تسجيل الدخول自分の部屋には戻らず、由美が向かったのは別の寝室だった。かつて、成美が使っていた部屋だ。ドアをノックし、由美がゆっくりと中へ足を踏み入れると、大きな窓の前に一台の車椅子が置かれていた。そこに一人の女が腰掛けている。車椅子に座っていても、その後ろ姿や纏う空気には圧倒的な美しさがあり、どこか浮世離れした神秘的な雰囲気を漂わせていた。窓の外には、黄金色に染まったイチョウの木々が広がっている。女は由美が入ってきても振り返ろうともせず、挨拶の言葉一つ口にしない。ただ己の世界に浸るように、外の景色を眺め続けていた。由美もそれを気にする様子は見せず、歩み寄って手にしていた書類の束を差し出した。「要求されたものは手に入れたわ。今日の午前中に、契約も済ませてきた」報告を聞いても、女は窓の外を見たまま振り返らない。ひどく冷淡な声だけが響く。「これからは、余計な心配をかけないでちょうだい。少しは役に立ってくれることを期待しているわ」その上から目線の一言に、由美の顔色が一気に険しくなった。同じお腹から一緒に生まれてきたのに。ほんの数分、自分より早く外に出ただけだというのに。昔からずっとそうだ。この女は常に自分を見下し、唯我独尊で、誰にも逆らうことを許さない態度を崩さない。腹の中には言いたいことが山ほどあったが、由美はそれをグッと飲み込み、ただ冷たく言い放った。「いいわ。あなたが戻ってきたんだから、どれだけのことができるか見せてもらうわ。その体で、真琴とまともに渡り合えるのかしらね」「この体?私がどんな姿だと言うの」由美の言葉に反応し、成美が初めて振り返った。その眼差しは、凍りつくほどに鋭い。真っ向から睨みつけられ、由美は理由のない萎縮を覚えた。スッと視線を逸らし、強がって淡々と言い返す。「資料は渡したから。もう出るわ」都合の悪い話題から逃げるように、くるりと背を向けて部屋を出て行った。遠ざかる由美の後ろ姿を見つめる成美の瞳は、依然として冷ややかだった。彼女もまた、由美を忌み嫌っている。*由美が顔をしかめながら寝室から出てくると、ちょうど二階へ上がってきた真弓と鉢合わせた。娘の機嫌が悪いことに気づき、真弓は歩み寄って由美の腕を掴む。そして寝室の方へ顎をしゃくり、声を潜め
現在の由美の態度は明らかに一変していた。かつて見せていたような愛想の良さは微塵もなく、その眼差しにはあからさまな挑発の色が浮かんでいる。対する真琴は、シックな黒のチェスターコートを身に纏っていた。洗練されたシルエットが、彼女のエグゼクティブとしての凛としたオーラを一層引き立てている。コートのポケットに両手を滑り込ませたまま、真琴は余裕のある笑みを浮かべた。「敵、か?内海さんでは、私と張り合うには少々格が足りないのではないかしら」仕事であれ他の何であれ、由美など自分の相手にはならない。そんな暗黙のメッセージが込められていた。だが、真琴のその余裕を前にしても、由美は眉一つ動かさない。ただ静かに二歩前へ歩み寄り、真琴の目を真っ直ぐに見据えて尋ねた。「東央が最近一番力を入れていたあのプロジェクト、白紙になったこと……もしかして、まだご存知ないの?」契約が交わされたのは今日の午前中だ。真琴の耳にまだ届いていない可能性は十分にある。勝ち誇ったような由美の態度。真琴は瞬きもせず、彼女の目を真っ直ぐに見つめ返した。以前の由美が被っていた「いい女」の仮面は、今や完全に剥がれ落ちている。周囲の目を気にすることも、信行にどう思われるかを取り繕うことすら、今の彼女は完全に放棄していた。どうやら峰亜は、相当な後ろ盾を手に入れたらしい。視線が火花を散らす。それでも真琴の心は微塵も揺るがず、あくまで淡々と口を開いた。「一度勝ったくらいで、勝者気取り?この先もずっと勝ち続けられてこそ、本当の勝者というものよ」以前の由美であれば、真琴のこの鋭い言葉に少なからず痛いところを突かれ、顔色を変えていたはずだ。だが今の彼女は、微動だにしなかった。それどころか、上体をわずかに前へ傾け、真琴の耳元に顔を寄せてくすくすと笑い声を漏らす。「ええ、勝ち続けるわ。峰亜はこれからもずっと勝ち続ける。これは、ほんの始まりに過ぎないの」吐息が耳を掠める。「西脇光雅はもちろん、たとえ信行が相手だろうと、今の峰亜は絶対に容赦しないわ」真琴が顔を向けたが、由美は彼女が口を開く隙を与えなかった。「あなたなんて、そこまで価値のある人間じゃないのよ……きっともうすぐ、素敵なサプライズが待っているわ。楽しみにしていて」言い放つと
