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君という名の星

君という名の星

By:  霧雨Completed
Language: Japanese
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7周年の結婚記念日、あるニュースがツイッタのトレンドに上がった―― #本日正式発表!国内で新たに発見された惑星、「二宮美緒の星」と命名。 そのすぐ下で話題になっていた投稿の主は、夫の河野悠斗(こうの ゆうと)だった。 【君の名前を、あの星につけた。これで宇宙にいても、君はひとりじゃないよ】 夫の後輩の美緒が、その投稿にこんなコメントを寄せていた。【二人だけのロマンチックなことをみんなに教えてくれて、ありがとうございます!先輩、すごく嬉しいです!】 私はいつものように、必死で悠斗に電話をかけて問い詰めたり、説明を求めたりはしなかった。 彼と7年もこじらせてきて、もう本当に疲れてしまったから。

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Chapter 1

第1話

夫の河野悠斗(こうの ゆうと)が帰ってきたとき、私はベランダでタバコを吸っていた。

悠斗はタバコの匂いが嫌いで、嗅ぐとすぐに眉をひそめる。

だから彼と一緒になってからは無理に禁煙していた。一時期は禁断症状に苦しんだほどだ。

悠斗は私がタバコを吸っているのを見て、一瞬固まった。でも、とくに何も言わなかった。

彼は何気なく私にプレゼントの箱を渡すと、淡々と言った。

「7周年のプレゼントだよ。

ごめん。今夜は急に残業になっちゃって、連絡するの忘れてた」

「ううん、大丈夫だよ」

最後の一服を終えてから、私は箱を受け取って開けてみた。中には、星のネックレスが入っていた。

箱を閉じて、「すごく嬉しい。ありがとう」と伝えた。

悠斗は呆然としていた。何か言い訳したそうだったけど、言葉が出てこないみたいだった。

彼は驚いた顔で私を見ていた。いつものように、私がしつこく問い詰めてくるとでも思っていたんだろう。

私も、あのトレンドを見たら、きっとヒステリックになって悠斗を問い詰めて、大喧嘩の末、気まずく終わるんだろうと思っていた。

今日は私たちの結婚7周年の記念日。プロポーズしてくれた時のレストランを予約して、悠斗をサプライズで喜ばせるつもりだったのに。

わざわざ仕事を早く切り上げて、国立天文台の入り口で彼を待っていた。

でも、待っている間に、トレンドニュースを見てしまったんだ。

#本日正式発表!国内で新たに発見された惑星、識別番号960306を「二宮美緒(にのみや みお)の星」と命名。

#天文学者の河野悠斗氏、記念すべき初の惑星発見

そのすぐ下で話題になっていた投稿の主は、悠斗本人だった。

【君の名前を、あの星につけた。これで宇宙にいても、君はひとりじゃないよ】

添えられていたのは、レストランで美緒と顔を寄せ合っているツーショット写真。

美緒は、その惑星の命名証明書を手に持っていた。

コメント欄を開くと、一番「いいね」がついていたのは美緒のコメントだった。【二人だけのロマンチックなことをみんなに教えてくれて、ありがとうございます!先輩、すごく嬉しいです!】

