LOGINこの件に関しては、確かにすべてをすみれのせいにはできない。欲に目がくらみ、奏と親子関係を認めてもらおうとしたからこそ、彼女はすみれに利用される隙を与えてしまった。「今、私があなたの会社の代表になってるのよね。一体それで何をするつもり?」悦子の体は小刻みに震えている。「私……刑務所に入ることになるの?」「それはあなたの息子次第ね」すみれは楽しそうに笑う。「しっかり息子にすがりついていれば、何も起きないわ。でも見捨てられたら……その時は終わりね」そう言い残し、電話は一方的に切れる。ツーツーという無機質な音が耳に残る中、悦子の足元がぐらりと崩れる。壁に手をついて、どうにか体勢を保つ。奏にはすでにブロックされている。あの人が自分を助けるはずがない。C市。とわこのスマートフォンが鳴る。蓮はてっきり奏からの電話だと思い、顔色が一気に冷え込む。母はさっき手術を終え、まだ麻酔から目覚めていない。彼はスマホを手に取り、画面に表示された名前を見る。悦子。一瞬考えたあと、そのまま電話に出る。「とわこ、私やらかしたの!奏がもう相手にしてくれないの!お願い、助けて!どうしたらいいか分からないの、すごく怖い……すみれが、私もう刑務所行きだって……」頭が混乱しているのか、言葉も途切れ途切れになる。事情は分からない。ただ、母に助けを求めていると聞いた瞬間、蓮の眉が自然と寄る。母は今、病室のベッドで眠っている。誰にも邪魔させたくない。「母は対応できない」蓮は冷たく言い放つ。「用があるなら奏に連絡してくれ。母に迷惑をかけるな」その突き放すような声に、悦子は一瞬言葉を失う。「あなた……誰?」蓮はそれ以上話す気はなく、そのまま通話を切る。切られたあとで、悦子はようやく気づく。あの冷え切った声。蓮だ。奏にそっくりな、あの無機質な少年。とわこがわざと電話を蓮に取らせたのか。自分に関わりたくないから、あえてそうしたのではないか。そう考えた瞬間、逃げ場のない暗闇に突き落とされたような気分になる。蓮は病床の母に視線を向ける。とわこはまだ麻酔が効いていて、穏やかに眠っている。彼はスマホを開き、A市のニュースを検索する。しかし関連する情報は出てこない。病室を出て、マイクに電話をかける。「母さんと旅行中じゃ
悦子は奏からの電話を受け、意外に思いながらも、胸の奥がぱっと明るくなる。「奏……」口を開いた瞬間、奏の冷たい声がそれを遮る。「その名前で呼ぶな!」何が起きているのか分からない。ただ、彼が激しく怒っていることだけははっきり伝わる。「どうしたの?私、何か悪いことした?」「今、自分が金城技術の代表になってるって知ってるのか?」奏は彼女の戸惑いと無垢な口調を聞き、深く息を吸う。一郎の言う通りかもしれない。悦子は本当に何も知らない可能性が高い。すみれは狐みたいにずる賢い女だ。人を騙す手口なんていくらでも持っている。「奏、何を言ってるの?全然分からない。でも本当のことは言うね……前に金城技術で清掃の仕事をしてたの」ただ事ではないと察し、悦子はすべてを打ち明ける。「去年、すみれに書類にサインしてって言われて……その書類、ちゃんと読んでなくて……」「ちゃんと読んでないのにサインしたのか!」奏の怒声が一気に爆発する。「私……字があまり読めないの。彼女が言うには、海外の会社を一時的に私名義にして、その代わりにいくらかお金をくれるって……」そのとき何を言われたのか、もうはっきり思い出せない。ただ、2億円と都心の一戸建てをくれると言われたことだけは覚えている。けれど、それを口にする勇気はない。奏に知られたら、さらに怒りを買うのは目に見えている。「もうすみれと手を組んでるなら、そのまま最後まで付き合え」そう言い捨て、奏は電話を切る。年明け前、彼は一度だけ悦子と会っている。そのとき彼女は一言もこんな話をしなかった。それなのに正月が明けた途端、こんなとんでもない話が表に出る。皮肉すぎる展開だ。通話を切られたまま、悦子は呆然と立ち尽くす。こんな大事になると分かっていたら、あの書類にサインなんてするはずがない。全部、すみれのせいだ。完全に騙された。慌てて奏にかけ直す。しかし返ってくるのは冷たい機械音声だけ。「現在、この番号にはおつなぎできません」ブロックされている。奏が人をブロックすることは滅多にない。この番号を知っているのは、ごく近しい人間だけだ。それだけに、彼の失望は深い。最初から彼女は敵の側に立っていた。嘘にまみれ、誤魔化し続けてきた。素朴そうな仮面に、彼は完全に騙されていた。胸がざわつ
