LOGIN電話が鳴ったのは、蘇原菫(そはらすみれ)が段野寒夜(だんのかんや)と、別荘のソファで激しく抱き合っている最中だった。 熱気が一気に高まり、彼女は思わず首を反らし、細い首筋をさらけ出しながら長く息を吐き出した。 「や、優しくして……」 その時、寒夜は片手で電話に応答した。向こうからは、焦った声が飛び込んできた。 「寒夜、璃宛が、あなたが身代わりを探してるって知って、泣きながら飛び降りようとしてるんだ!」 その言葉に、重なっていた男の動きがぴたりと止まる。欲望に染まったその瞳も、次第に冷静さを取り戻していく。ただ、何も言わず沈黙していた。 電話の向こうではまだ声が続く。 「彼女、昔あなたと別れたくなくて、死んだふりまでして海外に行ったじゃないか。今さら苦しかったとか言って、こんな騒ぎまで起こして……本当に何考えてるんだか……」 菫には、なぜ彼が黙り込んだのかわかっていた。 七年前、彼の幼なじみである草薙璃宛(くさなぎりおん)が亡くなったという知らせが届いた。 だが、ほどなくして彼は知ることになる。彼女は死んでなどいなかった。新しい名前で海外で生きていたのだ、と。
View More亘は静かに、そっと菫の背中を撫でた。その声は低く安定している。「ああ、偽装自殺はうまくいった。あの川は海へとつながってる。すぐに俺の仲間が迎えにきたから、あいつには気づかれていない」菫の顔色はまだ青白かったが、ようやく心臓の鼓動が少しずつ落ち着きを取り戻す。そうだ、あの崖から飛び降りた瞬間、彼女は過去に完全に別れを告げた。寒夜みたいに狂気じみた人は、きっと彼女が目の前で死ななければ、どんな噂話も信じないだろう。「ありがとう、亘」亘はそっと目を伏せて、彼女を見つめた。その瞳には、限りない優しさと愛しさがあふれている。「何度も言ったろ。俺は必ずお前を連れ出すって」二年後。南フランスの小さな町で、菫と亘は静かに暮らしていた。菫は国際的なアート系映画の脚本を受け、撮影現場で休憩していると、亘が水を差し入れてくれる。彼の肩にもたれかかると、ようやく全身の力が抜ける。「今の毎日、まるで夢みたい」「現実だよ」亘は彼女の手を握りしめる。「もう自由だ、菫。これからの人生、お前が行きたい場所ならどこへでも、したいことは何でも、俺が一緒に叶えていく」菫は微笑み、遠く降りしきる雪を見つめる。外は銀世界なのに、不思議と寒さは感じなかった。「本当に、綺麗」こんな暖かい冬を見るのは、本当に久しぶりだった。愛する人が傍にいて、自分を愛してくれる人もいる。これからの人生も、きっとこの幸せが続いていくのだろう。同じ頃、京市の高級プライベート病院の一室で、寒夜はぼんやりと座り込んでいた。髭は伸び放題、服も乱れ、虚ろな目をしている。その手には、一枚の絵が握られていた。もう誰が描かれているのか分からないくらい擦り切れているのに、彼はそれを何度も丁寧に拭っていた。突然、テレビからニュースが流れる。「本日、俳優の風間亘が芸能界引退を発表しました。新進気鋭の国際女優・蘇原菫と共に世界を旅しながら新たな作品に挑むとのことです。二人の親密な写真も公開され、今後は世界中を巡る予定だそうです……」寒夜の手が、ぴくりと震える。まるで彫像のように、長いこと動かず座っている。机の上の茶はすっかり冷めていた。窓の外では、風が雪を連れて吹き込んでくる。絵の端をめくり上げ、彼はそっと指先でなぞった。冷たい風と雪が襟元に忍び込む。骨の髄まで凍えるような
