ANMELDEN「なあ、陽生。オレ、考えたんだけどさ……未来のお前からのメッセージの件、心羽ちゃんに話しちゃダメか?」
「天沢に?」 夏休みまで一週間を切ったある日の昼休み、朔也と弁当を食べていた陽生は箸を止めた。自分で眉間に皺が寄るのを感じる。彼女も今や、自分にとって友達と言って差し支えのない相手ではあるが、こんな荒唐無稽な話を信じるだろうか。 「心羽ちゃんがさ、芦屋と佐倉のこと気にしてるんだよ。どうしても芦屋が幸せに見えない。どうにかしてあげたいって」 心羽の目にも彼らの関係性は異常に映っているということか。確かに茉莉を瑠音から守るためなら、心羽にも事情を打ち明けてしまったほうがいいのかもしれない。 「心羽ちゃんだけじゃなく、オレもあの二人はおかしいって思ってるよ。……それでさ、心羽ちゃんにも協力してもらって、四人でいる時間を増やさないか? もうすぐ夏休みだ、どうにかして芦屋を佐倉から引き剥がす口実を作らないと」 そういうことなら、と躊躇いながらも陽生は頷いた。一ヶ月以上もある夏休みの間に茉莉が瑠音に傷つけられるような機会は少しでも減らすべきだ。 じゃあ決まりな、とにっと笑うと朔也はじゃれ合う茉莉と心羽のほうへと視線を向ける。朔也の視線に気づいた心羽はふいにこちらを振り返ると、小さく頷いた。「ごめん茉莉ー、心羽、先生に呼ばれてるの忘れてたあ」心羽は茉莉の身体から腕を解くと、踵を返して教室を出ていった。 「そういうわけだから、さっさと心羽ちゃん追いかけて話してきてくれ。お前の弁当はオレが食っとくから安心しろ。……お、今日、生姜焼きじゃんラッキー」 「勝手に食うな、っていうかお前さっきパン三つ食ってただろ。――それより、おれが外している間、芦屋を頼む」 「卵焼きひとつで承った。何か適当に駄弁っとく」 頼んだ、と念を押すと、陽生は席を立ち、先に教室を出ていった心羽を追った。一年生の教室の前を順に通り過ぎ、視聴覚室に差し掛かったとき、見慣れたお団子ヘアの女子の姿が見えた。――心羽だ。 「――天沢」 視聴覚室に足を踏み入れると、陽生は彼女に声をかけた。貴嶋くん、と彼女は振り返ると陽生の名を呼ぶ。 「何か話があるらしいって、さっくんから聞いてるんだけど。――茉莉に関することで」 「ああ……うん」 本当に心羽はこんな話を信じるだろうか。言葉を濁しながら、陽生は手近な机の天板の上に行儀悪く腰を下ろす。 「貴嶋くんは変な嘘はつかないって、さっくん言ってた。だから、貴嶋くんが何を言っても、心羽も信じるよ。心羽はさっくんを信じてるから。――だから、話して」 心羽の真剣な眼差しが陽生に向けられる。わかった、と頷くと、ズボンのポケットから陽生はスマホを取り出した。メッセージアプリを立ち上げ、未来の自分とのチャット画面を開くと、心羽に見えるようにしてやる。 「天沢、まずはこれを見て欲しい」 「これは……貴嶋くん自身とのチャット? 相手がなりすましとかしてないのが前提だけど」 「ああ、それもそうなんだけど……送信日付のところ、見てくれるか?」 画面を覗き込む心羽の双眸が驚愕でまんまるに見開かれた。 「十年後からのメッセージ……?」 「そうだ。それも一方的に送られてくるだけのな」 「確かに、現在(いま)の貴嶋くんが送ったメッセージにはどれも既読がついてないね」 頷くと、陽生は人差し指を立てる。 「もうひとつ、重要なことがある。このメッセージに従って行動すると、必ず芦屋に遭遇するんだ。最初はおれもいたずらかウイルス感染か何かで届いたメッセージだと思ってたんだが……どうやら、未来のおれとやらは芦屋と佐倉をどうにかして引き離したいらしい」 「心羽は……信じるよ。茉莉が一人でどこかに行っちゃったとき、戻ってくるときは大体いつも貴嶋くんと一緒にいるし。