私はスマホを助手席に放り投げ、予約していたレストランへと車を走らせた。

私はひとり、二人分のステーキを食べた。もうすぐ終わる私たちの7年間の結婚生活を弔うかのように。

もう一本タバコに火をつけようとしたとき、悠斗が私の手からライターをひったくった。

彼は少し眉をひそめて言った。「タバコ、やめたんじゃなかったのか?」

「急に吸いたくなっちゃって」私はタバコを箱に戻すと、部屋で休もうと立ち上がった。

すると悠斗が私の手首を掴み、複雑な表情で言った。「今日は、結婚記念日だろ」

私は戸惑う表情で、彼を見つめ返した。「それが、どうかした?」

悠斗はさらに眉間のしわを深くした。

「プレゼントがないのは別にいい。でも、記念日の夜なのに、本当にこんな早く寝るのか?」

そう言って彼は、私を抱きしめてキスしようと、顔を近づけてきた。

悠斗には、どこかクールなのに優しい、そんな不思議な魅力があった。

いつもなら、彼がこんなに積極的だったら、私はすぐにその優しさにメロメロになっていたはずだ。

でも今は、悠斗の体から、私のものではない香水の匂いばかりが気になった。

うん、ジャスミンの香水の匂いだ。

美緒がいつもつけてる香水。
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第1話
夫の河野悠斗(こうの ゆうと)が帰ってきたとき、私はベランダでタバコを吸っていた。悠斗はタバコの匂いが嫌いで、嗅ぐとすぐに眉をひそめる。だから彼と一緒になってからは無理に禁煙していた。一時期は禁断症状に苦しんだほどだ。悠斗は私がタバコを吸っているのを見て、一瞬固まった。でも、とくに何も言わなかった。彼は何気なく私にプレゼントの箱を渡すと、淡々と言った。「7周年のプレゼントだよ。ごめん。今夜は急に残業になっちゃって、連絡するの忘れてた」「ううん、大丈夫だよ」最後の一服を終えてから、私は箱を受け取って開けてみた。中には、星のネックレスが入っていた。箱を閉じて、「すごく嬉しい。ありがとう」と伝えた。悠斗は呆然としていた。何か言い訳したそうだったけど、言葉が出てこないみたいだった。彼は驚いた顔で私を見ていた。いつものように、私がしつこく問い詰めてくるとでも思っていたんだろう。私も、あのトレンドを見たら、きっとヒステリックになって悠斗を問い詰めて、大喧嘩の末、気まずく終わるんだろうと思っていた。今日は私たちの結婚7周年の記念日。プロポーズしてくれた時のレストランを予約して、悠斗をサプライズで喜ばせるつもりだったのに。わざわざ仕事を早く切り上げて、国立天文台の入り口で彼を待っていた。でも、待っている間に、トレンドニュースを見てしまったんだ。#本日正式発表!国内で新たに発見された惑星、識別番号960306を「二宮美緒(にのみや みお)の星」と命名。#天文学者の河野悠斗氏、記念すべき初の惑星発見そのすぐ下で話題になっていた投稿の主は、悠斗本人だった。【君の名前を、あの星につけた。これで宇宙にいても、君はひとりじゃないよ】添えられていたのは、レストランで美緒と顔を寄せ合っているツーショット写真。美緒は、その惑星の命名証明書を手に持っていた。コメント欄を開くと、一番「いいね」がついていたのは美緒のコメントだった。【二人だけのロマンチックなことをみんなに教えてくれて、ありがとうございます!先輩、すごく嬉しいです!】私はスマホを助手席に放り投げ、予約していたレストランへと車を走らせた。私はひとり、二人分のステーキを食べた。もうすぐ終わる私たちの7年間の結婚生活を弔うかのように。もう一本タバコ
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第2話
