字が躍っていた。 ――帝国中央政府軍、アーヴィング家率いる反乱軍、停戦成立。 ――グラストヘイム要塞戦線、当面の戦闘停止へ。 ツーシームは鼻で笑った。「ようやくかい。随分と高くついた花火だったねぇ」 その声には、呆れ半分、満足半分の色があった。 今回の戦は、同じ帝国圏に属する者同士が噛み合う内輪揉めに近い。異星人相手の外征戦争とは訳が違う。 補給線の先にも後ろにも、敵味方と縁を持つ地方貴族家がいる。 交易路が詰まれば、その領内経営は痩せる。鉱山の産出は滞り、農業衛星の資材も届かず、税収もまた細る。 つまり――。 戦場で勝ちさえすればよい戦ではない。 帝国中央も、アーヴィング家も、地方貴族たちの支持なしには戦争を続けられぬ。 兵も金も糧食も、最後にはそこへ行き着く。内乱とは、剣だけでは終わらぬ戦なのであった。 ツーシームは灰を落とし、新聞の経済欄へ視線を滑らせた。 そこには、停戦成立を受けた星間株式市場の混乱が細かく載っていた。 造船。鉄鋼。軍需輸送。 いずれも戦時特需を見込んで買い上げられていた銘柄である。 だが停戦の一報で流れは一変し、値は崩れ、投げ売りが投げ売りを呼んでいた。 彼女の口元が、ゆっくり吊り上がる。「ゾル婆、そろそろゆっくり買いを入れてみるかね?」 部屋の隅で端末をいじっていたゾル婆が、顔も上げずに答えた。「あいよ。どのへんから拾うんだい?」「まずは造船屋だ。慌て者が投げた分を、底でさらう。鉄鋼も悪くないね。停戦したからって、艦隊が消えるわけじゃない。傷んだ船は直さにゃならないし、要塞だって補修が要る」「……ほほう。狼狽売りした連中の逆を行くってわけだね」「そういうこった」 数日前。 停戦の気配を、誰より早く嗅ぎつけていたアルテミス商会は、戦時特需銘柄を大きく売り浴びせていた。 グラストヘイム戦線での空気の変化も、極低周波通信から拾った断片も、彼女らには十分な材料だった。 市場
巨艦「ハンニバル」の現在位置から、およそ六光秒。 その虚空に、音もなく一本の潜望鏡が浮かび上がっていた。 否。 正確には、浮かび上がったように「見えた」だけである。 新型海賊船「モリガン」は依然として位相空間の膜を半ば残したまま、現実宇宙の縁に爪をかけている。 巡洋艦級の船体で異次元潜航を維持するなど、本来なら狂気の沙汰であった。 だが、その狂気を形にしたのが、いまこの艦である。 潜望鏡越しに戦場を覗いていたツーシームは、細く息を漏らした。「……へぇ、やるじゃないか。あの巨艦」 視界の彼方では、「ハンニバル」が帝国軍の集中砲火を正面から受け止めていた。 幾百もの火線。無数の誘導弾。 それらをものともせず進む艦影は、もはや艦艇というより移動する要塞であった。 隣に控えるトロスト技師が、乾いた笑みを浮かべる。頬はこけ、指先はかすかに震えていたが、声音だけは妙に弾んでいた。「そりゃあそうでしょう。あの艦の主機関、燃料はエーテルじゃない。小型とはいえ、人工重力井戸――要するに、ブラックホールです」「本物かい?」「ええ。本物ですとも。生きた地球文明の超兵器。帝国中枢の工廠でも、あそこまで頭のおかしい代物はそうそう作れません」 ツーシームは片眉を上げた。「褒めてるのか、けなしてるのか、よく分からないねぇ」「技術屋にとっては最大級の賛辞ですよ」 彼女は再び潜望鏡に目を戻した。 「ハンニバル」の艦腹には、あの巨大な砲身が抱え込まれている。 戦場へ現れた瞬間から、帝国軍はあれを恐れていた。だが。「だが、やはり撃てないようだね?」 そのひと言で、トロストの笑みがわずかに薄れた。「ええ。火器管制はまだ沈黙したままですな。防壁も対空火器も化け物じみているが、肝心の牙が閉じたままです」「それさえ出来れば、単艦で帝国軍を追い払うこともできように……」「できましょうな。いや、追い払う程度で済むかどうか」 ツーシームは舌打ちし、潜望鏡から目を離した。 艦橋に投影された簡易戦術図では、「ハンニバル」を中心に帝国軍の針路が歪んでいる。 一隻が戦場の戦術力学そのものを書き換えていた。「ヤツを前にしては、この新型『モリガン』の性能がかすむなぁ……」 その声には、珍しく本気の落胆が混じっていた。 海賊船「モリガン」の大改造は、彼女が執着して