茉莉の居場所を未来の貴嶋くんが教えてくれてたんだとしたなら、全部筋が通るもん。だから心羽は――現在(いま)の貴嶋くんのことも、未来の貴嶋くんのことも、信じるよ」 サンキュな、と陽生は天井を仰いだ。こんなに真っ正面から信じると言われるのは、何だかちょっと面映い。 「それで貴嶋くん。茉莉のこと、どうするつもりなの?」 「問題は夏休み、だよな。なるべくおれたち四人で会う口実が欲しいところだけど……」 「それならさ――」 心羽が何か言いかけたとき、ぶぶっとスマホが唸り、通知が画面に表示された。彼女はその内容を認めると、あーあと肩をすくめた。 「せっかく、心羽が言おうと思ってたのに。未来の貴嶋くんに先越されちゃった」 届いたメッセージの内容は、「文化祭実行委員に立候補しろ」。なんとも面倒臭そうな内容に陽生はげんなりする。文化祭なんて陽キャのイベントを楽しむ性質でもないというのに。 「茉莉が文化祭実行委員に立候補するつもりみたいだったから、少なくとも二人で学校で作業する口実は作れるよ。……ってそうじゃなくても、貴嶋くんは夏休みは学校で補習漬けなんだっけ。確か五教科くらい?」 「朔也のやつ、何を勝手にぺらぺらと……」 自分の期末テストの惨憺たる結果が心羽に筒抜けであることに、陽生は頭を抱えたくなった。 「でも、それもいい口実かもよ? 今回も茉莉がクラストップだったし、文化祭準備のついでに勉強教えてもらったらいいじゃん。じゃないと、夏休み明けの実力テスト、悲惨だよ?」 夏休みが明けてからも補習漬けになりそうな自分の未来に、陽生は深々と溜息をつく。茉莉はクラストップで、朔也は平均くらいだし、心羽だって赤点は全教科ぎりぎり回避している。どうして自分ばっかり。 「ていうか、天沢も芦屋に勉強教えてもらったらどうだ?」 「心羽はさっくんに教えてもらうからいいのー」 「ああそう……」 そのとき、スピーカーから予鈴が鳴り響いた。そろそろ教室に戻っておいた方がいい。 「天沢、戻るぞ」 陽生は机の上から降りると、視聴覚室を後にする。うん、と頷くと心羽も陽生の後に続く。 陽生と心羽が教室に戻ると、茉莉と朔也が話していた。朔也の言葉でくすくすと笑う茉莉を目にした陽生はなんとなく面白くない気分になる。 「あっ、心羽ちゃんおかえり。陽生も一緒だったのか」 白々しくそんなことを宣う朔也に陽生はじっとりとした視線を向ける。その上、陽生の弁当箱は教室を離れていた間に朔也によって空にされていて、溜息しか出てこなかった。 「なあなあ、心羽ちゃん、陽生。さっき、夏休みどこ行くー、って芦屋と話してたんだけど。海に花火大会、遊園地にバーベキュー、カラオケに水族館、ボウリングに夏祭り、いつどこに行くー?」 「多いな……」 陽生は脳内でお年玉貯金が溶けていく音を聞いた気がした。でも、茉莉を瑠音から引き離しておくには、これだけ連れ回してもまだ足りないくらいだ。 「心羽、この前本屋さんで『夏休み完全ガイド』みたいな雑誌見かけたよー! 今日、それ買って、帰りに駅前のファミレスかなんかで夏休みの予定決めようよー!」 「お、それいいな! さすが心羽ちゃん!」 いぇーい、と心羽と朔也はハイタッチを交わす。仲良いなこのバカップル。じっとりとした目でじゃれ合う二人を陽生は見やる。 茉莉はその二人の様子を羨ましそうに見ていたことに自分で気づいていなかった。――自分の心が、本当は何を求めているのかも。古語と英単語と数式と化学式と年号が頭の中で喧嘩している。朝からみっちりと詰め込まれた補習のせいで頭痛を覚えながら、陽生は三階の多目的教室へと足を運んでいた。せっかく文化祭実行委員に立候補したにもかかわらず、活動に参加できない日々が続いている。