彼女の体がピタリと止まった。発見された。絶望の闇雲が、瞬く間に全身を包み込み、手足は鉛のように重く、もう一歩も動けない。だが、その絶望に沈みきる間もなく、次の瞬間、風よりも速く、向こう側から誰かが駆けつけ、彼女をしっかりと抱き寄せた。それは、亘だった。「大丈夫、俺が来た」彼の声は低く落ち着いていて、けれどどこかに凛とした強さがあった。「すぐにここを離れよう」菫は大きく息を吸い込む。目元が赤く染まる。「亘、もう、限界かもしれない……」亘は彼女をさらに強く抱きしめる。「大丈夫、俺が連れて帰る。もう何も怖がらなくていい」その時だった。車のヘッドライトが光り、屈強な男たちが道を塞ぐ。一台のマイバッハのドアが開いた。寒夜が現れる。闇夜に黒いコートがはためき、無表情な顔には一片の温もりもない。亘を見るその瞳は、まるで氷の底のように冷たい。「彼女を返してもらおうか」ボディーガードたちが動き出そうとしたその瞬間、亘は菫の前に立ちはだかった。冷たい声が夜を裂く。「彼女はお前のものじゃない!これは誘拐だ、分かってるのか?」寒夜は菫を見つめ、薄い唇が静かに動く。「もう、お前を逃がさない」菫は亘の手をぎゅっと握りしめ、振り返ることなく崖の方へ歩き始めた。「何をするつもりだ!」寒夜の顔色が一気に変わる。数歩駆け寄り、彼女の手首を強く掴んだ。「嫌な思いをさせたのはわかってる。もう閉じ込めたりしない、誓うよ!そばにいてくれるなら、何でも言うことを聞く。何でもお前の望み通りにするから」菫の顔は血の気を失い、けれどその瞳は鋭い決意に満ちていた。「私は……一度だけ、あなたを信じた」彼の声が震える。「違う、違うんだ……」亘の瞳に影が差す。彼女の手を引き、後ずさる。寒夜が歯を食いしばる。「誰にも彼女は渡さないから」腕を強く引っ張られ、菫はふと亘を見上げた。言葉はない。ただ、目が合った瞬間、亘は小さくうなずいた。次の瞬間、彼が手を伸ばし、脇のサーチライトを叩き落とす。光が一気に消え、闇が辺りを包む。その一瞬、菫は勢いよくその場を振り切り、崖の方へ走り出した!「菫!!」宙に浮いたその瞬間、寒夜が彼女の手を掴む。必死に掴み、血走った瞳で叫ぶ。「もう無理強いしない!本当に、もうしない!頼む、お願いだ……手を離さ
寒夜は沈黙した。このことだけは、一歩たりとも譲る気はない。「お前は、絶対にここから逃げられない」長いこと社長の支えを失っていた段野グループは、またもや内部で不穏な動きを見せ始めていた。もともと安定していなかったグループは、全て寒夜ひとりの力でなんとか持ちこたえていたが、短期間に二度も社長不在となれば、いよいよ綻びが見え始める。かつて母に約束した言葉が耳に残る中、彼はついに重圧に耐えきれず、数日だけ戻ろうと決意する。それはたぶん責任感から、あるいは、どうしようもなく菫の冷たい態度に耐えられなかったから。そうして、彼は島を離れた。出発前に、十分な数のボディーガードをこの島に残して。だが、たった二日後、一通の電話が寒夜のプライベート携帯に直接かかってきた。「段野社長!蘇原さんが……彼女が自殺を図りました。今、救命措置中です。幸い発見は早かったですが、まだ予断を許しません……」その電話の向こうからは、菫の声も聞こえた。「痛い……う……」寒夜の全身が強く震え、耳の奥にあの得体の知れないノイズが響く。