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1-2 通達された結婚

Author: 酔夫人
last update publish date: 2026-03-31 12:57:39

(ずいぶんと……大胆な縁談だこと)

政治と極道。

表と裏。

それを繋ぐ“楔”として、自分が置かれた。

あやめはゆっくりと顔を上げ、改めて神崎冬弥を見た。

(受け入れられる相手かどうか、ね)

相手が自分を測るのなら、こちらも同じだ。

冷たい目。

感情の読めない表情。

無駄のない立ち姿。

どれも変化はないが、あやめの見る目が変わっていた。

あやめも神崎冬弥を『対象』として見始めた。

だから。

(これの奥にあるものを見極めなければならない)

危険な男か。

利用価値のある男か。

それとも。

(共存できる相手なのか)

あやめは静かに息を整えた。

娘としても秘書としても、選択権はあやめにはない。

ただ、どう思うかだけはあやめの自由。

そしてそれは、一人の人間としての選択。

その自覚だけが、胸の奥で確かに熱を帯びていた。

.

「あやめ」

謙一の声に、あやめは反射的に冬弥に頭を下げた。

一瞬でも遅れれば、それは礼を欠くことになる。

そういう場で生きてきたあやめの、無意識のうちの身体の反応だった。

「柊あやめ、です」

簡潔に、過不足なく。

あやめの名乗りの所作に無駄はない。

でも、女としては可愛げはない。

それは自覚していた。

なぜなら――。

「さくらの妹だ」

謙一の言葉に、あやめはほんのわずか、表情筋に力を入れる。

笑え、と自分に念じた。

口角を意識的に持ち上げる。

あやめには二歳上に姉がいる。

名前は、さくら。

さくらは亡き祖母に似て華やかな美しさがあり、社交界でとても人気がある。

人を惹きつける明るさ。

そして、その場を掌握する女性らしい柔らかさ。

さくらは社交の場において自然と人の輪の中心に立つタイプだった。

対して、あやめの容姿は謙一に似た。

容姿を貶されたことはない。

だが、どこか硬質で、近寄りがたい印象を与える容姿をしている。

男性が望むものを持たないのか、足りないのか。

どちらにせよ、賞賛されることはなかった。

周囲はあやめを「··柊さくらの妹」と認識している。

残念そうに。

ときには馬鹿にするように。

··さくらさんの妹なのに」と言わる。

望まれる姉。

望まれない妹。

それは、あやめ自身が一番よく分かっていた。

あやめも女だ。

女として足りないと言われることに対して、何も思わないことはない。

幼い頃はいつも「柊謙一の娘たち」として並べられ、さくらと比較された。

口に出されたことはない。

でも、空気で伝わってきた。

だから、あやめは煌びやかな社交界が好きになれなかった。

いや、むしろ、嫌いだ。

必要だと分かっているから顔は出している。

だが、さくらのように愛想よく、その場の中心人物のように振る舞うことはできない。

だから、しようとも思わない。

あやめはそれを『適材適所』なのだと理解している。

姉には姉の役割があり、自分には自分の役割がある。

そう割り切ることで、全てを飲み込み、自分の立ち位置に納得できるようになった。

だから、「さくらの妹」と言われることに慣れている。

気にならない。

そう思っていた――はずだった。

(久しぶりに、効いたわ)

謙一の口から出た娘の紹介は、「さくらの妹」。

他人から向けられる評価ならば、気にしない振りで逃げることはできる。

でも、これは違った。

謙一の言葉には逃げ場がなく、ダイレクトに響いた。

胸の奥が軋んだ。

謙一が他人にあやめを紹介するとき、普段は「私の秘書」とすることが多い。

社交辞令ではない。

距離を置くための言葉でもない。

そのときの謙一の声音や表情には、どこか揺るぎない信頼が滲むから。

若くして政務を支えられるだけの能力があること。

実務を担える人間であること。

それを示すための言葉なのだと頭では分かっていた。

けれど―――それは、雇用主としての表現。

  『さくらの妹』

  『私の秘書』

どちらも、謙一にとっては“正しい紹介”なのだろう。

状況に応じて、最も適切な肩書きを選んでいるだけ。

――ただ、そのどちらにも「娘」という言葉は、含まれていない。

(お父様にとって私は、「私の娘」ではないのかもしれないわね)

あやめは、静かにそう思った。

感情は波立たない。

波立たせないようにしている、と言ったほうが正しい。

  『自分は父親にとって何なのか』

改めて問い直すまでもない。

答えはもう知っている。

―――『駒』だ。

必要な場所に置かれ、必要な役割を果たす存在。

それ以上でも、それ以下でもない。

そうあることを求められてきたし、そう振る舞ってきた。

それがあやめの中の最適解だった。

だから、ここに自分が呼び出された理由は『駒』としての役割を与えるため。

(でも……)

あやめは、ゆっくりと視線を上げた。

その微笑は先ほどよりもわずかに整っている。

これまでは、役割を与えられるなら応えるだけだった。

それがどのようなものであっても。

でも、いまは胸の奥に生まれたわずかな痛み。

(今回の役割は、受け入れたくない)

.

「はじめまして」

あやめは気持ちを切り替え、微笑を浮かべて挨拶をする。

貼り付けたように整った笑み。

これまで何度も“場”を乗り切ってきたために身についた、完成された仮面でもあった。

その挨拶に、神崎冬弥は眉すら動かさなかった。

わずかに視線を落とし、一礼を返しただけ。

余計な言葉は一切ない。

愛想も、社交辞令もない。

必要最低限の、聞いていることが分かるだけの応答だった。

(……こういう人、ね)

あやめは内心で肩を竦める。

不快ではない。

分かりやすいところは、好ましかった。

余計な感情を挟まない相手のほうが交渉は楽だ。

そう結論づけてから、あやめは視線を冬弥から謙一へと移す。

謙一とあやめの視線が合った瞬間、空気が変わった。

先ほどまでの静かな緊張とは違う。

始まりを感じさせるピリッと痺れるような空気になった。

あやめは息を飲んだ。

(……来る)

そう、直感が告げていた。

来るのは『説明』ではなく『通達』。

それなのに。

「それで、何のご用件なのでしょうか」

あやめは努めて冷静に分からないふりをした。

声は震えていない。

だが知らないふりを続けることへの緊張に、喉の奥がひどく乾いていた。

謙一はその問いにすぐには答えなかった。

正確には言葉で応えなかっただけで、謙一の手は動いていた。

書類の束を無造作に捲り、その中から謙一は一枚抜き取る。

その動作は驚くほどゆっくりで、しかし一切の無駄がなかった。

――決めている人間の動きだった。

紙が机の上に置かれる。

乾いた音が小さく響いた。

「婚姻届だ」

一拍。

「お前と冬弥君のだ」

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