「お疲れ様でーす」 陽生が多目的教室のドアを開けると、見慣れた少女が一人で黙々と書類に向かっていた。手近な机にリュックを下ろすと、陽生は彼女へと声をかける。 「あれ、芦屋? お前、一人なの? 先輩たちは?」 「貴嶋くん、補習お疲れさま。先輩たちはみんな、予備校あるとかで帰っちゃった」 「ならお前も帰ればいいじゃん。ほんっと真面目っつーか、融通きかねーっつーか」 「でも、この書類、今日中に先生に出さないといけないみたいだから……」 茉莉が淡く微笑む。その顔にはほのかに疲れが滲んでいた。はあ、と溜息をつくと、陽生はぽんと彼女の頭を撫でた。一瞬、茉莉は虚をつかれたように目を見開いたが、やがて、ふふっと嬉しそうな声を漏らした。 「ありがと、貴嶋くん。何か、ちょっと元気出たかも」 それはよかった、と陽生は茉莉の髪から手を離した。何となく離れていく温もりが名残惜しかった。――茉莉もそう思っていてくれればいいのに。 陽生と茉莉の視線がふいに交錯する。二つの視線は引力に惹かれ合うかのように絡まり合って離れてくれない。この切なげな表情が、透き通った眼差しが、自分だけに向けられるものであればよかったのに。 微かな吐息の音が、心臓の音が、時を刻む針の音が二人きりの世界にやけに大きく聞こえる。茉莉から漂う女子特有の甘い香りが鼻腔を撫でる。 ふいに誰かが階段を上がってくる音がして、陽生は我に返った。もう少しこのまま茉莉と二人でいたかったような気がして、陽生は自分たちの間に割り込んできた足音を恨めしく思った。 「おい、まだ誰か残ってるのかー?」 ほどなくして、先ほどまで補習で顔を合わせていた世界史の田山(たやま)が戸口から顔を覗かせた。そして、茉莉の顔を認めると、ああと得心したように彼は頷いた。 「一年の文化祭実行委員か。あんまり遅くならないようにな。っていうか、お前ら帰ってくれないと先生帰れないから」 「すみません……もうじき終わるので」 茉莉が田山に向かって小さく頭を下げる。田山は陽生に気がつくと、意外そうに片眉を上げた。 「あれ、貴嶋だったか。お前も文化祭実行委員だったのか? 五教科補習の身でよくやるなあ」 「おれも今になって後悔してるところですよ……」 身体が二つあれば、補習も文化祭の準備も充分にできるのだが、現実はそうもいかない。茉莉のためとはいえ、中途半端にしか準備に参加できていない現状が歯痒かった。――茉莉みたいにとまでは言わないが、せめて心羽くらいの成績だったなら、もっと茉莉と一緒にいられるのに。 「ところで貴嶋……もしかして、先生お邪魔? もしかしていいところだったりとかしてた? いやあ青春だなあ」 「……別にいいところでも悪いところでも何でもないです。それより、他の教室見回りしてきたらどうですか。書類は出来上がったら職員室持っていくんで」 恋愛するのは止めないけど節度を持てよ、などと余計なことを宣いながら、田山は去っていった。一体誰と誰が恋愛するというんだ。頭痛が増したような気がしながら、陽生は茉莉の手元の書類を覗き込む。 「芦屋、何か手伝おうか?」 「ううん、大丈夫。中学のとき生徒会やってたから、こういうの慣れてるし」 「芦屋、気づいてるか? 慣れてる、で済ませるのお前の悪い癖だぞ。誰かを頼れるところは誰かを頼れよ。な?」 何を、とまでは陽生は言わなかった。今ここで核心を突いて、彼女の儚げな笑みが崩れるのを見る勇気がなかった。――彼女は瑠音のあの振る舞いにも”慣れて”しまっているのだから。 「とはいえ、貴嶋くん、こういうの慣れてなさそうだしなあ。ちゃちゃっとわたしがやっちゃったほうが早い気がする」 「お前なあ……人が真面目な話してるのに……」 「大丈夫。ちゃんと貴嶋くんの気持ちは伝わってるよ。ありがとう」 「……え」 自分の言葉など、茉莉にはまったく響いていないのだと思っていた。