私は一歩うしろに下がって、悠斗のキスをかわした。「今日はお仕事おつかれさま。はやく休んでね」悠斗の驚いた顔は気にせず、私はスマホを置いて洗面所へ向かった。顔を洗いおわると、スマホに未読メッセージが一件きていた。会社の共同経営者で、幼馴染の岡本蘭(おかもと らん)からだった。【ほんとに悠斗さんを置いてF国へ行くって決めたの?もしまたすぐ帰ってくるようなら、絶対にお説教するからね】【冗談じゃないよ!】私は思わず口元をゆるめた。【もしまた途中で帰ってきたら、これから一生、あなたの言う通りにするって誓うわ】……3年前、会社で地方の事業開拓を担当する人が必要になった。私は悠斗と相談して、その役目を引き受けることにした。でも、私が出発してから3日目に、悠斗が胃の痛みで入院した。私はその日の夜の飛行機で、急いで帰った。それ以来、私はずっと本社勤務を続けていた。悠斗とは5年付き合って、結婚して7年になる。高校生のころから、彼がなにかに夢中になると寝食を忘れてしまう人だってことは、知っていた。地方の支社へ行ったら、1年に数回しか会えなくなってしまう。悠斗を一人で残していくのが、どうしても心配だった。結婚してから、友達によく聞かれた。「どうしてあんな野心のない男の人と一緒になったの?」って。悠斗は彼氏としてはいいけど、結婚には向かない人だって。私は笑って、こう答えるの。「だって彼は、心も体も、私を救ってくれた人だから」親の事情で、私はうつ病を患っていた。自暴自棄になり、海の底へ沈んでいこうとしたまさにその時、悠斗が飛びこんで私を救ってくれた。その後も、どんな日も欠かさず、彼は何度も、私のカウンセリングに付き添ってくれた。私の病状が落ち着いてから、悠斗に聞いたことがある。「あの時、怖くなかったの?あなたもまだ、あんなに若かったのに」彼はひらりと手を振って、あっけらかんと言った。「あんなにきれいに笑う人が、この世からいなくなってしまうのは、見てられなかっただけだよ。それに、これから先、君と二人で、笑って世界を見て回りたい」あの頃の悠斗は、まさか自分が、私のうつ病を再発させる原因になるなんて、夢にも思わなかっただろう。人生は選択問題なんかじゃない。そして私も、彼の決
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第3話
「瑠衣(るい)、朝ごはんできたよ。君が好きなおにぎり、つくったから」私が出てくると、悠斗は私の手を引いて、テーブルに座らせてくれた。私はおにぎりを手に取り、一口食べて、すぐに置いた。食べるのをやめた私を見て、悠斗は不思議そうな顔でこっちを見た。私はおにぎりを見つめながら、静かに言った。「おにぎりは、甘い味付けじゃないと、食べられないの」甘いものは、ドーパミンの分泌を促すんだって、誰かが言ってた。だから、私は甘いものに目がない。悠斗は一瞬きょとんとして、すぐにあわてて言い出した。「キッチンに目玉焼きもあるよ。今持ってくるね」私は首を横に振って、静かに言った。「ううん、いいの。時間がないから」昨日、美緒がツイッタに投稿してた。【やった!先輩が明日、朝ごはんを持ってきてくれるって。目玉焼きとおにぎりがいいな】家を出ようとしたら、悠斗が私の腕を掴んだ。彼は、険しい顔をしていた。「怒ってるのか?昨日、一緒にいてあげられなかったから?昨日は急な仕事が入ったんだ。もう謝っただろ。研究も大詰めなんだ。責任者の俺が、プライベートを優先するわけにはいかない。今までずっと、君は俺の仕事を応援してくれただろ?なのに、急にどうしたんだ?」そうだ。私たちは、ずっとこうやって過ごしてきた。悠斗を愛してるから、私はどこまでも我慢した。彼が忙しくて私の誕生日や記念日を忘れても、何日も家に帰らなくても、文句ひとつ言わなかった。今の仕事が悠斗の夢だって、わかってたから。でも、ある日、一つの研究を終えた悠斗が、会社まで私を迎えに来てくれた。そのとき、彼のスマホがひっきりなしに鳴っていた。いつもは「返信は面倒」って言う悠斗が、楽しそうに笑いながら、顔も上げずに夢中で文字を打っていた。その日、私は初めて彼の口から美緒の名前を聞いた。「面倒くさくて、ちょっと抜けてる後輩」なんだって。そして、私も初めて知ったんだ。悠斗は別に、返信が嫌いなわけでも、面倒なわけでもなかったんだ。彼が自分の時間を割いてまで連絡したい相手は、私じゃなかった。ただ、それだけのことだ。私は、悠斗の手から自分の手を引き抜いた。感情を殺して彼を見つめる。「今まで、もう疲れちゃった。私たち、別れ……」最後まで言い終わ
