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第56話……このババア誰だ問題

last update publish date: 2026-06-10 15:37:22

 聖帝国暦六四五年四月中旬――。

 戦争は、常に当事者だけに関係することではない。

 むしろ、その外縁に位置する者たちにこそ、莫大な富をもたらすことがある。

 それはこの銀河においても例外ではなかった。

 戦闘宙域を避けるため、既存の商業航路は大きく迂回を余儀なくされる。

 結果として、輸送距離は伸び、所要時間は増大する。

 当然ながら――運賃は跳ね上がった。

 さらに追い打ちをかけるのが、輸送航路延伸による慢性的な船舶不足である。

 需要の急増に対し、供給がまったく追いついていない。

 輸送業者は空前の利益を叩き出し、各地の造船所は休む間もなく稼働し続けていた。

 まさに、火を噴くような活況である。

 ――そして。

 戦場に近接しながらも、直接の戦火を免れている宙域。

 その絶妙な位置に、資源惑星ヴァルカンは存在していた。

 戦争は何も生み出さない。

 ただひたすらに物資を消費するだけの、巨大な怪物である。

 ゆえに、供給拠点は肥え太る。

 新航路の開拓と重なったこともあり、ヴァルカンは瞬く間に交易の要衝へと変貌した。

 惑星軌道上には、アルテミス商会の巨大造船プラントが整然と並ぶ。

 ドックは昼夜を問わず稼働し、新造船が絶え間なく吐き出されていく。

 しかし、人手は足りない。

 工員の争奪戦が起こり、人件費は高騰。

 賃金の上昇は、そのまま都市経済へと流れ込んだ。

 繁華街の飲食店は連日満席。

 酒場では新たな成金たちが夜ごと金を散らす。

 造船プラントの増設。

 新造船の増産。

 それに伴い、惑星ヴァルカンの鉱山群も二四時間体制で稼働を続けていた。

 鉱石が掘られ、精製され、宇宙へ送り出される。

 その流れは止まらない。

 そして同じリズムで――

 夜の街もまた、休むことなく輝き続けていた。

 戦乱は現在において局所的である。

 帝国経済圏の大部分は、いまだ無傷のままだった。

 ゆえに資本は、より効率的に「儲かる場所」へと集中していく。

 商船株、造船株は言うに及ばず、不動産、農業関連に至るまで株価は高騰。

 市場は活況を反映し狂乱と化していた。

 だが、その繁栄は決して均一ではない。

 一部の星系では資源価格の急騰が深刻なインフレを招き、生活必需品すら手に入らない状況に追い込まれた住民たちが蜂起した。

 暴動。

 略奪。

 治安の崩壊。

 繁栄の影で、別の火種もうまれつつあったのである。

◇◇◇◇◇

 領地が未曾有の好景気に沸く中――。

 その中心にいるはずのユリウスは、ひとり頭を抱えていた。

 繁栄は、必ずしも統治を容易にするわけではない。

 むしろ急激な成長は、既存の制度をいとも簡単に破壊する。

 帝国経済圏において、地方星系領主が発行できる通貨は硬貨に限られていた。

 それも、銅や銀といった貴金属を基盤とするもののみ。

 だが今、その前提が崩れつつある。

 戦争特需によって、これらの金属は軍需と産業に大量に吸い上げられていた。

 市場からは急速に姿を消し、鋳造に回す余剰など残っていない。

 新たな硬貨を造る――その目処すら立たなかった。

 本来であれば紙幣という選択肢がある。

 しかし帝国中央は古来より、地方領主による紙幣発行を厳しく禁じている。

 仮に独断で発行したとしても、民衆が受け入れる保証はない。

 信用が伴わなければ、それはただの紙切れに過ぎないからだ。

 貨幣不足は、やがて経済を停滞させる。

 このままでは、せっかくの好景気そのものが失速しかねなかった。

「……ねぇ、何かいい方法はないかな」

 ユリウスは、珍しく弱音を漏らした。

 手土産の高級葡萄酒を抱え、彼はツーシームのもとを訪れている。

 当のツーシームはというと、商会長に与えられた豪奢な部屋のソファに寝転がり、安煙草をくゆらせていた。

「そうだねぇ……」

 煙を吐きながら、気のない調子で言う。

「この星にいくらでもある鉄で、硬貨を作ればいいんじゃないかい?」

「そんな馬鹿な!?」

 ユリウスが声を荒げた。

 彼がここまで露骨に反発するのも珍しい。

 惑星ヴァルカンの地表全体は赤く染まっている。

 それは酸化鉄が無尽蔵に存在する証だった。

「鉄なんて、この星じゃ二束三文だ。そんなもので作った貨幣を、誰が使いたがるっていうんだ」

 理屈としては正しい。

 価値の低い素材の貨幣は、信用を得にくい。

 貨幣とは、結局のところ「信頼の器」に過ぎないのだから。

 ツーシームは肩をすくめた。

「うるさいなぁ」

 そう呟きながら身を起こし、ユリウスの手から葡萄酒を奪い取る。

 勝手にグラスへ注ぎ、のんきに一口含んだ。

 その時だった。

「――例えばの話だがね」

 横から声が差し込まれる。

 デスクで書類を捌いていたゾル婆が、顔を上げていた。

「鉄の貨幣を、そう簡単には偽造できない精巧なものにする。さらに――」

 老女はゆっくりと言葉を続ける。

「惑星ヴァルカンのタングステン鉱山、その一部権益と交換可能な『兌換貨幣』にすればいい」

「……!」

 ユリウスの目が見開かれた。

 素材ではなく、裏付けで価値を担保する。

 それは紙幣にも通じる発想だった。

 ゾル婆は机の引き出しから、一枚の硬貨を取り出す。

 手のひらの上に乗せられたそれは、古代文明の遺物だった。

 表面には精緻な紋様が浮かび、内部では三次元的な光がゆらめいている。

「これは……」

 ユリウスが息を呑む。

「だろう? 同じものは無理だがね、似た仕組みなら再現できるさ」

 老女はにやりと笑った。

「これ、借りてもいい?」

「いいとも」

 即答だった。

「ありがとう。今度、ゾル婆の好きなショートケーキを買ってくるよ」

 そう言い残すや否や、ユリウスは硬貨を握りしめて駆け出した。

 扉が勢いよく閉まる。

 その背中には、迷いはなかった。

 ――数日後。

 鉄製貨幣は、想定を超える速度で流通した。

 精巧な加工により偽造は困難。

 さらにタングステン鉱山の権益と交換可能という裏付けが、市場の信用を一気に引き上げた。

 結果として、この新通貨はアストレア家の領内経済を支える基盤となる。

 ――だが。

 その裏面に刻まれていた肖像については、誰も説明できなかった。

 見知らぬ老女の横顔。

 一部では「この人物は誰だ」と話題になったが――

 ツーシームだけは、理由を知っていた。

 そして彼女は、そのたびに腹を抱えて笑うのだった。

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