Masuk◇◇◇◇◇◇◇◇第七話◇◇◇◇◇◇◇◇
あたし達はゆっくりと歩いている。歩くのが遅いあたしを気遣いながら歩幅を合わせてくれる。ダーシャは何処かの王子のような服装だ。まるでゲームや漫画に出てくる登場人物のようで、夢を見ているみたいだった。顔も整っている彼は、確実に女性からモテるだろう。彼はあたしを特別視しているようだけれど、きっと美しいお姫様みたいな人が現れると、何処か遠くへ行ってしまうんじゃないかって思ってしまう。 傍にいたくても、手の届かない存在── 頭の中は不安でいっぱい。知らない世界で知らない人々が行き交う街並み。あたしの知っている日常とは全くの別物だから、現実感が全くないの。ふう、と息を吐くと寒さの中で色を取り戻していく。遠くに忘れていた色が映えるように、再び動き出すように、あたしの白い息が目の前に広がってゆく。 「ここはライカの街。他の街には雪は降らないのに、この街だけは違う」 「そうなの?」 「ああ。毎日降っているんだ。寒いけど美しい」 「……貴方みたい」 ポツリと呟くように吐いた言葉は当然彼の耳には届かなかった。ダーシャは「何か言ったかい?」と顔を覗き込むように聞いてきたけど、何も言ってないと断言する。咄嗟に出た言葉は純粋なもので、そこには何の汚れもない。どうしてだか「素直」になれないあたしがいる。 雪がホロホロと舞い散りながら、全身を包み込んでいく。ぶるる、と体を震わすと、ダーシャは自分の羽織っているものを私の背中に回した。 「寒いよね。少しはマシになるといいんだけど……」 「風邪ひいちゃうよ?」 「僕は頑丈なんだ。それに寒さには慣れてる。この街を中心に動いているからね」 「……そうなんだ」 「ありがとう」の一言が中々出てこない。簡単なようで伝える事の難しさに揺られながら、さっきまで彼が来ていた服にそっと右手を添える。ほんのりとダーシャの体温が残っている。まるで抱きしめられているみたい。目を閉じながら彼の残り香に酔いしれていると、頭に手を置く感触がした。何事が起ったのかと視界を開くと、真ん前に彼がいて、あたしの頭に飛んできた雪の結晶を払ってくれた。 「サリア、行こうか。君こそ風邪をひいてしまうよ?」 「……うん」 あたしの心を汲み取りながら言葉を紡いでいく彼の姿は眩しくて、美しい。まるで雪が妖精のように彼を愛している。あたしも貴方と同じ世界で生きてみたい。その資格があるのか分からない。貴方の横を歩くのに相応しくないのかもしれない。 ──でも。 あたしはゆっくりと彼の表情を確認しながら、同じ時を歩いていった。 ◇◇◇◇◇◇◇◇第八話◇◇◇◇◇◇◇◇ キョロキョロと街の風景を楽しみながら歩いている。ダーシャはあたしが迷子にならないように傍にいてくれている。周りを見てばかりのあたしは前を見ていない。誰かにぶつからないように何度も何度も回避してくれている。それでも好奇心を抑えきれないあたしはキョロキョロしてしまう。そんなあたしを見ているダーシャはくすりと微笑みながら、声をかけてくる。 「君に見せたいものがあるんだ」 「見せたいもの?」 「ああ。危ないから、こっちにおいで?」 余程危なっかしかったのだろう。逸れないようにスッと腕を差し出してくる。手を繋ぐとかなら分かるけど、こういう状況に対面した事がないからどうしていいのか分からないあたしは硬直してしまった。 「サリア?」 「う……ん」 左手は宙を舞いながら彷徨う。すると彼は左手で差し出されている右手をポンポンと叩く。 「僕の腕に手を回せばいい。何も不安がる事ないよ」 「えっ」 「言っただろう? エスコートするって」 「そうだけど」 これは……恥ずかしい。今までそんな事した事ないからぎこちなくなってしまう。それでも言う事を聞いてしまうのは彼の笑顔に抗う事が出来ないから。「魅力」と言ったらいいのだろうか。拒否する事は出来るのに、したくない自分がいて、もどかしい。 あたしはもう一度確認するかのように彼を見る、するとニコッと笑顔で返され、ドキドキしながら彼の腕に預けた。手を握るより体が密着している。心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかってくらいに、近すぎる。 