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第4話

Author: 花辞樹
病室に戻った時、宏の姿はもうなかった。ベッドの上には、彼の署名が入った支払い明細だけが残されていた。

看護師が説明してくれた。

「ついさっきお支払いを済ませて、慌てて出て行かれました。何か急用があったのかもしれませんね」

私はその紙をじっと見つめ、しばらくしてから小さく尋ねた。

「……彼、出て行く時、どんな様子でしたか?」

看護師は少し思い出すようにして答えた。

「あまり元気がなさそうでした。目の周りが赤くて……泣いていたように見えました」

――泣いていた?

私は紙をぎゅっと握りしめた。

やっぱり私は、宏の遥への想いを、甘く見ていたらしい。

「大丈夫ですか?また体調が悪くなったんじゃ……」

私は首を振り、静かに言った。

「退院の手続きをお願いします」

「えっ?でも、まだお身体が……」

「もうここにいたくないのです」

この病室には、まだ遥の香水の匂いが残っている。それが、どうしようもなく嫌だ。

病院を出た私は、別荘には戻らず、実家へ向かった。

玄関に入ると、兄が驚いた顔で立ち上がった。

「清芽?入院してるはずじゃ……どうしたんだ急に?」

私の目に涙が滲み、気づけば兄の胸に飛び込んでいた。彼の肩を、涙が濡らしていく。

「おやおや、清芽さん、どうしたの?」

その声に、私ははっとして振り返った。

遥だ……

「なんで、あなたがここに?」

兄が苦笑して説明した。

「今日は遥の歓迎会なんだ。彼女が主役でね」

私と遥の視線がぶつかった。彼女の瞳の奥には、あからさまな挑発と嘲りがあった。

兄が私の頭を撫でた。

「清芽、どうした?泣いてたじゃないか。誰かに何かされたのか?」

私は首を振り、乱暴に涙を拭って答えた。

「……なんでもないの」

そしてそのまま玄関へ向かった。

「おい、どこ行くんだ?清芽!」

兄が追いかけようとしたが、遥が彼の腕を掴んだ。

「私が行く。女の子同士、話したほうがいいでしょ?」

背後でヒールの音が響いた。遥が私の耳元で囁いた。

「清芽さん、ちょっと話さない?」

「話すことなんてないです」

私は冷たく言い放ち、手を振り払った。

彼女は笑みを浮かべた。

「どうして?」

そう言って、私にだけ聞こえるような小さな声で続けた。

「だって……私たち、同じ男を寝かせた仲でしょ?」

全身が一瞬で凍りついた。

遥は私をリビングへ連れ戻した。そこには彼女の友人たちが集まっており、私を見る目は、すでに好奇と侮蔑に染まっていた。

おそらく、遥がもう全部話していたのだろう。

それでも、彼女はわざとらしく笑って紹介した。

「この子ね、宏が処理し損ねたゴミよ」

その侮辱に、私は冷ややかに見返した。

「じゃあ、あなたは何?宏を操るために駆け引きする詐欺師?」

一瞬、遥の顔が固まった。どうやら私が言い返すとは思っていなかったらしく、彼女の表情はたちまち険しくなった。

周囲の女たちが、すぐさま彼女を庇って私を嘲った。

「詐欺師?」

「ふふ、遥さんは嶋谷の心を騙せたなら立派なもんよ!あんたは?」

「そうよ、泣きながら帰ってきたくせに、何様?」

「賭けない?嶋谷が何日でこの子を捨てるか」

「私は一日!」

「私は一時間!」

ガシャンッ!

私は勢いよくカップを床に叩きつけ、大きな音を立てた。

空気が凍りついた。

台所で忙しくしていた兄がすぐに駆けつけてきた。

遥はすぐにしゃがみこみ、割れた破片を拾いながら私の手を取った。

「大丈夫?怪我してない?」

その優しい仕草を見て、私はようやく悟った。

なるほど、宏がこれまで忘れられなかったのは、こういう計算高くて世慣れた女だったのか。

もし宏が、自分が遥のために味わった苦しみや狂乱の瞬間の数々が、全て巧みな芝居でしかなかったと知ったら、どんな表情をするだろうか?

