LOGIN彼は切れ長の瞳をさらに細め、店を出ていった。何だろう。何か変な感じ。肌が粟立つような感覚。誰かといる時にこんた風に感じたのは、透夜以外初めてだ。どこか不思議な人。三澄さんは、それから俺のヘルプの日によく訪れるようになった。もちろん業務中の為仕事の話がメインだが、世間話やプライベートの話も挟むほどに。「宙さんは一人暮らしなんですか?」「あ、そうだったんですけど……今はその、後輩の男の子と一緒に住んでます」お互い独身ということもあり、自然と話も合う。彼は聞き上手でもあるから、こちらもついつい話し過ぎてしまうことがあった。まずい。マジでこんなに喋ったの、透夜以外じゃ久しぶりだ。何がまずいのか自分でもよく分からないけど。三澄さんとはもっとたくさん話もしたい。ただ、そうすると何故かこれから帰ってくる透夜のことが思い浮かぶ。今夜は何を作ろうかな。肉系が良いか、それとも魚か……時間があったら連絡して訊いてやりたい。自分が思ってるより、透夜は俺の生活の一部となってるんだ。とある日、いつもと違い本店のヘルプに行った。すると偶然帰り道に三澄さんと会った。「お疲れ様です。ちょうど仕事終わりですか?」「はい。たまたまこっちで打ち合わせがありまして……宙さんもあちらこちらに出向かないといけなくて、大変ですね」駅に向かい、普段使っている路線へ乗り換える。三澄さんもだいぶお疲れのようで、目の下にクマがあった。「眠れてます?」「うーん、微妙かな。よく眠れるようになるパワーストーンとかあります?」「あることはありますよ。でも何か、商売ばかりしてるみたいで気が引けますね……」苦笑しながら電車に揺られる。『まもなく横浜……横浜です』満員電車の為、ドアの端っこに追いやられる。押し潰されそうになったものの、三澄さんが前に回ってスペースを作ってくれた。それは良いけど、ドアの窓ガラスに手をつく彼と、尋常じゃなく近い距離になる。「……じゃあお店ではなく、落ち着ける場所でお話してみたいです」「え……と」ガラス玉のような瞳に、自分の顔が映る。別に少しお茶するぐらいなら構わないけど、……その前に透夜に連絡を入れたい。返答に迷ってる間に次の駅に着いてしまい、大勢の人と一緒にホームを降りた。「どうでしょう、宙さん」「あ……ちょっと待ってください、その……」一度連
非常に不義理で、狡いことをしている。 自分に好意を持っている青年に同居を持ち掛け、且つ彼が自分の為に就職先を決めたことを知りながら、いつも通り振舞っている。最低だ。完全無欠な青年が俺なんかを好きということ自体、まずおかしいのだけど。一番まずいのは、なあなあにして逃げている俺自身だろう。多分、不安なんだ。息が苦しくなる一番の原因は、俺は彼に何も返せない。……どころか、むしろ負荷をかける存在するだと確信してしまっているから。嬉しいけど、それと同等の錘に押し潰されそうになる。一緒にいちゃいけない。雨の日に動けない俺なんかが……。「戸波さん、こんにちは♪」「あ。お疲れ様です、三澄さん」二週間ぶりのヘルプ日、品出しをしていると笑顔の三澄さんが現れた。必要な資料を受け取り、店長を呼ぶ為裏へ行こうとしたが、「今日は戸波さんが出勤してると聞いて、急いで伺ったんですよ」「え。ええと、どちらから……?」「戸波紫信さんです。紫信さんの甥っ子さんだったんですね」うっ……!ここで働いてる人にはバレて当然だけど、外部の人に知られると改めて申し訳なくなる。封筒を胸の前に持ち、苦笑しながら頷いた。「はい。実は俺、持病がありまして……。以前の仕事を辞めた時に、ここを紹介していただいたんです」「良いじゃありませんか。でも戸波さんが二人いることになるので……俺も、宙さんとお呼びしてもいいですか?」幸い、仕事に関する話題はスライドされた。わざとなのかもしれないけど、有り難く受け取る。「えぇ、もちろん」「それは嬉しい。宙さんには滅多にお会いできないので、会えた時は良いことが起きる、っていいきかせてるんです」「ふえぇ……」なんて乙女思考だ。透夜並に毎日輝いてそう。やっぱり生きる世界が違うよな、とビビりつつ、「俺なんかに福があると良いんですけど」、と返した。「三澄さん、いつもバイトの子ともお話されてるんですか?」「はい。売れ筋は記録を見れば分かりますけど、まだ出回ってない希望の品は現場の方の声を聞くのが一番なので」彼は黒のブリーフケースを脇に寄せ、並べられた石を覗き込んだ。「宙さんも、お客様のこんなものがあれば良いのに、って声があったら教えてくださいね」「は、はい!」運営に回る者としても、日々流行やトレンドには敏感でいないといけない。受動的な姿勢など有り