「時期に慣れていくよ」 「ううん」 「くすくす。可愛い」 「へっ?」 からかわれているような気がする。なんだか悔しい。こうなったらヤケ、密着してようが、緊張している事に気付かれようが構わない。あたしは諦めたように開き直り、彼の言う通りにする事にした。 と言っても最初から言う事を聞いているんだけど── 先ほどまで辺りを見渡していたのに、一切しなくなった。目線に困るからだ。右側を見る時はいいのだけれど反対方向の時は彼の横顔が見えてしまうから。あたしの視線に彼は簡単に気づいてしまう。そのたびに笑顔を振りまくから、心臓が飛び出てしまいそうになる。 「さぁ着いたよ」 色々な事を考えたり挙動不審な動きをしてしまっていたら、いつの間にか目的地に着いたみたい。あたしはそっと彼の腕から離れ、目を輝かせながら目の前にある宝石達に目を奪われていく。 「綺麗だろう? これは「ガイアの果実」一度君に食べてもらいたくてね」 「え、これ果物なの?」 「そうだよ、見た目が宝石のように輝いて見えるけど、ちゃんと食すものだよ」 彼は店主に声をかけ「ガイアの果実」を手にする。そしてあたしに渡し「食べてごらん」と勧めてきた。 「あたしお金ないよ?」 「大丈夫だ、僕が払ったから」 「悪いよ」 「この世界の金貨と君が育った世界のものは違う。だから僕からのプレゼント」 「……いいの?」 「召し上がれ」 店の中なのに立ったまま食べてもいいのだろうかと思っていると、店主もダーシャと同じようにコクコクと頷いている。いいのかな、と一抹の不安を抱きながら、一口だけかじってみる。 ◇◇◇◇◇◇◇◇第九話◇◇◇◇◇◇◇◇ 「!! 美味しい」 初めて口にする果実に抵抗はあったけど、勇気を振り絞ってかじってみる。ふんわりと甘い香りと共に果汁が口の中に広がっていく。かじった瞬間から甘みが出てきてまるでジュースを飲んでいるような感覚だった。 どこか懐かしい味がするのは気のせいだろうか。あたしはそう思いながらもペロリと平らげていく。そんなあたしの姿を見ているダーシャは唇を隠すように手を添えて笑っている。 「美味しそうに食べるね。そんなに気に入った?」 「凄く美味しい」 「それはよかった。君が好きそうな味だと思ったから安心したよ」 あたしの好きそうな味? まるで好みを知っているような口ぶりに違和感を感じてしまう自分がいた。そりゃそうか。この世界であたしの存在はダーシャが知っているものね。なのにあたしの記憶の中には微かな香りしかないなんて信じられなくなってしまう。 色々考える事はあるけど、今は彼と同じ空間の中で安らぎたい、微笑みたい。だからあえて、その事に関しては追及するのは止めておこう。時が来たら聞く事が出来るのだから、今の雰囲気を壊してまで聞く事じゃないから。 自分対して言い訳を作る事で二人の関係を保とうとしている自分がいる事に気付く事など出来なかった。そんな事よりも、この美しい世界に酔いしれている方が楽しいから。そんな気持ちを持つのかダメなのかな…… 「お二人とも、やっと見つけた」 「「あ」」 「人の事を忘れるのはいいですが……そろそろお時間ですよ」 あたしとダーシャはヒエンがいた事をすっかり忘れていた。行く先を伝えずに自分達の思うまま行動していたのだから心配かけるのは当たり前。舞い上がっていた自分を恥ずかしく思うのと同時に罪悪感を抱えてしまう。 しょんぼりしているあたしを見て、ダーシャはあたしを庇うように言った。 「僕が連れまわしたんだ。この国を知ってもらいたくてね」 「ダーシャ様、貴方は昔から……」 ため息を吐きながら苦笑いをするヒエンの姿が少し寂しそうに見えた。ここで守られているばかりではいけないと思ったあたしは一言、伝えたくて声を発した。 「ごめんなさい」 ダーシャの後ろにいたあたしは左の隙間から顔を出して、悲しそうな顔で繕った。偽物の感情ではないけど、なんとなくこうした方がいいと感じたの。 「サリアが謝る事じゃないよ。ほらヒエンも、もうこの辺にしとこう」 「そうですね」 「もう時間なのだろう? 向かうとするか。サリアも行こう」 そう言われて頷くあたしはいつも以上にか弱く見えた。◇◇◇◇◇◇◇◇第七話◇◇◇◇◇◇◇◇ あたし達はゆっくりと歩いている。