彼女のことを誰かが心配しているという事実を本心では彼女はわかっていないのだと思っていた。――だからこそ、今の茉莉の言葉は少し意外だった。 「あとは提出前の最終チェックをするだけだから、ちょっと待ってて。貴嶋くん、補習漬けで疲れてるだろうし少し休んでてよ。それで、わたしの作業が終わったら、今日の補習でやったところ、一緒に復習しようか」 「そんなの今日じゃなくていいだろ。お前の作業終わったら帰ろうぜ」 「あのね、貴嶋くん。勉強は予習と復習が大事なの。わかる?」 「それはそうかもしれねえけど……お前も一日中文化祭実行委員の仕事してて疲れてるだろ」 「うーん、じゃあそうだなあ。わたし、疲れたから甘いものが食べたい気分かも。貴嶋くんの補習の復習終わったら、駅前のアイス屋さん行きたいな。今、ダブルがちょうど半額になってるの」 「わかった。それ奢ってやるから……悪いけど、少しだけ勉強付き合ってくれ」 「もちろん」 結局茉莉の掌の上でいいように転がされただけなような気がして、陽生は溜息混じりに窓の外を見る。オレンジに染まり始めた空に陽炎が揺れていた。 茉莉のシャーペンがかりかりと藁半紙の上に文字を刻む音が聞こえる。書類に視線を落とすその横顔は今日も綺麗だった。窓から四月の柔らかな春の日差しが差し込んでいた。白いタキシードに身を包んだ陽生は、何かおかしなところはないかと、控え室の鏡を見ながらネクタイや髪をいじったりしていた。 今日の日を迎えるまでのことを思い起こすと、ふいに苦笑が漏れる。茉莉のドレスやブーケ選びに始まり、参列者の選定や席次の決定、式や披露宴で使う曲選びなどやることが盛りだくさんだったからだ。ここ数ヶ月の間、その準備に追われ、休日もろくに休めなかった。 (それもきっと……いつかいい思い出に変わるんだろうな。あのときは大変だったな、って笑って話せる日がきっと来る) 高校一年生の文化祭の日に付き合い始めてから今日まで、自分は茉莉とともに歩んできた。そして、この先の人生も彼女とともに歩んでいくつもりだ。――たとえ、いつか遠い未来に死が二人を別つことがあろうとも。 ふいに、こんこんと控え室の扉がノックされた。陽生はすっと居住まいを糺すと、どうぞと返した。 「茉莉様のお支度が整いました。――どうぞ、こちらへ」 はい、と答えた自分の声が歓喜に震えるのを陽生は感じた。陽生は式場のスタッフに連れられて、部屋を出る。一歩床を踏み締める度に、胸が期待で溢れていく。 「――茉莉様。陽生様をお連れいたしました」 アップスタイルにまとめた髪の上でふわふわと靡くヴェール。レースが何枚も重なり合い、繊細な刺繍が施されたドレスの裾はAライン状に大きく広がっている。それでいて、胸元はすっきりとまとめられ、清楚な美しさが引き立てられている。 式場の入り口の前にウエディングドレス姿の茉莉が父親と共に立っていた。吹き抜けの天井から差し込む日差しを浴びて佇む彼女は、まるで絵画の中から抜け出してきたかのようだった。その美しさに陽生の目は釘付けとなる。 「茉莉――綺麗だ」 そんな言葉が思わず口をついて出た。くす、と茉莉は嬉しそうに笑みを溢す。 「陽生くんもとっても素敵。よく似合ってるよ」 「……まあ、馬子にも衣装って言うからな」 「もう、照れちゃって。素直になれないところはいつになったら治るのかな」 「うるせえ。言ってろ」 陽生が緊張しのぎに軽口を叩いていると、茉莉のそばに立つ彼女の父親が彼の名を呼んだ。陽生は軽口をひっこめると、神妙な面持ちで茉莉の父親へと向き直る。 「――はい」 「陽生さん。娘を
