Masuk――偶然が何度も重なれば、それは必然となる。
あの日、体育館裏で泣いている茉莉と出会ったのは、偶然だと陽生は思っていた。しかし、未来からのメッセージが届いたのはあの日の一度きりではなかった。 あの三日後に届いたメッセージの内容は「傘を持って、いつもより一本早い電車に乗れ」。すると、一日晴れ予報であったにもかかわらず、電車が学校の最寄り駅に着くころには空模様が怪しくなっていた。そして、陽生は改札口で泣き出した空に戸惑っていた茉莉に出会った。 更にその二日後には「午後十三時に市営図書館へ行け」、五日後には「昼休みの終わりに購買へ行け」というメッセージが未来の自分から届いた。指示された場所に行くと、やはりいつも茉莉がいた。 未来の自分からのメッセージと茉莉の存在。それは偶然の一致ではないと、陽生は思い始めていた。ならば、未来の自分は現在の自分に何をさせたいのか。陽生はそれを疑問に思うようになっていた。――茉莉に対して何かしろというシグナルなのだとしても、その理由がわからない。何しろ、彼女とは数週間前に高校に入学して、たまたま同じクラスになっただけの間柄なのだから。 「うーん……」 英語の教科書と睨み合いながら、陽生が難しい顔で唸っていると、どしたん、と朔也が声をかけてきた。彼は前の席の椅子に逆さまに座ると、陽生の手元を覗き込んでくる。 「陽生、入学早々もう躓いてんの? ゴールデンウィーク明けには中間あるのに、それはまずいだろ。あと、そこスペル間違ってる」 「そういうわけじゃねえんだけどさ……なあ、朔也、この後の昼メシ、外行かねえ?」 「別にいいけど、どうしたん? もしかして、教室で聞かれたくない話でもあんの?――たとえば、女の話とか」 「間違ってはねえかな……たぶん、思ってるのとは違う話だと思うけど」 ほほう、と面白がるように朔也は目元をにやけさせた。陽生は先ほどの授業で出された英語の課題を適当に切り上げると、教科書とノートを机の中にしまう。そして、机の脇に下げたリュックから弁当の包みを取り出し、陽生は席を立った。 「オレ、購買寄ってくー」 わかった、と頷くと陽生は朔也とともに教室を出た。教室からは女子たちが流行りのショート動画の話題で盛り上がっているのが聞こえてくる。 昼の購買は生徒でごった返していた。あちらこちらでパンの取り合いが勃発している。恫喝やら金切り声やらが聞こえてきて、柱に背を預けて様子を見守っていた陽生は小さく肩をすくめた。なんていうかうちの学校の購買は治安が悪い。 「買えた?」 「もっちろん。それじゃ外行くか」 メロンパンとチョココロネを手に戻ってきた朔也とともに、陽生は歩き出した。階段を降り、昇降口で上履きからローファーに履き替えると、二人は中庭へと出た。 二人は中庭で空いているベンチを見つけると、腰を下ろした。四月が終わりかけ、移ろいつつある季節の日差しが暖かかった。 「それで、陽生。女の話だって言ってたけど、何の話? ちなみにオレは――放課後に音楽室へ行け。
そのメッセージが陽生のスマホに届いたのは六限の途中のことだった。六限の化学が終わると、教科書とノートを机の中に放り込み、陽生はそそくさと教室を後にした。教室に出る間際、ちらりと茉莉の姿を探したが、彼女は視界のどこにも見当たらなかった。 (そういえば、先生が化学の出席取ったとき、いなかったような気がするな) 具合でも悪いのだろうか。だったら、なぜ、メッセージの送り主――未来の自分――は保健室でなく、音楽室に自分を呼び出したのだろうか。 廊下を歩くうちに、遠くからうっすらとピアノの音が聞こえてきた。ぽろりぽろりと鳴る優しく柔らかい旋律に、この先に茉莉がいるような予感がした。 (なんだったかな、この曲……小学生のときに音楽の授業で聞かされた気がすんだけど) 陽生はそんなことを思いながら、廊下を奥へと向かって進んでいく。