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第二章:青い春と早い夏のあいだで④

Penulis: 七森香歌
last update Tanggal publikasi: 2026-08-18 08:09:33

「いやー、スウェーデンリレーのときの陽生すごかったなー!」

 午前の部が終わり、グラウンドで四人で弁当を食べていると、朔也がそう言った。彼は陽生に耳を寄せるとこんなことを宣った。

「何ー、陽生は芦屋のために本気出しちゃった感じ?」

「そんなんじゃねえよ。くっつくな。汗臭い」

「えー、さっき制汗剤したのに?」

 えーじゃねえ、と陽生は嫌そうに朔也を引き剥がす。何で男にくっつかれなければいけないんだ。別に茉莉ならいいとかそんなことは考えていないけれども。それにしても、と心羽は陽生を見る。

「貴嶋くん、普段から体育の授業でも本気出せばいいのに。もったいなあい」

「あのな、天沢、さっきみたいに運動部の勧誘が死ぬほど来るのわかってるから、おれは普段は適当にやりすごしてんの。せっかくの高校生活、汗まみれの泥まみれになるくらいなら、悠々自適にだらだら過ごしてえの、おれは」

「貴嶋くん、何その高校生っぽくない台詞」

 茉莉がくすっと笑った。午前中よりはだいぶ顔色が良くなり、箸の進みは良くないとはいえ食事も取れている。

「あ、そういえば、芦屋に渡すもんがあるんだった」

 陽生は箸を置くと、リュックの中から近くのコンビニのロゴが入ったビニール袋を取り出した。ほら、と明後日の方向に視線を逸らしながら、陽生はそれを茉莉に押し付ける。

「あ……貴嶋くん、ありがとう。……これは?」

 茉莉は袋の中身をレジャーシートの上へと広げていく。塩飴に一リットルのスポドリのペットボトル。冷却シートに冷感タオル。ネッククーラーに冷感スプレー。

「陽生……芦屋の体調が心配なのはわかるけど、お前は芦屋のオカンか」

 呆れたように朔也は肩をすくめた。オカンじゃねえよ、とぶっきらぼうに陽生は反論する。

「貴嶋くん、こんなにどうしたの? それにこんなにもらえないよ、お金払うよ」

「さっき、学校抜け出してそこのコンビニ行ってきた。それにまあ……これは要するにおれの自己満足だ、黙って受け取っととけ」

「何ていうか、貴嶋くんって素直じゃないよねえ。普通に茉莉が心配だって言えばよくない?」

「心羽ちゃん、そこは陽生も思春期だから……素直になれないお年頃っていうのがあるんだよ」

「うるせえぞそこ二人」

 こそこそと話す心羽と朔也に半眼で陽生は突っ込んだ。善意の押し売りをしておいて、心配だなんてどの口が言えるんだ。

「あっ、そろそろ行かなきゃ。午後イチの競技出るんだった」

 そう言うと弁当箱をバッグに片付け、心羽は立ち上がった。それじゃまた後で、と彼女は踵を返した。校舎の時計は十二時五十分を指している。

「なあ、午後イチの競技って何だっけ?」

「さあ……芦屋、体育祭のプログラム持ってねえか?」

 あるよ、と茉莉はバッグの中からきちんと折り畳まれた体育祭のプログラムを取り出して開いた。陽生と朔也は逆側からそれを覗き込む。

「「「借り物競走……」」」

 三人は互いに顔を見合わせた。この学校の借り物競走は無理難題を課してくることで有名だ。

「心羽は一体何を借りることになるのかな……?」

「だよなあ。理科室の骨格標本の左腕とかだったらまだマシだけど……」

「ああ、過去にはトイレの花子さんを連れてこいなんてお題が出たこともあるって聞くしな……」

「校長室の盆栽くらいで済むといいね……」

 三人は心羽が借りるものが無難なものであるようにと祈る。そんな三人の願いをよそに、テンション高く放送部のアナウンスの声が響く。

「まもなく、プログラムナンバー十三番、借り物競走が始まります! 選手の皆さんはスタートラインについてください! 今年はお題にどんなものが飛び出すのか、乞うご期待!」

