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春風を誤ちて
春風を誤ちて
Auteur: トフィー

第1話

Auteur: トフィー
永長仁美(ながおさ ひとみ)は、山口家の令嬢に見捨てられた俺様系社長・宮下直樹(みやした なおき)をひたすら追い続けていた。

直樹が山口家の令嬢のために豪雨の中で一晩立ち尽くした夜、仁美は彼の傍らで、ただ黙って傘を差し続けた。

直樹はある事で直樹父に鞭で九十九回打たれ、仁美は名医の家の前に一晩中跪き、彼のために薬を求めた。

直樹が骨髄提供で思わぬ入院生活を送ったときも、仁美は三か月間、片時も離れず彼の傍に寄り添った。

山口家の令嬢が海外に出発したその日、ようやく直樹の心は仁美に傾いた。

結婚から三年。二人は京市一の模範夫婦と呼ばれるようになった。

だが結婚記念の日、仁美は直樹のバッグの中に一通の書類を見つけてしまう。それは山口舞(やまぐち まい)が送ってきた訴状だった。

子供っぽく書かれたその訴状の内容は、直樹に空港まで迎えに来させ、そして二人が恋人同士だった頃に彼女が手作りのプレゼントをその場で返してほしいというもの。

仁美は直樹と同じ法律事務所で働き、普段扱う書類はすべて彼女の手を経ていた。

だからこそ、直樹がこの訴状だけを、わざわざ別に取り出していたのを見た瞬間、仁美は理解した。自分たちの愛も、ここで終わりを迎えるのだと。

次の瞬間、直樹がドアを開けて入ってきた。

仁美は慌てて訴状をバッグに戻し、振り返って淡々と口を開く。

「数日後、出張に行くよ」

「分かった。俺も用事があるから、一緒には行けない」

直樹は軽くうなずいた。かつては細やかに気遣ってくれた男が、今は彼女の変化に気づくこともない。いや、もう気にもしなくなっていた。

「うん、大丈夫。私一人で平気」

仁美は持ち出す荷物を片づけながら言った。

最近、直樹はいつも同じ言い訳を口にする。

違うのは、今回は仁美の方も最初から彼に同行してほしいとは思っていなかったこと。

「今夜、舞が帰国する」

背を向けて書類を整えていた仁美の手が、ふと止まった。

「今夜?会いに行くの?」

「いや、俺には関係ない」

直樹は笑みを浮かべ、彼女の頬に軽く口づけを落とした。その視線の端には、彼は本来閉じていたはずのバッグが開いており、訴状の一角が覗いていた。

「今夜は会食がある。早めに休め」

バッグを手にし、直樹はそのまま出て行こうとした。だが、ドア口に差しかかったところで、ポケットの電話が鳴り出す。

彼はわずかに眉をひそめ、振り返ることなく出て行った。

空っぽの部屋を見つめながら、仁美は口元を引きつらせ、そっと目を閉じた。

夜、SNSを開くと、舞の投稿が目に飛び込んできた。

【弁護士さま、どうかご慈悲を】

添えられた写真はホテルのベッドの一角と、彼女の首筋に残る赤い痕。

気づけば、仁美の頬を涙が伝い、糸が切れたように零れ落ちていた。

胸を締めつける痛みに耐えながら、部屋中を探し回り、この三年間直樹と関わったものをかき集める。

彼からもらったラブレター。贈り物の数々。見るだけで、心臓が鋭い刃で刺し貫かれるようだった。

すでに三年が過ぎて、仁美は直樹が本当に自分を愛してくれたと信じていた。

だが舞が帰国した今、全ては自分の幻想だったと悟る。

直樹が未だに舞を忘れていないのでは、と疑ったこともあった。彼はいつも出張を口実に、半月も海外に滞在する。

舞が帰国することを知ったあの夜、酒に強いはずの直樹が初めて酔いつぶれた。

家まで背負って帰ったとき、彼は無意識に仁美を抱き寄せ、低い声で舞の名前をつぶやいた。

「舞、あの時のことは仕方がなかった。俺は君を責めないから......」

おそらく、あの時すでに心は死んでいた。それでもいつかで直樹が振り向いてくれる日を願っていたのだ。

だが運命は容赦なく仁美を嘲笑う。愚かだと、突きつけるように。

涙を拭い、直樹にまつわる全ての品を箱に詰め込み、そのままゴミ箱に捨てた。

部屋に戻り、引き出しから一枚の招待状を取り出す。記された番号に電話をかけた。

宮下家の妻としてどう振る舞っても直樹の心を温められないのなら、もう求めることはない。

電話が繋がり、仁美の声には決意が宿っていた。

「南城会社ですか。そちらのご招待をお受けします。一か月後から入社いたします」

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