そして、廊下の突き当たりまでくると、彼は音楽室の扉へと手をかけた。キィ、と蝶番が軋み、扉が開く。 オレンジを帯びた光と共に室内に入り込んでくる、春の終わりの風。ビロードのカーテンが靡き、夕暮れの音楽室の床に影をゆらめかせる。 教室を満たす静謐が、ピアノの音色を際立たせている。壁に貼られた作曲家たちの肖像画が、ピアノを奏でる少女を見守っている。夕陽に照らされた彼女の横顔を綺麗だと、陽生はなんとなく思った。 陽生は音楽室の入り口の壁に背中を預け、鍵盤の上に指を滑らせる茉莉を眺めていた。――この曲は一体何だったかと、記憶の中を探りながら。 悲しみと懐かしさを感じさせる和音の余韻が二人きりの音楽室の中に溶けていく。茉莉は鍵盤から指を離すと、陽生へと視線を向けた。 「――貴嶋くん。また、会ったね」 「……おう。お前は六限サボりか、芦屋」 「そんなとこ」 「中間テスト前に余裕だな」 「だって、わたし、入学直後の実力テスト、クラストップだもん。一回くらい授業サボったからって、どうってことないよ」 優等生め、と陽生は毒づいた。ふふ、と茉莉は微笑むと、陽生へと水を向ける。 「それで、貴嶋くんは何でこんなところに来たの?」 えっと、と陽生は口ごもった。付き合いの長い朔也相手ならともかく、知り合って日の浅い茉莉に未来の自分からのメッセージについて、話す気にはなれなかった。 「ピアノの音がしたから、誰かいんのかなって思って。それでここに来たらお前がいた」 「――嘘だ」 茉莉の色素の薄い目がじっと陽生を見た。彼女の淡く色づいた唇の端がいたずらっぽく釣り上がる。 「貴嶋くん、わたしのストーカーだったりしない? 心羽(みう)が言ってたもの、友達でも何でもないのにいろんなところで度々出くわすのはおかしいって。――それで、本当のところはどうなの?」 「そんなんじゃねえし。むしろ、何でおれの行く先々にお前がいるのか、こっちが聞きてえくらいだよ」 ふうん、と茉莉の目が細められる。納得していなさそうな彼女の態度に、陽生は脳みそから無理やり言葉を捻り出した。 「友達でもないのに度々出くわすのがおかしいっていうなら、おれたち今から友達になればよくないか?」 「……貴嶋くん、モテないでしょ? 女子の口説き方が下手」 うるせえよ、と陽生は憮然として言い返す。そんな彼をよそに、茉莉はブレザーのポケットからスマホを取り出すと、椅子から立ち上がった。 「まあいいや。なろうよ、友達。――貴嶋くん、連絡先交換しよ」 茉莉はスマホを操作すると、メッセージアプリのQRコードを表示させる。陽生もポケットからスマホを引っ張り出すと、カメラアプリでQRコードを読み取った。 "まつり"という表示名のユーザが陽生のメッセージアプリの友達リストに追加される。陽生は彼女とのチャット画面を開くと、そっけなく、よろしくの四文字を打ち込んだ。ほどなくして、スマホが短く震え、よろしくと書かれた可愛らしいキャラクターのスタンプが送られてくる。 「そういや、さっき、何の曲弾いてたんだ?」 「あれはね、エリック・サティのジムノペディ第一番。貴嶋くん、知ってるの?」 「何となく聞き覚えはあったんだけど、曲名が思い出せなくて。サンキュ、すっきりしたわ」 「そう。……それはそうと、貴嶋くん、この後って暇だったりする?」 「まあ、帰るだけだから暇っちゃ暇だけど……」 「じゃあ、貴嶋くん、この後、駅前のカフェいかない? 新作出てるんだよね」 「そういうのはお前の友達の……天沢だっけ? あいつと行けよ。それか例の佐倉とかいうあの有名な彼氏と」 ええー、と茉莉は不服そうに頬を膨らませた。 「あのね、友達っていったら、帰りにカフェに行ったりするのが普通なの。