 髪の毛にハチマキを編み込んだ心羽がスタートラインに立っているのが遠目に見えた。彼女はこちらの視線に気づくと手を振る。「心羽ちゃん、頑張れー!」手を振り返しながらそう叫ぶ朔也を陽生は少し羨ましく思った。――だって、自分にはそんなことは絶対にできないから。

 校舎の時計が十三時を指し示すと、ピィーっとホイッスルが雲を切り裂いて鳴り響いた。借り物競走に参加している生徒たちは五十メートル先にあるテーブルを目指して走り出す。

 二番目にテーブルに辿り着いた心羽は目の前にあったカードを引いた。そして、カードに書かれた内容を確認した心羽は――心臓がどくりと鳴るのを感じた。

(べ、別にこんなのただの余興だし……相手なんて誰でもいいんだけど……でも、心羽は――)

 その言葉から連想されるのは明るい笑顔のあの人。邪険にしても、懲りずに絡んでくる、あの人。軽そうな言動とは裏腹に、友達想いで優しいあの人を――選びたい。

「……あれ? 何か心羽ちゃん、こっち来てないか?」

 心羽がトラックを横切ってこちらに近づいてきていることに真っ先に気がついたのは朔也だった。「どうしたんだろうな?」「わたしたちで貸せるものならいいんだけど……」陽生と茉莉も顔を見合わせる。

「氷上くん……心羽と一緒に来て」

 そう言った心羽の顔はいつになく真剣だった。一体何を引いたんだ、と朔也は心羽の手からカードを奪い取った。朔也の目が見開かれていく。

「いいの? オレで」

「心羽は氷上くんがいいと思ったの。――それで、一緒に来てくれる?」

「いいよ。だけど、これが終わったらオレの話を聞いてくれる?」

 わかった、と心羽は頷いた。それじゃ行くか、と朔也は立ち上がると、心羽の手を引いて走り出した。

「……天沢は一体何を引いて、朔也を連れていったんだ? 一番新しい友達とか?」

「すぐにわかると思うよ。……それにしても、貴嶋くんって鈍感だよね」

 悪かったな、と憮然として陽生は言い返す。ゴールへ辿り着いた心羽と朔也はカードを判定係の教師へと渡す。放送部のアナウンスが響き、先ほどの陽生の疑問への答えが明かされる。

「おっ、A組早くもゴールか!? お題は何と、『好きな人』!? 今年も体育祭カップルの誕生か!?」

 ヒューヒューと二人を囃し立てる声がグラウンドに響き渡る。朔也は観衆に見せつけるように、心羽をお姫様抱っこしてみせる。沸き立つ全校生徒たちをよそに、唖然として陽生は茉莉へと耳打ちした。

「なあ、朔也が天沢好きなのは知ってたけど、天沢もだったの? おれらの知らないところであいつらデキてたの?」

「そういうところが貴嶋くんは鈍感なんだよ。ちょっと前からあの二人は両想いだったよ。ただ、前に進むきっかけがなかっただけ」

「あっ、そう……」

 朔也に彼女。そう思うと何だか陽生は置いていかれた気分だった。気の置けない親友はいつまでも一緒にふざけ合ってつるむ仲のままだと思っていたのに、朔也は確実に大人への道を進んでいる。

 陽生は茉莉にちらりと視線をやる。彼女にはあんなのとはいえ彼氏がいるし、仲間内で恋人がいないのは自分だけになってしまった。

「ねえ、貴嶋くんは好きな人とかいないの?」

「どうせ、おれは初恋もまだなお子様だよ……」

「もう、何で拗ねてるの。――じゃあ、好みのタイプは?」

 髪が長くて、危なっかしくて、放っておけなくて。優等生なのにサボりぐせがあって。意外と変な飲み物が好きで、可愛くて。

「ねえよ、そんなこと考えたこともない」

 その特徴を満たす人物が誰であるか答えを出したくなくて、陽生はそう言った。――自分にそう言い聞かせたかったのかもしれない。

「まあ、そういうことにしておいてあげる――今は」

「今はって何だ、今はって」

 陽生の視界ではD組の生徒が重そうに体育倉庫の扉を引き摺りながらゴールを目指していた。一体あれ、どうやって持ってきたんだ。

 ブォォォンとエンジンを吹かしながら、陽生でも車種のわかるスーパーカーがグラウンドへと姿を現した。この学校の借り物競走ははちゃめちゃだと聞いていたが、本当に前評判通りだったなと陽生は肩をすくめる。