「まったく実行委員長の奴……おれたちに後処理押し付けて美味しいところだけ持っていきやがって……」 十月の空は紺青に色を変え、校庭では後夜祭が始まっていた。実行委員長が表彰を行なう声が窓の外から聞こえてくる。優秀賞、最優秀賞、と該当のクラスが呼ばれる度に歓声が上がる。 陽生と茉莉は多目的室で文化祭の後処理に奔走していた。一般公開時間が終わってから、出し物の内容について後申請してきたクラスが山ほどあったからだ。 「貴嶋くん、SJ放送へのお礼メール終わったよ。そっちの申請書捌くの手伝おうか?」 「わりぃ、頼む……」 陽生は申請書の束を半分、茉莉へと渡した。彼女はブレザーの胸ポケットからシャーペンを抜くと、申請書に目を走らせ始める。 「ねえ、貴嶋くん。文化祭、楽しかったね」 「お前にとっては色々あっただろうけど……楽しかったんだったらよかったよ」 「……うん」 ドン、と音が響き、窓の外の空に光の花が咲いた。陽生は席を立つと、多目的室の電気を消す。 「……貴嶋くん? どうしたの、電気なんて消して」 「このほうが綺麗に見えるだろ、花火。まだやることたくさんあるけど、花火くらいは見ようぜ」 そうだね、と茉莉は微笑むと、シャーペンを置いた。そして、席を立つと彼女は窓辺へと歩いていく。 窓の外を眺める茉莉の隣に陽生は立つ。そして、なあ、と彼は緊張で掠れた声でこう言った。 「――芦屋。前にも言った通り、おれはお前のことが好きだ。もし、お前の気持ちが変わっていないなら、これからもおれと一緒にいてくれないか。――付き合おう、茉莉」 「貴嶋くん……」 茉莉は目を見開くと、陽生を見つめた。暗い教室の中で視線が絡まり合う。 「佐倉と別れたばっかりだっていうのもわかってる。おれは不器用で、こういうことも初めてだから、お前のことを傷つけない保証もない。だけど……お前が笑っていられるように、努力はしたい。こんなに危なっかしくて、放っておけなくて、可愛くて――大事な奴は他にはいねえから」 「わたしで……いいの?」 「お前だからいいんだよ――茉莉」 戸惑う茉莉に陽生は真正面からそう言った。茉莉の目が揺れる。やがて、彼女は心を決めたのか、小さく息を吐いた。 「わたしも、貴嶋くんの――陽生くんの、そばにいたい。一緒にいたい。これから未来(さき)を一緒
「なあ、芦屋。おれたちのシフトって、確かこのまま休憩だったよな。何か軽く見ていかねえか?」 瑠音たちのステージが終わり、取材に来ていたSJ放送のスタッフを見送った後、陽生はそう茉莉に声をかけた。いいよ、と茉莉は微笑んだ。 「どこのクラスがどんなことをしてるのかも確認したかったし。申請書の内容だけじゃわからないことも多いから」 「お前、本当に真面目だよな……」 休憩時間くらい肩の力を抜けばいいのに。そう思いながら、陽生は溜息をついた。束の間の間だけでも、お遊びめいたデートを茉莉と楽しみたかった。 校門から戻ってきた陽生たちは校庭の方へと足を向けた。文化祭実行委員会に提出された書類によれば、校庭では各クラスや部活動有志による飲食系の屋台が出ているはずだった。 「……」 校庭をぐるりと見回すと、陽生は頭が痛いと言わんばかりにこめかみを押さえた。なんだこれは。揃いも揃ってトンチキな屋台しかない。 暗雲わたあめだとか海賊が作った山賊焼なんていうのはまだ序の口だ。チョコきゅうりだとか桜姫が愛したタピオカコーンポタージュなどという、正気を疑いたくなるものもある。恋するフォーチュンたこやきに至っては、異物混入がないかどうか、文化祭実行委員として心配になってくる。 「芦屋……これ、どっから突っ込んだらいいと思う?」 「突っ込むも何も、文化祭実行委員なのに貴嶋くん知らなかったの? この学校の文化祭の出し物は、伝統的に変わり種が多いんだよ」 「変わり種って……とりあえず、チョコときゅうりって合うのか? しかも、ミルクとホワイトとビターから選べるとか無駄に凝ってるし……」 「きゅうり自体がそんなに主張が強い野菜じゃないから、意外と大丈夫なんじゃないかな?」 