心羽とも今度行くけど、わたしは今日は貴嶋くんと行きたい気分。――駄目?」 はあ、と陽生は嘆息した。上目遣いで小首を傾げてみせる茉莉の仕草は、おそらくそれが可愛いとわかっていてやっている計算されたものだ。不覚にもそれを可愛いと思ってしまった自分に対して、陽生は顔を覆いたくなった。 「少しだけだかんな……。っていうか、そういうの、彼氏以外の男の前でやんねーほうがいいんじゃねえのか」 ピュアな男子高校生の心を弄んでくる茉莉に陽生は苦言を呈する。しかし、彼女は意に介したふうもない。 (未来のおれは……芦屋と友達になるために、これまで何回もメッセージを送ってきていた?) そんな疑問が陽生の脳裏を掠める。彼女に対して、親切に振る舞って。顔を合わせる頻度を増やすことで、単純接触効果を上げていって。 友達になることが単なるゴールだとはなんとなく思えない。「それじゃあ、吹奏楽部が放課後の練習に来ちゃう前に教室戻ろっか」踵を返す茉莉のハーフアップの髪が翻るのを見つめながら、ああ、と陽生は頷く。 音楽室を出ると、まるで水中から出てきた後のようにやけに鮮明に生徒たちの話し声が聴覚に飛び込んできた。未来の自分からのメッセージの意図について考え込む陽生の耳の奥では、先ほどのジムノペディの音色がまだ聞こえていた。窓から四月の柔らかな春の日差しが差し込んでいた。白いタキシードに身を包んだ陽生は、何かおかしなところはないかと、控え室の鏡を見ながらネクタイや髪をいじったりしていた。 今日の日を迎えるまでのことを思い起こすと、ふいに苦笑が漏れる。茉莉のドレスやブーケ選びに始まり、参列者の選定や席次の決定、式や披露宴で使う曲選びなどやることが盛りだくさんだったからだ。ここ数ヶ月の間、その準備に追われ、休日もろくに休めなかった。 (それもきっと……いつかいい思い出に変わるんだろうな。あのときは大変だったな、って笑って話せる日がきっと来る) 高校一年生の文化祭の日に付き合い始めてから今日まで、自分は茉莉とともに歩んできた。そして、この先の人生も彼女とともに歩んでいくつもりだ。――たとえ、いつか遠い未来に死が二人を別つことがあろうとも。 ふいに、こんこんと控え室の扉がノックされた。陽生はすっと居住まいを糺すと、どうぞと返した。 「茉莉様のお支度が整いました。――どうぞ、こちらへ」 はい、と答えた自分の声が歓喜に震えるのを陽生は感じた。陽生は式場のスタッフに連れられて、部屋を出る。一歩床を踏み締める度に、胸が期待で溢れていく。 「――茉莉様。陽生様をお連れいたしました」 アップスタイルにまとめた髪の上でふわふわと靡くヴェール。レースが何枚も重なり合い、繊細な刺繍が施されたドレスの裾はAライン状に大きく広がっている。それでいて、胸元はすっきりとまとめられ、清楚な美しさが引き立てられている。 式場の入り口の前にウエディングドレス姿の茉莉が父親と共に立っていた。吹き抜けの天井から差し込む日差しを浴びて佇む彼女は、まるで絵画の中から抜け出してきたかのようだった。その美しさに陽生の目は釘付けとなる。 「茉莉――綺麗だ」 そんな言葉が思わず口をついて出た。くす、と茉莉は嬉しそうに笑みを溢す。 「陽生くんもとっても素敵。よく似合ってるよ」 「……まあ、馬子にも衣装って言うからな」 「もう、照れちゃって。素直になれないところはいつになったら治るのかな」 「うるせえ。言ってろ」 陽生が緊張しのぎに軽口を叩いていると、茉莉のそばに立つ彼女の父親が彼の名を呼んだ。陽生は軽口をひっこめると、神妙な面持ちで茉莉の父親へと向き直る。 「――はい」 「陽生さん。娘を