「それは分からない。でもそんなに悲観しないで。これから気をつければ大丈夫だから」とわこはそう言って、蓮をなだめる。A市。奏が社員たちにボーナスを配り終えたころには、すでに正午を過ぎている。一郎が昼食に誘うが、奏はスマホを見たまま反応しない。「何見てるんだ。奥さんからメッセージでも来てるのか」一郎はそう言いながら、ちらりと画面をのぞく。とわこから確かにメッセージが届いている。C市に到着したときの無事報告だ。さらに二人のツーショットも添えられている。写真の中で、とわこはにこやかに笑っているが、蓮は無表情で別の方向を見ている。だが、そのメッセージの内容に、奏は少し機嫌が悪くなる。とわこはこう書いている。「ずっとメッセージ送ってると、蓮が機嫌悪くなるの。だからあまり連絡できないと思う。今回は蓮と過ごす時間を優先したい。帰ったらまたゆっくり話そうね」つまり、この旅行中は連絡を控えるということだ。それが面白くない。自分を置いていくだけでなく、連絡まで減らすつもりなのか。「この仏頂面、完全にお前そっくりだな」一郎は写真を見て笑う。「お前がキレてるとき、まさにこんな顔してる」奏はスマホをしまう。「俺のその性格は、とわこに矯正された。あいつは取り立てに来たんだろ」「ははは」一郎は笑いながら肩をすくめる。「まあいいじゃないか。ずっと勉強ばかりで休んでなかったんだし、少しは好きにさせてやれ」「分かってる」午後。奏は金城技術が提出した資料のコピーを受け取る。目を通している間、一郎は隣で電話をしている。細かい書類を見るより、関係者に直接聞いたほうが早い。「今回はかなり急いでるし、しかもやけに低調だ」電話の向こうの声が言う。「上からも、しっかり審査しろって指示が出てる。それに法人も変更されてるしな」「法人変更?」一郎は聞き返す。「いつの話だ」その一言に、奏の視線が向く。「送った資料に載ってるだろ。元はすみれ、今は木村悦子っていう女性に変わってる。年齢も上だし、どんな人物かは不明だ」その言葉を聞いた一郎は、すぐに奏のもとへ歩み寄る。奏も資料の中から該当箇所を見つける。変更後の法人は「木村悦子」その瞬間、バンッと音を立てて、スマホが机に叩きつけられる。「奏、これは利用されてる可能性が
「金城技術がアメリカで上場するつもりだ」一郎が口を開く。「申請書類はすでに証券監督委員会に提出されてる」奏は彼を見て、納得いかない様子で言う。「この前お前をアメリカに行かせたときは、そんな話まったく出てなかったはずだ。それがまだ十日も経ってないのに、もう全部準備済みってことか」さすがに動きが早すぎる。こう考えると、年末までは上場の話を意図的に隠していた可能性が高い。通常の手続きなら、なぜ隠す必要があるのか。この数日、水面下で何をしていたのか。「奏、とりあえず先に社員にボーナス配ろう」一郎は時間を確認する。「もう十時半だ。このままだと午前中に終わらない」……とわこは今日、蓮を連れて、A市に近い観光都市C市へ来ている。山も海もあり、景色のいい場所だ。だが目的は観光ではない。到着してすぐ、二人は病院へ向かう。とわこは自分のカルテを医師に渡す。医師はカルテと数日前の検査結果を確認し、追加検査を指示する。「とわこさん、どうしてわざわざこちらで治療を受けるんですか。A市のほうが医療レベルは高いはずですが」書類を書きながら、医師が尋ねる。「小さな手術なので、家族に心配をかけたくないんです」「なるほど。ただ、ご自身で手術はできませんからね。あなたにとっては小さくても、一般の医師にとっては決して軽い手術ではありません」医師は苦笑する。「入院が必要です。