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第4話
「ちょうど彼女の誕生日でさ。星がほしいって言うから、プレゼントしたんだ。夜食だってみんなで行ったんだよ。俺たち二人だけじゃなかった。だから、変なこと考えないで」私は黙って悠斗を見つめた。この惑星の研究は、彼が3年間も、ずっと続けてきたものだ。美緒は、ここに来てまだ3ヶ月なのに。こんな言い訳、自分でおかしいって思わないの?悠斗は、たぶん自分で気づいてないんだろうけど、嘘をついたり緊張したりすると、いつも無意識に服のすそをいじる癖がある。家の前まで送ってもらったけど、結局、悠斗は美緒に呼ばれて行ってしまった。仕事が理由なのか、それとも他の何かか。もうどうでもよくなってしまった。だって、こんなことはもう数えきれないくらいあったから。今年の夏は、変な天気が続いて雨ばかりだった。ある日の仕事帰り、雨に濡れてしまったせいか、夜になって急に高い熱が出た。意識がもうろうとする中、悠斗に薬を取ってほしくて声をかけた。しかし、彼がベッドから起き上がり、着替えている姿が見えた。「美緒の家の水道の蛇口が壊れたんだって。自分じゃ直せないみたいだから、ちょっと見てくる」私は、ただ呆然と悠斗を見ていた。頭の中には、色々な疑問が浮かんできた。「彼女の家の水道が故障したからって、あなたが行く必要あるの?」「あなたたち、そんなに仲がいいの?蛇口が壊れたくらいで、わざわざ見に行くなんて」でも、悠斗は私が何かを言う隙もくれなかった。彼はすぐに部屋を出て行ってしまった。エアコンが18度に設定された部屋で、布団をかぶっても冷や汗が止まらない私のことなんて、まったく目に入っていないみたいだった。大学の時、私が授業のあと、エアコンの効いた図書館に走って駆け込もうとすると、悠斗はいつも後ろから、むすっとした顔で私の腕を掴んだ。そしてカバンからハンカチを取り出して汗を拭いてくれながら、こう叱ってくれた。「自分は丈夫だとでも思ってるのか?外はこんなに暑いんだぞ。汗だくのままクーラーの効いた部屋に飛び込んだら、熱が出るに決まってるだろ。結局、看病するのは俺なんだからな!」……会社に着くと、蘭が新しい取引先の資料を私のデスクに放り投げてきた。「さっさと資料を頭に叩き込んで。もしこれから何かミスしたら、あなたなんかクビだか
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第5話
カシャ――突然の稲光が、駐車場をぱっと照らした。「誰だ!」二人はやっと、少し離れて立っている私に気づいた。彼らの荒い息づかいが、やけにはっきりと聞こえた。悠斗は私を見ると、魂が抜けたように呆然としていた。「瑠……瑠衣、なんでここにいるんだ!」私は一歩ずつ、二人に向かって歩み寄った。「瑠衣さん、違、違います!先輩には関係なく、私が勝手に好きで……きゃっ!」美緒が言い終わる前に、私はありったけの力で彼女の頬をひっぱたいた。そして結婚指輪を、悠斗に叩きつけた。指輪を叩きつけられて、彼はようやく我に返り、美緒を突き放した。思わず声を荒らげた。「瑠衣、話を聞いてくれ、君が思ってるようなことじゃ……」私はその言葉をさえぎって、離婚協議書を突き出した。「悠斗、私たち、もう終わりよ」悠斗はなりふり構わず追いかけてきたけど、すぐに転んでしまった。「瑠衣、説明させてくれ!美緒とは、君が見たような関係じゃないんだ!うわっ――」彼の悲鳴に、思わず足が止まってしまった。でも次の瞬間には、もっと足早に自分の車へと向かった。私がドアを閉めるその寸前、悠斗が追いついてきた。彼はボロボロの姿だった。その瞳は、すがるように私を映していた。「美緒のことはガキだって思ってるんだ。ただの、可愛いガキ。からかってるだけだよ……」私は鼻で笑った。「彼女は、私たちと3歳しか違わないでしょ。ガキだって?」悠斗は涙を流しながら、まるで、見捨てられた子犬のような目で私を見つめていた。「瑠衣、ひどいよ。俺たち、何年も一緒にいただろ。もう12年だよ。俺からいなくならないでくれ。君がいないと、俺は生きていけないんだ……美……美緒は、ただの遊びなんだ」そう言いながらも、彼の声はどんどん小さくなっていった。その時、背後から美緒のヒステリックな叫び声が聞こえた。「先輩!私、あなたのこと10年も好きだったんですよ!ここで私を捨てるなら、もう死んでやります!」見ると、美緒が割れたガラスの破片を首に突きつけていた。「先輩、私を見て、ねえ、こっちを見なさい!もし振り向いてくれないなら、本当に切っちゃいますからね!」悠斗は思わず私の腕を離し、振り返った。私は冷たく笑うと、ためらわずにドアを閉