「まったく実行委員長の奴……おれたちに後処理押し付けて美味しいところだけ持っていきやがって……」 十月の空は紺青に色を変え、校庭では後夜祭が始まっていた。実行委員長が表彰を行なう声が窓の外から聞こえてくる。優秀賞、最優秀賞、と該当のクラスが呼ばれる度に歓声が上がる。 陽生と茉莉は多目的室で文化祭の後処理に奔走していた。一般公開時間が終わってから、出し物の内容について後申請してきたクラスが山ほどあったからだ。 「貴嶋くん、SJ放送へのお礼メール終わったよ。そっちの申請書捌くの手伝おうか?」 「わりぃ、頼む……」 陽生は申請書の束を半分、茉莉へと渡した。彼女はブレザーの胸ポケットからシャーペンを抜くと、申請書に目を走らせ始める。 「ねえ、貴嶋くん。文化祭、楽しかったね」 「お前にとっては色々あっただろうけど……楽しかったんだったらよかったよ」 「……うん」 ドン、と音が響き、窓の外の空に光の花が咲いた。陽生は席を立つと、多目的室の電気を消す。 「……貴嶋くん? どうしたの、電気なんて消して」 「このほうが綺麗に見えるだろ、花火。まだやることたくさんあるけど、花火くらいは見ようぜ」 そうだね、と茉莉は微笑むと、シャーペンを置いた。そして、席を立つと彼女は窓辺へと歩いていく。 窓の外を眺める茉莉の隣に陽生は立つ。そして、なあ、と彼は緊張で掠れた声でこう言った。 「――芦屋。前にも言った通り、おれはお前のことが好きだ。もし、お前の気持ちが変わっていないなら、これからもおれと一緒にいてくれないか。――付き合おう、茉莉」 「貴嶋くん……」 茉莉は目を見開くと、陽生を見つめた。暗い教室の中で視線が絡まり合う。 「佐倉と別れたばっかりだっていうのもわかってる。おれは不器用で、こういうことも初めてだから、お前のことを傷つけない保証もない。だけど……お前が笑っていられるように、努力はしたい。こんなに危なっかしくて、放っておけなくて、可愛くて――大事な奴は他にはいねえから」 「わたしで……いいの?」 「お前だからいいんだよ――茉莉」 戸惑う茉莉に陽生は真正面からそう言った。茉莉の目が揺れる。やがて、彼女は心を決めたのか、小さく息を吐いた。 「わたしも、貴嶋くんの――陽生くんの、そばにいたい。一緒にいたい。これから未来(さき)を一緒
「なあ、芦屋。おれたちのシフトって、確かこのまま休憩だったよな。何か軽く見ていかねえか?」 瑠音たちのステージが終わり、取材に来ていたSJ放送のスタッフを見送った後、陽生はそう茉莉に声をかけた。いいよ、と茉莉は微笑んだ。 「どこのクラスがどんなことをしてるのかも確認したかったし。申請書の内容だけじゃわからないことも多いから」 「お前、本当に真面目だよな……」 休憩時間くらい肩の力を抜けばいいのに。そう思いながら、陽生は溜息をついた。束の間の間だけでも、お遊びめいたデートを茉莉と楽しみたかった。 校門から戻ってきた陽生たちは校庭の方へと足を向けた。文化祭実行委員会に提出された書類によれば、校庭では各クラスや部活動有志による飲食系の屋台が出ているはずだった。 「……」 校庭をぐるりと見回すと、陽生は頭が痛いと言わんばかりにこめかみを押さえた。なんだこれは。揃いも揃ってトンチキな屋台しかない。 暗雲わたあめだとか海賊が作った山賊焼なんていうのはまだ序の口だ。チョコきゅうりだとか桜姫が愛したタピオカコーンポタージュなどという、正気を疑いたくなるものもある。恋するフォーチュンたこやきに至っては、異物混入がないかどうか、文化祭実行委員として心配になってくる。 「芦屋……これ、どっから突っ込んだらいいと思う?」 「突っ込むも何も、文化祭実行委員なのに貴嶋くん知らなかったの? この学校の文化祭の出し物は、伝統的に変わり種が多いんだよ」 「変わり種って……とりあえず、チョコときゅうりって合うのか? しかも、ミルクとホワイトとビターから選べるとか無駄に凝ってるし……」 「きゅうり自体がそんなに主張が強い野菜じゃないから、意外と大丈夫なんじゃないかな?」 