歩くのが遅いあたしを気遣いながら歩幅を合わせてくれる。ダーシャは何処かの王子のような服装だ。まるでゲームや漫画に出てくる登場人物のようで、夢を見ているみたいだった。顔も整っている彼は、確実に女性からモテるだろう。彼はあたしを特別視しているようだけれど、きっと美しいお姫様みたいな人が現れると、何処か遠くへ行ってしまうんじゃないかって思ってしまう。 傍にいたくても、手の届かない存在── 頭の中は不安でいっぱい。知らない世界で知らない人々が行き交う街並み。あたしの知っている日常とは全くの別物だから、現実感が全くないの。ふう、と息を吐くと寒さの中で色を取り戻していく。遠くに忘れていた色が映えるように、再び動き出すように、あたしの白い息が目の前に広がってゆく。 「ここはライカの街。他の街には雪は降らないのに、この街だけは違う」 「そうなの?」 「ああ。毎日降っているんだ。寒いけど美しい」 「……貴方みたい」 ポツリと呟くように吐いた言葉は当然彼の耳には届かなかった。ダーシャは「何か言ったかい?」と顔を覗き込むように聞いてきたけど、何も言ってないと断言する。咄嗟に出た言葉は純粋なもので、そこには何の汚れもない。どうしてだか「素直」になれないあたしがいる。 雪がホロホロと舞い散りながら、全身を包み込んでいく。ぶるる、と体を震わすと、ダーシャは自分の羽織っているものを私の背中に回した。 「寒いよね。少しはマシになるといいんだけど……」 「風邪ひいちゃうよ?」 「僕は頑丈なんだ。それに寒さには慣れてる。この街を中心に動いているからね」 「……そうなんだ」 「ありがとう」
◇◇◇◇◇◇◇◇第五話◇◇◇◇◇◇◇◇ 風は星のように降り注ぎながら馬車は走り続いていく。あたしの心を置き去りにしてただ前へ前へと。あたしは男の子の影を追い続けていた。何か大切なものをなくしたようにぽっかり心に穴を開けて。正直ヒエンの事もダーシャの事も、何も覚えていない。10年前にいなくなった子と似ているから、勘違いしているだけじゃないかとか思っても、なんだかしっくり来なかった。 「ダーシャ? 考え事?」 「ん? ああ」 「ふうん」 何を考えているのか知りたかったけど、そこは彼の心の部分に触れる気がして怖かった。だからそっと横顔を見ながら考えてみた。もしあたしがいなくなったサリアだったとして、この世界でいた頃の事を忘れていたとしたら、彼はどんな顔をするのだろう、どんな気持ちになるのだろう。ダーシャは完璧って感じの男性で隙がないように思う。だから余計に考えている自分がいる。 ──ズキン どうしてだろうか、ダーシャの立場をあたしに置き換えて考えてみると心が痛くなる。あの時の涙と同じでポロポロ零れ落ちそうになりそう。正直、泣き顔なんて誰にも見られたくない。自分がどうしてここまで感情的になるのかも分からない。 気づかれないように、髪で顔を隠した。 「サリア、どうした?」 「……」 話すと泣いている事がバレてしまう。それが恥ずかしくて苦しくて、どうしても無言になる。顔も見られたくない、どうしてだか、ダーシャにはこんな表情見られたくないの。 髪で隠していたはずの瞳はダーシャの手によって露わになる。彼は優しくあたしの瞼にキスをし、涙を拭う。こんな事、平気で出来てしまうのはあたしにだけ? それとも他の女性にもしているのだろうか。そう思うと切なくなる。 (どうしてこんな気持ちになるの? あたし何かを知ってるの?) ぐしゃぐしゃになっていく自分、ずっと抱え込んでいた気持ちを放出するように泣きじゃくる。まるで子供のようだ。だけどどうしてだか、ダーシャの手が温かくて、素直なあたしに変えていく。まるで魔法にかかったようで不思議に落ち着く。 「ゆっくりでいい」 そう耳元で呟くダーシャの吐息がくすぐったい。ん、と瞼を閉じてしまう。今のあたしはきっと顔も目も真っ赤なのだろう。馬車の隙間から風が舞い込んでくる。あたしとダーシャを包み