入院手続きを出しますので、まず検査を受けてください。息子さんは手続きをお願いします」入院が必要なことは分かっている。開頭手術でなくても、穿刺ドレナージだけでも経過観察が必要になる。だがずっと病室にいるわけにはいかない。夜になれば、奏から必ずビデオ通話が来る。「あとで息子と一緒に手続きします」蓮と離れて行動したくない。「では先に検査へ。現在の状態を確認しましょう」「はい」ここ数日、薬はきちんと飲んでいる。奏に気づかれないよう、朝は早起きして服用し、昼と夜は彼が子どもと遊んでいる隙にこっそり飲んでいる。そのおかげで体調に大きな違和感はない。だがCTの結果では、脳内の血腫はまったく減っていないどころか、むしろ増えている兆しがある。すぐに入院し、手術を受けなければならない。入院手続きを終えたあと、とわこは重い表情で言う。「蓮、パパがい
奏がビルの一階に入った瞬間、フロアにいる社員たちが一斉に声を上げる。「社長、おはようございます!」「新年明けましておめでとうございます!」「ご復帰おめでとうございます!」その勢いに、奏は思わず足を止める。「社長、これは一郎さんの指示です」副社長が近づいてきて説明する。「見れば分かる」奏は淡々と答える。「あいつはもう来てるのか」「はい。社長室でお待ちです。まず会議になさいますか、それとも社員への新年ボーナス配布を先に?」「先に配る」「皆さん、社長に直接お会いしたがっています。今年は社長ご自身で配られてはいかがでしょう」「分かった」奏は大股でエレベーターへ向かう。オフィスに入ると、コーヒーを飲んでいる一郎の姿が目に入る。一郎は机の上に置かれた大きな袋を目で示す。中にはボーナスの封筒が詰まっている。「下の連中、みんなお前に会いたがってる。だから今年はお前が配れってさ」「分かってる」奏はデスクの向こうに座る。懐かしい感覚が、少しずつ体に戻ってくる。自分の仕事、自分の野心。すべてが目の前に浮かび上がる。「昨夜さ、お前の妹と電話してて、寝不足で目が開かない」一郎はため息をつく。「遠距離ってマジでつらい。今飲んでるコーヒーより苦いよ。あいつ、昼休みしか時間ないから、俺は毎晩一時まで起きて電話してる」その熱量に、奏は少し感心する。「今は何も持ってない相手に、そこまで必死になるのか。まさか本気でトップモデルになると思ってるわけじゃないだろ。もしそうならなかったらどうする」「お前、俺のこと浅く見すぎ」一郎はすぐに言い返す。「むしろトップモデルになんてなってほしくない。大金稼ぐようになったら、俺なんて見向きもしなくなるだろ。今は無名で金もなくて、世間も知らない。だからこそ俺にフィルターかかってるんだよ」「分析は悪くない」奏は鋭く言い切る。「その様子だと、桜にだいぶ振り回されてるな」「は?俺が振り回されてる?」一郎はコーヒーカップを勢いよく置く。「全然そんな自覚ないんだけど」奏は鋭い視線を向ける。「常盤グループのCFOともあろう人間が、なんでそんなに下手に出る。たとえ桜が将来トップモデルになったとしても、お前の前じゃただのきれいな置物だ」一郎は思わず吹き出す。「お前、自分の妹にひどいこと言うな。
奏は画像を拡大し、内容を確認した瞬間、眉をきつくひそめる。すぐに真へ電話をかける。真は一瞬で出る。「真、お前は今、最低な真似をしてるって分かってるのか」奏は怒りをぶつける。「こんな卑劣なことをする人間じゃないと思ってたのに、まさか……」「その通りだ」真は彼の言葉を遮る。「僕を罵るのは構わない。でも結菜のことは責めるな」奏の呼吸が荒くなり、歯を食いしばる。「今日はバレンタインデーだ。結菜が今日入籍したいって言ったから、俺はそれに応えた」真は理由をはっきり伝える。「今朝六時から役所に並んでた」口まで出かかった罵声は、そのまま飲み込まれる。誰にだって幸せを求める権利がある。結菜にも。もし彼女の意思で決めたことなら、真を責めても意味はない。「真、お兄ちゃんから電話来てるの?」電話の向こうから結菜の声が聞こえる。今のままだと、もっとひどいことを言ってしまいそうで、奏はそのまま通話を切る。