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第6話
「瑠衣、行かないでくれ……行かないで、お願いだから、俺の話を聞いてくれないか?」その声は震えていて、言葉はしどろもどろだった。私は冷静に悠斗を見つめた。なのに彼は突然、わんわん泣き出した。「瑠衣、そんな目で見ないでくれ。いっそ殴ったり、罵ってくれてもいいから、そんな目で見ないでくれ!」悠斗は私の服を必死に掴んできた。その目は、絶対に離さないという覚悟が宿っていた。「瑠衣、君の命は俺のものだって言ったじゃないか!白髪になるまで一緒にいるって、そう言ってくれただろ!一緒に旅行に行こうって約束しただろ!約束を破らないでくれよ!二人でちゃんと約束したことだから……」私はため息をつきながら目を閉じた。「じゃあ、どうしてほしいの?」悠斗はしゃくりあげて声も出せないほどだった。しばらくして、かすれた声で言った。「お願いだ、行かないでくれ。もう一度チャンスがほしい!もう二度と君を悲しませないと誓うから」私は黙っていた。その時、私の目に飛び込んできたのは、先ほど、荷造りの最中に、不注意で床に落としてしまった結婚式の写真だった。写真の中では、スーツ姿の悠斗が、白いワンピースの美緒と話している。人生で一番幸せな日だと思っていたあの日は、私と彼だけのものじゃなかった。やっとそれに気づいた。美緒は、ずっと前から私たちの間に入り込んでいたのだ。私が知っている、この3か月だけの話じゃなかったのだ。悠斗は写真を見て、その目から光が消えた。うつむいて私の顔を見ようとしない。まるで判決を待つ罪人のようだった。意外なことに、私は悠斗の言葉を受け入れた。「いいわよ」悠斗は勢いよく顔を上げた。その目に、ぱっと光がともった。「本当か?瑠衣、もう行かないでくれるのか?」私は静かにうなずいて、それからやさしい声で言った。「ええ。でも、一つだけ条件があるの。私たち、もう何年も一緒にいるのに、旅行に行ったことがないわよね。だから何日かお休みをとって、スマホの電源は切って。一緒に旅行に行ってくれない?」悠斗は、考えるまでもなくうなずいた。私の胸にすがりつき、彼は独り言のようにつぶやいた。「やっぱり君は俺を愛してくれてるんだ!もう二度と君をがっかりさせないからな……」ええ。もうがっかりなんてしな
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第7話
口の端をくいっと上げて、私もツイッタに投稿した。【夫は、ここでのすべてを投げ出して、私と一緒に世界を旅すると約束してくれた。人生はあっという間だから、一日一日を大切に、これからは二人で、穏やかに暮らしていく】美緒はやっぱり我慢できなかったみたい。その日の午後に、私に会いたいって連絡してきた。カフェで会った彼女は、ひどくやつれていた。美緒は目を真っ赤にして、震える声で私に尋ねてきた。「そんなに彼のことが好きなのですか?私たちがああいう関係だって知っても、まだ別れないなんて……」私は否定も肯定もせず、ただ軽く手を振った。「ええ。悠斗は私を愛してるって。私がいないと死ぬ、とまで言ってくれたわ」美緒は、さらに取り乱した様子になった。「二人で、どこかへ行きますか?どうして……どうして私には何も言ってくれないんですか!」私は、悠斗が予約した航空券のスクリーンショットを彼女に見せた。そして、本当のことと嘘を混ぜこぜにして話した。「私と悠斗はもう12年の付き合いよ。彼が死ぬのを黙って見てるなんて、できるわけないじゃない。