信行の瞳がパッと輝きを帯びる。真琴は両腕を胸の前で軽く組み、ふうと小さく息を吐いた。「数日間も看病してもらったんだもの。あなたが具合を悪くしたなら、二言三言気遣うくらいは当たり前でしょ」信行を前にしても、今の真琴の態度はどこまでも平坦で、穏やかなものだった。それでも信行の眼差しは熱を帯びたまま、真琴の姿をその瞳に真っ直ぐに映し込んでいる。口元には薄く笑みが浮かんでいた。じっと見つめてくる彼から視線を外し、真琴は左手で額にかかった髪をそっと払う。そのまま会議室の方へと顔を向けた。「会議が始まるわ」言い残し、さっさと歩き出して先に入室していく。その背中を見送りながら、信行は口角をさらに引き上げ、後を追うように会議室へと足を踏み入れた。今の彼は、ただ真琴の姿を目にでき、言葉を交わせるというだけで、すこぶる機嫌が良かった。会議が始まってからも、信行の意識は常に真琴へと向いていた。特に彼女が発言する場面では、まるで視線が彼女の身体に張り付いてしまったかのように、片時も目を離そうとしない。真琴の隣に座っている光雅は、そんな信行の熱視線を目の当たりにするたび、露骨に顔をしかめて嫌悪感を滲ませていた。だが、仕事の場である以上、文句を口にするわけにもいかない。やがて十一時を回り、会議は無事に終了した。出席者たちが次々と席を立つ中、祐斗が不意に信行のそばへ歩み寄り、声を潜めて耳打ちした。「社長、峰亜がユナイティア国と大型の提携契約を結んだそうです。たった今、情報が入りました」その報告に、信行は弾かれたように祐斗へ顔を向けた。峰亜に、そこまでの実力がいつ備わったというのか。由美と、その父親である長盛の動きは、確かに予想外だった。信行の鋭い視線を受け、祐斗はさらに声を落として続ける。「業界内でも寝耳に水だったようです。しかもこの案件、本来なら東央――西脇家が手中に収めるはずだったものを、峰亜が横から掻っ攫っていったそうで」以前、由美が真琴を陥れようとした一件で、光雅は容赦のない報復を仕掛けた。その際、信行は救いの手を差し伸べず、光雅も一切の手加減をしなかった。あの痛手で峰亜工業は立ち直れないほどの致命傷を負ったと思っていたが、まさか内海父娘に起死回生の反撃に出る余力が残されていたとは。信行は
「でもさ、あのバカが今さら未練たらたらで、真琴の必死にご機嫌取りしてるのを見ると、正直すっごくスカッとするのよね」他人の修羅場を面白がる紗友里に、真琴は苦笑を漏らした。「色々あったからね。そう簡単にはほだされないわ。昔は確かに好きだったけど、今はもうそういう感情はないし。ただ、付き合いが長い分、無下にしきれない時があるだけで……それに、彼には二度も助けてもらってるからね」紗友里は料理を口に運びながら、さらに尋ねてきた。「じゃあ、お兄ちゃんにその気がないなら、五十嵐さんはどうなの?」その問いに、真琴は声を出して笑った。「どうして私に男が必要なわけ?仕事だけで手一杯なのに、恋愛にかまける時間も気力もないわ」そこで言葉を切り、真琴は顔を上げて紗友里を真っ直ぐに見つめ返した。「そういう紗友里こそ、最近やけに恋愛の話題が好きじゃない。もしかして、誰か気になる人でもできた?私がキューピッドになってあげようか」真琴の逆襲に、紗友里は途端に顔を真っ赤にして声を荒らげた。「なっ、ないわよ!私だって毎日死ぬほど忙しいのに、誰かを好きになる暇なんてあるわけないじゃない!」後半になるにつれて声のトーンは落ちていったが、最初の過剰な反応は明らかに動揺の裏返しだった。分かりやすすぎるその態度に、真琴は意味深な笑みを浮かべる。典型的な、図星を突かれた時の反応だ。真琴の笑みを見て、紗友里は慌てて付け加えた。「ないってば。本当にないんだから」必死に弁解する紗友里の脳裏には、ある男の姿が浮かんでいた。知的で上品な佇まいでありながら、どこかアウトローで危険な匂いを漂わせる男――光雅の姿が。口ごもる紗友里を見て、真琴はそれ以上深く追及しなかった。自分から話したくなる時が来たら、その時に聞いてやればいい。やがて食事が終わり、真琴は残業のために会社へ向かい、紗友里は別の友人と会うために別れた。この頃には、光雅が浜野からの干渉をすべて引き受けて防波堤となってくれていたおかげで、真琴の日常もすっかり平穏を取り戻し、すべての心身を仕事に注ぎ込めるようになっていた。*週が明けた月曜日。遠隔操作プロジェクトのミーティングのため、真琴はアークライト社へ赴き、そこで信行と顔を合わせた。一目見ただけで、彼の体調が最悪なのは明ら