「だとしても……何でこんな企画通したんだよ……」 「だって、きゅうりは桜島市の特産品でしょ? 今回のコンセプト的に、地産地消ができるのはいいことだと思うけど」 きょとんとして茉莉は陽生の顔を見上げた。優等生め、と思わず陽生は毒づいた。 「じゃあ桜姫が愛したタピオカコーンポタージュっていうのはどうなんだよ? 桜姫の時代にタピオカもコーンポタージュもねえだろ」 「どうだろう? 桜姫は舶来品が好きだったし、城下町を潤すために南蛮貿易を先頭に立って旗振りしてたって記録が残っていたから、案外近いもの
どうしてこうなったんだ。茉莉が縫ってくれたピンク色の魔法少女の衣装に身を包んで、陽生は呆然と立ち尽くした。 彼女持ちの男子たちがこぞって女子を裏方仕事に回したせいで、文字通りの正しい意味での魔法”少女”は数人しかいない。魔法少女姿を他の男の目に晒すくらいならと、漢気を見せた女装姿の男子たちばかりが教室内を動き回っている。 頭頂部を彩る大きなリボン。胸元にも同じ色のリボンがあしらわれ、袖は大きく膨らんでいる。パニエを何枚重ねにもして、膨らませた衣装の裾にはフリルがこれでもかというくらいに縫い付けられている。そんな愛らしいスカートの裾の下から覗いているのはすね毛まみれの男子の足ばかりで、ここが地獄かと陽生はうんざりとしていた。 「まじかる☆さくや、お客様ご案内ー! あなたのハートをごりごりずどーん!」 他校の制服姿の女子二人組がやってくると、水色の魔法少女の衣装に身を包んだ朔也が画用紙で作ったステッキをハートの形に振ってみせた。客の女子二人は爆笑しながらスマホを取り出すと、ノリノリで決めポーズを取る朔也を撮影する。 「ごりごりずどーんって……」 確か自分たちのクラスは魔法少女カフェであって、間違っても工事現場とかの類ではなかったはずだ。台詞の前半はコンセプトを考えれば辛うじて理解できるが、後半の物騒な擬音は何なんだ。 この謎のセリフを考案したのはノリノリで接客している、クラスの出し物係でもある朔也だ。普段はセンスのいい彼が、どうして今回に限ってはそのセンスの良さを発揮できなかったのか謎すぎる。 担任の岸野が金と銀の魔法少女衣装で呼び込みをしているのが功を奏したのか、客足は途絶えることはない。ひっきりなしにまじかるなんとかという延べ口上が教室内に響き渡っている。――但し、声変わり後の男子高校生の低音ボイスで。 「魔法少女まじかる☆さくや、愛と希望とオレンジジュースをおっとどけー!」 朔也は裏方仕事をしている女子からオレンジジュースの乗ったトレイを受け取ると、そんなことを宣いながらくるりと回ってみせる。ふわりとスカートの裾が広がり、朔也はウィンクを決めた。 ふいに客と思しきこの学校の制服姿の女子が戸口に姿を現した。他の男子たちは接客をしているか、グロッキーな目でキラキラとしたモールのぶら下がる天井を見つめているかしている。自分が行く
西の空を染める残照を見つめながら、陽生は朔也とともに校舎の屋上から垂れ幕を吊るしていた。屋上のフェンスに紐を結わえながら、随分日が落ちるのも早くなったものだと陽生は感じていた。 明日はもう文化祭当日だ。どこからか金木犀が香り、頬を撫でる夕風は秋の冷涼さを帯び始めている。空の端に残る朱色には夏の烈しさはもう残されてはいない。 そのとき、ずるりと垂れ幕の逆の端が重力に従って、下がるのを感じた。陽生は朔也を振り返ると、文句を口にする。 「おい、朔也。ちゃんと支えとけよ。そっちだけ下がってるじゃねえか」 「ごめんって。ちょっと心羽ちゃんから通話きたから出るわ」 朔也は悪びれたふうもなくスマホを取り出すと、もしもしと通話に応じる。「さっくん、今すぐ来て!」離れた位置にいる陽生の耳にも届くほどの音量で切迫した心羽の声が朔也のスピーカーを劈いた。