冷静になる必要がある。ここ数日、結菜はずっと真と一緒にいる。スキーに行き、昨夜ようやく戻ってきた。遅い時間だったから、そのまま真の家に泊まっている。結菜にはもう真がいる。自分の出番は、もうない。とわこは前から、この気持ちと向き合えと彼に言っていた。そこへ千代がやって来る。「旦那様、結菜と真さん、どうかなさいましたか」さきほど名前が聞こえたので、気になっていたのだ。「入籍した」奏は短く告げる。「事前に何も言わずに、今日いきなり手続きした」千代の表情がわずかに変わる。「結菜ったら、本当にわがままですね。こんな大事なこと、どうして黙っているのでしょう」「本当に何も聞いていないのか?」奏は問い返す。「荷物、きれいにまとめてあっただろう」千代は慌てて説明する。「入籍の話は聞いておりません。ただ、お正月に真さんの家に泊まることを、旦那様が特に反対なさらなかったので、結婚も問題ないと思って……それに結菜、前から何度も真さんと結婚したいとおっしゃっていました。あれほど一つのことにこだわるのは、初めて見ました」その説明に、奏は納得する。「今日はバレンタインだから、その日に合わせたんだろう」「ロマンチックではありますね」千代は思わず笑う。「旦那様、もうお二人は入籍されたのですし、あまり怒られないほうがよろし
真帆とポリーは毎日、剛の病床のそばで付き添っている。奏も暇ではない。毎日見舞いに行くほか、剛の巨大なビジネス帝国の管理まで引き受けている。高橋家のY国での事業は驚くほど幅広い。ベビー用品から教育、葬祭業、高級ホテル、ショッピングモール、さらにあらゆるラグジュアリーブランドまで網羅している。かつて剛がそれらを案内したときは、一週間かかったほどだ。真帆と結婚してから、剛は奏を各事業の責任者に紹介している。権限を渡すと明言はしていないが、彼らは皆察しがいい。今回の襲撃事件で剛が重傷を負い、周囲はこぞって奏に取り入ろうとしている。剛は生きているものの、こちらでの奏の立場はかなり固ま
とわこは病院服を脱ぎ、マスクをつけて、奏の後ろについて目立たないように病院を出る。病院の外に出ると、彼女はすぐに奏の腕に自分の腕を絡める。「この近くでホテルを探そう。今夜あなたとホテルに泊まるって俊平と私のボディーガードに知られたら、絶対にからかわれるから」「うん」彼は短く答えてから続ける。「ホテルに泊まるのは、シャワーが楽だからだ」「そうね。確かにホテルの方がシャワーは便利」「今の君は病人だ。俺はそこまで最低な男じゃない」彼は自分を弁解する。とわこは思わず笑い声を漏らす。「なんで私に言い訳するの。あなたが最低かどうかなんて、私の中ではもう答えが出てる」「どんな答え
救急室の扉が再び閉まり、ポリーと奏は向かい合う。「お前、ボスが死ぬのを願ってるんだろう」「本音を言うとでも思ってるのか」「はは。お前と話すだけ無駄だ。俺が生きている限り、ボスに手出しはさせない」「俺が本気で動くと決めたら、お前には止められない」「やっぱりお前は怪しいな」「問題があるのはお前の方だ。毎日、俺が死ぬのを願ってるだろ。そうすれば真帆を手に入れられる」奏は薄く唇を動かす。「だが残念だ。彼女はもう俺を愛している。お前の負けだ」「奏、そんなに早く得意になるな。いつか必ず、油断が原因で大敗する日が来る」「その時を楽しみにしている」……日本。首都空港
家政婦はスープを一杯運び、真帆の前に置く。「お嬢様、見ましたでしょう。奏の心はまったく家にありません。とわこがこちらにいなければ、きっとこんな態度にはなりません」真帆はスープを受け取り、一口飲んでから言う。「あとで父にこの話をするわ。でも今日はとわこの手術の日だから、しばらくは病院にいるはずよ。彼女が出て行けば、奏の心も自然と家に戻る」「ええ。ここは高橋家の地盤です。奏がどれほど優秀でも、とわこがどれほど出来た女性でも、結局は逆らえません。奏は大人しくあなたの夫でいるしかないし、とわこもここを去るしかありません」その言葉に、真帆の顔はぱっと明るくなる。スープを飲み干すと、家政婦