彼は一刻も早く島へと駆けつけながら、もし本当に菫が死んでしまったら、自分はどうやって生きていけばいいのか、そんなことばかり考えていた。もう二度と、大切なものを失う痛みに耐えられる気がしなかった。そして、ベッドに横たわる彼女の姿を目にしたその瞬間、ようやく全身の力が抜けて、深く息を吐いた。生き延びた。菫にとっても、彼にとっても、これはまさに生還だった。彼は数歩近づき、彼女の柔らかくて頼りない手をそっと握る。「どうしてなんだ?俺のそばにいることが、そんなに辛いのか。たとえ……」彼は「死ぬ」という言葉を口にしたくなくて、そこで言葉を切る。哀願するような声で続けた。「もう、こんなことはしないでくれ。頼むよ……」菫は静かに彼を見つめ、かすれた声で答えた。「いいわ。じゃあ、私たち二人のうち、どちらか一人が死んだら、この話は終わりよ」彼は一瞬の迷いもなく、体が硬直した。胸が引き裂かれるような痛みが再び蘇る。何度も深呼吸して、ようやく心に渦巻く感情を押さえ込む。「もし、俺が死んだら、お前は俺がしたことを許してくれる?一生、俺のことを覚えていてくれる?」「うん」寒夜はポケットから銃を取り出し、彼女に渡して、その手を握り、自分の胸元へ
彼女の顔色は死人のように青白かった。「あなた……」その言葉に、寒夜はうっすらと笑い、長い指でゆっくりと薔薇色のヘアピンを彼女の髪に挟んだ。まるで恋人の髪を整えるように、信じがたいほど優しく。「そうだよ、俺はもう狂ってるんだ」彼は静かに答えた。「でもお前だってそうして、俺のそばに現れて、強引で、憎らしいほどで、どうしたって逃れられない。なんでお前だけがそうできる?なんでお前は五年も俺に執着していいのに、俺はダメなんだ?不公平だよ、菫」菫は微動だにせず、彼の美しくも狂気を孕んだ瞳をじっと見つめた。その瞬間に気づいた。彼女が目覚めさせたのは、寒夜の愛情だけじゃない。彼の骨の髄に眠っていた、極限まで抑え込まれた支配欲、そのすべてだった。かつて、彼が彼女を自由にさせていたのは、どうでもよかったからだ。でも今、彼は彼女を手放せない。どこまでも極端で、恐ろしいほどに。ひとたび手に入れたものは、絶対に離さない。彼女はそっと目を閉じた。「私はもうあなたを愛さない」彼は、まるで冗談を聞いたかのように微笑む。「構わないよ。今はお前はもう逃げられない。俺がゆっくり、またお前を愛させてやる。七日でダメなら七十日、一年、三年、十年……必ず、お前はまた俺を好きになる」そう言い終えると、彼は彼女を強く腕の中に閉じ込めた。異国の夕焼けはいつだって燃えるような赤に染まっている。空を焼き尽くしそうなその色も、海風が部屋に吹き込むと、彼女は寒さに身を震わせた。次の瞬間、彼の腕がその身を締めつけ、逃げ場はなかった。「離して!!」菫は突然激しくもがいた。今までの冷静が音を立てて崩れ去る。彼が理屈もルールも無視して、ただ自分の欲望だけで動くことが、本当に怖かった。寒夜は荒い息をつき、彼女をひっくり返し、無理やりキスしようとした。だが彼女は全力で彼を突き飛ばした。それでも彼はお構いなしに、彼女の服を引き裂き、残酷に笑いながら、震える唇で彼女の耳元に囁いた。「どうして拒む?前はあんなに好きだったろ?なぁ?亘に触れられたからか?あいつがお前に触ったんだろ?」強引に迫られ、菫の冷静は恐怖で崩れ落ち、涙が勝手にこぼれる。「そうよ、彼は優しかった。私は彼が好きだ。彼とだけしたい!」その瞬間、寒夜は眩暈にも似た衝撃を受け、喉が詰まるような声で、涙