「だとしても……何でこんな企画通したんだよ……」 「だって、きゅうりは桜島市の特産品でしょ? 今回のコンセプト的に、地産地消ができるのはいいことだと思うけど」 きょとんとして茉莉は陽生の顔を見上げた。優等生め、と思わず陽生は毒づいた。 「じゃあ桜姫が愛したタピオカコーンポタージュっていうのはどうなんだよ? 桜姫の時代にタピオカもコーンポタージュもねえだろ」 「どうだろう? 桜姫は舶来品が好きだったし、城下町を潤すために南蛮貿易を先頭に立って旗振りしてたって記録が残っていたから、案外近いもの
どうしてこうなったんだ。茉莉が縫ってくれたピンク色の魔法少女の衣装に身を包んで、陽生は呆然と立ち尽くした。 彼女持ちの男子たちがこぞって女子を裏方仕事に回したせいで、文字通りの正しい意味での魔法”少女”は数人しかいない。魔法少女姿を他の男の目に晒すくらいならと、漢気を見せた女装姿の男子たちばかりが教室内を動き回っている。 頭頂部を彩る大きなリボン。胸元にも同じ色のリボンがあしらわれ、袖は大きく膨らんでいる。パニエを何枚重ねにもして、膨らませた衣装の裾にはフリルがこれでもかというくらいに縫い付けられている。そんな愛らしいスカートの裾の下から覗いているのはすね毛まみれの男子の足ばかりで、ここが地獄かと陽生はうんざりとしていた。 「まじかる☆さくや、お客様ご案内ー! あなたのハートをごりごりずどーん!」 他校の制服姿の女子二人組がやってくると、水色の魔法少女の衣装に身を包んだ朔也が画用紙で作ったステッキをハートの形に振ってみせた。客の女子二人は爆笑しながらスマホを取り出すと、ノリノリで決めポーズを取る朔也を撮影する。 「ごりごりずどーんって……」 確か自分たちのクラスは魔法少女カフェであって、間違っても工事現場とかの類ではなかったはずだ。台詞の前半はコンセプトを考えれば辛うじて理解できるが、後半の物騒な擬音は何なんだ。 この謎のセリフを考案したのはノリノリで接客している、クラスの出し物係でもある朔也だ。普段はセンスのいい彼が、どうして今回に限ってはそのセンスの良さを発揮できなかったのか謎すぎる。 担任の岸野が金と銀の魔法少女衣装で呼び込みをしているのが功を奏したのか、客足は途絶えることはない。ひっきりなしにまじかるなんとかという延べ口上が教室内に響き渡っている。――但し、声変わり後の男子高校生の低音ボイスで。 「魔法少女まじかる☆さくや、愛と希望とオレンジジュースをおっとどけー!」 朔也は裏方仕事をしている女子からオレンジジュースの乗ったトレイを受け取ると、そんなことを宣いながらくるりと回ってみせる。ふわりとスカートの裾が広がり、朔也はウィンクを決めた。 ふいに客と思しきこの学校の制服姿の女子が戸口に姿を現した。他の男子たちは接客をしているか、グロッキーな目でキラキラとしたモールのぶら下がる天井を見つめているかしている。自分が行く
西の空を染める残照を見つめながら、陽生は朔也とともに校舎の屋上から垂れ幕を吊るしていた。屋上のフェンスに紐を結わえながら、随分日が落ちるのも早くなったものだと陽生は感じていた。 明日はもう文化祭当日だ。どこからか金木犀が香り、頬を撫でる夕風は秋の冷涼さを帯び始めている。空の端に残る朱色には夏の烈しさはもう残されてはいない。 そのとき、ずるりと垂れ幕の逆の端が重力に従って、下がるのを感じた。陽生は朔也を振り返ると、文句を口にする。 「おい、朔也。ちゃんと支えとけよ。そっちだけ下がってるじゃねえか」 「ごめんって。ちょっと心羽ちゃんから通話きたから出るわ」 朔也は悪びれたふうもなくスマホを取り出すと、もしもしと通話に応じる。「さっくん、今すぐ来て!」離れた位置にいる陽生の耳にも届くほどの音量で切迫した心羽の声が朔也のスピーカーを劈いた。