今、なんて……。真偽を確かめようとした時、透夜がこちらを向いて叫んだ。「宙さん! コーヒーこぼしてます!」「え。うわっ、冷た!」口元まで持っていってると思ったグラスは、自分の膝に注いでしまっていた。「ひえぇ、よりによってやばい部分に……」「おしぼりあるんで、トイレで拭きましょ!」道流君は親切に、大量のおしぼりを持ってきてくれた。濃いネイビーのジーパンなのが幸いだったけど、めっちゃ冷たい。「あー恥ずかしい」いくら驚いたとはいえアホだ。男性トイレに入り、洗面台の前で必死に拭いていると、後ろの扉が開いた。「宙さん、大丈夫ですか?」「あ、ごめん。大丈夫だよ」戻りが遅いことを心配したのか、透夜が心配そうに現れた。「だいぶ薄まったよ。コーヒーくさいけど」「ん~……そうですね……」彼は長駆を縮め、俺の内腿を掴むと無理やり開かせた。すると結果的に股間を凝視してる構図となる。瞬く間に羞恥心に火がつき、彼の肩を押した。「と、透夜。あんまり近くで見ないでくれるか」「え。あ、すみません! そういうつもりじゃ……!」もちろん悪気がないのは分かってる。でも人が来たらやばいから、早々に距離をとった。「せっかく店もいっぱいあるし、後でズボン買いに行っちゃ駄目?」「もちろん良いです! 探しにいきましょう!」透夜は即答したものの、顔を背けた。まだ少し赤い……のは、今のやり取りのせいだけではないだろう。「なぁ。さっき道流君が言ってたこと、本当?」「…………はい」耳を澄まさないと聞き取れないほど小さな声が返ってきた。透夜も気まずそうにしてるけど、俺はそれどころじゃない。「初耳だよ。リハビリ系とは聞いてたけど……」俺自身、症状が酷くて通院していた時期は理学療法士と関わったこともある。気象病は確立された治療法がないけど、普段の運動習慣も密接に影響している為、こまめなカウンセリングも受けていた。でも、まさかそこまで……。「も、元々目指してたのか?」「そう……です」あ、嘘だな。彼は意外と分かりやすい。それも俺限定なのかもしれないけど。「長年片想いしていた人っていうのは?」「……ふぅ。ちょっと待ってもらえますか」誰も来ないかハラハラしつつ、大人しく待つ。透夜は深く息をつくと、観念したように頭を掻いた。「……だから、宙さんといる時に道流に会い
「あ、宙さん! このカップ素敵じゃないですか?」「ん? おぉ……ん!?」透夜の引越し作業も無事に終わり、同居を始めて早一ヶ月。二人で近くのショッピングモールへ買い物に行った。……のは良いのだが、透夜はごくごく自然に俺の手をとり、自身の方へ引き寄せた。「透夜、心配しなくても呼ばれたら行くから」「あ、すみません!」透夜は慌てて手を離した。悪気ない行為だから胸が痛くなるけど、やっぱり人目は気になる。一緒に住まないかと持ち掛けたのは俺の方。これが如何に思わせぶりで、期待させるようなことか、自覚はしている。ただ彼の役に立ちたかった。幸い家事はできるし、生活費も抑えられるし、社会人になりたての彼をフォローできるんじゃないか、と思ったのだ。でもやっぱりこれ、最大の悪手だよな……!彼の為を思うなら突き放すべきなのに、あの日の夜は本当にどうかしていた。俺は透夜をどうしたいのか。彼の人生に責任をとれるかも分からないのに、烏滸がましいにも程がある。拳を痛いぐらい握り締め、俯いた。今や彼を振り回し、束縛してしまっている。一体どうやって、この罪を償えばいいだろう。自己嫌悪のエンドレスループを繰り返していると、透夜が心配そうにこちらを覗き込んできた。「宙さん、大丈夫ですか? 少し顔色が悪い気が……」「あっ。いや……」「あれっ? 透夜じゃん! 久しぶり!」ん?明るい声に振り返ると、透夜と同じ年頃の青年が不思議そうにこちらを見ていた。「道流。あれ、今日休み?」「おー、俺不定期シフトだからさ。あれ、こっちの方は?」興味津々で見つめてくる青年に、猛烈に不安を覚える。透夜、間違っても好きな人とか言うなよ……!それをしたら俺もお前も苦境に立たされるからな。切羽詰まった視線とオーラに気付いたのか、透夜は驚くほどの低音ボイスで答えた。「前のバイト先の先輩」偉い!ちょっと怖いけど、スタンディングオベーションしても良いぐらい、心の中で賞賛した。「戸波宙です。初めまして」「どうも、鶴屋道流《つるやみちる》です。透夜とは大学の時の友達です」朗らかに笑う道流は、透夜と会えて嬉しそうだ。透夜もいつになく穏やかに見えるし、かなり仲が良いのだろう。懐かしそうに話す二人を見て、ホッとしつつ、疎外感を覚える。いや、違うな。何だろう、この感じ。俺が知らない透夜