 見て、と茉莉が体育館の方から走ってきたB組の生徒を指さす。その生徒は体育館のステージの緞帳を引きずっていた。あんなに砂まみれにしてしまって、クリーニングとかできるのか、あれ。

 ふいに茉莉の肩が陽生の二の腕に触れる。柄にもなく、この温もりがずっとここにあればいいのにと陽生は思ってしまった。――未だ、その感情の正体を知ることはなく。

 体育祭で陽生たちA組は優勝という戦績を勝ち取り、担任の岸野の奢りでファミレスを貸し切った打ち上げを行なっていた。ジュースで乾杯を済ませるなり、朔也は口火を切った。

「それでさ、陽生と芦屋に報告があるんだけど」

「朔也、よかったな。わざわざ報告されなくても、内容はさすがに想像つくぞ」

「そう言わずに聞いてって。っていうか、オレが言いたい」

 はいはい、と陽生は受け流す。すると、朔也はジュースのグラスを手に立ち上がると、大声でこう宣言した。

「オレと心羽ちゃん、付き合うことになりましたー! オレ、心羽ちゃん大好きだから超大事にしちゃうー!」

「ちょっと、さっくん、恥ずかしいよ」

 朔也の横に座った心羽が、彼のワイシャツの袖を引っ張った。というか、さっくんとは一体。

「うるせえぞバカップルー! 末長く爆発しろー!」

 他の席のクラスメイトたちから野次が飛んでくる。そうだそうだと同意する声が響く。何だか聞いているこっちが恥ずかしくなってくる。

「こらお前ら静かにしろ、店に迷惑だ! 氷上も浮かれるのも大概にしろ! あと、今言った言葉絶対守れよ!」

 ぎゃあぎゃあと喧しい店内に岸野きしのの怒号が響く。「先生が一番うるさいと思いまーす」「そう思いまーす」クラスメイトが口々に反論する。「静かにしないと奢らねえぞ!」何だかもうはちゃめちゃ過ぎて頭が痛くなりそうだ。陽生は真っ暗な窓の外に視線をやりながら、アイスコーヒーを啜る。――窓ガラスに映った茉莉と視線が交錯して、一瞬、どきりと心臓が跳ねた。

「……えっと、芦屋。何見てんの?」

「何でもないよ。後は貴嶋くんが誰か好きな人見つけて幸せになれたらいいなあって思ってただけ」

「……」

 お前が言うな、とは陽生には言えなかった。端から見て、茉莉はどう考えても健全とは言い難い恋愛をしているが、彼女自身がそれに疑問を覚えていない時点で何をどう伝えればいいのかわからなかった。

(芦屋のこと、どうにかしてやりてえな……)

 未来の自分は茉莉に関して何かとメッセージを送ってくるが、肝心なことは何も教えてくれない。それが歯痒くて仕方がなかった。

「とりあえず、芦屋。スープバー行ってきたらどうだ?」

「スープバー? 何で?」

「熱中症の後には水分とビタミンとミネラルが不足しがちなんだよ。そういうのは野菜スープで大概解決できる」

「貴嶋くんって、何故か家庭科だけは詳しいよね……」

 確かに、と心羽も同意する。おいちょっと、と不満そうに朔也が唇を尖らせる。くすくすと笑いながら、茉莉は席を立った。

 今の自分が茉莉のためにしてやれるのはそのくらいのことしかない。けれど、今はこうやってできることを少しずつ積み重ねていくほかなかった。

 いつか、彼女が自分を卑下することなく、心から笑えるようになるといい。ハーフアップに結った髪が翻る、華奢なニットカーディガンの背を見送りながら、陽生はそう思った。

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