陽生と朔也は思わず顔を見合わせる。 「心羽ちゃん、どうしたんだ?」 朔也が聞くと、スピーカーの向こう側で心羽が早口に何かを説明する。わかった、と朔也は通話を切る。 「陽生、体育館行くぞ。心羽ちゃんが言うには、体育館ステージのリハでトラブルがあって、芦屋が佐倉に因縁つけられてるって」 なんだって、と陽生は顔色を変える。設置途中の垂れ幕を放り出すと、彼は踵を返した。 「朔也、早く来い!」 そう叫ぶと、陽生は錆びかけた屋上の扉を押し開ける。ズボンのポケットの中でスマホが震えた。おそらく、未来の自分が先ほどの心羽と同じ用件でメッセージを送ってきたに違いない。階段を足早に駆け降りていく彼の背中を追いかけながら、朔也はやれやれと肩をすくめた。 「陽生、お前は本当に芦屋のことになると人が変わるな……」 「お前だって、天沢に何かあったら放っておけないだろ?」 「そりゃまあ、当然そうだけどさ」 二人は一気に一階まで階段を駆け降りると、全力で廊下を走る。各クラスから漏れ出してくる話し声に混じるようにして、上履きの底が奏でる靴音が響いた。 渡り廊下を駆け抜けると、陽生は体育館の扉を開いた。「――芦屋!」茉莉の名前を叫びながら、陽生は体育館の中へと飛び込んでいく。その場にいた全員の視線が陽生へと向けられた。 「――さっくん! 貴嶋くん!」 心羽の声が響く。彼女はステージの上で、茉莉を庇うようにして瑠音と対
「茉莉ー、また糸からまっちゃったあ」 人気のない多目的室に心羽の情けない声が響いた。見せて、と茉莉は作業の手を止めると、心羽の手元を覗き込む。 多目的室にいるのは文化祭実行委員の陽生と茉莉、陽生たちのクラスの出し物係である朔也と心羽だけだった。朔也と心羽は新学期になってから陽生たちの手伝いとして多目的室に入り浸るようになっていたが、気がつけば半分自分たちのクラスの作業部屋と化していた。他の実行委員たちが陽生と茉莉に準備を押し付けて、ろくに顔を出さないからこそ成し得たことだった。 陽生はぺたぺたとハケでベニヤ板にペンキを塗っていく。朔也は陽生の作業を横から覗き込むと、うわっと声を上げた。 「何お前その超前衛的なカラーリング」 「洒落ていると言えよ」 「いやでも、その蛍光ピンクはマジでないわ。何で蛍光ピンク?」 「今年のテーマに沿って、桜姫のイメージで……」 陽生がそう答えると、朔也は芦屋ー! と叫んだ。 「芦屋、陽生ほったらかしにしたらやばいって! 看板すげーことになりかけてるから! 早く止めてこい!」 心羽の代わりに魔法少女の衣装を縫っていた茉莉は布と針をその場に置くと、陽生のそばへと戻る。あの形のまま、茉莉の口が固まる。 「……貴嶋くん、ちょっとこれ、真っ白に塗りつぶしてやり直そう?」 「芦屋、何でだ? 今年のテーマに沿ったカラーリングだと思ったんだけど……」 「なんていうか……ちょっと独特すぎるかな。文化祭には地域の人とかもたくさん来るんだから、もう少し万人受けする感じにしないと」 「……」 憮然として陽生は黙り込んだ。そんな彼をよそに、茉莉は塗り掛けのベニヤ板とペンキの缶をどけて、作業スペースを確保していく。ついでに窓を開けるとペンキの匂いが充満した部屋を彼女は換気する。 「看板の塗り直しはペンキが乾いてからじゃないとできないから、今日はきらりん作りしよう。校内のいろんなところに飾るから、量が必要なの」 そう言うと、茉莉は積まれた段ボールの中から、黄色の画用紙の束を取り出した。床に転がっていたハサミを拾い上げると、茉莉はそれを陽生に渡す。 「……なあ、芦屋」 教卓の中から出してきたハサミで画用紙を切る茉莉へと、陽生は話しかける。何、と彼女は作業の手を止めないまま応じた。 「お前、大変じゃねえの? 実行委







