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第1092話

Author: 佐藤 月汐夜
永名は終始落ち着いていた。桃が詰め寄るような口調で問い詰めても、彼は少しも動じることなく、淡々とこう言った。「君のお母さんの様子を聞いてね……今回の件、うちの責任もあると思っている。だから、より良い治療を受けられるよう、こちらで引き取らせてもらったんだ」

「そんな白々しいこと、誰が信じるっていうのよ。あなたがそんな親切にするわけないでしょ。今すぐ、お母さんを返して。そうじゃなきゃ……」

「そうじゃなきゃ、どうするんだ?」その言葉を待っていたかのように、永名は静かに言い返した。

桃は言葉を失った。——本当のところ、自分に何ができるというのか。もしこれが永名の仕業だったとして、それがわかったからといって、どうすることもできない。あの人たちなら、簡単に母をどこか誰にも見つからない場所へ隠してしまえる。

もっとひどい場合は、人質として利用することだってあり得るのだ。

「結局、あなたは何が望みなの?」怒りを必死に飲み込みながら、桃はなるべく冷静を装って問い返した。

「今回の件は誤解だったってことにして、世間の騒ぎをおさえてくれ。そうすれば、君のお母さんは無事に返す」

「……もし、それを拒んだら?」桃は奥歯をきつく噛みしめた。そんなことを認めてしまえば、美穂はまたしても責任を取らずに逃げ切ることになる。

「君が拒むなら、お母さんはこのままずっとここにいることになるだろう。もちろん、そこまで酷い真似はしない。手を出すことはないし、治療も続ける。でも……君が考えを改めるまでは、会わせるわけにはいかない。それだけだ」

そう言い残すと、永名は一方的に通話を切った。香蘭は彼の手の内にある。桃が折れるしか道はないことなど、最初からわかっていた。

電話越しに機械的な「プープープー」という音が響く中、桃は思わずスマートフォンを投げつけそうになった。けれど、なんとかこらえた。

その頃、食堂へ食事を取りに行っていた美乃梨が戻ってきた。呆然と立ち尽くす桃の姿を見て、慌てて駆け寄ってくる。「桃ちゃん、どうしたの?その顔……何があったの?」

「……美乃梨……お母さんが、菊池家に連れていかれたの。あの人たち、『すべては誤解だったって言え』って迫ってきて……そうしないと、一生、お母さんに会わせないって……」桃は、力なく呟いた。

美乃梨は眉をひそめ、しばし言葉を失った。まさか、ここま
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