12年も愛した悠斗が、泣きながら許してくれって。だから私は言ったの。仕事を辞めて、一緒にここを離れてくれるなら許してあげるって。そしたら彼は、一秒も迷わずに頷いたわ」私は片方の眉を上げて微笑んだけど、その目はどこまでも冷たかった。美緒はまるで狂ったように、両手で髪をかきむしった。そして、きつく下唇を噛みしめて、喉の奥から絞り出すように叫んだ。「そんなこと、ありえません!だって彼は……彼の心には私がいるって、そう言ったのに!」私は、彼女を冷たい目で見つめた。美緒は、相手の痛いところを突くのが上手い。私たちの結婚7周年の記念日に、わざと悠斗と一緒にツイッターのトレンド入りをさせて、彼らの関係を私に見せつけてきた。私の車を見かけたら、わざと彼らがもめているところを見せつけるように仕向けたりもした。そうやって何度も、悠斗に私を捨てさせて、彼女を選ばせようとした。彼女の全ての行動は、私を追い出して、自分が悠斗と結婚するためのものだった。でも、悠斗が私を大事に思う気持ちの強さが、その計画の唯一の誤算だった。いろんな手を使ったけど、結局は全部水の泡になった。美緒は逆ギレして
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第8話
悠斗の言葉が途中でぷつりと途切れた。「もう、次はないからね」私は彼の目をじっと見つめて、はっきりと言った。二人はそのまま、数分間にらみ合っていた。私はふと顔を伏せ、悠斗にひらひらと手を振った。「二宮さんが飛び降りるって。あなたはグループリーダーなんだから、行かないとまずいでしょ。行ってあげて」彼はうつむいて数秒ためらった後、私にすがるような目を向けた。「じゃあ、旅行は……」私は口の端をくいっと上げた。「またいつか、機会があればね」悠斗は肩の荷が下りたみたいに、土砂降りの雨の中、タクシーで国立天文台へ戻っていった。私は彼のすぐ後ろでタクシーを拾い、別の方向へと向かった。1時間後、私は飛行機に乗っていた。目的地は――F国の首都。離陸する前に、お互いの両親と共通の友達に、ある圧縮ファイルを送っておいた。……悠斗が目を覚ますと、隣に誰かが寝ていることに気づいた。彼はいつもの癖で、その人の腰に手を回した。違う。感触は違う。瑠衣じゃない。悠斗は驚いて目を見開き、慌てて体を起こした。昨日、彼は大急ぎで国立天文台へ駆けつけ、屋上から美緒をなだめ降ろしたのだった。瑠衣の元へ帰ろうとしたとき、美緒に後ろから抱きしめられた。とても可憐に泣きながら、こう言われたんだ。「今夜は帰らないで、お願いします。先輩、お願い、今夜だけで……ずっと好きだったんです。一晩だけ、そばにいてくれませんか?」悠斗の心は揺らいだ。頭の中で、二人の自分が言い争っていた。一人は帰れと囁く。瑠衣が旅行に行くのを待っている、と。でももう一人はこう言うんだ。ここにいろ、瑠衣が自分に行けと言ったじゃないか、と。もし彼女が怒ったなら、何度かなだめて、何度か泣きつけばいい。そうすれば、きっと許してくれる、と。でも、目の前にある美緒の涙は、あまりにも熱かった。悠斗はそれを放っておけなかった。隣で眠る美緒を見つめながら、悠斗は、もうすぐ瑠衣を失ってしまうような予感がした。胸が苦しくて、息もできないほどだった。彼はふと、昨日家の前で別れたときの、瑠衣の目を思い出した。何かを懐かしむようで、でもきっぱりと覚悟を決めたような目だった。まるで、もう二度と会えないと言っているみたいだった。
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第9話