◇◇◇◇◇◇◇◇第三話◇◇◇◇◇◇◇◇歩くのは大変だからとダーシャの馬車へと乗る。ヒエンは別の馬車だ。ここが何処だか分からない。見た事もない景色。あたしは自分の家でいたはずなのに、どうしてこんな事になっているのかと頭を悩ませてしまう。 うろ覚えだけど、あの男の子から貰った手鏡で自分の顔を見ていたら、吸い込まれるようにこの訳の分からない状況になってしまったようだ。これは夢なの……かな?そう思う事で現実を見ようとしてなかった。 ダーシャと名乗る男、初めて見る人なのに、どうしてだか懐かしさを覚えてしまう。変な感じ。どこかで会った事があるような違和感を覚えながらも、抵抗をするより、二人についていく事に決めたの。自分の状況を確認するってより、これは夢だろうから、少し冒険したい気持ちが膨れたんだと思う。 ふうとため息をつきながら、景色を見つめた。綺麗な草原の中に牧場らしき場所がある。先ほどまで緑一色だったのに、急に表れた牧場光景を見ていると、なんだか癒されている自分がいた。 「綺麗な景色だろう?」 急に話しかけてくるダーシャの声が体を包み込んでくる。まるで抱きしめられているような錯覚を覚えたあたしは、顔を真っ赤に染めながら、コクンと頷いた。 「ヒエンは君の事を理解出来てない。君があちら側の世界から来た住人だと気づく事もないだろうから、安心しなさい」 「えっ……」 その言葉を聞いて、彼の方に視線を向けた。すると彼の瞳はジイッとあたしを見つめて離さない。柔らかな表情を向けるダーシャにドキドキしてしまう。 (知らない人なのよ?何ときめいてんの、あたし) 心の中で邪念を振り払う。これは夢、そうよ夢なんだからと言い聞かせてみるけど、現実の出来事のような気がして、心音は加速していくばかりだ。 「夢なんかじゃない。これは現実だ」 「なんで」 「君の考えている事ならなんでも分かるさ。だって僕がこの世界に君を連れてきたんだから」 夢だと思うのなら、自分の頬を抓ってみるといい、そうダーシャは言った。あたしは疑心暗鬼になりながら、右頬を抓る。 「痛い」 夢の中でこんな痛み感じるの?それとも寝ぼけているだけかしら?寝ながらつねっているかもしれないと思い、もう一度確かめてみる。うん、痛い。 「分か
◇◇◇◇◇◇◇◇第一話◇◇◇◇◇◇◇◇ 綺麗な声が聞こえる。あたしの名前を呼んでいるその声はどこか悲しそうだ。聞いた事のない声なのに、心臓が貫かれたように痛い、痛い。まるで魔法にかかったように、涙が出てくるのはどうしてだろう。 「やっと見つけた」 誰かがあたしの体を抱きしめて、放さない、放してくれない。視線の先には誰もいないのに、優しい温もりを感じてしまう。そのたびに涙が溢れて、どう止めればいいのか分からずにいる自分がいる。 「なん……でっ、とまら……ないのっ」 ぐしゃぐしゃな声は夜空に響いて、月へと語り続ける。 現実を直視しないように、両手で顔を隠す事しかできなかった。 ◇◇◇◇ 泣いている貴方がいる。 あたしはアタフタしながら彼の涙を唇ですくう。 「あたしがいるよ?」 一人じゃないからと、ギユッと抱きしめると彼の体は砕け、あたしは一人ぼっちになったの。 第一章~月が繋ぐ心 小さい頃、誰かから手鏡を貰った。記憶の中でぼやける人は男の子だった気がする。モノクロで彩られた景色の中であたしの手へと握らせる。彼の顔は真っ黒で、誰だか、どんな子なのか分からない。それでも懐かしさを感じながら、今のあたしは手鏡を大切そうになぞる。 「もう一度会えるよ、手鏡を持っていれば……きっと」 彼の声は聞こえないはずなのに、心にダイレクトに響いてくる言葉の数々。記憶が曖昧なのに、どうしてだか、その約束は事実だと思った。 忘れていても、無意識に覚えているのだろうか。 大切で大切で、手放す事なんか出来なかった。 【君に出会う為なら、どんな事も厭わない。それが君自身の人生を変える事になっても】 声は繋ぐ、涙が空を創る、君は僕を追いかけてくる。そして僕はこの世界で待ち続ける。 彼女は僕がプレゼントした手鏡で自分の顔を見つめる。目を腫らしながら、涙を拭く君を愛おしく思う。 これは僕の我儘かもしれない、それでももう一度、君と同じ時を生きていきたい。 「僕のところへとおいで」 鏡を通して見える君へと届くように言葉を創る。僕は大きな鏡にそっと手を翳すと、空間の歪みが少しずつ開いていく。この世界で起こる事は彼女の世界でも起こる。連動している世界はゆっくりと呼吸を取り戻しながら