今の自分が真琴のためにできること。それは陰から彼女を支えることだけだ。彼女の日常をかき乱し、無用な負担をかけることではない。長く、深い息を吐き出し、光雅は静かに目を伏せた。……東都市。翌日の午前。真琴が目を覚ますと、手足の鉛のような重さは昨日よりずっとマシになっていた。だが、まだ完全に本調子とは言えない。少し空腹を覚え、起き上がって軽く身支度を整え、リビングへ向かう。信行は昨日、とっくに帰ったものだとばかり思っていた。しかしリビングへ出た真琴は、キッチンで立ち働く彼の姿を目にして、思わず表情も動きもピタリと止めてしまった。「起きたか」真琴の姿に気づくと、信行は何事もなかったかのように声をかけてきた。「牛肉しぐれ煮と味噌汁を作ってる。薬はテーブルの上だ。クッキーでも食べて少し腹に入れておけ、あと三十分くらいで飯になる」その言葉に、真琴が棚の上の時計に目をやると、時刻はすでに十一時を回っていた。その後、丸二日間。信行はマンションに留まり、真琴の看病を続けた。ただ、あの夜に真琴から突き放されて以降、感情を表に出すことは一切なくなった。妙な雰囲気を作ろうとすることもなく、ただ淡々と、純粋に彼女の世話を焼くだけだった。*金曜日。光雅が浜野から東都へと戻ってきた。浜野へ発つ前より、少しゲッソリと痩せているように見えた。幸子の手術もこの日に行われた。手術は無事に成功し、終了後はそのまま集中治療室へと運ばれて経過観察に入った。これで片桐家の面々もようやく胸を撫で下ろし、あとは幸子が順調に回復して退院するのを待つばかりだ。家族全員で円満に年末年始を迎えられそうだった。美雲はとっくに克典に連絡を入れ、今年の年末は絶対に休みを取って帰ってくるようにと念を押していた。克典もそれに応じている。*土曜日。紗友里に誘われて真琴は外へ食事に出た。紗友里の様子も、数日前よりずっと明るくなっている。テーブルを挟んで向かい合い、紗友里が言った。「お婆様の手術が成功して、家のみんなもホッとしてるわ。お母さんも『今年は良い年になるわね』って。真琴も帰ってきてくれたし、お婆様の手術も上手くいったから」二人が座っているのは、レストランの窓際の席だった。ガラス越しに見える巨大なイ
今更悔やんだところで、もう遅い。信行に対して、真琴にはもはや何の未練も残っていなかった。……同じ頃、浜野市。光雅がこちらへ戻ってきてから数日が経ち、今日は康祐も海外から帰国していた。リビングで、父と子が顔を突き合わせている。ここ最近、光雅が抱えている最大のストレスは、仕事そのものよりも行政側からの重圧だった。この数日だけでも、すでに十回以上は呼び出されて面談を受けている。「自分たち行政が直接動く前に、早く茉琴を浜野市へ連れ戻せ」「二つの都市間の関係を悪化させるな」と、連日矢の催促だった。だが、上層部からのそんな圧力など、光雅はどこ吹く風だった。自分がやるべきことを淡々とこなし、決して妥協することはなかった。そして今、リビングのソファで向かい合う二人。康祐は眉を深く寄せ、いかにも厄介事に頭を悩ませているといった渋い顔つきで光雅を見つめた。「真琴自身も、それを望んでいるのか?東都に残りたいと、そう言っているのか」上からの容赦ない圧力に、康祐はすでに音を上げそうになっていた。父親の言葉を聞き、光雅はローテーブルの上に置かれていた煙草とライターを手に取った。カチリと火をつけ、紫煙を吸い込む。ゆっくりと煙の輪を吐き出しながら、光雅は焦る様子もなく口を開いた。「東央はすでにアークライト、それから興衆とも業務提携の契約を交わしてるんだ。真琴はその主要プロジェクトの責任者の一人だ。今このタイミングで彼女をプロジェクトから引き抜くのは、どう考えても筋が通らない」「だが、上からの圧力は相当なものだぞ。東央の経営にまで実害が及ばないか心配だ」光雅は煙草を吸いながら言った。「上から圧力をかけられたら、全部俺のせいにすればいい。連中だって、東央を本気で潰すような真似はできないさ。俺たちは自分たちの実力で食ってるんだ。地元政府の顔色を窺って生きてるわけじゃない」言い切る息子を、康祐はただじっと見つめていた。この時、康祐の目にはっきりと映っていた。息子が真琴に心を奪われているからこそ、これほどまでに後先を考えず、強硬な姿勢で彼女を庇っているのだと。しばらくの間、真っ直ぐに光雅を見つめていた康祐は、やがて静かに口を開いた。「好きなら、そうむやみに感情を隠すな。手に入れたいなら、力の限りぶつかって