その時、自分はそばでからかうように言ったのだ。「旅行に行くだけだろ?もう帰ってこないわけじゃないんだから、そんなに荷物詰めてどうするんだよ」あのとき、瑠衣はなんて言ったっけ。彼女はなにも言わず、ただ静かに自分の顔を見つめただけだった。悠斗の心臓は、針で刺されるみたいにズキズキと痛んだ。そうか、あんなに前から、瑠衣はもう自分のもとを去る決意をしていたのか。いや、そんなはずない。絶対にない。瑠衣はただ怒ってるだけだ。どこかに隠れて、自分が機嫌を取りにくるのを待ってるだけなんだ。彼女はきっと、自分を許してくれるはずだ。悠斗が瑠衣の会社へ探しに行ったとき、ビルの入り口で警備員に止められてしまった。「社長から、関係者以外は通すなと言われています」彼は二人の共通の友達を訪ねてみたけれど、誰からもいい顔をされなかった。蘭の口から、瑠衣が少し前からうつ病を再発しかけていたことを知った。悠斗は信じようとしなかった。何日もあちこち聞き回った末、ようやく瑠衣がF国へ行ったことを突き止めた。しかも、数年は帰ってこないらしい。彼は自嘲気味に笑った。以前は、いつでも会える人だったのに、今では必死で探し回って、やっと彼女の居場所がわかる始末だ。悠斗はラインを開いた。そして、はっと気づく。瑠衣の心は、本当はずっと前から、もう自分から離れていたのだ。ずいぶん前から、彼女は日々の出来事を話してくれなくなっていた。ただ、その頃の自分は美緒のことしか見ていなかっただけだ。今、瑠衣にメッセージを送っても、返事はこなかった。彼女のツイッタを開くと、付き合っていた頃の日常の投稿はすべて消されていた。残っていたのは、リツイートした投稿がひとつだけ。【人が誰かに対して、完全に気持ちが冷めるのはどんなときだろう――何度も嘘をつかれ、隠し事をされたあと。ずっと、楽しく生きていけたらいいな】……F国に来てから、すべてが順調だった。仕事はきちんと進んでいるし、通りに面した部屋を借りて、毎日仕事のあとに行き交う人を眺める。とても快適な生活だ。ある日、テラスでコーヒーを飲んでいたら、悠斗から電話がかかってきた。彼の声は、紙やすりで擦ったみたいにかすれていた。「瑠衣、やっと見つけた……君に会いに海外
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第10話
次に悠斗と顔を合わせたのは、蘭の結婚式だった。長く付き合っていると、共通の友達が多すぎるところが面倒くさい。私が結婚式の会場に足を踏み入れたとき、悠斗は黒いスーツ姿で、胸に赤いバラの花束を抱えていた。周りの人はみんな彼を見ていたけど、本人はまるで気づいてないみたいだった。悠斗が私を見つけた瞬間、ぱっと目が輝いた。一歩、また一歩と、彼は私に向かって歩いてくる。前より痩せてたし、顔色もあまり良くなかった。というのも、私が前に、彼と美緒のことをみんなに一斉送信したからだ。おもしろがった誰かが動画をネットに上げて、ちょっとした騒ぎになった。たくさんの人が美緒のツイッタに【恥知らず】だの【略奪女】だのと、ひどい言葉を書き込んだらしい。国立天文台の方も、美緒を解雇したし、悠斗も降格処分になったそうだ。友達もみんな、彼を相手にしなくなった。これは全部、私が国内に戻った次の日に、蘭が噂話として教えてくれたこと。私自身はというと、あの電話のあと、悠斗からの電話には一度も出ていない。F国での会社の事業も順調に進んでいる。悠斗の周りは、幸せな空気に満ちあふれていて、彼の絶望的な雰囲気とはまったくの正反対だった。私を見る悠斗の目には、どこか期待するような色が浮かんでいた。彼は、言葉を絞り出すように、やっとの思いで口を開いた。「瑠衣、もうずいぶん経つけど……まだ俺のこと、怒ってる?俺は……本当に君を愛してるんだ。君がいないとダメなんだ」私はじっと悠斗を見つめた。大学生のころ、街で結婚式を見かけると、私は決まって悠斗にバラを一本プレゼントしていた。彼に会ったら、きっと悲しくなるだろうなって思っていた。でも不思議なことに、今の私の心は穏やかで、何の感情も湧いてこなかった。この期間、仕事に夢中になる一方で、たくさんの新しい友達もできた。お財布も心も、どっちもちゃんと満たされていた。「瑠衣、こっち来て一緒に写真撮ろうよ!」会場の中から蘭が私を呼んでいた。私はそっちに向かって、ひらひらと手を振って見せた。それから、目の前にいるこの男の人を、まっすぐに見つめた。「悠斗。もう意味のないことはやめて。私たち、ちゃんと前を向かなきゃ」悠斗の顔はさらに真っ青になって、体はふらつき、今に
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