陽生と朔也は思わず顔を見合わせる。 「心羽ちゃん、どうしたんだ?」 朔也が聞くと、スピーカーの向こう側で心羽が早口に何かを説明する。わかった、と朔也は通話を切る。 「陽生、体育館行くぞ。心羽ちゃんが言うには、体育館ステージのリハでトラブルがあって、芦屋が佐倉に因縁つけられてるって」 なんだって、と陽生は顔色を変える。設置途中の垂れ幕を放り出すと、彼は踵を返した。 「朔也、早く来い!」 そう叫ぶと、陽生は錆びかけた屋上の扉を押し開ける。ズボンのポケットの中でスマホが震えた。おそらく、未来の自分が先ほどの心羽と同じ用件でメッセージを送ってきたに違いない。階段を足早に駆け降りていく彼の背中を追いかけながら、朔也はやれやれと肩をすくめた。 「陽生、お前は本当に芦屋のことになると人が変わるな……」 「お前だって、天沢に何かあったら放っておけないだろ?」 「そりゃまあ、当然そうだけどさ」 二人は一気に一階まで階段を駆け降りると、全力で廊下を走る。各クラスから漏れ出してくる話し声に混じるようにして、上履きの底が奏でる靴音が響いた。 渡り廊下を駆け抜けると、陽生は体育館の扉を開いた。「――芦屋!」茉莉の名前を叫びながら、陽生は体育館の中へと飛び込んでいく。その場にいた全員の視線が陽生へと向けられた。 「――さっくん! 貴嶋くん!」 心羽の声が響く。彼女はステージの上で、茉莉を庇うようにして瑠音と対
「茉莉ー、また糸からまっちゃったあ」 人気のない多目的室に心羽の情けない声が響いた。見せて、と茉莉は作業の手を止めると、心羽の手元を覗き込む。 多目的室にいるのは文化祭実行委員の陽生と茉莉、陽生たちのクラスの出し物係である朔也と心羽だけだった。朔也と心羽は新学期になってから陽生たちの手伝いとして多目的室に入り浸るようになっていたが、気がつけば半分自分たちのクラスの作業部屋と化していた。他の実行委員たちが陽生と茉莉に準備を押し付けて、ろくに顔を出さないからこそ成し得たことだった。 陽生はぺたぺたとハケでベニヤ板にペンキを塗っていく。朔也は陽生の作業を横から覗き込むと、うわっと声を上げた。 「何お前その超前衛的なカラーリング」 「洒落ていると言えよ」 「いやでも、その蛍光ピンクはマジでないわ。何で蛍光ピンク?」 「今年のテーマに沿って、桜姫のイメージで……」 陽生がそう答えると、朔也は芦屋ー! と叫んだ。 「芦屋、陽生ほったらかしにしたらやばいって! 看板すげーことになりかけてるから! 早く止めてこい!」 心羽の代わりに魔法少女の衣装を縫っていた茉莉は布と針をその場に置くと、陽生のそばへと戻る。あの形のまま、茉莉の口が固まる。 「……貴嶋くん、ちょっとこれ、真っ白に塗りつぶしてやり直そう?」 「芦屋、何でだ? 今年のテーマに沿ったカラーリングだと思ったんだけど……」 「なんていうか……ちょっと独特すぎるかな。文化祭には地域の人とかもたくさん来るんだから、もう少し万人受けする感じにしないと」 「……」 憮然として陽生は黙り込んだ。そんな彼をよそに、茉莉は塗り掛けのベニヤ板とペンキの缶をどけて、作業スペースを確保していく。ついでに窓を開けるとペンキの匂いが充満した部屋を彼女は換気する。 「看板の塗り直しはペンキが乾いてからじゃないとできないから、今日はきらりん作りしよう。校内のいろんなところに飾るから、量が必要なの」 そう言うと、茉莉は積まれた段ボールの中から、黄色の画用紙の束を取り出した。床に転がっていたハサミを拾い上げると、茉莉はそれを陽生に渡す。 「……なあ、芦屋」 教卓の中から出してきたハサミで画用紙を切る茉莉へと、陽生は話しかける。何、と彼女は作業の手を止めないまま応じた。 「お前、大変じゃねえの? 実行委