けれど、もう関係ない。私は兄のほうへ向き直った。

「嶋谷社長から聞いたけど、兄さん、私に縁談を紹介してくれるって?」

兄は少し驚いたが、すぐに笑ってうなずいた。

「おお、あいつそんな話までしてたのか。いつからそんなに親しくなるのか?」

その時、私は言いたかった。私たちは親しいだけでなく、恋人同士でもあるのだと。

しかし、口を開くと、にぶく苦い笑みを浮かべるだけだった。

「別に、親しくなんかないよ。お兄さんが紹介してくれるあの人……会ってみるつもり」

私はうつむいたまま外へ歩き出し、歩きながらその連絡先を追加した。

プロフィール写真は海の風景。どこか懐かしい。

すぐに、相手はメッセージを送ってきた。

【水橋龍一(みずはし りゅういち)】

――その名前を見た瞬間、微かに胸がざわついた。

だが、次の瞬間、スマホが誰かの手に奪われた。顔を上げると、宏が玄関口に立っていた。

彼は少し機嫌が悪そうだった。

「退院したのに、なんで俺に一言も言わない?」

彼の視線が私のスマホに落ちた。

「水橋龍一?男みたいな名前だな。誰だそいつ?」

私はスマホを奪い返し、冷たく言った。

「あなたこそ、何も言わずに出ていったじゃない」

宏は言葉を詰まらせ、顔を強張らせた。その時、兄が声をかけた。

「お、ちょうどいいところに来たな。今夜は遥の歓迎会だ。飲んでけよ」

宏の目が、中央に立つ遥へ向いた。

「……歓迎会?俺の知らない、な」

空気が一気に凍った。誰かが慌てて取り繕うように言った。

「いやいや、遥さんが呼んだのは親しい人だけで……」

「そうそう、それに今日は遥さんの片思いの相手である黒沢哲哉(くろさわ てつや)さんも来てるし、ちょっと気まずいかなって」

「片思いの相手?黒沢?」

その名を聞いた瞬間、宏の表情がみるみるうちに暗くなった。彼が狂いそうになっていることだけはわかった。

もし私がその場にいなければ、宏はもう飛びかかって、遥を掴み取り、激しく問い詰めていたかもしれない。

彼が怒りに震える様子を見ながら、私は苦い笑みを浮かべ、兄に言った。

「私、もう帰るね」

熱がまだ残る身体で、ふらつきながら出口へ向かう。宏は手を伸ばしかけたが、遥の視線を受けて、動きを止めた。

「清芽さん、まだ本調子じゃないでしょ?宏に送ってもらいなさい……どうせ彼、ここにいても用事もなさそうだし。私は他のお客さんの対応で忙しいだから」

遥が笑いながら私の手を取った。宏がその姿を見つめた。その瞳に浮かんだ悲しみは、鋭い剣のように私の心臓を貫いた。

「いいえ、結構です」

宏は一瞬固まったが、追いかけたくなったものの、やはり足を止めた。

最終的に、兄が私を送ってくれた。車の中で私は黙って窓の外を見ていた。

そこへ新しいメッセージ。――遥から。

写真が一枚。

それは運転席に座る宏の横顔だった。

【あらまあ、彼って本当に小心者ね。あなたが足を踏み出したか出さないかのうちに、哲哉をぶん殴って、私を連れ去ったのよ】

【可哀想に、芝居を手伝ってくれた哲哉、今後はしっかり埋め合わせをしてあげなくちゃ】

【清芽さんはまだ男をうまく操る方法が分かっていないのね】

【男というものは、飴と鞭が必要だね。そうすれば彼はあなたのことを忘れられなくなるのよ】

私は写真を拡大し、宏の口元にたれた血痕を確認した。おそらく、さっきの乱闘でついた傷だろう。

「清芽、どうした?」

兄が車を止め、真っ赤に腫れた私の目をじっと見つめた。

「今日ずっと様子がおかしい。何があったんだ、話してみろ。必ず取り計らうから!」

私は唇を噛みしめ、言葉を探した。その瞬間、前方にポルシェが滑り込んでくる。

降りてきたのは――宏と遥。

宏は遥を車から激しく引きずり降ろした。二人は再び言い争いを始めたようだが、今回は別れでは終わらなかった。

宏は遥を車体に押し付け、激しく唇を奪った。

その手は彼女の腰を握り、深く貪るようにキスを重ねていった……

私はその光景を静かに見つめ、体を微かに震わせた。

兄は私がじっと見つめる様子に、好奇心からだと思い、軽く笑った。

「そんなに驚くことじゃないよ。あの二人は昔からそうだった。口喧嘩してるかと思えば、次の瞬間にはホテルに行くんだ。とっくに慣れたよ。

久しぶりに会っても、遥は相変わらず、宏を完全に掌握してるんだな……

あれ?清芽、どうしたんだ!」

兄が振り向くと、私が冷や汗でびっしょりになっているのに気づき、すぐに動揺した。

私はお腹を押さえ、弱々しく言った。

「病院に……連れて行って……」

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