大橋を抜けると、煌びやかな工場地帯が見えた。時間が遅いから道も空いていて、ドライブを楽しむには打ってつけだ。透夜を助手席に乗せて、白のシャトルで高速を走る。ひとりだとあまり走る気しないのに、不思議なもんだ。深夜二時。全てが寝静まっている。この車内は、俺と彼だけの世界。「透夜。眠かったら寝ていいからな」「ありがとうございます。でも全然、もっと眠気覚めました」「そっか。連れ出しておいてごめんな。明日は一日爆睡しそうだな」「良いですって。一緒のベッドで寝ましょ」「狭いから断る」海沿いのサービスエリアに入り、車を停める。透夜はお疲れ様です、とにこやかに言った。「走りやすそうで良い車ですね」「あぁ。中古だけど気に入ってる。でももう手放そうと思うんだ。収入も減ったし、節制していかないと」暖かいものが売ってる自販機でミルクティーを二つ書い、透夜に手渡した。「コーヒーは眠れなくなるからな」「ふふ、そうですね」解放されている二階のテラスへ生き、真っ暗な港湾を眺めた。人は自分達以外に誰もいない為、貸切状態。風の音しか聞こえない場所で、海の向こうに灯る光が印象的だった。「宙さん、いつも悪夢を見てるんですか?」壊れやすい宝石を取り出すように……周りの静寂を破らない声量で、透夜は問いかけた。「たまーに、な。いつもじゃないんだけど、うるさくしてごめん」「そんなのは大丈夫です。そうではなくて、……景さんが辛い想いをしてることが、辛い」彼は俯き、張り裂けそうな声で零した。前髪のせいで表情は窺えないが、まるで泣いてるようだった。俺のことなのに、自分のことみたいに痛みを感じている。「お前って本当……」「?」「いや、何でもない」ミルクティーを飲み切り、ゴミ箱に捨てる。春も終わりだけど、夜中はそれなりに冷えるな。透夜の手を握ると、案の定とても冷たかった。「そ、宙さん?」「温めてやるよ」俺は基礎体温が高い方だ。そう思って彼の手を強く握り締めたのだけど、何故か透夜の顔は真っ赤になった。「今日は珍しく、宙さんの方が積極的ですね」「何、何の話?」「あ、分かんないならいいです」「何だよ! 気になるだろ!」歳上の威厳がないのも問題だ。適当に流されたことに抗議したが、透夜の横顔が嬉しそうに映った為口を噤んだ。さっきよりずっと良い顔してる。ホッ
最初は皆優しい。それを変えてしまうのは自分自身。同期も、先輩も、上司も、時間が経てば経つほど俺の至らなさに頭を抱える。俺が休んだ日の仕事を自分で片付けられるならいいけど、現実はそうじゃない。必ず誰かに皺寄せがいく。そして俺のせいで残業をして、取引先から怒鳴られて。嫌われるのは当たり前なんだ。弱い俺が一番悪い。書類がデスクに山積みになってる。返せてないメールがたまっている。伝えられてない予定を当日聞かされて、外を走るのはザラだった。終電を逃しても埋め合わせることができないんだから、体調云々の前に俺が仕事をできないだけだ。とうとう、晴れの日でも出勤途中に吐き気を覚え、駅のトイレに駆け込むことが増えた。何でこんなにも駄目な人間なんだろう。お守りとして持っていた石を握り締め、唇を噛み締める日々が続いた。“彼”には絶対、こんな姿は見せられない。弱音なんて吐かず、独りで生きなきゃ。胸を押さえ、鏡に映った自分を睨んだ。周りに迷惑ばかりかけて、すぐに塞ぎ込む弱い男を。何百回謝ったって許されない。それでも謝らないといられない。ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい……。「……宙さん!」「……あ」真っ暗な視界に一本の光が伸び、開いていく。呼吸をして、“現実”に戻っていく。瞼を擦ると、遠い天井の下に心配そうな透夜の顔が映った。「ん……どした……?」今は深夜。薄暗い部屋のベッドで体を起こす。すると透夜は息をつき、安堵の声を上げた。「宙さん、すごく魘されてたんですよ。たまたまトイレで部屋の前を通ったんですけど、最初は起きてるのかと思いました」そうか。寝言を言ってしまっていたみたいだ。汗も相当かいていたらしく、額も首元もびっしょりだ。「勝手に部屋に入ってすみませんでした」「んーん。むしろ起こしてくれてありがと」脚を下ろし、ゆっくり立ち上がる。「ちょっと汗すごいから、シャワー浴びる」「……はい」まただ。俺は現実を恐れてる。浴室から出ると、ダイニングの方に明かりがついていた。そっと覗いてみると、透夜がぼうっとしながら雑誌を読んでいた。「透夜、寝ないのか?」「あ。すみません、何か目が冴えちゃって」彼は困ったように笑い、頬を掻いた。俺のせいで眠れなくなったに違いない。申し訳なくて、俯き加減に相槌を打つ。「透夜、明日休みだよな。何か予定あ